地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと 17

2010年09月30日 | Weblog
【17日目】7/12(月) Itero de la Vega → Población de Campos
朝から胃のむかつきと痛み、軽い下痢。
不調のまま、6:40にアルベルゲを出発する。

相変わらず木陰の無い乾いた道が続く。
10kmほど歩き、Boadilla del Caminoという村へたどり着く。
できればバルで休憩したい。

するとそこへ現れたのがポルトガル人のヌノ。
相変わらずヨレヨレのTシャツ姿にはときめかない

彼によると、ここにすごく素敵なアルベルゲがあり、バルも併設されてるけど、どうやら閉まっているようだとのこと。
ただ、アルベルゲの庭にあるアートオブジェなどが面白いと言うので、ヌノと別れてアルベルゲを見に行く。

たしかに庭にオブジェっぽいものがあった。
奥に入り右折すると、そこには営業中のバルが現れた。
あれ?営業してるよ。

スィナが「ヌノに知らせてあげなきゃ!」と、自分のリュックを置いて急いで走ってヌノを探しに行ったけど、見つからなかったようだ。
私は相変わらず体調不良なので、悪いけどバルで待っていた。


ここのバル兼アルベルゲのオスピタレロ、レゲエ風の若者なんだけど、スィナを見るなり「よおオランダ人、サッカーの試合で負けた涙を隠すためにサングラスしてんのか」と声をかけてきた。
スィナが驚いて「なんで私がオランダ人って知ってるの?」と聞くと、ジェスチャーで「顔を見れば分かる」と。

サングラスかけててもオランダ人って分かるんだ~。
へ~、そんな典型的な顔なのか?


このレゲエ男からは、マケドニア人のメリが足の裏のマメの手当を受けていた。
メリとは会ったり見失ったりを繰り返したけど、最後の最後にSantiagoでディナーを共にする相手がメリになるとは思いもしなかった。


バルにて朝ごはんの定番となっている、トーストとコーヒーのセットを注文。
私は胃の調子が悪いので、今日は紅茶にしておいた。


隣のテーブルには昨日会った韓国人夫婦も。
彼らの方が先に出発する際、「荷物の重さはどれぐらいですか?」と聞かれたので、「私のは大体8kgぐらいです。もしかしたら今は9kgぐらいかも」と答えると、「それは重い!」と驚かれた。
「そちらは何キロなんですか?」と聞くと、「6kgまでがいいと聞いていたので、6kgぐらいです」とのこと。
それは驚愕の軽さ

「今日はフルーツとかも入れてるんで…」と焦って言い訳をしてみたが、相手からも「私たちもです」と言われ撃沈
ただ、その割には奥さんの方が「膝が痛くってねえ…」と。
うちの親世代なのでしょうがないと言えばしょうがないが、そんだけ荷物軽くしても膝が痛くて歩くのに難儀している。
そういえば彼ら、今朝会った時は「バス停どこか知りませんか?」と聞いてきた。
もちろん私たちはバスに乗る気など全くないので、そんな情報は持ち合わせていない。


韓国人夫婦を見送り、私たちもそろそろ出発しようかと思っていると、バルのキッチンから先ほどのレゲエ男が話す声が聞こえてくる。
「ここに来る奴らはクレージーだ。挨拶もなしにさっさと立ち去ってしまう」

う~ん、アルベルゲに宿泊した人のことを言ってるのか、バルだけ利用して立ち去る人のことを言ってるのか、ともかく難しい性格の男らしい
会話を聞いてしまった以上、こちらも気を使って、食べ終わった食器をキッチンまで運び、お礼を言った。

そこでまたスィナとレゲエ男の話が始まり、スィナが「私の義理の娘はPalencia出身なのよ」と言うと、レゲエ男が「マジで?おれもPalencia出身だよ。義理の娘の名前って何?」

「アナマリアよ」と答えると、「もしかしたら同級生かもしれない!」と。
感想1:どんだけ狭いねん、Palencia。
感想2:アナマリアって良くありすぎる名前だから、知り合いとは限らないだろ。

結局知り合いかどうかは定かにならず、スィナが「じゃああなたの写真を義理の娘に見せるわ」と言うことになり、私が2人並んだ写真を撮ってあげた
ほんとに知り合いだったらすごいけど。

後日、「どんだけ狭いねん、オランダ」と思わせる1件もあった。
意外とヨーロッパって狭いのか?(いや、そんなことはない。)


さて、バルを出てからスィナが家族にSMSを打ち出したが、これがまた時間がかかって長い!
年寄りだから操作が遅いのかと思っていたら、どうやらスペインに来てからなぜかメール文字の予測変換機能が使えなくなり、1語1語打つのに時間がかかるらしい。



Boadilla del Camino から6kmほど先のFrómistaに到着する少し手間では運河沿いに歩く。

今日もスィナはドイツ人のギュンターじいちゃんと延々と続くおしゃべりをしながら歩いている。
私はと言えば、体調も悪いし、だんだん彼らと一緒に歩くのも嫌になっているが、人と一緒に歩くカミーノには良いところもある。
これも全てカミーノと心得て受けれねば。
我慢、我慢。

ここは木陰自体は少ないものの、低いブッシュが茂っていて緑が目に優しい
少しの木陰を見つけては、巡礼者同士たむろって休憩。
先ほどの韓国人夫妻も一緒に休憩。
英語があまりできないギュンターが、一生懸命韓国人のおじさんと話し、何やら連絡先交換までしているようだ。
予想通り、おじさんの名字はキムさんだった。(笑)

いつもながら、休憩時にはすかさず靴を脱いで足を乾かす。
こうしておかないと、マメに泣くことになる。
トレッキングソックスを脱いで五本指ソックス姿になっていると、韓国人のおじさんが「お~、一緒だねえ」と嬉しそうに。
そう、韓国人夫妻もまた五本指ソックスをはいていた。
東洋人同士で「このソックス最高だよね」と話が盛り上がる。
ふふ、西洋人にはこのソックスの素晴らしさは分かるまい。


ギュンターと共にFrómistaに到着。
交差点に銀行が数軒あったので、よし、今日こそ両替するぞ。

スィナとギュンターのおしゃべりにはうんざりしてたので、2人に銀行へ行くことを伝え、さっさと中に入る。
ギュンターじいさんはしばらく戸惑ったように待っていたが、やがてスィナと共に近くのバルへ行った。

そういえばスィナもキャッシュが少なくなってるって言ってたのに、ATM使わなくていいのかな?

交差点には2軒ほど銀行が向かい合ってたけど、とりあえず目の前にあったCaja Españaに入る。
両替ができるか聞いてみるとOKとのこと!
やった~
これでしばらくお金の心配をしなくても済む。
レートは悪かったし、キャッシュはあまり持ち歩かない方がいいけど、ATMが使えないのなら仕方あるまい。


両替を終え、バルに向かうとそこには例のベジタリアン父子も。
はぁ~、またドイツ人祭りだよ。
うんざり

暑いけど、お腹のことを考えて紅茶を飲む。
スペインに来てからの癖で、たっぷり砂糖を入れて飲んでいると、ギュンターじいちゃんに「胃が悪い時は砂糖はよくないよ」と言われてしまった。

ならばヨーグルトでも食べようかとリュックから取り出すと、またギュンターじいちゃんが「ちょっと待って。それよりももっとお腹にいいものがあるから」(by スィナによる通訳)

いそいそとバルに入って行ったギュンターが手にして戻ってきたものは、ピクルス。

う…。
ありがたいけど、胃の調子が悪い時に酸って…。
酢の味を想像しただけで胃がもたれるんですけど…

しかしせっかくのご厚意を無駄にするわけにもいかず、心の中で泣きながらありがたく酸っぱいピクルスを頂いた。
ええ人や、ギュンターじいちゃん


ギュンターとベジタリアン親子は今日はここFrómistaで泊まるとのこと。
私も今日はここで泊まっても良かったんだけど、スィナがもう少し先まで行きたいというので進むことにした。

ドイツ人たちに別れを告げ、教会を見学に行ったけど、教会の中は改修工事中だった。
他に見るものもなさそうなので、次の村へ向けて歩き始めた。
おそらくほとんどの巡礼者はFrómistaに宿泊すると思う。
久しぶりのちょっとした町で、お店や銀行もあって便利だから。

スィナ曰く、「私はFrómistaには泊まりたくないわ。もうドイツ人はたくさん。彼らとディナーまで一緒だったら死んじゃう」

おい!!!
わざわざ好き好んでドイツ人にすり寄っていってるのはあんたの方だろう!

もうスィナのわがまま発言にもいい加減うんざりである。
しかも真昼間の暑い時間帯に、国道沿いのアスファルトを歩くのが堪える。
靴の裏から熱が押し寄せてきて、それだけでマメができるんじゃないかと思う。
ほとんど会話もせず、黙々と歩き、途中道路沿いにベンチがあったので、すっかり温かくなってしまっているオレンジを食べる。


Frómistaから3.8km先にあるのがPoblación de Camposという村。
村への入口へと続く通路を通る。
なんか、瓦の乗った壁がアジアっぽい。




14:30着。村には見るからに何もなさそうだった。

小さなアルベルゲが1軒。
スィナのガイドブックによると、元は小学校だった建物がアルベルゲに改築されているらしい。



遊具は学校だった頃の名残か?





中に入ってみると誰もいない。
玄関に「アルベルゲのチェックインはこの先のホテルフロントにて」と書いてある。

ひとまずその小さなホテルへ向かい、テラスで休憩する。
中庭でコーラを飲んでいると、ホテルのオーナーがサービスでつき出しを持ってきてくれた。
見るとそれはマカロニサラダとピクルス!

またもやピクルス…。
もう勘弁してほしい。
全く手をつけないのも悪いかと思い、少しは食べたけど、もうダメ

さて、今日はこれからどうするかと言う話になる。
またまたスィナのガイドブックによると、ここのアルベルゲの評価はかなり悪い。
さっきちらっと中を見た感じ、簡素な造りで特に可もなく不可もなくな感じ。

だけどスィナはガイドブックの評価が気になるらしく、あのアルベルゲにあまり乗り気ではない。
「じゃあ、もうちょっとお金出してこのホテルの方に泊まる?ホテルだからと言って設備がいいとは限らないけど、一応部屋を見せてもらってから決める?」と聞いても、どうも乗り気じゃない様子。

「私、あんまりキャッシュないんだった」と言いだすので、「だからなんでさっきFrómistaでお金下ろさなかったのよ!」と、こちらの口調もきつくなる。

この村で宿泊しなければ、次の村までは少なくとも地図で見る限り10kmは歩かないと何もない。
もしくは3.8km来た道を戻ってFrómistaに泊まるか。
さすがにもう今日はこれ以上10kmも歩けない。

スィナがアルベルゲに後ろ向きだったので、私の気持ちはホテル泊に傾いていた。
お金は下ろしたばかりだから大丈夫だし、そもそもスペインの田舎の、小さなホテルだから宿泊費も安いはず。
だけどスィナはどうやらホテルには泊まりたくない様子。
お金の問題じゃなく、アルベルゲ泊にこだわってる感じ。

うじうじ決められない状態と言うのは私が最も嫌うことなので、「とりあえず私はこの村に泊まることに決めたから」と宣言。
結局スィナも私と一緒にこの村に泊まることになる。


フロントでアルベルゲ宿泊希望を伝え、代金を支払う。
一応公営なので3ユーロ。
オスピタレロは常駐していないので、好きに使っていいらしい。
ひょっとしたら今日はあの建物にスィナと私の2人だけかも。

クレデンシャルにスタンプを押してもらうと、フロントの女性がウェルカムドリンクとして赤ワインを出してくれた。
うっ、普段であれば嬉しいんだけど、私今日は胃腸の調子が…。
ピクルスに続きワインに泣かされる


アルベルゲに戻り、シャワーを浴びる。
シャワーを浴びている途中、バタンとドアが閉まる音がした。
もしかして他に誰か入ってきたんじゃない?

私はどんな時でも貴重品から目を離さないので、今日もシャワーの中までお金やパスポートの入ったウェストポーチを持ちこんでいる。
かたやスィナは、すっかり安心してベッドの上にマネーベルトや携帯電話を置きっぱなしにしてたらしい。

ちなみにスィナは元々不注意な性格らしく、オランダでも車の助手席に置いていたバッグを窓からひったくられたりといった経験を何度かしているようだ。


シャワーから出ると他に人はおらず、スィナの貴重品も無事だったけど、玄関のドアは閉まっていた。
用心するに越したことはない。
ここ、たった1人だったら怖くて泊まれないな。

シャワーが終わり、シンクで洗濯。
スィナは「ここ、ソープがたっぷりあって素晴らしいわ」と、備え付けのハンドソープをガンガン使って洗濯していた。
そんなことで、すっかりこのアルベルゲが気に行ったようだ

庭で洗濯物を干していると、他の巡礼者がぼちぼち到着しだし、ベッドのほとんどが埋まることとなった。
まさかこんな小さな村の小さなアルベルゲがいっぱいになるとは…。
しかも今夜はスィナと2人だけじゃないかとひそかに期待してて、「まくら投げとかするぅ?」とか言ってたのに。




後から到着した巡礼者には、受付場所を教えてあげていたのだけれど、1組スペイン人の夫婦はフロントへ行く気配がない。
どうやらお金を払わず宿泊する魂胆のようだ。
巡礼路でもこんな人たちに会うとちょっと残念だ。


なぜか近所のガキどもがアルベルゲを出入りしてる。
途端にスィナの頭の中で警鐘がなる。
他の巡礼者にも「ここは色んな人が出入りするみたいだから、貴重品に気をつけて」と、今まで一番管理が甘かったくせに忠告していた。

近所の小学生がなにやら私たちに話しかける。
私たちのスペイン語理解力がイマイチなので、がんばって英語を使おうとしたところに感心した。
なにやら、「村の教会は7時に開くよ」と言ってるようだ。
「今日は教会は閉まってるって書いてあったけど?」と言うと、「ううん。開いてる」と。
なぜ地元の小学生がわざわざ私たちにそのようなことを知らせているのかは分からない。
ついつい、「巡礼者がみんな教会に出かけている間に金品を盗むのでは?」と疑いを持ってしまう。


ディナーはホテルかもう1軒のバルかの二者択一。
もう1軒のバルを偵察に行ったが、スィナが「客は地元のじいさんばっかり」と機嫌を損ねた。
どこの村に行ってもそうですけど?

結局ホテルのディナーを申し込むことにした。
たぶん10ユーロぐらいだった。

ここでまた泣かされたのは、メニューはフィックスで選べなかったこと。
私は胃腸の調子が悪いので、お腹に優しいスープとかあればなあ、第2皿は魚とかがいいかなあと思っていたのに、メニューは有無を言わさずミックスサラダとミートボールだった…

しかも大量。
そしてオーナーが「うちの自慢のミートボールよ。たくさん食べてね」とたくさん食べさせようとする。

ああ、今日は踏んだり蹴ったりの1日だったな。






本日の歩行距離:約19km
本日の歩数:30,684歩


カミーノにあしあと 16

2010年09月29日 | Weblog
【16日目】7/11(日) Hontanas → Itero de la Vega
予想した通り、スィナの起きるのが遅く、また、起きてから出発までの準備も遅く、アルベルゲを出発できたのは6:30。
ポールは予定通り6:00に出発してしまったようだ。

昨日歩きすぎたのでさすがに今日は足が痛い


今日も相変わらず日陰の無いメセタが続くが、Hontanasを出てすぐは小高い丘があり、そこは緑があって美しい。
丘を通る道に入ろうとしたところで、とあるおじいさんから声をかけられる。

出た!またドイツ人。
スィナとドイツ語で話が始まる。

どうやらこのじいさんは、「そっちの丘よりこっちのアスファルトの道の方がいいよ」ということをしきりに言ってるようだ。
でも別に険しい山でもなく、国道と地道は並行して走っているので行先は同じ。
私たちはどうせならアスファルトの道ではなく、土の道を歩きたい。

たったそれだけの会話のはずなのに、話が長い!
いつ終わるとも知れず延々とドイツ語で話しているので、思わず2人を無視して土の道の方へ入ると、スィナがどうにか話を切り上げてついてきた。


ドイツ人のじいちゃんの名前はギュンター。
今年77歳だそうだ。
さすがにカミーノは足に堪えるので、なるべく足に負担の少なそうな平らな道を歩いたり、部分的にバスを使ったりしているらしい。


土の道はやっぱり快適。
いつもより早い時間に出発したこともあり、しばらく歩いていると少しずつ太陽が上がって来て、日の出に金色に照らされた草木が美しい。

ほどなくして国道に合流。
自動的にギュンターじいちゃんとも合流
またスィナとのドイツ語による延々と続くおしゃべりが始まった。

昨日に引き続きあまり体調の良くない私は、後ろからゆっくり目についていく。
San Antónという修道院跡を通り、Castrojerizへ向かう。







ギュンターと合流してからCastrojerizまでの5kmの道のり、絶え間なくしゃべっている2人。
私は体調悪いので今日はゆっくり歩くから気にしないで行ってくれと伝えてあるのに、ご丁寧に2人はしばらく進んだら立ち止って私を待ってくれる。
待ってもらって追いついたところで、2人は延々とドイツ語で話をしてるので参加できるわけでもなく、正直言って迷惑なんですけど…
どんどん機嫌が悪くなる私。
一向に話が止まない2人。

一体ドイツ人ってどんだけ話すことあるんだろうか?
後でスィナに聞いたところによると、ギュンターじいちゃんは自分の一生のストーリーをスィナに話して聞かせたらしい



Castrojerizは遺跡などが残る、中世の面影を残した村。
丘の上にはお城も建っている。


最初に出てきたバルに到着してみると、テラスでグナーが朝ごはんを食べていた。
ポールもつい5分ほど前までここにいたけど、出発したばかりだということで、ほんのちょっとの差で会えなかった。

私たちもここで朝食。
ギュンターじいちゃん共々、グナーのテーブルにジョインする。
ここでドイツ人2人。

さらに隣のテーブルにもドイツ人の父子。
当然ドイツ人同士でドイツ語で話が始まる。
もう、一体何人ドイツ人おるねん

ちなみにギュンターじいちゃんはほとんど英語が話せない。
でもどうにかこうにか、カミーノで日本人の女の子に会って、自分のノートに日本語を書いてもらったと言って私に見せてくれる。

隣のテーブルのドイツ人もお父さんの方は英語ができないらしい。
そしてこの親子はベジタリアンだった。
肉料理全開のスペインにてベジタリアンで通すのはさぞかし大変だろうと思う。
彼らがバルで注文するサンドイッチの中身はキュウリとトマトだけ、とか。
よくそんな食事でカミーノを歩けるものだ。
(たぶんスペイン人からは「こいつら頭おかしい」と思われているに違いない。)


休憩を終え、さて今日ももうひとがんばりしましょうと思って靴ひもを結んでいると、隣のドイツ人父が「その結び方、違う違う!」と割り込んできた。
そして正しい靴ひもの結び方のレクチャーが始まった。
「ここまでは普通に紐を通す。でもここからは逆向きに!こうして、こうして、こう!」と、もちろんオールドイツ語で説明しながら、私の両方の靴ひもを結んでくれた。

すると確かにこの結び方だと靴がしっかりと足に固定されてぐらつかない
足が痛いからと言って途中でスポーツサンダルに履き換えて歩いて、足首が思いっきりむくんでいたスィナも、このおじさんに教えてもらった紐の結び方でむくみが改善して喜んでいた。
後に私たちはこの結び方を「ドイツ方式」と呼んで、他の巡礼者にも教えてあげることとなる。


ところで最初はオールドイツ語環境に置かれてイライラしていたけど、後にはこのドイツ人たちが愛おしい存在になってしまうから不思議だ。
長く接していると結構情が沸いてきてしまう。



Castrojerizを出ると、ひたすらに、ひたすらに乾いた大地。







Itero de la Vegaに入る少し手前でようやく水飲み場が現れ、冷たい水で喉をうるおし、衣服を濡らす。
あまり長く休憩する巡礼者はおらず、来ては去り、来ては去り。
気がつけば残されたのはスィナと私のみ。

