地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

人生「感」が変わる旅? 6

2009年09月13日 | Weblog
最終日、仙酔島を後にし、鞆の浦へ。
島を出る前にあらかじめ、「鞆の浦史跡ツアー」に申し込んでおいたので、出発地点となる鞆シーサイドホテルへ。

ガイドをしてくれたのは、昔大阪に住んでいたことがあるというおじいさんでした。
早速由緒と趣のある鞆の浦の街を案内してもらいました。


この坂、ガイドさんが見せてくれた雑誌に同じアングルで載っていて、すごく素敵な風景だったのですが、素人が撮ると全然違うなあ。







この「作右衛門」という表札のかかった古い町屋は貸会場になっていて、還暦、結納その他お祝い事やイベントの際に借りられます。




宿泊もできますが小さな家なので、あまり大人数では利用できないみたい。
家族だけのあつまりにいいかも。
高いけど、会場セッティングや司会進行的なこともやってもらえるようです。
国民宿舎にあったポスターに「ご満足頂けなければ全額お返しいたします」みたいなことが書いてあったのが気になりました~。


ここ鞆の浦は、「潮待ちの港」として栄えた場所です。
瀬戸内海の潮の分かれ目にあるので、昔は多くの船が潮の満ち引きを待って鞆の浦に滞在していたようです。






江戸時代には商人の町としてたいそう栄えたようですよ。


さっそく特別無料公開中の商人の御屋敷をいくつか見学。
ここはお酒を売るお店ですね。




ここに番頭さんが座っていたのでしょうね。




奥の座敷は家族の部屋です。




台所。




庭の手水場の苔むしたカエルがかわいい。





蔵も見せてもらいました。







鞆の浦の風物詩、男の子の成長を願う「八朔(はっさく)の馬出し」に使われる馬もあります。
町中これを引き回すんですね。





御船宿「いろは」には坂本竜馬も宿泊していたそうです。
窓のステンドグラスは宮崎駿監督が竜馬らしいモダンな感じを取り入れるため、後に寄付して取り付けられたものだと聞いています。




なぜここで宮崎駿監督が登場するかというと、「崖の上のポニョ」のアイデアを練るために宮崎監督が長期で鞆の浦に滞在していたからです。
地元の人たちの間では、「崖の上のポニョは鞆の浦が舞台」ということで盛り上がっていますが、監督の事務所は明言は避けているようですね。
まあでも映画に出てくる町の風景を見る限り、どう考えても鞆の浦を描いていますけど。


こちら潮待ち茶屋。





鞆の浦のお店は、京都などと同じく間口はわりと狭目で奥に長い造りが多いそうです。
やはり間口の大きさによって課税されたからだとか。


昔ながらの町並み。
鞆の浦に武家はなく、商家ばかりだと聞いています。






長屋で売っている干物なども購入しました。
すんごくおいしかったです


交番までもが素敵。




こちら、もっとも有名な太田家住宅。
元祖保命酒(ほうめいしゅ)の独占製造販売で儲けに儲け豪商となった中村さんのお宅を、後に太田さんが買い取ったものです。




「保命酒って養命酒のパクリ?」などと思ってすいませんでした。
そもそも保命酒が薬酒の始まりだったのですね。
もっと宣伝しましょうよ~。誰も知らないと思うから。









ちなみに保命酒は門外不出のレシピで中村家が藩の保護を受け独占的に製造販売していたのですが、江戸時代が終わると専売制が廃止され、あれよあれよという間に衰退してしまったそうです。

今では「保命酒」を売るお店がいくつかあり、それぞれにちょっとずつレシピが違うのでお味も違うようです。
私はこちらの岡本亀太郎本店というところで買ってみました。









養命酒と違って飲みやすく、しかも杏味とかフルーティーなのが出ていたので、そちらを一瓶購入しました。
最初はさらさら買う気などなかったのに、試飲をするとついつい買ってしまった。
やはり、商売において試食・試飲は重要よのぅ。



さて、太田家住宅の内部もなかなか素敵でございました。
しかも元の持ち主である豪商の中村さん、かなりのおしゃれさんだったようで、床の市松模様とか、天井とか蔵の壁の装飾とか、至る所にちょっとしたデザインが取り入れられていました。




ガイドさんが「華美なものではないけど、こういう誰にも見えないようなところにもこのようなおしゃれを施す、ほんっとに素敵でしょ~!?」と何度も力説。

たしかに、今でいうところの「工場」の建物でさえ、こんなサイコロの目みたいなデザインを施したり、壁にカーブをつけたりと、かなりのおしゃれさんと見ました。










江戸時代、ここで保命酒を作っていたのですね。







太田家見学の後は、お待ちかねのランチ。
国民宿舎で割引券をもらっていた、蕎麦屋の「作十」にて天ぷら蕎麦を頂きました。
久しぶりに魚以外のものをいただきました~




さらには仙酔庵での鯛焼き無料券もついていたので、こちらも遠慮なく頂きました~。




さらにさらに、隣の豆腐工房での豆乳試飲券ももちろん活用。
鞆の浦、イケてるわ~!



本来ならここで帰宅するのですが、たまたまこの日は年に1度の「お手火(おてび)まつり」の日。
イベント好きの母が見て帰りたいと言います。
え~、帰りの新幹線大丈夫かなあ。。。


開始時間は「暗くなってから」というのみなので、とりあえず夕方まで時間をつぶさねばなりません。
バスで一旦福山駅前まで戻り、ロッカーに荷物を預けて福山城を見学。





そして夕方再び鞆の浦エリアまで戻ったのですが、祭りがあるわりには沼名前神社の前はひっそりとしてるんですけど…。







でも祭り用の松明は置かれているので、間違いないようです。





しばらく待っていると町の衆が現れ、




お祭り前のお参りをしたりもするのですが、一向に始まる気配がありません。




そのうち大きなカメラを持ったおじさんたちが集まり始め、「何時頃始まるんですか?」と聞いてみても「さあ、私も初めてなんで…」と言った感じでよそ者ばかり。
「日本三大火祭り」とか聞いた割には人が少ないし、そういやテレビでも福山のお手火まつりは聞かないなあ…。

とりあえず境内の石段の特等席っぽいところを陣取りましたが、そこからが長かったです。
徐々に人が集まり始め、石段がだんだん埋め尽くされていくのですが、祭りが一向に始りません!
地元の人たちはどっぷり日も暮れかかった頃にやっと集まってきました。

私たちは帰りの新幹線の都合もあるので、早く始ってくれないかやきもき。
まだかまだかと首を長くして、石段でお尻が痛くなりつつ待っていると、夜の8時を過ぎてからようやく始まりました!




大きな火のついた松明を地元の若者たちが担いで石段を一気に駆け上がります。
迫力満点!






しかし広島の人、豪快やわあ。
火のそばって危ないのに、最前線に子供づれやらペット連れやらの人がわんさかいます。
さ、さすがです。


待ちに待ったお祭りがようやく始まったのですが、もう私たちは行かねばなりませぬ。
ものすごい人垣をかきわけかきわけ、祭り見学もそこそこにバス停へダッシュ。


最後は駆け足となってしまいましたが、年に1度しかないお祭りも見れたことだし、良い旅だったと思います。

帰りも新幹線で1時間というのが本当にありがたかったです。
鞆の浦はまたゆっくり訪れてみたい土地です。

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