ようやく私たちも腰を上げた頃に、若い女性が1人到着し、休憩をはじめた。
彼女に “Buen Camino.”と声をかけ、歩きだしてすぐ、1台の車が休憩エリアに到着し、男性2名が降りてきた。

スィナは立ち止って振り返り、じ~っと見ている。
「もう行くよ!早く!」と声をかけるとようやく歩きだした。

スィナは時々、向こうからやってくる巡礼者などを無遠慮にじーっと見る時がある。
「何か用ですか?」と聞きたくなるぐらい、立ち止ってじーーーーっと見つめる。
相手が巡礼者の場合、「あれは自分が知ってる人かな?」とか思って見てるんだと思うけど、あまりに露骨に見つめるのでこっちが気を使う時がある。
思わず、「あんたはインド人か!」とツッコミたくなるぐらいの無遠慮な見つめ方だ。


1kmちょっと歩いてItero de la Vegaの入口にさしかかると、オスピタレロが巡礼者の足を洗ってくれることで有名なアルベルゲが出てくる。
ちょうどお昼の時間帯でアルベルゲが閉まっていたのと、村の中心部から外れていて周りに商店などが見当たらなかったため、そこは素通りすることとした。

そのアルベルゲを過ぎてからスィナが後ろを気にしながらぽつんと言う。
「さっきの休憩場所の女の子、大丈夫かしら?あとから怪しげな車が到着してたけど」

おい!いまさらかよ
気になるなら出発を遅らせてしばらく一緒にいてあげるとかできたじゃん。
ほんとに心配してるのかしてないのか、どっち

一応カミーノ上は安全とされていて、若い女性でも一人で巡礼しているし、真昼間で他の巡礼者も通るだろうから大丈夫だとは思うけど。
もちろん100%安全とは言い切れないけど…。


今更どうしようもないので、スィナの言葉を無視して先へ進む。
暑くて疲れているので、とりあえず次に出てきたアルベルゲを確保。
バルのオーナーである老夫婦が経営しているアルベルゲで、6ユーロ。
今日は出発時間が早かったので、歩行終了時間も14:20と、いつもより早め。

バルにて巡礼者メニューを食べている韓国人の夫婦に出会う。
案の定、奥さんから韓国語で「韓国人ですか?」と声をかけられ、申し訳なさそうに英語で「日本人です」と答えた。
カミーノを歩いている東洋人はほとんどが韓国人なので、地元の人から韓国人と思われることは多々ある。
でも私の場合、どこの国に行っても韓国人から「あなたコリアンでしょう?」と声をかけられることがしょっちゅうなのである。
そして違うと答えるとちょっと残念そうな顔をされてしまう。

このご夫婦、以前日本に住んでいたことがあり、今後もまた仕事で来日する予定があるらしく、少し日本語ができる。


シャワーを済ませ、洗濯物を干していると、ようやくギュンターじいちゃんが到着した。
暑さでかなり参っている様子。
続いてCastrojerizで会ったドイツ人父子も到着。

バルの中にある食料品コーナーで明日のためにフルーツやミューズリーバーを買っていると、さきほどの休憩場所にいた女性も到着した。
それを見たスィナが「ああ、よかった。心底心配したわ~」とつぶやいた。
だ・か・ら~、ほんとに心配なら一緒にいてあげればよかったじゃん!


いつもの通り、村を散策し教会を訪問した後、夕食まではバルのテラスで飲み物を飲みながら過ごす。
周りに何もないのでとにかく暇。
たまたまバルにパソコンがあったので、ちょっとメールチェックをしたけど、後は何もやることがない。

スィナは昨日の32kmがたたって、体を動かすのがすごくつらそう。
ぎこちない動きに、他の巡礼者の注目を集めていた。
もちろん他の巡礼者たちも足にマメができていたりするので、それなりにボロボロなのだけど。


夕食も同じバルにて。
バルを切り盛りしているおじいちゃんが、ディナーの際にはウェイター役までしてくれる。
結構大変だろうなあ、バルとアルベルゲの運営って。


Primero Platoには、野菜不足なのでミックスサラダをチョイス

Segundo Platoは、スペインに来てここで初めてチョリソーを。




しかし、体調万全じゃなかったので、このチョリソーのために後でえらい目に遭う



ディナーの後はバルにてワールドカップを観戦
そう、今日は決勝戦の日。
しかも決勝はスペイン対オランダ。
スィナもかなり熱が入っている。

テレビ画面を食い入るように見つめる面々。




手前からスィナ、ドイツ人父、ドイツ人息子。




バルにはフランス人のポールもいて、えらい熱く観戦しており、時折フランス語で野次を飛ばしていた


結局決勝ではオランダが破れてしまったけど、スィナの場合は長男のお嫁さんがスペイン人なので、どっちに転んでもOK。
勝っても負けても、周りの人にドリンクをおごると豪語し、試合終了後みんなに「おごるわ!」と言って回ったのだけど、意外にもみなさん遠慮して「いや、いいよ」と断っていた。

私にも「あなたもワインか何か飲みなさいよ」と言ってきたのだけど、もうほんとに何も飲みたくなかったので断ったのに、「いいじゃないの。何か飲みなさいよ!」と、こういう時のスィナはしつこい。
別に遠慮してるんじゃなくて、本当に飲みたくないのに…。

でもあまりにもスィナがしつこいので、オレンジジュースを1杯奢ってもらった。


バルのカウンターでは地元の女性がガラガラ声で”¡España! ¡España! Ole ole ole~~~♪”と騒ぎたて、スィナの神経を逆なでしていた。
関係ないけど、多くのスペイン女性の声がガラガラなのはタバコ焼けか、酒焼けか?



この夜、体調不良にもかかわらず食べてしまった脂っこいチョリソーに、いらないのに無理やり飲まされたオレンジジュースがたたり、軽い胃痙攣で眠れなかった。。。





本日の歩行距離:約21km
本日の歩数:30,535歩

カミーノにあしあと 15

2010年09月28日 | Weblog
【15日目】7/10(土) Burgos → Hontanas
そういえば昨夜気になることがあった。
アルベルゲに戻り歯磨きしていると、洗面台のところで若い女の子2人が楽しそうにぺちゃくちゃしゃべっていた。
どうやら今からシャワーを浴びるようで、服を脱いで下着1枚になった状態で洗面台にもたれてキャピキャピ話をしている。

ちなみにここは一応公共のアルベルゲです
洗面エリアやシャワールームが男女別になっているわけではない。
洗面台のすぐ後ろはもう2段ベッドが並んでいるエリアで、ドアがあるわけでもなく誰でも出入りできる。

巡礼者の中に双子のスキンヘッドの兄弟がいた。
彼らは自転車巡礼組。そのうちの一人が歯を磨こうと洗面所にやってきて、上半身裸のままおしゃべりしている女子2人を見てビクッと反応し、遠慮してまたベッドへ戻って行った。

別に見られてもいいみたいだから、遠慮せず真隣で歯磨きとかしてやったらどうっすか?


しばらくするとその女子2名は、仲良くしゃべりながら1つのシャワールームに入って行った。
そして中からはシャワーの音とともに、2人のキャッキャという楽しそうな声が…。

思わずスィナに、「ねえ、あれ何?レズなわけ?」と聞くと、スィナは落ち着いて「そういう年頃なのよ」と答えた。
う~ん、根っからのレズというわけではなく、女子同士でベタベタして騒ぎたい年頃、か。
小学生ならともかく、もう高校生かそれ以上の年齢なのに?


さて、本日は7:30にポールも一緒に出発。
アルベルゲ1階のダイニングエリアで自動販売機のコーヒーを飲んでから。
ちゃんとポールからは私の大切な眉バサミを返してもらった。


朝日を浴びたカテドラルも美しい。
Burgosを出てしばらくは住宅街なども歩くが、今日はその先は地図を見ても全く緑が見当たらない。
ついに本物のメセタへと突入。
もう何度口にしたか分からないけど、とにかく暑い!乾いてる!


10km以上歩いたTarjados辺りでようやく休憩場所を発見。
バルではなく、食料品屋さんの店先にテラスが設置されていた。

ここで久しぶりにドイツ人のグナーと会う。
どうやらお金の問題は解決したようで、あれこれ食べ物を買って食べていた。
私たちも店に入り、コーヒーを注文してみたけど、ポールとスィナがまずいと言ってご機嫌斜めになる。

少し先にもテラスらしきものが見えていたので、私が確認しに行った。
そっちはれっきとしたバルだと分かったので、みんなを呼んでバルに移動。
コーヒーを飲みなおす。


ここでアメリカからの巡礼者に遭遇。
1人はニューヨークから来た教師兼作家の男性。
巡礼者には教師が多い。
単に夏休みがたっぷり取れるからという理由らしいけど。
確かジムという名前だったこの男性、毎夏カミーノを歩いているらしい。(その割には太っていて典型的なアメリカ人体型
今年はフランスルートではなく、海沿いの北ルートを歩き始めたけど、標識が整備されてなく道に迷いまくり、アルベルゲも閉まっているなど散々な目に会ったので、途中からこの「フランス人の道」まで下ってきたらしい。

ジムと一緒に休憩していたのは、アメリカ在住のグアテマラ人(だったと思う)の姉妹。
今日Burgosから巡礼を始めたばかりだそうだ。
スペイン語が不自由じゃないのがうらやましい。




ここでポールに緊急事態発生
どこからか犬が1匹トコトコとやって来て、こともあろうかバルの前に置いてあったポールのリュックにオシッコした

一部始終を見ていた私は唖然。
グアテマラ姉妹もその瞬間を目撃しており、大声をあげた。

ポール、大ショック。
が、そこは大人なので落ち着いた様子で、バルから石鹸水と雑巾を借り、リュックを洗いはじめた。

大人げなかったのはスィナ。
ポールの惨事を見て同情するどころか、爆笑しはじめた。
そして、なぜかツボにハマったらしく笑いが止まらず、顔を真っ赤にして苦しそうに悶絶している。

そのスィナの様子を見て今度はグナーが顔を真っ赤にして笑い始める。

あんたら、そこ爆笑のツボなんや…
私、そこまで笑えないけど?
グアテマラ姉妹だってポールに同情して、「そんなにたくさんオシッコしてなかったから大丈夫だと思うよ」と慰めてあげていたと言うのに、あんたら笑いすぎて悶死直前ですか!

ポールは黙々とリュックを洗い、スィナはいつまでもいつまでも、悶絶して涙まで出していた。
そして巡礼の最後の最後まで、会う人会う人にこのネタを大笑いしながら語っていた。
かわいそうなポール…。


しばらくすると地元のおじさんがバルにやってきた。
するとテラスに座っていた別のおじさんが、「この人がさっきの犬の飼い主だよ」と教えてくれた。

周りのみんなで「あんたの犬がこの人のリュックにオシッコしたよ」と伝え、ポールが「お詫びにコーヒーの1杯でもおごってよ」と言うと、そのおじさんは笑いながら「それもカミーノさ」と言ってバルの中に消えて行った…。

さ、さすがスペイン人。
謝るどころか、反省のカケラも見られない


気の毒なポール





その後さらにスィナを笑いのツボに陥れる事件があった。
まずはバルにいた電動車いすの男性が立ち去る時、相手が巡礼者でもないのにグナーが “Buen Camino.”と声をかけた。
これにスィナが反応して再び笑いだす。
車いすの人に対して若干皮肉ではあるが、一応これはグナーのユーモアとしよう。

が、その後、その車いすの人が国道を渡る時、ちょうど反対側からも同じような電動車いすの人が現れた。
その様子がおかしくて、またスィナが笑いのツボにどっぷり陥る。
グナーも笑っている。

う~ん、構図としては確かに滑稽だったんだけどさ、車いすの人とかをネタにして笑うのって、後ろめたい気持ちになるんだよね。
なんであんたらはそんなに心底笑えるんだ?
オランダ人とドイツ人って結構近いものがあるような気がする。
というか、スィナはドイツ寄りのオランダに住んでるし、文化も似ているはず。

その後、ポールの犬のオシッコ事件と絡めてスィナは何度も何度もその時の笑い話を人に話し、その度に自分でツボにハマって涙を流さんばかりに笑うんだけど、聞いている相手は何がそこまで面白いのか理解できず、中途半端な笑い顔になっていた。


バルを出発してからは、ひたすら乾いた大地を歩く。
人と一緒に、しかも数名で歩くと自分の歩行ペースが乱され、ちょっとストレスも感じるけど、でもやっぱり楽しいこともたくさんある。
途中の村の教会でスタンプをもらったり、自動販売機でコーラを買ったり、噴水の水で服や帽子を濡らしたりしながら、ひたすら歩く。

今日の暑さは強烈だ。
グループで歩いているからなんとか頑張れるものの、1人だときつい。
1人で黙々と歩いている小柄な女の子がいたので声をかけると、フランスから来て今日が巡礼初日だと言う。
初日からこの暑さでは大変だ





アルベルゲ兼バルがあるHornillos del Caminoという村に到着。
メキシコ人のダニエルや、イタリア人のキアラ、ジーナ、ブラジル人などたくさんの巡礼者が集う。

グナーがランチにステーキを食べていたが、巡礼者用の安いプレートなのでいかにも安そうな薄っぺらいお肉だった。
私とスィナはボカディーヨとイカのフリッターをシェア。

ほとんどの巡礼者はここで宿泊するか、もうあと6kmほど先のSan Bolという集落まで行く。
もう今日は20km歩いたので、ここで泊まってもいいんだけど、なんとなく今日のメンバーはまだ先まで行くつもりなので、その流れに乗ってしまった。
暑いのだけが苦痛で、足は歩けるけどさ。

ポールはあまりに暑いので、夕方までこの村で休憩してから歩くと言う。
でもこれと言って特に何もない村で、ただボケっとテラスに座ってること自体が苦痛なので、私は少しずつでも歩きたい。

スィナはポールと同じで「時間はたっぷりあるんだから、急がなくてもゆっくりすればいいじゃない」という派なんだけど、私が出発しようとしてると結局ついてきた。
ポールとグナーには「先に歩いてるから、あとで追いついてきてね」と言い残して村を出る。


Hornillos del Caminoを出てからの道のりが、今までで一番つらかった
とにかく日差しが強烈で、それを遮る木陰もない中を延々と続く道。
しかもその日はあまりお腹の調子が良くなく、体調万全でもなかった。




いっそのことSan Bolで泊まろうかとも思ったけど、グナー情報によるとそこのアルベルゲはシャワーもなく、トイレはポットンらしい。
トイレはともかく、これだけ汗とホコリにまみれてシャワー無しは厳しいものがある。


疲れたし休憩したいのに木陰すらない。
でももう限界に近付いてきたので、炎天下の中オレンジ休憩することにする。
そこで少しでも日光を遮ろうと、リュックから折り畳み傘を出してさしてみる。
日傘ではなく、淡い色合いの晴雨兼用傘だけど、ほんの少しでも日光の強さが弱まるだけでもありがたい。
日本では日傘は当たり前に使われているけど、ヨーロッパではそのような文化はないので、スィナは傘の登場に大うけしてた。

San Bolを少し過ぎたあたりでポールとグナーが追いついてきた。
さすがに歩くの速いな。
道の上に置いておいた2人宛てのメッセージメモはちゃんと読んでくれていたようだ。
カミーノ上では友達同士のメッセージがちらほら見られる。
地面に直接書かれているものもあれば、紙切れに書いて木につるしたり、石で押さえたりしたものもある。
知ってる人から自分あてのメッセージを見ると元気が出る。
不特定多数に宛てた「がんばれ」メッセージも、かなり元気の素となる。


San Bolからあと残り5km。
気の遠くなるような道のりだった。
後日スィナが人から聞いた話では、この日のスペイン北部は最高気温が42度まで上がったそうだ。
連日バルでテレビを見ると「記録的な暑さで熱中症続出」「今日も死者が」と言ったニュースを目にしていたが、やっぱり暑かったか…
今日ほど一緒に歩く友がいてくれて良かったと思ったことはない。


もう心身ともにヘロヘロになり、永遠に到着しないのではないかと思われたその時に、村が見えてきた!

あまりの嬉しさに調子に乗ってグナーと一緒に荷物を背負ったままダッシュしてしまった
が、あっという間にグナーに追い抜かれた。
そういえば奴はピチピチの18歳だった。
一緒になって走っちゃいかんよ。
下手したらもう歩けなくなる。


19:00、Hontanasに倒れ込むように到着し、アルベルゲのベッドの確認をするより前にグナーと2人でバルになだれ込みコーラを注文。
スィナとポールは後から歩いてくる。

いや~、今日は本当にきつかったぁ
7:30に出発して19:00まで歩くって、長時間歩きすぎ!
4人で本日の健闘を祝って乾杯。

さすがの私もここまで歩くと自慢の足のかかとにマメができそうになっていた。
グナーは親指を負傷して化膿してたはずなのに大丈夫なのか?

とっくの昔に到着して、シャワーも洗濯も済ませてくつろいでいたフランス人のマークにアルベルゲ情報を聞く。
村の先にある新しいアルベルゲはなかなか快適なようだ。

今コーラを飲んでいるバルも2階がアルベルゲ。
2人分しか空きがないそうだ。
マークお勧めのアルベルゲの方も2人分空いてるそうなので、自動的に二手に分かれることにした。
お勧めアルベルゲはポールとグナーに譲り(というか、もうあと20メートルでも歩きたくなかった)、私とスィナはここに留まることにした。
1時間後に同じ場所に集合して4人でディナーの約束をし、各自散る。


オスピタレラ、というかバルで働いてる女の子によると、少し値段は高めだけど2人用の個室があるというので、それでOKした。
が、案内されるのを待っていると、鍵を手にしてバルの女性らがあーでもないこーでもないと話している。
なんだか嫌な予感がする

しばらく待たされた後、ようやく「こちらへどうぞ」と2階へ案内され、その子が持ってきた鍵でとある部屋を開けてみると、誰かの荷物がたくさんあって明らかにその部屋は使用中。
「はっ!」と驚いて慌ててドアを閉め、「鍵を間違えたから、ちょっと待ってて」と言って階下へ降りる女子。
でも私の頭の中ではすでに警鐘が鳴っていた。

違う鍵を持って戻ってきた彼女が隣の部屋を開ける。
…案の定その部屋もすでに誰かが使ってるよ

どうやら個室に空きなどないらしい。
出たよ、いい加減なラテン対応が。
空室があるかないかぐらい普通把握してるやろ!
もう、今日こんだけ歩いた後で寝る場所がないなんて言わないでくれ。

すると女の子が焦りながら何か言い始めた。
良く分からないので、道中出会ったブラジル人の男の子に通訳を頼むと、ダブルベッドが1台ある部屋なら空いてるらしい。
つまりは2人で1つのベッドをシェアすることになる。

別に私は構わないと思った。
とにかく疲れているので寝られればいい。

が、スィナは「私たち夫婦じゃないのよ」と言ってダブルベッドを拒否。
え?
シングルベッドがぴったりとくっついている場合はOKで、女同士でもダブルベッドは不可?
あんたのスタンダードが良く分からないよ

後日、また同じようにダブルベッドかシングルベッドかという選択肢があった時、同じようにスィナは「私たち結婚してるカップルじゃないし」と拒否っていた。
でも友達同士1つのベッドに寝るって別に欧米社会でおかしいことでもないし(現に私は昔ホームステイしたとき、高校生の女の子と同じベッドだった)、後に出会ったアイルランド人のルーなども、旅行の時に2人どころか自分の彼氏と彼氏の妹と3人で1つのベッドをシェアしたことがあるとさえ言ってた。
単にスィナ個人の傾向なのか、オランダ人的なものなのか、はたまた年代的な差なのか?


とりあえず、ブラジル人を通してダブルベッドは駄目だと伝え、さらに可能性を探ってみると、普通のアルベルゲ仕様の大部屋なら空いてるとのこと。
な~んだ、それなら最初っからそっちで良かったよ。

大部屋と言っても2段ベッドが4台だけの個室だったので、全然大丈夫
値段も5ユーロだし。
シャワーは2つあったので、スィナと隣同士で同時にシャワーを浴びる。
隣からスィナが「ねえ、ユウコ。今日ポールがね…」と言いかけて、「やっぱりシャワーを出てから言うわ」と意味深な感じだったので、一体何だろう?と気になった。

もしかして、昨日・今日と続けてポールと一緒に歩いていて、ペースを乱されて不機嫌な顔してたからかな?
あんまり会話に参加しなかったから、気を使われたのかな?
などと、あれこれ考えていた。

が、シャワーを出たスィナが言ったのは「『ユウコって一体何歳?』って聞かれたんで、『さあね~、内緒よ~』って答えておいたわ」とのことだった。

なんだよ、そんなことかよ。
もったいつけんなよ。

ホッとすると同時に、日本人の私がちょっとやそっと不機嫌な様子をしていたぐらいでは、西洋人には気づいてももらえないということが分かった。
怒るならもっとはっきりと、派手に、ね。


部屋のトラブルですっかり約束時間に遅れてしまった。
スィナは外で食べるのが好きなので隣のバルのテラスで夕食を摂ろうとしたが、お店の人に「今日の巡礼ディナーはもう売り切れました」と言われてがっかり。
仕方なしに私とスィナが泊まっているアルベルゲの奥にあるダイニングスペースで夕食となった。

ディナーしてると、スィナとポールがメキシコ人のダニエルの悪口を言い始めた。
まずはスィナがポールにダニエルの状況を報告。
お金を持たずに人からおごられたりしながら巡礼していることが気に入らないようだ。
最初に「ダニエルにコーヒーおごってあげる?」と提案したのはスィナの方だったのに、どうやら心の中では良く思っていなかったらしい。

「この前もバルで会ったから、ユウコが手持ちのお菓子をダニエルにあげたのよ」とスィナが言えば、ポールが信じられないと言った顔つきで「で、彼はそれを普通に受け取ったわけ?!」と。
さらにスィナが「その後も何の用事があるのか知らないけど、ずっとバルにいたのよ。まるで私たちが他に何かおごってくれるのを待っているかのように」と続ける。
う~ん、別におごりたくなければおごらなければいいだけの話で、ダニエルが長時間バルにとどまっている理由を詮索することもないと思う。

ポール曰く「スペインまでの航空券を買える時点でお金を持っているということ。それが全てを物語っている」
確かにそう言われてみればそうだけど…。

「グナーなんてATMからお金を引き出せなくて金欠で困っていても、決して私たちからお金を借りたりしなかったのに!」と。
グナーは「食べ物を分けてもらうぐらいならいいけど、現金は借りたくないし…」と言う。
私だったら困ってたら借りるけどな。
絶対あとで返すし。

なんか、せっかくの巡礼中に人の悪口聞くのは気分が良くない。
そして私はこれまで途上国を見てきた経験上、持たざる者が持つ者に何かもらうことは当然と考える文化だってあることを知っている。
確かにダニエルは出稼ぎ目的でスペインに来てるのかもしれない。
航空券代はどうにか工面してやってきて、その後はあちこちで施しを受けながらスペインに長期滞在または不法滞在する目論見があるのかもしれない。
それでも私はそれはそれで他人がどうこう言うことじゃないと思っている。
豊かな国の人間には分からないことが途上国にはたくさんあるから。

スィナはポーランドのマリアがダニエルに金銭を渡したのではないかと疑っている。
別にいいじゃん。
自分たちが施しをしたくないと思えば放っておけばいいし、どんなにずるい相手にでも施しをする慈悲深い人は存在するし。
スィナとポールの言葉の端々に途上国の人間への偏見や侮蔑の感情が見え隠れするようで、聞いていて気分が悪かった

長いこと2人の悪口が続き、どんどん気分が悪くなるけど、今日は疲れているのでいちいち反論する気にもならず、とりあえず黙っていた。
グナーも特に悪口には参加してなかった。
18歳の青年でさえ黙っているのに、年長の2人がいつまでも他人の悪口言ってるのはいかがなものか。

はぁ~、今日は体が疲れた上に心まで疲れるディナーとなってしまったよ。。。


ポールは明日6:00に出発すると言う。
私たちはどうするかと聞かれ、スィナは「その時間に出られたら表に出るから、その時は一緒に行きましょう」と答える。
明日また一緒に歩けることを祈りつつ、とりあえず別れの挨拶を交わす。

私は早起きして6:00には出発の準備を整える自信があるけど、スィナは疑わしい。
ここのところずっと、朝はスィナを待つ状態が続いている。
時間はたっぷりあるので、急いでどうこうというわけじゃないけど、やはり1人だと自分のペースで何でもできるのに、と思う。

巡礼生活も2週間を過ぎ、そろそろ自分の心の中にも色んな思いが沸いてきているようだ。
ここから先が本当の巡礼かも知れない。





本日の歩行距離:約32km
本日の歩数:47,804歩

カミーノにあしあと 14

2010年09月26日 | Weblog
【14日目】7/9(金) Agés → Burgos
早朝、雷雨だったので、今日は雨具を装着して歩かないといけないかなと憂鬱な気分になっていたけど、朝食を済ませて7:10頃に出発する時には雨はすっかりあがっていた。
6:00には出発しないと気が済まない巡礼者たちはあの大雨の中出て行ったけど、Late Starterな私たちはラッキーだった。

昨日St. Juan de OrtegaからAgésまでの道のりも花が咲き、蝶々が舞っていて奇麗だったけど、Agésを出発後も美しいカミーノが続く。
気持ちよくスタートを切れた。


80万年前の人類の化石が見つかったというAtapuercaを通過。
イタリア人の陽気な青年が調子の外れた歌を大声で熱唱しながら通り過ぎていく。

今日はなかなか休憩場所が見つからない。
でも調子がいいのでガンガン歩いていたら、スィナに止められる。
人と一緒に歩いていると、こうやって自分のペースで歩けないことがネックだ。
だけどこれもまたカミーノと割り切る。


Atapuercaを過ぎると広大な軍用地のそばに十字架が立っている。




眼下にはCastillaの平野が広がる。




フランス人のマークが先を追い越していく。
今日のスィナは調子が悪そうで、歩みが遅い。


本日の目的地は大都市Burgos。
Burgosの手前約10km地点のバルで休憩。
多くの巡礼者でにぎわっている。

テーブルをシェアした中に、出身国は忘れたけどおばさん2名がいて、内1人はスィナと私の中でちょっと要注意人物。
実は昨日Agésの一歩手前のSt. Juan de Ortegaのバルでこの女性を見かけている。
彼女がコーヒーを注文し、バルの店員が値段を告げる。
そして彼女が出したお金に対してお釣りが出てくると、お釣りをごまかされたと錯覚したのか、彼女がクレームをつける。
「今渡したの○○ユーロよね?」
バルの店員が「そうだよ。だからお釣りはこれだけでしょ」と答えても、なぜか彼女は理解できない様子。
店員がわざわざキャッシャーからお金を取り出し、「今あなたに渡されたのがこれ、コーヒー代がこんだけ、で、お釣りはこれだけ」と説明するのだけど、それでも理解できない様子で険しい顔をしている。

ユーロ圏の人じゃないにしても、様子がおかしすぎる。
暑さと疲れで頭が参ってるだけなのか、それともハンガリーのアンドレアと似たような人種なのか?
見かねた私とスィナが「お釣り、それであってるよ」と店員の援護をしてあげ、ようやく渋々引き下がった彼女。

今日も不機嫌そうな顔でタバコをふかしている。
ボカディーヨを勧めてみてもいらないと断った。

一方、連れの女性はいたって普通な感じだった。
私がトレッキング用ソックスを脱いで五本指ソックス姿になっていると、それが珍しいらしく写真を撮り始めた。
周りの人たちの話では、ヨーロッパでも数年前にポップな柄の五本指ソックスが流行った時期があるけど、ブームが去るともう見かけなくなったとのこと。


どこのバルでも見受けられるように、テーブルの下では犬がウロウロして巡礼者に食べ物をおねだりしている。
私もトルティーヤの欠けらをあげて遊んでいた。

と、そこにバルの中から女性が一人ものすごい剣幕で出てきて、その犬のお尻をバシッと叩き、大声で追い払った。
一同唖然

その女性曰く、「あの犬は近所の犬で、いつもここへ来て巡礼者に食べ物をねだるのよ!私の犬はきちんと室内に入れてるのに、あの犬はいつも野放しで、飼い主に何度抗議しても知らん顔!全く腹が立つわ!」と。
そ、そんな事情があったとは知らずにエサあげてすいませんでした…。

さらに彼女は続ける。
「私は肌は黒いけどバカじゃないのよ!ちゃんとうちの犬は管理してるのよ!」とまくし立てる。

彼女はドレッドヘアのアフリカ系。
そのセリフからアフリカ系市民がヨーロッパで受けているであろう差別や偏見が垣間見えてちょっと複雑な気持ちになった。

周りの白人巡礼者たちは彼女が去った後、「いや~、彼女女優になれるよね。すごい演技力だよね」と、犬を追い払った時の彼女のオーバーリアクションについて笑いながら語り合ってたけど、私一人「気になるのはそこじゃなくて…」と思っていた。


続いて到着したデンマーク人のポールと一緒にバルを後にする。
とはいえ、相変わらずスィナが絶え間なくポールとおしゃべりしてるので、私はあまりしゃべらず後ろからついていく。


Burgosの手前7~8kmは、道が二手に分かれる。
左に行けば若干遠回りだが快適な遊歩道、右に行けば歩くにはふさわしくない商業地帯。
多くの巡礼者はこの分かれ道からバスに乗り、退屈な商業地帯をすっ飛ばす

正しい巡礼者を自負するスィナと私は当然左に折れて徒歩でBurgosに入りたい。
が、左に行くルートにはなぜかフェンスが張られており入れず、否応なしに国道沿いの商業地帯を歩く羽目となる。

スィナはおしゃべりに夢中だったので、右ルートに来てしまったことにすら気づいていなかったが、だいぶ経ってから「あら?私たち商業地帯に入ってる?」と。
もうすっかり行程管理は私の役目みたいになってしまってるので、「そうだよ、分かれ道のところで左ルートは通行できなくなってたから、私たちは商業地帯を歩いてるんだよ」と説明。

交通量の多いアスファルトの道を歩くのは疲れるので、途中のバルでひとまず休憩することにした。
スィナは極度の暑がりなので、少しでも涼しいバルを好む。
スペインのバルは窓が開けっぱなしで冷房など効いていない。

1軒目のバルが気に入らなかったスィナは、暑くて疲れているのに、国道を挟んだ向こう側の別のバルを見に行く。
そういう元気は残ってるんだな…

昔ながらのバルっぽいところじゃなく、おしゃれなカフェっぽいお店にて、ポールがコーラをおごってくれた。


ポールはかなり足のマメに苦しんでいて、絆創膏を貼りなおしている。
スィナの足もテーピングだらけ。
私が靴下を脱いで傷一つないピカピカの足の裏を見せると、ポールにものすごいうらやましそうな目で見られた。

「皮膚保護クリーム使ってる?」と聞くと、「一応こういうの買って使ってみてる」と割と高級なブランドのクリームを取り出した。
そうか、それ塗っててもやっぱりマメはできるのか。
「私のはスポーツ選手とかが使うやつで、マラソンの時に腋が擦れるのを防止したりするクリームだよ」と教えてあげると、ポールが「実は、人には言ってないんだけど、股も擦れて痛いんだよね…」と。
カミーノでは毎日相当な距離を歩くので、太ってない人でも股ズレするようだ。
お気の毒に


大都市なので、Burgos市内に入ってからカテドラルやアルベルゲのある町の中心部までが非常に遠い。
もうヘロヘロなので、2度目のコーラ休憩。
3人でBurgos到着を祝う。

さらに3kmちょっと歩いて、いよいよカテドラルに近づいてきたというところで、もう一度アイスクリーム休憩。
はぁ~、なかなかたどり着かんわ、私ら。


Burgosは美しい町。








15:15、やっとBurgosの公営アルベルゲに到着。




到着時、見慣れた顔に遭遇。
あれ?
もしかして、ポルトガル人のヌノ?

誠に残念ながら、Agésで一緒にディナーした時はあんなにもかっこ良くてときめいたのに、今日会ったヌノは首の伸びたヨレヨレのTシャツ姿で、到底同じ人物と思えないほどの冴えないぶりだった。
かっこ良さの微塵も見受けられず、軽くハートブレイクである
(服装については他人のこと言えないけどね、私も!)



さて、Burgosのアルベルゲは、公営なのでたったの4ユーロなのに、近代的で設備が整った大型アルベルゲ!




何階建てか忘れたけど、エレベーターがついており、各階にこのような部屋がいくつもある。
ガラスの壁の向こうは洗面所。





洗面所の電気は人を感知して自動点灯するのだけど、これだけ人の出入り激しいと自動点灯にしない方がいいと思う。
何度もパチパチ点いたり消えたりするのが、ガラスの壁際のベッドの人にはさぞかし迷惑だろう。
あと、点灯してる時間が短すぎて、ちょっと歯磨きしたり顔を洗ったりしている間に勝手に消えてしまうので、いちいち体を動かして点灯しないといけない

キッチン&ダイニングスペースもすっきり奇麗。




洗濯物を干すスペースもたくさんある。






ここで久しぶりにベネズエラのホセ&ベティ夫妻に会って喜んだのもつかの間、彼らはもっと涼しい部屋を求めて別の階に移動してしまった。
その際に自分らがキープしていた下の段のベッドを譲ってくれたので、新たに巡礼者が到着する前に急いで下へ移動。
だって、ここの2段ベッドも梯子がないので、上の段は少々不便。


エレナやマリアとディナーの約束があるので、マリアに電話してみるが通じず、なぜかSMSも届かない。
結局そのまま彼女らには会えなかった。
スィナもその後2度ほどマリアにSMSを送ってみて成功したが、返信はなかった。
帰国後、マリアのPCメールアドレスにも出してみたが、やはり返信はない。


ポールが「カミーノを終えるまでヒゲは剃らないつもりだけど、口髭が伸びてきたので整えたい。誰かハサミ持ってない?」と言うので、私の眉バサミを貸してあげた。
ちゃんと返してね~。
じゃないと私、カミーノが終わるころにはバッサバサの眉毛になってるから。


洗濯後、スィナが遅れている日記をずっと書いているので、私は一人でBurgos市内を散策に出かけようとするが、スィナが日記を書く手を止めてついてくる。
結局私はなかなか1人にはなれないのである…

隣の教会で19:00からミサがあるらしい。
それまでうろつくことにする。

教会の前まで来るとたくさんの人だかり。
結婚式だ!




しばらく待っていると新婦がお父さんとともに到着。




招待客もぞろぞろと教会へ入っていく。

そこでスィナが「私たちも入りましょうよ!」と。
ええ?!
他人じゃん。招待されてないじゃん。

「スペインの結婚式は誰でも入れるのよ。私の息子の時も教会の近所の人とかいっぱい入ってきたから大丈夫よ」とスィナは言うのだが、でも服装が服装だし…。
スィナは自分だけ黒いワンピースを着ている。
これは教会やディナーに行く時のスィナのおしゃれ着。
しかも口紅までつけている

ちなみに50歳以上の女性らの多くは巡礼だと言うのにメイク用品を持ってきていた。
スィナはマスカラまで持参しているので、ディナーやミサに行く時はばっちりおめかしして行く。
ま、さすがに足元はスポーツサンダルだけど
スウェーデンのマリアやアメリカのキム、スペインのエマ、後に仲良くなるアイルランドのルーなど、私を含む20~30代の女子はもちろんカミーノでお化粧なんかしない!
だって思いっきりアウトドアやん。


私はTシャツとトレッキングパンツという思いっきりカジュアルな服装なのに、無理やりスィナに教会内に連れ込まれる。
そして結婚式のミサが始まってしまう。




ここで超自由なスペインの結婚式を目の当たりにする。
教会の前の方に座っている人たちはともかく、後ろの方の席の人は結婚式が行われている間も出たり入ったりしている。
そう、ドアが閉められていないので結婚式の最中でも出入り自由なのである

「暑いわね~」とか言いながら外へ出てはタバコをふかしている。
さらには途中で近所のバルに行って1杯引っかける人までいる。
どうやらこれがスペインでの標準的な結婚式スタイルのようである。(たぶん)
ヨーロッパの他の国から来た人たちは一様に驚いていた。


出入り自由な結婚式なのに、スィナと私は出入り口と反対側の奥の方に陣取ってしまっていたので出るに出られず、とうとう結婚式が終わるまで居座ってしまった。


ミサは相変わらずスペイン語なので全くと言っていいほど意味が分からないけど、やはりそれなりに神聖な気持ちになり、新郎新婦の門出を祝う気持ちになっていたのに、そこでスィナが皮肉っぽく一言。
「この2人、いつまで続くかしらねえ」

余計なことを言うな


結婚式が終わり教会から新郎新婦が出てくると、クラッカーが鳴らされさらににぎやかに。




スィナの野次に負けず、お幸せにね



結婚式が終わってからカテドラル内をのぞいてみたけど、関係者だけのミサが行われているのみで、巡礼者も出席できるミサがあるのかどうか良く分からず。
スィナと「ま、今日はいいか」ということになり、町を散策することに。

橋のところでポールと会ったので夕食を一緒にしようということになる。
ポールは今、町の散策から戻ってきたばかりだと言うので、20:00に同じ場所で待ち合わせにして別れる。

私は兼ねてからの懸案だった、両替をしたい!
これまでATMでの現金引き出しに失敗してるので、ATMは諦めて日本円をユーロに両替したい。
カミーノでは銀行がない小さな村を通過することが多いし、たとえ銀行のある町に来たとしても営業時間内に通過するとは限らない。
Burgosは大きな町で観光客も来るので、きっと両替所があるはず。

と思い、町の中心部をウロウロしてみるが、どうにも見当たらない。
もう銀行は閉まっているので両替所が頼みの綱。

普段ユーロで何の不自由もなくヨーロッパを行き来しているスィナは両替所の存在すら良く知らないらしく、「ねえ、両替所ってどんなとこにあるの?どんな感じ?」と。
ちょっとイラつきながら「普通、観光都市にはCAMBIOって書いた窓口があるのよ!」と答える。

スィナがあからさまに退屈そうな顔をしているので、「私は両替所探しに行くから、あなたはアルベルゲにでも戻るかどこか別のところに行っててくれていいよ。20:00に橋に戻ってくるから」と言ってるのに、つまらなそうにしつつもなぜか離れようとしない。
…。
正直うっとおしいという気持ちと、そんなことでイライラしていてはいけないという気持ちがせめぎ合う


薬局の店員さんに聞いてみたら、なんと「両替所はない。銀行のみ」との返事。
え?Burgosほどの大都市なのに?
スペインに軽く失望
もしかしたら日本のガイドブックを見れば載ってるのかもしれないけど、今回重いので何も持ってきていない。
仕方がないので今日は諦めて、後日銀行での両替にトライすることにした。

薬局に寄ったついでにシャンプーを購入。
実は最初は荷物を軽くするために石鹸1個のみを持ってきていて、それで髪も体も洗っていた。
が、だんだん髪に石鹸成分が残りギシギシというかベタベタしてきたので、Azofraあたりで髪も洗える全身シャンプーを買った。
一度使ってしまうと違いはてきめん。
髪の毛がさらさらに仕上がる!と感動。
それ以来、髪にはちゃんとシャンプーを使うようになった。

そろそろそのシャンプーも底を尽きかけているので、新しいものが欲しい。
でも持ち運ぶのが重いのでなるべく小さいのが欲しい。
ラッキーなことに、2階のレジの前に試供品サイズのシャンプーが売られていた。

喜んで数種類ピックアップしていると、店員さんが何やら「このシャンプーはだめ。あなたはこっち」と言う。
なんで??
良く事情が飲み込めないまま勧められた種類を買った。
後でスィナに聞くと「どうやらさっき手にしてたのはブロンド用って言ってたみたいよ」とのこと。
そんな種類別があったのか!

でも我ら巡礼者はただ洗えればいいというスタンスなので、ブロンド用でも茶髪用でも黒髪用でもなんでもいいんだよ!
好きな匂いのシャンプー買わせてくれよ

全くの余談だけど、スィナはシャンプーも歯磨き粉も異常なほど減りが早い。
そんな少ない髪の毛なのになぜ?と思っていたら、どうやらシャンプーは体を洗うようにも使っているらしいので、そっちに関してはOK。

だけど分からないのは歯磨き粉の異常な減り具合。
巡礼中少なくとも2回は購入してた。
どんだけ歯磨き粉大量に無駄につけてるんだ?
私なんてトラベル用サイズで50日間余裕で持つんですけど。


さて、なんとなくまだ両替を諦めきれずに目を光らせながら町を歩いていると、大きな郵便局に到着。
そこに郵便と並んで預金がどうこうと書いてあるので、スィナに促されだめもとで窓口のおじさんにここで両替はできるのかと聞いてみた。
が、案の定あっさりと「両替は銀行のみです」と断られる。
ああ、つくづく日本の郵便局って便利なんだなあと思う。



橋に戻ってポールと落ち合い、夕食場所を探す。
ウロウロしてみたけど、よさそうなバルはすでに人でいっぱい。
仕方なく空席が目立つバルに落ち着く。

ポールは足のマメに苦しんでいるので、今日は新しいトレッキング用ソックスとマメ用の絆創膏を買ったようだ。
日本でも売っている、衝撃吸収ジェルパッド入りの絆創膏は1つ6ユーロとかして、結構高額。
う~ん、私は足の故障がなくて本当に良かったよ。


昨日のバルでポールとイタリア人が話していた、「罪人にはカミーノを」発言へと話が及ぶ。
私とスィナはその後それぞれの持論を展開し、「冬に歩かせよう!」とか「罪の重さに比例する重さの荷物を背負わせよう!」とか、「かわいそうだから夏場は帽子ぐらいは被らせてあげようよ」などと話していたことをポールに伝える。
ま、カミーノを歩いている間にいくらでも逃亡可能だけどね。


ポールと楽しく食事をし、ワインも進み、Burgosの美しいカテドラルの姿を愛でながらアルベルゲへ戻り、就寝。
Burgos市内をビーチサンダルで歩きまわりすぎて足が痛い
巡礼によるマメや靴ずれより、ビーチサンダルの鼻緒による親指と人差し指の間の擦れが痛いよ…。





本日の歩行距離: 約21km
本日の歩数:42,143歩

カミーノにあしあと 13

2010年09月22日 | Weblog
【13日目】7/8(木) Tosantos → Agés
朝、出発の準備はできたけど、スィナがもたもたしてるので手持ちぶさたにしていた。
他の巡礼者はもうほぼ全員出発済みで、ガランとした2階の部屋の窓から玄関付近を見下ろしてみると、なんとポーランド人のマリアがアルベルゲに向かって歩いてくるのを発見

思わず窓から大声で呼び、スィナにもマリアの到着を知らせ、急いで階下へ降りる。

マリアはTosantosより1つ手前のBeloradoに宿泊し、早朝に出発して今ここへ辿りついたらしい。
抱き合って再会を喜ぶ


アナマリアとマルゲリータは今日Burgos経由で帰国予定。
クリスティーナは2人にくっついてBurgosまで行き、そこからバスに乗って先まで行くとのことで、マリアは1人になっていた。

4日前、Navaretteで一緒にディナーした際、私とスィナは急いでアルベルゲに戻ったため夕食代を支払っていない。
たぶん立て替えてくれたのはアナマリアだと思うけど、同じポーランド人のよしみでマリアに返せばどうにかなるのではないかと思い支払いを申し出るが、マリアは必要ないと言う。
「その分他に困っている巡礼者がいた時に助けてあげて」とのこと。
う~ん、これぞ巡礼者スピリット

アナマリアにもお礼を言おうと思い、マリアから聞いた電話番号にかけてみるが、どうにもつながらなかった。


7:45にマリアと別れてアルベルゲを出発。
最初の休憩は3kmちょっと先のEpinosa del Caminoにて。
ここでもバルのテラスで他の巡礼者たちと情報交換する。
おのずと話題はこの先に待ち構えているメセタに及ぶ。

メセタとは木陰の無い乾いた高原で、約20kmに渡りバルもなく、水飲み場もなく、村も出てこないエリアが2か所ほどある。
そのエリアを通過する際には、十分な水と食料を持っていなければいけない。
みな、その過酷な行程について噂には聞いているので、戦々恐々としている

が、バルで居合わせたドイツ人女性の話によると、「去年の同じ時期にメセタを通ったけど、案外涼しかった。どちらかと言うと肌寒いくらいだった」とのこと。
メセタが涼しい?
にわかには信じがたい。

そうこうしているうちに、仲良くカミーノを歩いているスペイン人3兄弟や、デンマーク人やイタリア人が到着し、場が賑わう。
このデンマーク人とイタリア人は、巡礼の動機などを話し合っているうちに結構意気投合して楽しそうだった。

イタリア人のおじさんは政治家志望。
いつの間にか話題が犯罪とか法律の話に移り、デンマーク人が「全ての罪人にはカミーノを歩かせるといい!」と言えば、イタリア人が「それも往復ね!」と応じ、大いに盛り上がった。

このデンマーク人のポールとはこれを機に仲良くなり、一緒に歩いたりもすることとなる。



さて、木陰の無い乾いた道を歩き、11:00頃にVillafranca Montes de Ocaという村に至る。
暑くて疲れた~
バルでランチしよう。

Villafranca Montes de Ocaは人口200人程度の小さな村だけど、結構立派な教会もあり、アルベルゲも2軒あった。




教会のそばにちょっとこじゃれた感じのホテルがあったので、今日はそこでランチすることに。
カミーノ上では巡礼者の存在は認められているけど、やっぱりホテルなどに足を踏み入れるとちょっと緊張する。







ワンパターンだけど、ポテトのトルティーヤ(オムレツ)入りのボカディーヨとコーラ。




ボカディーヨは顔ぐらい大きい。





ランチしているとグナー並みに巨大なドイツ人が隣のテーブルにやってきた。
案の定スィナは嬉々としてドイツ語で話しだす。
どんだけ好きやねん、ドイツ人
グナーは体が大きすぎてアルベルゲのベッドから足がはみ出て寝心地悪そうにしてたけど、きっとこの人もそうなんだろうなあ。


この先当面水場もバルも出てこないので、ランチを終えてからホテルの前にいた子供に食料品店の場所を聞き、フルーツなどを購入。
重いけどしょうがない。
山の中で食べるフルーツは格別だし。

今日はほぼずっと緩やかな上り坂だったけど、ここから一気に傾斜がきつくなる。
森が出てきたのは嬉しいけど、目の前にそびえ立つ急な坂にげんなり





St. Juan de Ortegaまでの約12km、ほとんど水場もなく延々と道が続く。


17:00頃にSt. Juan de Ortegaに到着。
ここのアルベルゲはSopa de Ajo(ニンニクスープ)が有名なアルベルゲのため人気があるらしく、ベッドは1台しか空きがなかった。
仕方ないので次の村まで歩くことにする。

ひとまずバルで休憩していると、さっきの村で会ったドイツ人やポーランド人のマリア、カナダ人のエレナ、フランス人のマークなど顔見知りがたくさん。
みんな今日はここで宿泊らしい。

私がかなりぐったりしてるので、エレナが笑いながら「アイス買ってあげようか?」と。
一瞬心が動いたけど、大人なので自分で買いに行った。
もちろんスィナの分も。


コーラとポテトチップスとアイス(なんてジャンキーなんだ)で力をつけ、St. Juan de Ortegaの教会を見学してからいざ出発。
マリアとエレナには、明日Burgosで一緒にディナーをしようと約束する。

空は曇り、ポツポツと雨が降り出した
次の村へ到着するまでに本降りになるだろうか?


幸い雨はそれほど強くならなかったので、軽快に歩けた。
しかもSt. Juan de Ortegaを出てから次の村Agésまでの約3.6kmの道のりは、今まで以上に美しかった
そして今まで以上に蝶々が舞っている

途中、地元のパトロールの車が通りがかり何か問題はないかと聞いてくれる。
こういうのがあると安心して山道も歩けるね。
実は「ありがとうございます。問題ないです」と答えながら、心の中では「その車に乗せてくれよ~」と思ってるけど。


Agésは小さな村なのにアルベルゲが3軒もある。
ひとまずEl Pajarという私営のアルベルゲに入ってみる。

受付のオスピタレロ、英語は全く話さない。
そして早口のスペイン語でまくしたてる。
私よりスペイン語ができるスィナもその早さにはついていけず、半分ぐらいしか理解できない。

なぜかその場で支払いはなく、パスポートを預けさせられ、書類にサインさせられる。
良く分からないけどとりあえず案内されたベッドへ。

すると、私の部屋は私以外全員男子のようだった。
しかも誰かが勝手に私のベッドに座って携帯充電してるし…

スィナの部屋は逆に女性ばかり。
若い男の子が多かったので、騒がしかったら嫌だなと思いつつ、またあのスペイン語しか話さないオスピタレロと交渉して部屋を変えてもらうのもしんどいので、我慢することにした。

ここのアルベルゲは13ユーロと高めだったものの、シャワー設備はすばらしく、朝食もついていたのでよしとする。
あと、不織布みたいな素材でできた使い捨てのベッドカバーと枕カバーもくれた。

毎日汗とホコリまみれになって長距離を歩いてアルベルゲにたどり着くと、どんなアルベルゲでもベッドが空いているだけでありがたいし、シャワーが浴びられるだけでも幸せ
たとえシャワー室が汚くても、お湯の出が悪くても、1日のうちで本当に幸せを感じる瞬間。
なのに今日は奇麗なシャワー室で、お湯もふんだんに出る
ああ、贅沢


シャワーと洗濯を終えて階下へ降りると、キムがパソコンを使っていた
アルベルゲで使えるインターネットは、コインを入れて使うタイプのもの。
大抵1ユーロで20分ぐらいだけど、場所によって多少使える時間が違う。

キムが「今インターネット終わったけどまだ後3分残ってるの。使う?」と言ってきたので、「いや、いいよ」と断ったけど、「3分でいっぱいできるから!早く早く!」と席を譲ってくれた。
お言葉に甘えて私もメールチェック。
さすがに3分だとチェックするだけで終わってしまい、返信してる暇はなかったけど、満足。
ありがと、キム


ところでキムはなんと11:00にチェックインしたらしい。
私たち到着したの18:00ですけど…

キム曰く、「朝早く出発して、歩くのは早めに切り上げてあとはリラックスしたい」とのこと。
私とスィナがさっき到着したばかりだということに驚いていた。
「私たちは歩いている途中でリラックスするから。途中のバルで休憩して、他の巡礼者とおしゃべりしたり、川で遊んだり、楽しいよ」と言うと、キムは「うらやましいわ。今度あなたたちと一緒に歩いてみたいわ」と。
もちろんウェルカム!


シャワーと洗濯後、受付に行ってお金を払い、パスポートを返してもらう。
どうやらここのアルベルゲでは晩御飯を出してくれるそうだけど、2日連続アルベルゲディナーだった私とスィナは、今日こそはなんとしても外で食べたいと思ったので、必死にオスピタレロの誘いを断った。
かなり残念そうにされたけど、ここは譲れない。

アルベルゲディナーを断ったものの、本当に小さな村なのでディナー場所の選択肢はほぼない。
散々ウロウロした揚句、公営アルベルゲに併設のバルで9.5ユーロの巡礼者メニューを頂くことにした。
St. Juan de Ortegaで食べられなかったSopa de Ajoをここで注文。

ディナーで同席したのがポルトガルから来た母と息子。
お母さんの方は英語が分からないので、息子がいちいち優しく通訳してあげている。
息子の名前はヌノ。
20代後半だろうか。
結構かっこいい

この年で母親と一緒に旅してるって、ポルトガル人男性はイタリア人男性みたいな感じなのか?
でもヌノは何度もカミーノを歩いていて、冬場は一人でもしくは友人と、夏場は家族と歩くことにしているということなので、ちょっと安心。

カミーノ経験豊富なヌノによると、ここ数年アルベルゲの整備などが進んでおり、巡礼環境はかなり快適になってきているという。
10年ほど前まではアルベルゲの状態は本当にひどかったらしく、驚くことに公営より私営の方が汚くひどかったと。
それはびっくり。
もちろん今でも公営の方が必ずしも汚かったり古かったりするわけではないけど、全般的に私営の方が宿泊料が高いのでシャワー設備などが整っていたりすることが多い。

ヌノの話は色々と面白く、楽しいひとときだった。
スィナも「彼はキュートね」と気に入っていた。

ちなみにヌノがデザートに注文したアイスクリームは、見事に棒アイスだった


食後、外のテラスでコーヒーを飲む。
スィナは少し離れたところで息子と長電話しており、コーヒーがすっかり冷めていた。
ちなみにスィナは「私は日常を全てオランダに置いてきたから、カミーノでは一切インターネットとかしないの」と誇らしげにみんなに自慢しているが、1日何回も家族にSMSを送っており、私的には「どないやねん!」と思っている。


消灯時間より早く部屋に戻ると、真っ暗で1人おじさんが寝ていた。
あまり音を立てないように気をつけながら、ごそごそ寝る準備をしていると、そのおじさんがスペイン語でキレ気味に「静かにしてくれ!」と抗議してきた。
「…。すいません」と、やっていたことをあきらめてそっとベッドに横たわる。

でもまだ他のベッドの若者たち帰ってきてないんだけどな~。
彼らが戻ってきたら結構うるさいよ~。
と思っていたら、しばらくしてワイワイガヤガヤ男の子たちが帰ってきた。
おじさん、当然キレてそっちにも文句言う。
私、心の中で「オヤジ、ざまあみろ」と思う。

聖女への道はまだまだ遠そうだ




本日の歩行距離:約22km
本日の歩数:38,026歩


カミーノにあしあと 12

2010年09月20日 | Weblog
【12日目】7/7(水) Grañon → Tosantos
7:40 アルベルゲで朝食を済ませ、出発。

出発時にスィナが紛失したらしいサングラスをキムが見つけて渡してくれた。
後日、キムから「実はあの時、スィナのサングラスを渡しておきながら、自分もまたサングラスをあのアルベルゲに忘れてしまって、途中の町で買った」と聞いた。

カミーノでは実に色々な物を紛失する。
私も一度帽子をどこかで落としてしまった時、慌てて来た道を戻ると、向こうからやってきたポーランド人チームが拾ってくれていたことがあった。
巡礼者同士、落し物を拾ったり拾われたり。


さて、今日はLa Rioja州を出てCastilla y León州へと入る。
他の巡礼者の話では、もうここら辺はメセタの走りだということ。
ブドウ畑は姿を消し、麦畑が続く。

歩き始めてすぐに出会った地元のファーマーのおじさんが “¡Buen Camino!”と両頬にキスをしてくれた
地元の人からはしょっちゅう声援は受けるが、キスまでしてくれるのは珍しい。



州境にてスウェーデン人のマリアと記念写真を撮る。
彼女は今日がカミーノ最終日。




いつも一緒のスィナとも。




マリアは歩くペースが遅いので、ここで一旦さよならをし、スィナと2人で先に行く。
あ~、誰かとお別れするのはつらいなあ。



しばらく行くとMP3プレーヤーで音楽を聴きながら歩いているフランス人巡礼者が、私にも音楽を聴かせてくれた。
なかなか年季が入ったMP3で、液晶部分を親指でしっかり押さえていないと音が止まってしまう代物だけど
なんだか壮大な音楽で、周りの景色が違って見える感じ。
が、ボリュームおっきすぎて耳が痛いし、その時は車も通るような道を歩いていたので、後ろから来た車の音とか聞こえなくて危険

音楽の次に、「いいものを聴かせてあげる」と言って聴かされたのは、ノートルダム寺院の鐘の音。
ああ、これも結構カミーノらしくて雰囲気あっていいかも
かなり長い間プレーヤーを借りて聴きながら歩いた。

なんでもこのフランス人の青年、「鐘が大好きで、鐘職人になりたいぐらい」だそうだ。
自らをベルフリークと呼ぶ。
日本には行ったことないけど、日本のお寺の鐘もかなり気になっている模様。
話してみるとかなりの不思議君だったけど、こういう出会いがなかなか面白い。
途中、小さな村の公園にあったブランコに乗ったりして、童心に帰ってなかなか楽しい日だった。



マリアとお別れしてさみしいなと思っていると、途中休憩のバルでまた再会したので、そこから先は一緒に歩く。
今日のマリアの予定は、Grañon から15kmほど先のBeloradoまで行き、そこからバスと列車を乗り継いで友達を訪ねるとのこと。

マリアと「カミーノって本当に景色が奇麗だし、すばらしいよね~」と語り合う。
するとマリアが「カミーノを歩いていると、まるでスペイン中の虫が観察できるみたいよね」と。
そう、その通り
カミーノを歩いていると、足元に日本のものより巨大で真っ黒なナメクジをはじめとして色んな虫に出会う。
「足元のアリの行列を踏まないように気をつけて歩いたりね~」
「たくさんの蝶々が舞っていて、パラダイスみたいだよね~」
と、考えていること、感じていることがみんな同じだと知って嬉しかった。


スィナはこの日、マリアからスウェーデンの歌を習っていた。
熱心に歌詞もノートに書いてもらっている。
私は歌詞を覚えることにはあまり興味なかったけど、ずっとスィナが練習しているのでメロディは覚えてしまった。
その日以降、カミーノを歩きながらふとその歌のメロディが浮かび、ハミングしながら歩くことがよくあった。
帰国した今もはっきりとメロディは覚えている。



Beloradoに到着。
最初に出てくる私営アルベルゲは設備が整っていそうな感じ。
バルと簡単な食料品店が併設されている。

いつもの通りコーラで乾杯
お腹も空いているので、バルのショーケースに並ぶタパスの中からおいしそうなものをいくつかピックアップして注文。

マリアはバスの出発までに数時間あるので、バルで時間をつぶすしかない。
しばらくはおしゃべりしていたけど、そのうち疲れが出たのかテーブルに突っ伏して眠り始めた。

スィナと私はまだ先へ進むけど、眠っているマリアを起こしたくないので、そっと3人分のお勘定を済ませ、紙ナプキンに書いたメッセージをそっと彼女のそばに置いてバルを立ち去った。
ナプキンに書いたメッセージは、スィナがマリアから習った歌の最後の一節。
「友と別れる時は、涙なしではいられない」

本当にうるっと来たけど、マリアとはまた会えますように。



Beloradoを出てRio Tirónを渡ろうとした時、イタリア人のキアラ、デンマーク人のピーター、そしてノリコさんの3人に遭遇。
彼らに誘われ、しばし川で遊んで行くことにした。

早朝にアルベルゲを出発し、一目散に次の目的地へ行く巡礼者は多いけど、私とスィナの巡礼はかなり寄り道も休憩も多くてゆっくり。

荷物を下ろし、靴を脱いで川に足を浸けてみると、めちゃくちゃ冷たい!
なんかもう、私は水が冷た過ぎて足が痛くて長くつけてられなかったけど、ノリコさんはじめ他のみんなは割と平気そうに長時間足を浸けている。
う~ん、私ってヤワなのか?

ピーターが足のマメを冷やしていたので、「私の足の裏はマメがなくて奇麗だよ~ん」と見せてあげると、称賛された。
そしてスィナが「カミーノ上で最も美しい足」と評してくれた。



今日は川で寄り道もしたので、ちょっと遅めの17:00頃にTosantosへ到着。
ここにはアルベルゲが1軒のみ。
そしてここも昨日に引き続きCasa Parroquial=教会系の運営。




アルベルゲ前の犬は、巡礼者が連れて歩いている犬。
確かキラとか言う名前の人懐っこい犬だったが、なにせ汚いのでなでなですると手が真っ黒に…。
ノミとかも移るんじゃないか…?



アルベルゲの前にはバルが1軒あるのみで、そこではディナーをやっていないので、自動的にアルベルゲでみんなで食事ということになる。
おしゃべり好きのスィナもさすがに2日連続Parroquialは嫌みたいだったけど、他にオプションがないので仕方がない。


宿代は寄付ベースだったので、翌朝出発前に食事込みで10ユーロ払った。
昨日のGrañonのアルベルゲには15ユーロ払った。
5ユーロの差はワインが出たか出ないか…


昨日と同じく床に直接マットを敷いて寝るタイプのアルベルゲ。
ノリコさんやピーターは先にもう到着していた。

アルベルゲのすぐそばの丘の上に教会があるらしく、Parroquial系のアルベルゲの常として、そこで夕食前に集いをやるから希望者は参加するようにとのこと。
急いでシャワーと洗濯を済ませ、集合。

地元の教会守みたいなおばさんに連れられ、丘を上る。
長距離歩いた後にまた上り坂って…


そこは丘の上の岩に洞窟のように掘られた小さな教会で、とても素晴らしかった。
写真撮影は禁止。
いつもにも増して神聖な場所という気がする。

そこでおばさんから教会の歴史やら何やら説明を受けるが、オールスペイン語なのでぼんやりとしか分からない。
さらには、また巡礼者の母国語でお祈りの言葉を言うようにとの指示が回ってきた。

スィナに「ど、どうしよう!お祈りとか分かんないし」と言うと、カトリック教徒のはずのスィナも「私も何言っていいか分からないけど、オランダ語で何か言うから。あなたは日本語で言えば他の誰も分からないから大丈夫よ!」とのこと。

英語ネイティブは英語で、フランス語ネイティブはフランス語で、ドイツ語ネイティブはドイツ語でそれぞれお祈りの言葉を言い、スィナはオランダ語、私は日本語で何か言っといた。

そのあとおばさんの指示で女性が一人、後ろの席でクラリネットを奏ではじめた。
岩の洞窟にある教会で、クラリネットの調べを聞く、なんとも幻想的なひととき。



一通り儀式が終わり、最後に教会内のノートに記帳する。
いつもながら日本語で感想を書いて教会の外に出ると、先に記帳を終えて外に出ていたスィナが泣いていた。

「今日は母の命日で、母はマリア様を深く信仰していた」と、泣きながら話すスィナ。
そうか、今日は特別な日だったんだね。
特別な日に特別な出来事があって、きっと偶然じゃないんだね。
と、スィナの背中をさすって慰める。

スィナがしばらく泣いているので、「今日は日本では七夕という日なんだよ」と七夕の話をしてあげる。
なんとなく、ちょっとでもお母さんの命日の慰めになればと思って。


アルベルゲに戻るとさっき教会でクラリネットを吹いていた子が、アメリカ人のキムと一緒に座っていた。
どうやら地元の人ではなく、巡礼者だったらしい。
イタリア人のジーナ。
オーケストラに所属しているプロのクラリネット奏者だとか。
クラリネットをリュックに入れて巡礼してるなんて驚き。

キムはいつも早朝に出発し、午前中には次の目的地に到着している。
でもこんなTosantosみたいな何もないところに午前中に到着してしまっても、やることなくて暇じゃないのかな?


ディナーはオスピタレロ達が作ってくれたものを全員で頂く。
昨日ノリコさんとあまり話ができなかったので、今日は目の前の席だったので話してみる。

するとノリコさんは西洋人の言動について色々と質問してきた。
「なんで西洋人って話の中に擬音語とか擬態語とか多いんですかね?」
「なんでリアクションがあんなに子どもっぽくて、オーバーなんですかね?」

う~ん、彼らはそういう文化で育ってるからさ

逆に周りの人からノリコさんは「なんでいつもニヤニヤ笑ってんの?」と聞かれたらしい。
典型的な日本人のリアクションしてるもんね、ノリコさん


私も西洋人には慣れているとはいえ、ちょっと気になっていたことを口にしてみる。
「実はさあ、スィナが結構差別的な発言とかするんだよね。あれってヨーロッパ的にはOKなのかな?」

そう、スィナは例えば筋肉痛や足の故障でヨタヨタ歩いてる人を見ると、「ここはまるで老人ホームね」と茶化して言ったり、杖をついて歩いている老人や足の不自由な人を見て「私たちもきっとあんな風になっちゃうわよね」と笑ったり、なんか配慮がない発言をするよな~と、実はすごく気になっていた。
しかも “crippled”と言う単語を使うので、余計に心にざらりとした不快感が残る。
個人的なものなのかな~?
オランダ人特有のものなのかな~?


それはさておき、食事の前にオスピタレロの一人がみんなにウェルカムの挨拶をし、そしておもむろに巡礼歌「ウルトレーヤ」のサビの部分を歌い始めた。
私はこの歌を知っていて歌詞も持っているので「あ、巡礼中にウルトレーヤを聞けてラッキー」と思い、ふと歌っているオスピタレロを見上げると、何やら見覚えのある顔。

あ!!!
巡礼前に友の会会員のNさんが教えてくれたYou Tubeに出てたのと同じ人だ!
どうやらこのアルベルゲに泊まった巡礼者の誰かが、ウルトレーヤを歌う彼の姿をビデオ撮影し、それをYou Tubeに乗っけたものらしい。
ビデオとほぼ同じアングルで見上げて初めて同じ人だと気付いた。

なんという偶然
帰ってNさんにも報告しなければ。

そのオスピタレロには、食後に話しかけようかと思っていたけど、食後はどこかへ姿をくらましてしまっていたので、話せなかった。
その場で「あ!You Tubeの人!」とか言わなかったのは、本人が自分の映像がYou Tubeで流れているのを知っているのかどうか分からなかったから。
もしかして勝手に投稿されてて不快に思うかもしれないし。



食後、国道を挟んだ向かいのバルへ。
今日はワールドカップ、スペイン対ドイツで盛り上がっている。
また、Pamplonaの牛追い祭りのニュースも気になるところ。

テレビの前は満席だったので、テラスからちょこちょこ店内のテレビを気にしつつドリンクを飲む。

デンマーク人のピーターが、私が持ってる地図本をいたく気に入り、ISBN番号をメモっていた。
Nさんに教えてもらって購入したこの地図、他の巡礼者からもかなり人気で、巡礼中何度も「これいいね!どこで買ったの?」と聞かれた。
多くの巡礼者は分厚くて重いガイドブックを持ってきていたので、薄くて軽くて、それでも必要最低限の情報が載っているこの本は超人気

スィナがオランダから持ってきたガイドブックも相当重い。
しかも地図部分は全く活用していない。
スィナは私と一緒に歩きはじめてからすっかり私に頼るようになっており、その日歩く予定距離や目的地すら把握していない状態。
休憩時などに他の巡礼者から「今日はどこまで行くの?」と聞かれると、必ず「ねえ、ユウコ、今日はどこまで?」と振ってくる。
教えてあげた地名はその場限りでスィナの右耳から左耳へと消えていくので、1日に何度もこのような会話が繰り返される

そして宿泊地に到着して、シャワーも洗濯も終わった頃にようやくスィナが分厚いガイドブックを取り出し、「今日通ってきた村にはこんな歴史があるんだって」と事後情報をくれる。
もういいんですけど


しばらくピーターと話していると、バルの中にいたキムも出てきて参加。
フロリダ出身のキムは学校の先生をしていたけど、自分がやりたい仕事ではなかったので仕事を辞めてカミーノに出発したとのこと。
夢はニュージーランドにペンションを買い、アルベルゲのようなB&Bを経営することらしい。
もうある程度計画は具体化してきているらしく、カミーノが終わった後はドイツに住んでいる両親を訪問し、そのあとフロリダには帰らずニュージーランドに行く予定。

一見、具体的な夢を持っていて順調そうに聞こえるキムが実は一番心に問題を抱えていたことが後で分かる。
キム曰く「もう30歳を過ぎたのに結婚もしてないし、これからどうしようか考えたくて」ということでカミーノを歩いているらしい。
スウェーデン人のマリアも似たようなこと言ってたし、国が変わっても30代女子の悩みは共通のようだ。





本日の歩行距離:約23km
本日の歩数:34,620歩

カミーノにあしあと 11

2010年09月17日 | Weblog
【11日目】7/6(火) Azofra → Grañon
今朝は手持ちのビスケットやらフルーツやらを食べてからアルベルゲを出発したので、遅めの7:50スタート。
すでにほとんどの巡礼者は出発済み。

曇りで風が強く、朝は肌寒い。

木陰の無い道をただひたすら、ひたすら歩く。




途中、道路にバルのサインが現れた。
カミーノをちょっと外れるみたいだけど、「バルまで200m」と書いてある。
今日は暑くはないけど、AzofraからCirueñaまでの9kmは何も出てこないので、ちょっと脱線しようかとそのバルのサインをたどってみる。

が、しかし、絶対200mって嘘だ
ゆうに1km以上歩いてるんじゃないか、これ?
住宅街を行けども行けども辿りつかない。
他の巡礼者は賢いのか、誰も寄り道せずそのままカミーノを続けていて、スィナと私だけがこのバルの罠にはまっているようだ

もうバルなんて見つからないんじゃないかと思い始めた時、ようやく小さな村のバルに到着。
ここ、オプショナルルート上にあるSan Millánじゃないか。
ずいぶん道を外れてしまったもんだ。
そして無駄に歩数を稼いでしまった

ほとんど人気のない村で、教会も閉まっている。
日本の田舎もそうだけど、スペインの田舎もほとんど人を見かけない。
あと、通常私たちがその日宿泊する町や村に到着するのは午後で、ちょうどシエスタの時間帯とも重なるため、到着時は人っ子一人いないゴーストタウンのようになっていることが多い。


恒例となっているボカディーヨとオレンジジュース、コーヒーの3点セット休憩。
バルには近所の人が子連れでやってきたけど、それ以外人気なし。
もちろん私たちの他に巡礼者の姿は皆無。

回り道をさせた分、バルのオーナーはとても親切で、ここからカミーノへ戻る道も丁寧に教えてくれた。


通常とは違うルートで、元のカミーノと合流すべく進む。
麦畑に咲く赤い花が印象的。









しばらくして、Santo Domingo de Calzadaに到着。
手持ちのガイドブックによると、「この町は、巡礼のための石畳の道(カルサーダ)、橋、救護施設などの建設に生涯を捧げた聖ドミンゴによって開かれた町である。その功績を称えられて、この町は『リオハのコンポステーラ』と呼ばれている」らしい。
確かに石畳の中世風の街並みが美しい。
多くの巡礼者はここで1泊するが、私たちは先へと進む予定。




町に入ると何人かの巡礼者がいて立ち話をしていると、例のスィナが「変な顔」と言って嫌っているフランス人のおじさんがやってきた。
なんと、手には空になったワインのボトルを持ち、足もともおぼつかず、明らかな酔っ払い
ろれつの回らない口調で、「こっちのアルベルゲは…ヒック、なかなか奇麗で…ヒック、あっちにももう1つアルベルゲがあって…ヒック、、、」と、典型的な酔っ払いぶりでめちゃめちゃおもしろかった。
あれ、後々の語り草やわ。


この町には有名な伝説がある。
その昔、巡礼者夫婦と息子が宿泊した際、息子が窃盗の濡れ衣を着せられ絞首刑を宣告される。
両親が役人に息子は無実なので救ってほしいと訴えると、その役人が「お前たちの息子が無実だというのは、私が今食べているこの鶏が生き返るようなものだ」とかなんとか言った。
その途端、お皿の上の鶏が生き返ったため、息子も釈放された。

というような話である。
この伝説があったことから、ここの教会では鶏が飼われている


カテドラルの内部が博物館になっていたので、見学。
入館料は巡礼者割引で2.5ユーロだった。
クレデンシャルにスタンプももらう。







鶏が飼われている鶏舎は有名なのですぐに分かるだろうと思っていたけど、どうやら見落としてしまったらしい。(実は写真にはそれらしきものが写っている。)
ま、いっか。
巡礼してるとだんだん観光はどうでもよくなる。

カテドラル見学を終え、そろそろランチでもしたいからと散策してみるけど、どうもこれと言ったバルが見つからない。
「じゃあカテドラル前のパラドール(高級国営ホテル)でお茶だけでもする?」と、汚い巡礼者の身なりでパラドールに入ってみた。
(注:カミーノ上のパラドールは巡礼者も入れる。)

フロントで用件を伝えると、「そちらのカフェへどうぞ」と言われたのでカフェエリアに座ったのだけれど、待てど暮らせど誰も出てこない。
う~ん、もう出ていく?

誰にもサーブしてもらえなさそうなので、パラドールを出て町の出口方面に進む。
バルぐらいあるだろうと思っていたら、全然ない~!
地元のおじいちゃんを捕まえて「ここにバルはありますか?」(←一体巡礼中に何度このセリフを口にしたことだろう)と聞いてみたけど、ないと言われてしまった…

あと、どうもカミーノが分かりづらいのでそれも聞いてみると、「そこの道を進んでいって橋を渡るといいよ」と教えてくれた。

また町の中心部まで戻るのはしんどいので、近くにあった教会前のベンチに座り、手持ちのドライフルーツなどでしのぐ。
座っているとどんどん巡礼者が通るのだけど、みんなカミーノが見つけられないらしく、ウロウロしているので、「カミーノはあっちの方らしいよ」と教えてあげる。
困るんだよね、カミーノの標識がちゃんとしてない場所は。


しばらく休憩後、ようやく私たちも立ちあがり、次の町を目指す。

Santo Domingo de Calzadaから7km、16:00にGrañonに到着。
ここはまた小さな小さな村で、アルベルゲはParroquia(教会系)のが1軒。

アルベルゲのサインがなかったので、気付かずにどんどんカミーノを歩いて行ったら、あっという間に町の外れまで出てしまった
元来た道を戻り、バルで休んでいた他の巡礼者に聞くと、「アルベルゲはそこを曲がったとこだよ」と教えてくれた。

意外にも銀行があったので、スィナがATMを使う。
私も使おうとしたけど、カードが受け付けられなかった。
以前、グナーも同様の経験をしてたけど、スィナのカードもATMによって成功したりしなかったり。
スペインの銀行システムが(というか、インフラが)良くわからん


Grañonの教会はとても古く、教会裏手にある小さな入口から入り、石の階段を上ったところがアルベルゲらしい。
が、上った先には受付らしきものがなく、だだっ広い部屋の床にマットレスが置かれていた。
さらに上に続く階段があったので、下から呼びかけるも返事なし。
でも人がいる気配はする。

そこから先は靴を脱がないといけなかったので、面倒だけどトレッキングブーツを抜いて上がり込んでみる。
するとだだっ広い部屋の隅に1人若い女の子がいたので、「受付は上ですか?」と聞いてみるとそうだという返事。

「あれ?日本人ですか?」
「はい」

おおっ、久しぶりに日本の女子に会ったよ!
ノリコさんと言う名前の人だった。
巡礼者らしからぬ、森ガール系の服装をしている。

ノリコさんは英語もスペイン語もほとんど分からないらしい。
でも常にニコニコ(スィナ曰くgiggling)しているので、言葉が分からなくても色んな人が助けてくれるらしい。


上にあがるとアットホームな感じのキッチンとダイニングがあり、宿泊料は寄付ベースだった。
どうやらアジア系はノリコさんと私と、もう一人おとなしそうな韓国人の男の子の3人。
韓国人が多く泊まるらしく、ハングルで書かれた紙が掲示板に貼ってあった。

昨日Azofraで一緒だったスペイン人のエマや、道々何度も会っているイタリア人のキアラ、後で仲良くなるアメリカ人のキムなどもここに宿泊。

寝る場所は下の階の広い部屋、または中二階みたいになってる板の間のどちらか。
どちらもベッドはなく、床にマットレスが敷いてある。
私はどっちでもいいんだけど、スィナが暑がりで少しでも涼しそうな場所に寝たがるので、下の階に決定。

シャワーは1個しかないので、先にシャワーを浴びさせてもらう。
その間、スィナは大幅に遅れている日記を書くとのこと。


シャワーの順番を待っている時にオスピタレロに「アンケートに答えて。5分ぐらいでできるから」と言われて渡された紙は、とても5分で終わるような代物じゃあなかった。
しかも内容はどう見ても心理テスト

さらには提出後、一人ひとり最後のページに載っている心理ゲーム的なものまで受けさせられる模様。
ちょ、ちょっとうんざりです。

シャワーを浴びて階下に戻ると、スィナが「みてよ、たったの3行しか書けてない」と自分のノートを見せる。
「でも彼のことは全部聞きだしたわ」と。

どうやら向かいのマットレスにいたデンマーク人の男性から根掘り葉掘りプライベートなことまで聞き出していたらしい。
出たよ、おばちゃんの悪い癖

その男性の名前は外国人が発音するには難しすぎるため、愛称の「エミリオ」でいいらしい。
教会の建築関係の仕事とか。
巡礼者の中にそういう職業の人多いみたい。

スィナが「あなたかマリアにエミリオはぴったりだと思うわ」とか言う。
(しかし、後には「エミリオは結婚向きじゃないわね。コミットするタイプじゃないし」と勝手に結論づけていた
誰かこのゴシップおばさんを止めて下さい


ダイニングを通りがかると、マリアがオスピタレロに捕まって心理ゲームを受けさせられていた。
私も「今、いい?」と聞かれたけど、「あ、ちょっと洗濯してきますんで、後から…」と言って逃げた
その後もオスピタレロに捕まらないよう、こそっと通り抜けたので、結局心理ゲームはやらずに済んだ。


さて、このアルベルゲは本当に教会の中にあり、アルベルゲの中から礼拝堂内が見下ろせる。




そして何より、洗濯をする場所と干す場所が独特!
薄暗くて狭い石の階段を上っていくと屋根裏的なスペースに。
(ネズミとかいそう…




そこの干場は一杯だったので、さらに狭い階段をらせん状に上って行ったところにも洗濯ロープがあったので、そこに干す。




ここは教会の塔の中なので、もうちょっと上に行くと、なんと鐘に行きつく。




なかなか他にはない環境で面白かった



夕方からミサがあるけど、まだ少し時間があるので、私とマリアは村を散策。
スィナは遅れている日記を書くからと言ってアルベルゲに残る。

たまにスィナから離れて同世代の子とおしゃべりするのは楽しい。
マリアはスウェーデン人だけど、なぜか昔からノルウェーに興味があり、常にノルウェーのフィヨルドの画が頭に浮かんでいたという。
そこで大人になってからノルウェーで仕事を見つけて移り住んだとか。

彼女は英語もネイティブ並みにペラペラだし、スペイン語も過去にスペインに語学留学したらしいので流暢だし、母国語のスウェーデン語に加え、ノルウェー語もちょっとはできるらしいので本当に尊敬。
マリアのみならず、ヨーロッパの人は母国語プラス近隣国の言語プラス英語もできてうらやましい。

マリアに何故スィナと一緒に歩いているのか聞かれたので、「ま、成り行きで」と答えた。
私はカミーノを歩くにあたり、特に「絶対こうしたい!」というイメージを持たずにやってきた。
来るものは拒まず、去るものは追わず。
良いことも悪いことも全てそのまま経験として受け入れるつもりでいる。
スィナと出会ったことは、神様が私にきちんと毎日食事を摂るように仕向けてくれたからだと思う。
自分1人だと疲れているから夕食は適当に済ませたりしがちだけど、スィナといると毎晩必ずきっちりディナーを摂る。
もちろんそれだけの理由じゃなくて、神様はスィナとの出会いを通していろんなことを教えようとしてくれているけれど。


夕方、下の教会でミサに出席。
一緒に出席したキムと、カトリックのミサについて語り合う。
キムはカトリックじゃないので、カトリックのミサで参列者が神父の言葉に呼応してオートマチックな感じでセリフを発する形式に違和感があるという。
私もそう思う。
巡礼前にちょっとだけキリスト教について勉強したけど、カトリックは教会の装飾もゴテゴテで、儀式が多く、聖職者の階級も細かく分かれている。
簡素化されたプロテスタントの方が自分の考え方に合うかも、と思った。
でも私たぶんモルモン教会のミサにしか参列したことないと思うけど。
あっちはもっとシンプルだった。


さて、ミサが終わるとアルベルゲで夕食。
オスピタレロ達が作ってくれたアットホームな食事をみんなで頂く。




ここの名物?は、ワインの回し飲み。
これが結構難しくて、盛り上がる。









いや~、ほんとに盛り上がったなあ





そして宴もたけなわの頃、始まったよ、お歌タイムが…。
幸いスィナは別のテーブルにいたんだけど、マリアが「ねえ、あの歌うたってよ」と。
もうほんと、勘弁してほしいわ

今日はもう一人日本人がいることを思い出し、別のテーブルにいたノリコさんを呼び、一緒に歌ってもらう。
ノリコさん、「もしもしカメよってどんな歌詞でしたっけ?」と。
あれ?ひょっとして世代間の差が出てる?
彼女の世代ではあんまりこの歌は歌わなかったのか。
どうしても道連れにしたいので、わざわざノートに書いてあげ、2人で歌った。



食後、教会系のアルベルゲの常で、ちょっとした集いに参加。
教会の礼拝堂の上に当たる部分で、一人一人がキャンドルを持ち、讃美歌を歌ったり、それぞれの思いを語ったり。
お祈りの言葉が回ってきたので、今回も「日本語でいいですか?」と許可をもらい、「今日も怪我もなく無事にカミーノを歩けてありがとうございます」と言っておいた。
こういう時、カトリック信者でもクリスチャンでもないので困る。
ノリコさんは言葉が分からないので参加しなかった。


集いも終わって歯も磨き終わった頃、エマに「向かいのバルにみんなで飲みに行きましょうよ」と誘われた。
「あれ?門限は?」と聞くと、「このアルベルゲは門限がないから大丈夫」とのこと。

ふと見ると、エマがイチオシだったスペイン人の男の子がいた。
う~ん、写真と同じやね

スィナがイチオシのエミリオもいたけど、結局彼らとは話す機会がなかった。
バルに入った時は大人数だったけど、いつしか小グループに分かれ、私は気付けばスィナと一緒におじさんテーブルにいた。
しまった…

カミーノをすでに14回も歩いているというフィンランド人のおじさんは、作家をしているらしく、カミーノに関する本を出版予定だというので、スィナが熱心に名前などを聞いていた。(英語やオランダ語に翻訳されるのか?)
デンマーク人のピーターというおじさんは、あまり言葉の分からないノリコさんと結構一緒にいた人だ。

バルのテレビではワールドカップをやっていて、オランダがウルグアイに勝ったのでスィナが大喜びでワインをおかわり


そしてふと時計を見たスィナが「いけない!もう22:00!アルベルゲ閉まっちゃうわ!」と慌ててバルを出ようとするので、後ろから「違うよ~!ここのアルベルゲには門限ないから大丈夫だよ~!」と叫んでいるのに、全く聞く耳を持たず、すごい勢いでバルの階段を降りはじめた。

バルの外に出るとテラスにまだ大勢の巡礼者たちがたむろっているのを見て、「なぁ~んだ、まだ大丈夫なんだ。よかった」と安心していたけど、あたし何度も言ったよね

実はこれ以前にもスィナが「22:00までにアルベルゲに戻らなきゃ」と言うので、私が「門限ないから大丈夫なんだって」と教えてあげていた。
少なくとも3回は同じ会話したよね!
人の話を聞け!

このように、スィナは時々全く人の話を聞かない時があり、大いに苦労させられるのであった。

そろそろ四六時中あんたと一緒にいるのがしんどくなってきたよ…






本日の歩行距離:約22km
本日の歩数:40,757歩

カミーノにあしあと 10

2010年09月16日 | Weblog
【10日目】7/5(月) Navarette → Azofra
7:00スタート。
風が強く、涼しく歩ける。

La Riojaなのでブドウ畑が続き、景色がいい。
毎日スィナと2人で景色の良さを楽しみ、感謝しあって歩いている。


Ventosaを経由し、San Anton峠を越えてNájeraの町へ。
ここまで約17km。

お土産物屋さんでポストカードと切手を買う。
切手は10枚ぐらい買っておきたかったのに、「ごめん、5枚しかないわ」と言われたので仕方なく5枚だけ購入。

Nájeraはたいして良い町でもなさそうに見えたけど、川を渡ったら景色が一変して美しくなった。

ちょっとアリゾナのセドナを思わせるような風景。




この川を境に町の風景が変わる。





Nájeraを出るとしばらく緑が美しいカミーノが続く。



Nájeraから約6kmで本日の目的地、Azofraに14:50頃到着。
人口300人ほどの小さな村。

こんな小さな村なのに、公営のアルベルゲがえらく奇麗で設備が整っていた。






写真はピンボケしてしまったけど、2名1室で快適。
たまに2段ベッドから解放されると嬉しい




ここもキッチンやダイニング、パソコンあり。




中庭も快適。





テラスで飲み物を飲んでいると、例のハンガリー人のアンドレアがまた誰か巡礼者を相手に、ポイントの良く分からない話を延々としていた
スィナはスィナで相変わらず誰か捕まえてしゃべりまくっている



夕方、近くのバルで9ユーロの巡礼者メニュー。
スィナがいつも外で食べたがるので、無理やり通りに面したテーブルにディナーを運んでもらう。
トラクターとか良く通ってテラスでの食事には適さない環境だったけど。。。


Primeroにパスタ、Segundoにイカフリッターを頼んだら、Primeroを食べ終わらないうちにSegundoも出されてしまった。




しかし揚げ物とかばっかり…
かろうじてスィナはPrimeroにミックスサラダを注文して野菜を摂取。





途中でスペイン人のエマとスウェーデン人のマリアもやってきて参加。
彼女らは同世代なので嬉しい。
エマは「英語はあまりできない」と言いつつ、私のスペイン語なんかよりよっぽど上手に英語を話すし、マリアはスペイン語ペラペラ。


食後、アルベルゲの中庭で4人でしゃべっていると、なぜか母親世代のスィナがリードしてガールズトーク炸裂。
なんでやねん…




エマは最近彼氏と別れたばかりなので、しばらくは誰とも付き合いたくないそうだ。
マリアはフリーなので、いい人がいればいつでも。

するとエマが突然私に「あなたにピッタリの人がいるのよ」と言いだした。
は?初対面ですけど私たち

カミーノで出会ったスペイン人の男の子がとても性格が良かったのでお勧めとか。
ルックスも良いというので、デジカメで写真を見せてもらったところ、私もスィナもマリアも「…。」

「ま、写真じゃよく分からないしね」とフォローしてみたり。


そこでスィナが「まずは彼に金髪が好きか、黒髪が好きか確認しましょうよ!」と。
そうだね、それ大事だね。

エマが「じゃあ彼に見せるからあんたたち2人の写真撮るわ」とカメラを構える。

するとマリアが私の眉をすっとなでて、「あなたはいいわよね、ノーメイクでもちゃんと眉毛見えるから。私なんか何にも見えないのよ」と。

確かに。
マリアは髪も眉毛もまつ毛もド金髪。
ちょっと離れると眉毛とまつ毛はもはや見えない。


アルベルゲの前では近所の子供がブロックに色を塗ってSantiagoだったかCaminoだったか文字を書いたものを1個0.5ユーロで売っていてとてもかわいかった。




中庭にいた巡礼者男性たちに買ってもらおうとアピールしたけど断られてしょんぼり帰ってきたので、我ら女子で英語のセールストークを彼女らに仕込んでもう一度行かせた。
しつこくねばって、どうやら今度は成功したようだ。

他の巡礼者には買わせておいて、私たちは「ああ、このブロックは重すぎるわ!」とか言って買わなかったけど
でもスィナだけは1個買ってあげていた。
さすが年長さん。

私たちは買わなかったけど、「ブロックに “Buen Camino”とか書いた方がいいよ」とアドバイスはしておいた。
今後たくさん売れますように





本日の歩行距離:約23km
本日の歩数:38,104歩

カミーノにあしあと 9

2010年09月14日 | Weblog
【9日目】7/4(日) Viana → Navarette
7:15、Vianaを出発。
今朝は曇りで涼しいスタート。
でも歩きだすとすぐに疲れが来た


Vianaでバスク地方は終わり。
心地よい森を抜ける
森に入るといつも無数の蝶々が飛んでいて、幻想的でさえある。


5kmほど歩いたところでLa Rioja州に突入。





Logroñoに入る一歩手前のところに、有名な場所がある。
以前、一人の女性がずっと巡礼者へのお接待をしてくれていた小さな家。
その女性が亡くなった後は娘さんが同じように巡礼者へのお接待をしているという。

これがその家。




中にクッキーやコーヒーなどが置かれていて、巡礼者は心ばかりの寄付をする。
クレデンシャルにスタンプも押してもらえる。


家の前にいた犬。



余談だがスペインには受け口で結構顔が不細工な犬が多いことに気付いた。
この犬も若干受け口。顔はかわいいけどね。


スタンプをもらった後、Logroñoまでスィグビョーン&マリア夫妻と一緒に歩く。
ちなみに本日、スィグビョーンはマメか靴ずれで靴を履けないらしく、なんとクロックスのサンダルで歩いていた


ピレネーを越えた後はほとんどの巡礼者がひどい筋肉痛のため、腰を曲げてヨタヨタ歩いており、スィナ曰く「このアルベルゲ、老人ホームみたいね」というぐらいみんなが「アイタタタ…」という感じだった。
しばらくして筋肉痛が収まり、みんなが直立歩行できるようになっても、足のマメを患う人は後を絶たず、色々ひどい話を耳にした

今日はスィグビョーンがマメ患者。
この先ずっとクロックスと言うわけにもいかず、どうするんだろ?
2人はLogroñoで2泊ほどする予定だと言うので、その間に回復してもらいたい。


Logroñoに到着。
まずはSantiago教会に入る。




ここに滞在するスィグビョーン&マリアと別れ、私とスィナはさらに先へ進むため、まずは腹ごしらえ。
人口14万人以上のLogroñoはたくさんバルもあり、都会。

いつものお決まりとなりつつある、オレンジジュースとボカディーヨを。
(生ハム、思いっきりはみ出てますけど…





メキシコ人のダニエルが通りがかったので、コーヒーに招く。
ダニエルはあまりお金を持たずに巡礼しており、各地でオスピタレロとして働く予定だと言う。
スペイン語しか話せないのであまり込み入った話はできないけど、スィナの方が私よりスペイン語が分かるので、色々聞き出していた。
ちなみにダニエルのリュックはめちゃくちゃ重かった。


さあ、腹ごしらえが終わったので先へ進みましょう。




大きな町はいつもそうだけど、カミーノのサインが分かりにくい。
地元の人たちに聞きながら、なんとか町を脱出。
(こちらから尋ねなくても結構向こうから「そっちじゃなくて、あっちだよ」と教えてくれる。)



Logroñoを出るとしばらくは整備された公園の遊歩道を進む。
地元の人たちがジョギングやサイクリングをしている。
平坦な道だけど、延々と続くのでかなり精神的にも負担となる。

Logroño 6kmほど進んだところで、大きな貯水池がある場所へ到着。
スタートは涼しかったけど、やはり午後からは暑いので、休憩したい
ピクニックテーブルがあちこちに置かれているが、ここはなんとしてもバルで冷たい飲み物を


貯水池のそばにバルを発見し、イカのフリッターとコークでエネルギーチャージ。




スィナは昔若いころにイカフリッターを食べた時、「まずい」と思ったのでそれ以来口にしていなかったそうだけど、ここで再び食べてみて「おいしい!」と感激していた。

ここでもウェイターにチップを渡すべきか否かスィナと協議し、一応ちょびっとだけ渡してみたらえらく驚かれた。
そうか、、、どうやらスペインではチップはいらないみたいだな…。
今日こそ誰かに聞いてみよう。


バルを出るとポーランド人御一行様に遭遇。
ほんと、よく会うわ~。
休んでいくのかと聞くと、もうさっき休んだばかりだからこのまま続行するそう。



その後はしばらく上り
ワインの産地なので、ワイン畑の間を進んでいく。

San Juan de Acreという12世紀の救護院跡を過ぎると、15:20頃ようやくNavaretteに到着。
ここは人口2,000人ぐらいの小さな町。(村?)

ずっと上り坂でヘロヘロになっていたので、最初に出てきた公営アルベルゲに飛び込む。
5ユーロ、食事なし。


チェックイン手続きを済ませて部屋に入ると、スィナが自分のベッドを見て驚きおののいた。

スィナの真隣のベッドですやすやと寝ていたのは、スィナが散々「顔が変で嫌い」とか言ってたイタリア人のおじさんだった。
しかもベッド同士はぴったりとくっついており、おじさんはこちらを向いてお休み中だった。

スィナ、絶句。
私、静かに爆笑。

ほらあ、人の悪口言ってるからそんな目に遭うんだよ~。
バチが当たったんだね、きっと。

私のベッドは壁際。
スィナはあきらめきれないらしく、「チェックイン手続きの順番が逆だったら、私がそっちのベッドだったのに…」と。
へへへ。代わってあげないもんね~(←巡礼者なのに相変わらずイジワル)

ようやく決心がついたスィナがベッドに荷物を置き、そしておもむろに「マットレスが汚いから嫌。裏返したい」と言いだした。
「隣でおじさん眠ってるから、今は無理だよ」という私の言葉も聞かず、マットレスを持ちあげて裏返そうとするスィナ。
おいおい、隣のおじさんにマットレスが直撃したらどうするんだよ。
ホコリもたつし、横でバタバタしたら起こしてしまうよ。

しかしスィナはそんなことはお構いなし。
すごい勝手だ…

見かねた私の上のベッドのおじさんが手伝ってくれた。
そしてついでにスィナのベッドを引っ張って、イタリア人のおじさんのベッドとの間を開けてくれた。
ナイスガイ

マットレスも裏返せたし、イタリア人とも少し距離ができて満足なスィナ。
はぁ~、もう知らんわ。


ここのアルベルゲのシャワーは狭く、あまり奇麗ではなかった。
洗濯物も窓の外にしか干せないし、洗い場も特にないからトイレのシンクとか使わないといけないし、イマイチなアルベルゲだったな。


シャワーと洗濯を終え、スィナと一緒にすぐ隣のバルでコーラ休憩。
(一体1日に何杯コーラ飲むんだ?!)

日記を書いていると、これまで何度か会っているフランス人のおじさんがやってきて話をする。
彼はパリ出身で、教会の彫刻だか設計だかをしているそうだ。
スペインのカトリック教会はキンキラキンで派手だけど、フランスではもっとステンドグラスから光を取り入れる手法にしているとか。
以上、オールフランス語だったので話の大枠しかつかめてない。

スペインに入ってから、頭のスイッチがフランス語に切り替わらない
何か聞かれても “Oui”の一言が出てこず、自動的に”Si”とスペイン語で返事をしている自分がいる。
私よりももっとフランス語ができるスィナでさえも同じ悩みを抱えていた。


その後いつものパターンとして、夕食場所を探しがてら町を散策。
小さな町なのであまり夕食場所のオプションはない。
そして日曜日なので食料品店もほとんど閉まっている。
かろうじて開いていた1軒でフルーツとポストカードを買う。


町に1軒だけと思われるホテルで聞いてみると、巡礼者用ディナーは裏手のレストランで19:30からとのこと。


ホテルの横にある自販機コーナーで、巡礼者の顔ハメを発見
A先生、第2弾ですよ~(第3弾もあります)





ディナーまでまだ1時間ぐらい時間があるけど、もう他に見る場所もないし、仕方なくさっき休憩したバルの前にある広場のベンチで休憩。
他の巡礼者も暇を持て余しているらしく、バルで飲み物を注文して時間をつぶしている様子。

ようやく19:30になってレストランへ行ってみると、「ディナーは20:00から」と言われた。
「え~!ホテルのフロントで19:30って言われたよ!」とゴネてみたが、らちあかず。
スペインのこういうとこ嫌いなんだよねえ…
(その後、スペイン人の適当さには何度も泣かされる。)


お腹も空いてるし、不機嫌に2人で食事場所を探していると、またまたポーランドチームにばったり。
彼女らは私営のアルベルゲに泊まっていて、結構奇麗だそうだ。
おや、1人新顔が。

カナダ人のエレナ、どうやらポーランド語が話せるらしく、アナマリア、マルゲリータ、マリア、クリスティーナのポーリッシュグループに入っていた。
エレナは大柄で、性格もさばさばしてて結構すき


みんなで「ディナーが20:00からなんだけど、どうする~?そこまで待てないよね~」と言いつつ町内をウロウロしてみるが、どこも同じ状況。
その間、マリアとクリスティーナが林家ペー&パー子夫妻よろしく、写真を撮りまくっている
とあるバルではクマの剥製の前でマリアが「ガオー!」とポーズを取り、クリスティーナがその姿をパチリ、みたいな。
二人ともご高齢なので、周りも注意できないし


お腹を空かせたままぞろぞろと元いたバルまで戻り、バルのおやじに交渉してちょっとだけでも早くディナーを出してもらうことに。
そばにいたスウェーデンのマリアも誘って、赤ワインを飲みつつディナーテーブルの準備が整うのを待つ。
そしてメキシコのダニエルはみんなでディナーに招待することに。


ここのバル、ご主人もなかなか気さくでよかったけど、奥さんが超おもしろかった。
外国人の団体さんの扱いには慣れてるらしく、みんなが口々にワイワイガヤガヤ言ってるところをしっかり仕切ってオーダーを取っていく手腕が見事。
デザートの説明をするときは、「このデザートは『ベエェ、ベエェ』(←ヤギの鳴き声)のミルクでできてる」などと、擬音語付きで解説してくれて一同大ウケ


Primeroに選んだサラダ。
カブみたいなのがマヨネーズ系ドレッシングで和えてあって、おいしかった。




Segundoのポークシチュー。
こちらもグー





みんなでワイワイ楽しく、ワインもたっぷり












酔いが回ってきたのか、ポーランドチームがポーランド民謡を歌いだし、場は大いに盛り上がった。
そのうち「みんなそれぞれの国の歌を歌おうよ」という流れになり、そこですかさずスィナが「ねえ、ユウコ、あの歌うたってよ」と。

…。
「あの歌」って「もしもしカメよ」のことよね…

渋っていると、Pamplonaで同じくその場にいたスウェーデンのマリアも「ああ、あの歌よね。私も聞きたい!」と乗ってきた。

おいおい…。
散々渋ったけど、散々「あの美しいメロディが聞きたい」とおねだりされ、仕方なく歌う。
そんな美しい内容の歌じゃないんですけどね、これ


そうこうしているうちに22:00に。
アナマリアに「あなたたちのアルベルゲは門限22:00でしょ」と言われ、マリア、スィナ、私の3人は慌てて戻る。
清算してる時間がなかったので、アナマリアが立て替えてくれた。
「じゃ、明日また会った時に支払うから~!おやすみ~!」






本日の歩行距離:約23km
本日の歩数:37,015歩

カミーノにあしあと 8

2010年09月11日 | Weblog
【8日目】7/3(土) Los Arcos → Viana
朝、洗濯物を取りに行くと、昨夜寝袋にくるまって中庭で寝た人がいたので、「寝心地はどうでした?」と尋ねると、「素晴らしかった」とのこと。
大勢が詰め込まれた部屋で寝るより、外の方が解放感があってよさそうだけど、昼間は猛暑でも朝晩冷え込むのでちょっとそれは遠慮したい。


アルベルゲで朝ごはんを食べ、遅めの8:15にLos Arcosを出発。
今日の出だしは涼しい。

歩きだして2時間もたたないうちにSansolという小さな村へ到着。
地図には載っていなかったけどバルがあったので、サンドイッチ、ジュース、コーヒーで休憩。
巡礼を始めた最初の頃は、とにかくお腹がすき、とにかく良く食べた。
それでも歩き始めて1週間以内にすでにズボンのウエスト部分がゆるくなってきているのに気づいたので、歩行によるカロリー消費量が大きいことがうかがえる。
巡礼後半になるとだんだん体のほうも適応してくるので、あまり食べなくても歩けるようになってきた。


今日も度々グナーやジェイコブと会った。
グナーはとにかくデカイ





なんでも知りたがるスィナがグナー本人から聞き出した話では、彼は両親が離婚してちょっと複雑な心境にあるらしい。
自分の力でどれだけ旅ができるか試す意味合いもあって、カミーノを歩いているという。

ジェイコブは兵役を終えたばかりで、この先どうするか考えるためにカミーノを歩いている。
みんなカミーノを歩く理由は人それぞれである。

スィナ自身は、忙しい毎日から一旦距離を置くために。
2年前に長男がスペイン人女性と結婚した際に、結婚式がカミーノ上にある教会で行われた。
その時たまたま巡礼者を目にし、「自分もやってみたい」と思ったそうだ。
旦那さんはそういうのに全く興味がない人なので、スィナの計画を本気にしてなかったし、最後まで認めたくない感じだったそうだ。


巡礼の動機は行く先々で必ず聞かれる。
私は「歩くことが好きだし、教会とか歴史的建造物にも興味あるし、スペインの文化やキリスト教にも興味あるから」と答えるようにしていたが、実際のところは「導かれたから」としか言いようがない。
理屈は抜きにして、歩きたいと思ったので。



これからだんだんメセタと呼ばれる高原地帯へと入っていくため、日に日に緑が少なくなる。
周りは麦畑で、木陰となる木は少ない。


Sansolを過ぎると間もなくTorres del Rioという村。
カミーノを歩いているとしばしばこのようなサインが現れる。




左に行くとバル、右に進むとカミーノ続行。
通常なら迷わず左折だけど、さっきSansolで休んだばかりなので今回は右へ。



今日はLogroñoまで行ってしまうと歩行距離が27.8kmになってしまいちょっとしんどいので、手前のVianaで止めることにした。
アルベルゲがある場所によって毎日の歩行距離が左右される。
歩き始めて8日目で、体が慣れてきているとはいえ、やはり疲れもたまってきているので、今日はこのくらいでいいと思う。


VianaはLos Arcosに比べるとずっと大きな町で、きれいだった。
とはいえ、人口は3,500人ぐらい。

ここも町全体が歴史を感じさせる。







今日泊まったアルベルゲも、隣に教会の残骸があり、石造りの雰囲気がある古い建物。
朝食なしで6ユーロ。






ベネズエラのホセ&ベティ夫婦、スウェーデンのマリア、デンマークのスィグビョーン&マリア夫妻、ポーランド女性グループなど、顔見知りがたくさん。

私が洗濯をしていると、ホセが「あ、ちょっと待って。僕の服も持ってくるから!」などと冗談を言ってくる。
ホセはスペイン語しか話せないので、身振り手振りを交えて冗談を言ってくれる。


このアルベルゲで初めて、2段ベッドならぬ3段ベッドに遭遇!
一番上の段って嫌やな…。
幸いアルベルゲは満床じゃなかったので、2段目までで大丈夫だった。


アルベルゲ裏手の洗濯干し場。




玄関脇の掲示板。





ここも奇麗なキッチンとダイニングがあり、冷蔵庫の上の段は誰でも使っていい食材置き場、下の段は個々人の食材置き場になっていた。
1泊しかしないので食材も余るから、みんなでシェアしたり、次に来た人に残してあげるのはいいアイデアだと思う。







この日もしんどかったので、途中休憩でコーラを飲んでいるにもかかわらず、またアルベルゲの自動販売機でペプシを買ってしまった…




夕食の時間まで、アルベルゲの裏で景色を眺めたり、日記を書いたり。
おしゃべり好きのスィナがまた通りがかりのスコットランド人のおじさんに声をかけ、長々と話が始まる。
そしてスィナはおしゃべりに興じ過ぎて、日記も書けず、ポストカードも書けないのが常となる。



ディナーの場所を探して町を散策。
ポーランド人グループもウロウロしている。
いくつかバルをチェックしたけど、巡礼者メニューがあって早めに出してくれるところに決定。
20:00までは待てない。


本日のディナーは9ユーロ。
Primero Platoにはパエリアを選択。




Segundoはチキン。
やっぱり付け合わせはポテトフライ。




そしてデザートにはスイカを選んだんだけど、豪快にナイフとフォークがぐさりと刺さって出てきた。
しかもスイカはお皿からはみ出ている




途中からポーランド人チームも同じ店に入ってきて、隣のテーブルへ。
他にも巡礼者が続々入ってきた。


最初店内に入った時、地元のオヤジたちが集まってワイワイ何かゲームをやっていた。
かなりやかましい。
が、若くて奇麗な女の子2人がバルに入ってきた途端、オヤジたちがピタリと会話をやめ、一瞬店内がシーンとなったのが面白かった
数秒後にはまたワイワイガヤガヤだったけど。



ディナーの後で教会でミサに出席。
だけど食後にミサに出席するべきではない。
もう、眠くて眠くて…。







スィナがディナーの後には必ずコーヒーを飲まないと気が済まないタイプなので、アルベルゲへ戻る前に近くのバルへ。
ワールドカップの観戦で盛り上がっていた。
スペイン対パラグアイ。






本日の歩行距離:約19km
本日の歩数:34,353歩

カミーノにあしあと 7

2010年09月10日 | Weblog
【7日目】7/2(金) Estella → Los Arcos
7:00 出発。
今日は曇りがちで昨日より涼しい。

本日の注目は、Estellaを出発して1時間弱で到着するIracheという場所。
ここにはFuente del Vino、ワインの泉がある。




右の蛇口からは水、左の蛇口からは赤ワインが出てくる。
このためだけにわざわざ持参したカップでワインを頂く。




朝なのでほどほどにね




ペットボトルやカップを持っていないからとあきらめて素通りする人もいたが、大抵の人はこの泉の存在を事前に知っていて楽しみにしているので、準備万端。
次々とワインの泉を訪れる。
水筒にたんまりとワインを汲んでいくサイクリストの姿もあった。







本日はなかなか朝食にありつけず、10:30頃ようやくバルでオムレツ、ジュース、コーヒーを。
オレンジジュースは毎日飲むようにしている。
瓶入りのものが出される時もあれば、その場でフレッシュオレンジを絞って出してくれるところもある。
“Zumo de naranja, por favor.”と注文すると、”Natural?”と聞かれることがあるので、すかさず「ナチュラルで!」と言うと生搾りにありつける。

ここで30分以上ゆっくりと休憩し、そろそろ出発しようかと準備していると、見覚えのある女性がバルに入ってきて挨拶した。
誰だっけ?

すると相手が「Bayonneで会ったわよね?」と。
ああ!そうでした!
Bayonneのバス停でリエさんに一生懸命話しかけていたアメリカ人ですね。
すごい、よく私の顔見て判別つきましたね

再会を喜び、今後の健闘を祈り合い、別れる。



今日もまた、ワイン畑を通り抜けていく。





朝は涼しかったけど、だんだん気温が上がり過酷になってくる
木陰はめったにないので、たまに見つけたら他の巡礼者が休んでいて、お互い譲り合ったりする。



途中休憩のバルで、昨夜夕食を一緒にしたポーランド人グループと会う。
が、なぜだかマリアの様子がおかしい。
アナマリアによると、義理の姉妹が亡くなったとの知らせが入ったとのこと。
すぐに帰国しなくていいのだろうか?
カミーノを歩いていると、色々なことがある。
周りの人間にはどうすることもできず、そっと見守る。



今日も陽気なイタリア人グループと出くわす。
彼らがさくらんぼの木を見つけてくれたので、熟した実を見つけては食べる。
いい実はすでに鳥に食べられていたりするため、ある意味鳥と人間との競争でもある。
鳥が見落とした奥の方の熟した実を探す。
甘くて、水分があって、とてもおいしい


巡礼者の中にはとても若い人たちもいる。
ドイツ人のグナーは18歳。
今日出会ったイタリア人のジェイコブは19歳。

ジェイコブは痛々しいほど肩を日焼けしており、さらに足も負傷している。
びっこを引きながら杖にすがるようにして一歩一歩進んでいる。
そんな状態にも関わらず、7月25日の聖ヤコブの日にSantiagoに到着したいからと、毎日かなりの距離を歩いているそうだ。
ジェイコブに「次の町まであとどのくらい?」と聞かれ、「あとまだ10km以上は…」と答えるのがつらかった。



午後になり、今日の目的地のLos Arcosに近くなったところでスィナ、グナー、私の3人で草むらに座って休憩していたところ、空の雲行きが怪しくなってきた。
ほどなく雷が鳴り出し、雨が。

Los Arcosまであともうちょっとなのに~、と思いつつ急いで雨具を着る。
グナーはなかなか雨具が見つけられない様子だったので、「ドイツ人は全員整理整頓ができると思っていたよ」とツッコミを入れてあげる。

風も出てきて、歩きにくい中、一刻も早くLos Arcosへ到着したくて先を急ぐ。


グナーと話していると、ふとしたことから、彼はスペインでキャッシュカードがなぜか使えなかったため、現金が引き出せず金欠で困っていることが判明。
そういえばPuente la ReinaでATMを使っている姿を目撃したけど、実はあの時お金が引き出せなかったのね。
両親に連絡して急きょ銀行経由で送金してもらうことにしたそうだけど、数日かかる模様。

身長2メートル以上の巨体で、しかも18歳と若い食べ盛りなのに、金欠のためほとんど食事を取っていないと!
あんた早くそれを言いなさいよ

あわててスィナと私の手持ちのスナックをあげる。
よくこの猛暑の中、水とわずかな食事だけで歩いてこれたもんだ。



雨が小降りになった15:30頃、Los Arcosへ到着。
最初に出てきた私営のアルベルゲへ。
オーストリア人運営で、なぜか日本語もちらほら見られることから、結構日本人巡礼者が泊るのかな?





宿泊代金8ユーロ。プラス、朝食3ユーロ。
チェックイン手続きをしていると、アナマリアとマリアもやってきた。
マリアは途中で転んだらしく、腕や膝を摺りむいていた。
ショックなことがあったばかりなのに、かわいそう。


このアルベルゲにはパソコンがあり、充電用コンセントもたくさんあったので、携帯電話の充電をしながらメール。
書棚には巡礼者が置いて行ったであろう日本語の本もちらほらあったけど、大したものはなかった。

中庭の屋根の下に洗濯物を干す。
昔ながらの手動の洗濯物絞り機(2本のローラーで洗濯物を挟み、ハンドルを回して絞る)で洗濯物を絞って少しでも乾かしやすくする。

寝室には2段ベッドが6~7台あり、小学生ぐらいの子どもを連れた巡礼者も。
あとでジェイコブもやってきたし、昨日は見失っていたドイツ人女子2人もやってきたので、意外と顔見知りの多い宿となった。

アルベルゲ内の注意書きは、スペイン語、フランス語、ドイツ語、そしてなぜか日本語もあり、その日本語が語順めちゃくちゃ…。
翻訳ソフトとかで翻訳しちゃったのかなあ。
「閉してください。ドアを」みたいな感じ。
意味は分かるんだけど。。。

雨で手持ちの服が濡れ、スィナが「今日は裸で寝ようかしら」と言いだしたので、「あんたの隣には18歳の前途ある若者(=グナー)が寝るんだから、ちゃんとしなさいよ」と説教しておいた。

余談だけど、ドイツ人の女の子が顔を洗ったあと自分が着ているTシャツで顔を拭いていた。
他にもそのような西洋人の行為を何度か目撃。
タオルとか使う気ないんや…

スィナはスィナで、歯磨きの後うがいをするとき、両手で水を受けるとかいうことをしないで、直接口を蛇口へ持っていく。
それ、結構やりにくいと思うし、シンクが小さい時や汚い時だってあるし、顔をそっちへ持っていかなくても両手で水を受ければいいのに…と何度思ったことか



さて、買い物と食事を兼ねて町を散策。
小さな町にしてはえらく立派な教会があった。




誰かに聞いた話では、この町は昔2つの国の境にありどちらからも徴税を免れていたため、お金があったとか。
内装もかなりゴージャスだった


が、中に入ってみると、何やらいつもと様子が違う。
あ、お葬式だわ

あわてて教会から外へ出た。



近くのお店でオレンジとドライフルーツを購入し、夕食へ。
今日は小さなホテルで11.5ユーロの巡礼者メニュー。

Primero Platoにスープ、Segundo Platoに焼いたサーモン、Postre(デザート)にArroz con leche (お米のプリン)。

スープは1人前なのにこんなに大きな壺に入って出てくる。
もちろん満タンではないけれど。




スィナ曰く、Arroz con lecheは田舎くさいデザートらしい。
オランダでは昔良くみかけたけど、最近はすっかり影を潜めているそうだけど、スペインでは健在。
甘いミルクとシナモンの香りがしておいしかったけど、これを食べたのは1回きり。




スィナが注文したアイスは、珍しくちゃんとお皿に盛られていた。
一応ホテルだからか?




明日はNavarra州を出て、Rioja州に突入予定。




本日の歩行距離:約22km
本日の歩数:35,784歩

カミーノにあしあと 6

2010年09月06日 | Weblog
【6日目】7/1(木) Óbanos → Estella
7:30、スコットランド人、ドイツ人の女の子たちと「次の町、Puente la Reinaでの朝食で集合ね」と声をかけあい、各々出発。

いつも朝出発したばかりの頃は涼しく、空気も澄んでいて、すがすがしい気持ちで歩ける。
でも日が昇るとすぐに暑くなるのだけれど。


Óbanosから3kmほど歩けばPuente la Reinaの入口に到着。
暑いし、お腹も空いているので最初に出てきたバルに入ると、ドイツ人の二人が先に朝食をとっていた。
スコットランド人はいないようだ。

朝食はたったの5ユーロで、オレンジジュース、コーヒー、クロワッサンにフルーツまでついてきて満足





Puente la Reinaは「王妃の橋」と呼ばれる美しい橋で有名な町。
ここでポストカードを購入。
スィナは口の乾きを癒すためのチューイングガムも購入。
この時、スペイン語でチューイングガムは “chiclet”だと覚える。

途中で黄色い矢印が見つからなくなり町を抜けるルートが分からず、地元の人に聞いたり他の巡礼者に聞いたりしてようやく町を抜けるゲートを発見。




これがアルガ川に架かる「王妃の橋」。





ここから先、Cirauquiを通ってEstellaまでは、周りにブドウ畑やオリーブ畑が広がる未舗装の道を歩く。
木陰がなくて非常に暑い


遠くに見えるのがCirauquiの町。
丘の上に建つ中世の街並み。




こんな不思議な石が立つ風景も。古代遺跡か?




だんだんCirauquiに近づいてきた。





Cirauquiを過ぎるとさらに2,000年前のローマ人の道や橋が現れ、歴史を感じながら歩くことができる。









そして時々自分が歩いてきた道のりを振り返ってみる。





暑さと空腹でへろへろになった頃、Lorcaに到着。
Fuente(水飲み場)にて水筒を満たし、帽子や手ぬぐいも濡らす。
冷たくて気持ちいい!




水飲み場の近くに何か巨大な生き物が横たわってる
近づいてみると、なんと、ラクダ…?




一瞬死んでいるのかと思ったけれど、どうやら昼寝中らしい。
近くにサーカスのトラックが停まっており、サーカスに所属するラクダと見た。



ここで再度ドイツ人女子2人と合流し、一緒にランチすることにした。
思いっきり喉が渇いているので、全員迷わずコカ・コーラを注文
もう巡礼生活にコークはなくてはならない存在となっている。

ドイツ人女子はピザ、スィナはパスタ、私はラザニアを注文し、堪能。
はぁ~、どんなに疲れていても、飲み物と食べ物で復活できる


お腹も心も満たされて、再出発。
また地獄のような暑い暑い道のりが待っている。
ドイツ人女子とは抜きつ抜かれつ。
彼女らは初日に長距離を歩いてしまったためにマメや靴ずれでつらそうだ。



Lorcaから5kmほど先、Villatuertaでもう一度バル休憩。
私はバルを発見するのがとてもうまく、スィナが気づいてないのに、「あ!あそこにバルがある!寄ってこ!」と提案することができる。

ここのバルはスイミングプールが併設されていた。
バルの窓から気持ちよさそうに泳いでいる人たちが見える。
水泳客もひっきりなしにバルを利用するので、結構儲かってると見た。

バルの中を通ってプールへ行くため、チケットのもぎりでバルの中に行列ができたりする。
家族連れに加え、高校生ぐらいのカップルとかも来ていて、男の子が舞い上がっているのとは対照的に女の子が妙に不機嫌ですねていたりするのを見るのが楽しい。

ドイツ人の女の子たち、このバル発見できたかな?
外は本当に猛暑だから、冷たいもの飲んで休憩が必須。
しばらくスィナと待ってみたけど結局現れなかった。


バルでゲータレードが売られているのを発見。
脱水症状防止のために買おうっと。
もはや水では乾きが抑えられないぐらい大量の汗をかいている

スィナはゲータレードの存在自体を知らなかった。
「スポーツドリンクで、体への吸収が早いんだよ」と説明すると、「じゃあ私も買うわ。トイレ行った帰りに買ってくる」と言って席を立ったくせに、なぜか手ぶらで帰ってきた。

そして、「ねえ、私ああいうの買ったことないから、あんた買ってきて」と。
…え?
別に冷蔵庫から出してカウンターに持ってってお金払うだけなのに?
何をそんなに恥ずかしがる必要があろうか。

スィナがわけのわからない恥じらいを見せるので、仕方なく私が買いに行った。


Estellaまではあとたったの3.5kmほどなのに、この道のりがつらかった
とにかく暑さがこたえる。
水分を摂っても摂ってもどんどん体から出ていく感じ。


Estellaに着いてからもアルベルゲにたどり着くまでの距離が長く、疲れる。
いくつかアルベルゲはあるみたいだけど、もう疲れてるので一番近いところでいい。
一刻も早くアルベルゲに落ち着きたいのに、スィナが教会系のアルベルゲに泊まりたいと言ったり、のん気に教会を覗いたりしてるのでイラっと来る。

ものすごく古そうな聖墳墓教会とか出てきて、趣があるにはあるんだけど、疲れているともうそういうの、いい…

結局一番身近に現れたアルベルゲに落ち着いた。ホッ。
すでに時間は18:30。
スコットランド人たちと再会。
彼女らはかなり早い時間に到着していたらしい。
ここのアルベルゲは朝食込みで6ユーロ。




疲れているのに部屋は3階。
へとへとになりながら階段を上がっていると、先に到着していたポーランド人のアナマリアに遭遇。
アナマリアが「あなたにメッセージを預かってるのよ!」と。
何だろ?誰だろ?

「えーっとちょっと待ってね。名前覚えられないから…」とアナマリアが紙切れを取り出し、メモ書きを確認。
「ミキョンから、あなたを探してるっていうメッセージ」

おおっミキョン
途中で休憩している彼女を追い越したけどその後見かけていない。
Roncesvallesから彼女と一緒に歩いていたはずの他の韓国人たちも、山の中で会った時に「ミキョン見かけなかった?」って聞いてきたな。
今どこにいるんだろう。
アナマリアが会ったということは、そう離れてはいないはず。
また会えるかな~?


アナマリアにお礼を言い、指定された部屋に入ると2段ベッドが10数台ぎっしりと並んでいる。
う~ん、しかもRoncesvalles同様にハシゴの無いタイプ
到着が遅かったこともあり、上の段しか空いてない。
そしてこの人数にしてシャワーもトイレも2つずつ。
ちっちゃなバルコニーに洗濯物やら靴やら干してあったので、そこしかないのかと心配したけど、他の人に聞いてみたら1階に洗濯場があり、物干しもあるそうだ。

階段を上がったり下りたりするのが大変なので、なるべく往復しなくていいように手順を考える。


アルベルゲの1階にはなかなか奇麗なキッチンとダイニングがある。
1階にはパソコンも2台あったけど、常に誰かが使っていたので使用は断念。







中庭は一瞬くつろげる空間かと思ったけど、




この意味不明でキッチュなイラストがちょっと気に障るのは私だけですか?





洗濯を終え、今日はもうすでにコーラを飲んだにもかかわらず、自動販売機でまた炭酸飲料を買ってしまった。
普段日本で炭酸とか全然飲まないのに。

日本では見たことのないKASというソフトドリンクのレモン味を購入。
普通にキリンレモンみたいな感じ。
(でも、「カス」っていうネーミングが、ねえ?)



夕食にはポーランド人の女性らと連れだって町の中心部へ出かけて行った。

Estellaは人口13,000人ぐらいの比較的大きな町なので、レストランもたくさんある。
写真に撮ってないけど、Estellaには角度がすごく急な橋があり、それを渡ってレストランエリアへと入る。

ポーランド出身だけど現在はスウェーデンに住んでいるアナマリア、アナマリアの友達で初日に私にミューズリーバーをくれたマルゲリータ、マリア、そしてクリスティーナ。
アナマリアとマルゲリータは一緒に来たらしいけど、マリアとクリスティーナはそれぞれ単独で来てカミーノで出会ったそうだ。
てっきり4人グループなのかと思っていた。

私とスィナの組み合わせもすでに巡礼者の間で認識されているらしく、たまに一人で歩いていると「あれ?オランダ人はどうしたの?」と聞かれたりする。


クリスティーナは67歳ということだけど、失礼ながらもっとお婆さんに見える。
英語は全く話せないけど、聞いたら理解できる、らしい。
一番しっかりしてるアナマリアがクリスティーナとマリアの面倒を見ているような形でちょっと気の毒ではあるが、同じ国のよしみでほっとけないのだろう。




向こうのテーブルにはデンマークのマリアとスィグビョーン、スウェーデンのマリア、カナダ人夫婦がいる。
(お気づきかと思いますが、「マリア」という名前が異常に多いです…。)




デンマークのマリアは足がかぶれているので医者に行ったら「長ズボンをはけ」と言われたそうで、Estellaで白いゆったりした薄い綿素材のパンツを買っていた。
とても似合っていて素敵だった。


ポーランド人と楽しいひと時を過ごし、アルベルゲに戻ると部屋が暑い…
いつもは朝夕かなり涼しいので、今日はシャワーの後長袖に着替えてみたのだけれど、こんな日に限って暑い…。
窓は全開なのに全然風が入ってこない。
他の人たちは男性も女性も下着姿で寝ている人が多い。
私も脱げばよかったけど、なんだかそれも面倒くさくて結局そのまま我慢して寝る。

この夜、あまりの蒸し暑さにほとんど眠れず。
ずっと扇子であおいだり、水を飲んだり、ベッドの柵に足をくっつけて冷やしたりする。
今までのアルベルゲで最悪かもしれない、ここ。

スィナが2段ベッドの上からうっかり水のボトルを落としていた。
下の人に当たりでもしたら殺されるよ…

柵の無い2段ベッドで寝るときは、自分自身も落ちないように気を使うが、所持品を下に落とさないようにもっと気を使う。


この日の歩行距離:約24km

ちなみにこの日から携帯電話をオンにして、内蔵されている歩数計をチェックすることにした。
歩き終えてもずっと携帯は貴重品とともに身につけているので、洗濯したり食事に行ったりしてウロウロしている時のもカウントされているが、

この日の歩数:38,720歩


どうりで痩せるわけだ。

カミーノにあしあと 5(つづき)

2010年09月06日 | Weblog
5日目つづき。


私たちが休憩している横で爆睡中のネコがかわいかったので、写真をパチリ。






Utergaを出発してさらに6km弱、Óbanosという町へ到着。
暑い、暑くてたまらない
17:30、今日はもう無理。
ここでアルベルゲに泊まろう。

連日猛暑で、カミーノを歩いていると村人たちが判で押したように「暑いね、暑いね」と話しかけてくる。
「暑いのにまだ歩くの?」と言われたり。
はい、巡礼中ですから…。


Óbanosにある私営アルベルゲに入ってみると、ほとんど人がいなくてガラガラだったので、スィナと私それぞれ2段ベッドの下の段を確保。
人が少ないとホッとする。


そこそこ小奇麗なアルベルゲで、宿泊費7ユーロ。
シャワーと洗濯を済ませ、中庭で少しでも日が当たり洗濯物が乾きそうなスポットを確保。
巡礼を始めてから一番の誤算は洗濯物の乾きが悪いことだった。


今日はTシャツの袖と腕カバーの間に隙間があいていたらしく、そこから見えていた肌が激しく日焼け
二の腕にリングをつけたように赤く炎症を起こしている。
うかつだった…。



この町には2軒ぐらいしかディナーを食べる場所がなさそうだ。
アルベルゲからほど近いバルに入ってみると、巡礼者の女の子たちが同じテーブルを囲んでいたので、私たちもそこへ参加することにした。

スコットランドから来た2人、ドイツから来たまだ10代の若い2人、そしてハンガリー人のアンドレア。

私たちが席に着くと自動的にお皿が置かれ、スープやパンも自動的に出てきた。
え…?

見るからに巡礼者なので勝手に巡礼者メニューにされたようで、メニューの内容も値段すらも知らないのに、次々テーブルに食べ物が置かれていく。
ま、いいか。。。
サラダ、スープ、チキンライス、魚のメインディッシュ、ポテトフライ、そしてデザートは選べたのでヨーグルトをチョイスすると、案の定カップのままポンと出てきた。
もちろんワインもついてくる。
この量で9ユーロだった。


スコットランド人の二人は学校の先生と学校の職員で、とても話しやすい気さくな人たち。
ドイツ人の二人はティーンエイジャーらしく若々しい。初日に道に迷ったりなんかして、いきなり30km以上歩いたらしい。
もう一人のハンガリー人のアンドレアは…不思議ちゃん


その後何度もこのアンドレアとは遭遇し、話をするのだけど、最後の方はなるべくアンドレアを避けるようにしていた。


私がスィナに “I’m hungry.”と言うと、私のすぐ隣にいたアンドレアが”Hungary??”と反応してきた。
「いや、ハンガリーじゃなくて、ハングリーって言ったんだよ」と言いつつ、それとなく世間話を始めてみたのだけど…。

彼女の英語力がイマイチなのか、元々不思議ちゃんだからなのか、全く話が要領を得ないのである
たどたどしい英語で延々と語るのだけれど、話の筋がよく分からない。
根気よく聞いていると「他の巡礼者がみんな同じ質問をする」「みんな必ず『Santiagoまで行くのか』と聞いてくる」と言うようなことを言っているようだ。
目の前でスィナがワインの乾杯をしたくてじっと待っているのが分かるのだけど、アンドレアの話の腰を折るわけにもいかず、とりあえず「ふんふん」と聞くだけ聞いてみる。
ようやくアンドレアとの話を終了し、乾杯。
そしてみんなで自己紹介とかしてこれまでの道のりを話したりするのだけれど、アンドレアだけ明らかにテンポも違うし、様子がおかしい。

そして先に食べ終わったアンドレアが立ち上がったかと思うと、ボソボソと「こんなところにシミが…」とつぶやく。
ふと見てみると、アンドレアのTシャツのお腹に、食べ物のシミができていた。
そこにいる全員、「あ、今食事中に何かの汁が飛んだのね。洗えばいいじゃん」と思ったのだけれど、アンドレアはたどたどしくゆっくりした英語で「これは何の汁がついたのか分からない…」というようなことを延々と語り始める。
みんなでなだめるように「タオルに水をつけてシミ部分を叩くとか、そこだけさっと水洗いすれば大丈夫よ」と言うのだけど、なぜかアンドレアがシミの種類にこだわっている。
いや、高級衣料は着てきてないでしょ、ここに

一番年上のスィナが、「水と洗剤をつけて洗いなさい。それで大丈夫だから。はい、おやすみ」と諭し、ようやくアンドレア退散。

はぁ~、疲れた~
みんなで「彼女、この暑さで相当まいってるんじゃない?」と心配する。
なんか、眼の下にはクマができてるし、クスリかタバコかアルコール中毒ではないかと思わせるような雰囲気と風貌だった。
(後に、暑さのせいでもクスリのせいでもなく、彼女が元々そういう不思議キャラだということが判明するのだけれど。)


食後、スコットランド人の二人とテラスでコーヒーをのみ語り合う
彼女らは履歴書にカミーノを歩いたことを書くつもりらしい。
へえ~、そうなのかあ。
ヨーロッパではそれもアリなのね


アルベルゲで私の隣のベッドがアンドレアだったので、「一晩中あの調子でウダウダしゃべられたらどうしよう」と心配していたのだけど、部屋に戻ってみるとなぜかアンドレアがベッドを移動していたので助かった…。
変に気を使って疲れたよ。



本日の歩行距離:約21.5km

カミーノにあしあと 5

2010年09月06日 | Weblog
【5日目】6/30(水) Pamplona → Óbanos
アルベルゲの朝食は、各テーブルにキャンドルが灯されていてとても雰囲気の良いものだった。
こういうところが西洋人巡礼者にとても受け、このアルベルゲはカミーノでNo.1との噂もあるらしい。

朝食の内容はどこもいたってシンプルで、パンにバターとジャム、コーヒーか紅茶というのが定番。
たまにシリアルなどが置いてある場所もある。


出発前に玄関で他の巡礼者たちと話をする。
荷物の重さの話題になり、私は変圧器をここに置いていくことをカミングアウトする。
それでも荷物は8kgを越えていると思う。

スウェーデン人のマリアは、足を痛めていることもあって、3.5kg分の荷物を郵便局から送り返したので、現在リュックの重さはたったの5kgだそうだ。
着替えは1組に減らし、雨具もマットレスも送り返したという思い切り振り。
洗濯物がしっかり乾かなくてもなんとかしのげるし、雨に濡れても構わない、もし床に寝る羽目になった時はきっと周りの誰かがマットを貸してくれるだろうという希望的観測。
彼女の場合は2週間ほどしか歩かないので、それでなんとかやっていけると思う。

話をしていると奥からアンが現れた。
同じアルベルゲに泊まっているのに昨日は見かけなかったけど、今朝会えてよかった。
アンとはこれで最後になるので、お別れのハグをする。

そこへオスピタレロが登場し、「日本の歌を歌えるんだよ」と言ってきた。
以前日本で暮らしたことがあるらしい彼が歌い始めた歌は…「もしもしカメよ」だった
近所の子供が歌ってるのを覚えたらしい。

最初「モシモシ カミ ヨ…」と歌いだしたので、「神???」と思ったけど、メロディを聞いて、「あ、亀か…」と理解した。
一緒に歌ってあげると周りの巡礼者も珍しそうに聞いていた。
これがきっかけで、この歌が先々ずっと付きまとうこととなる…



7:30、オスピタレロとオスピタレラに挨拶をし、出発。
St. Jean Pied de Portの時と同じく、なんだか立ち去るのが心残りになるような、アットホームで温かいアルベルゲだった。


Pamplona中心部から城塞のあるエリアを通過する。
こういう歴史的建造物がたくさん残っているのがヨーロッパのいいところだ。






歩き始めて間もないのにもう暑くなってきたので上着を脱いでいると、ベルギー人の男性が通りがかった。
彼は「カミーノ病」と言ってもいいくらい、カミーノばかり歩いている人だった。
今回も別のルートを少しだけ歩く予定だったのが、景色の美しさに惹かれてフレンチ・ルートに突入し、このまま続けると言う。
過去にはカミーノで恋に落ち、その女性を追ってフランスだったかスウェーデンだったか、外国に移り住んだこともあったとか。
スィナは彼のフレミッシュ(ベルギーのオランダ語)をいたく気に入っていた。

ベルギー人としゃべっているとマリアが追いついてきたので、しばらく4人でPamplonaの町を出口に向かって歩く。
途中、ベルギー人がパン屋さんへ寄るため離脱。
しばらくしてマリアも離脱したので、スィナと2人に戻る。


大きな町は出るまでが大変。
意外とカミーノの矢印や標識が分かりにくかったりする。
朝の通勤時間帯だし、車も良く通るし、すでに田舎道が恋しくなっている。

Navarra大学のそばを通りがかったところで、日本語を含む各国語で「巡礼のスタンプあります」と書いてある看板に気づいたのでスィナを呼び止め、2人で大学構内へ入る。
キャンパス内もちゃんと黄色い矢印が導いてくれ、無事にクレデンシャルにスタンプを押してもらうことができた。



今日も暑い…
途中、何人も上半身裸で歩いている男性とすれ違うのだが、その誰もが年配で醜いビール腹を晒しているため、スィナが「なんで奴らはシャツを着ないのよ」と怒り出す
全くもって同感である。
なぜか若くて引き締まった体をした男性はシャツを脱いでいないのである。
暑さのあまり上半身裸になってるのは、どれもこれもお腹の出っ張ったおっさんばかりであった。



Pamplonaから3kmほど先のCizur Menorで休憩。
アルベルゲが1軒と教会もあった。
残念ながら教会は閉まっていて中が見られなかったけど。

場末のバルっぽいところに入り、飲み物を注文。
店内にいた地元のオヤジたちが食べているボカディーヨ(サンドイッチ)がおいしそうだったので、同じものを注文する。(現地の発音に合わせて「ボカディージョ」ではなく、「ボカディーヨ」と表記。)
Bocadillo de Tortilla、オムレツをバゲットで挟んだやつ。
オムレツにチョリソー(ソーセージ)も入ってて、めちゃくちゃおいしかった



Cizur Menorを出ると麦畑が広がり、丘の上では風力発電のタービンが回っている。
ここからAlto del Perdónという丘に向かって上り坂が続く。









Alto del Perdónの頂上にはこのようなモニュメントが建っている。




当然ながら、ふざけて写真を撮る。







ここは丘の頂上なので、石碑がある以外日陰を作りだすものがなく、とても暑い
暑い中、映画の撮影か何かやっていた。





あまりに暑いので頂上での休憩はほどほどに、さっさと丘を下ることにした。
下りはなかなか急で足場も悪く、負担がかかるので、こういう時はダブルストックがとても役に立つ。



ところでカミーノにはツアーで来ているイタリア人のグループがいた。
彼らは大きな荷物は車で次の目的地に運んでもらい、自分たちは身軽にポシェットや小さめのリュックで楽しそうに歩いている。
もちろんイタリア人以外にも荷物送付サービスを使ってる人はいるんだけど、なぜかイタリア人たちだけが目立っており、まともに重いリュックを背負って巡礼している人たちの反感を買っていた。

イタリア人たちが陽気に歌を歌ってくれたり、さくらんぼがなっている木を教えてくれたりして、ほんとは結構役に立ってるんだけどね。


Alto del Perdónの頂上であったイタリア人のじいさんは、ちょっとイカれた感じだった。
歌いながら踊るように身軽に丘を下り、さっき追い越したかと思ったら、しばらくすると突然茂みからひょっこり現れたりして神出鬼没だ。
そしてまた次の瞬間には「チャオ~」とか言ってどこか茂みの中に消えていく。
最初は面白いなと思っていたけど、だんだんムカついてきた。



ようやく丘を下りきり、Utergaの町へ入る。
私たちはまだもう少し先まで歩く予定だけど、アルベルゲとそれに併設するバルがあったので、ここで一旦休憩することにした。

デンマークから来たスィグビョーンとマリア夫妻にジョインする。
ちなみにスィグビョーンは典型的な名前から分かるように、元々ノルウェイ出身である。(スィグビョルンと表記した方が近いか?)
ヨーロッパでは当然のように国際結婚カップルがそこら中に存在し、当然のように4ヶ国語や5ヶ国語は話せる。
EUのお陰で移動も自由なので、ちょっと隣の県で就職するかのような感じで隣国で働いてるし。
そこにヨーロッパの底力を見るような気がする。
日本もうかうかしている場合じゃないよ


「汗をかいた時は塩分も補給しないといけないよ」と、スィグビョーンがナッツを勧めてくれる。
道中何度か会って、話もしたけど、とてもフレンドリーかつシルバーグレーの髪が素敵な夫婦だ。

ところでマリアは黒いミニスカートを履いて歩いていた。
スィナが後ろから見て、「ねえねえ、あの人スカートだね」と言ったので、「たぶんトレッキング用のストレッチ素材のやつで、中に短いスパッツとか履いてるんじゃない?」と答えたんだけど、どうやら違ったようだ。

「私、草かなにかで足がかぶれちゃったんだけど」と言いつつマリアがガバッと足を広げて見せたところ、黒いミニスカートの中は普通の黒いパンツだった…
女の私でも目のやり場に困るんですけど
しかもマリアは孫もいるような世代…。
う~ん、これもヨーロッパの底力。(違うか?)


話が脱線するが、一般的に欧米人は山歩きの際にも肌を露出する。
日本なら「山では虫に刺されたり、草木でかぶれたり怪我したりするので、長袖長ズボンが基本」と思っているが、肌を焼きたくてしょうがない欧米人はどんな危険なアドベンチャーをしようとも基本的に半袖半パンである。
半袖どころかタンクトップやキャミソール姿で歩いていて、リュックを背負わないといけないのに肩が真っ赤に日焼けして痛々しい人までいる。
このくそ暑いのに、わざわざ日なたで休憩しているバカまでおり(失礼…)、「お前なんか日射病で死んでしまえ~!」と巡礼者らしからぬ暴言を吐きそうになる。

皮膚がんの危険性なんてなんのその、西洋人はとにかく肌を小麦色に焼きたいのである。
もうすぐ57歳になるスィナでさえも、「今度ドレスを着た時のために、小麦色の足にするの」と言ってズボンの裾をたくしあげている。
っていうかさ、靴下焼けするやん?Tシャツ焼けもするやん?
かえって不細工じゃ…?
と思うのだが、西洋人的にはそれはオッケーらしい。

私は日本人だし、もういい年なので過度の日焼けはいかんと思い、長袖または腕カバーをして歩いていた。
すると結構いろんな人に「どうしてその腕カバーをしてるの?」と不思議そうに尋ねられ、面倒くさかった。
通常、「直射日光が肌に当たると暑いから」と答えてるようにしていた。
実際にそうだし。
スペインの強烈な日差しが直接肌に当たるのは、本当にジリジリ焼かれるようで耐えがたい暑さ。
砂漠の民とかは肌を隠す服装をしているのも生活の知恵でうなづける。
それでも西洋人には「肌を覆う」というオプションが考えにくいようだったが、「この腕カバーを水に浸してから装着すると、すっごい涼しくて気持ちいいんだよ~!」と言うと、この猛暑なので途端に羨望の眼差しに。
「いいわねえ。私の国にはそんなカバー売ってないわ」と羨ましがられる始末。
へへへ、日本は便利グッズ王国だよ


脱線話が長くなったので、次回へ続く。


カミーノにあしあと 4

2010年09月03日 | Weblog
【4日目】6/29(火) Zubiri → Pamplona
スィナと連れだって7:00にZubiri発。
いきなり坂道から始まる

そしてしばらくは巨大なマグネシウム工場の横や敷地の一部を歩くこととなる。
後ろから来たイタリア人のグループが陽気に歌を歌っており、カミーノを楽しいものにしてくれた。


スペインにて新発見。
馬がバゲット食べてる




そうなんだ~、馬のエサっていうと草やニンジンしか想像してなかったけど、ここら辺の馬ってパンも食べるんだ~



本日はLarrasoañaを通過し、Pamplonaに向かう。





お天気は快晴
暑くてきついよ~。


Larrasoañaにバルがあるはずなので、そこで一息つきたいと思い、がんばる。
が、Larrasoañaに着いた辺りで道が二手に分かれている。
カミーノは左だと思われるが、Larrasoañaの町に行くには右の方に進んでいかなければいけないようだ。

イタリア人たちもそのまま左へ向かったようなので、「まあ、何かバルぐらい出てくるだろう」とタカをくくり左へ進む。

が、次に出てきたのはAkerretaという小さな小さな村で、小さな民宿らしきものはあるにはあるが、1階のバル兼レストランは閉まっていた…。

ガーン
水道はあるので水を飲み、持参したオレンジをスィナと分け合って食べる。
こういう時に食べるオレンジは最高においしい


すぐそばの家からおじいちゃんが出てきたので、「ここにバルはありませんか?」と聞いてみたが、無情にも「ない」との答え

でもとってもかわいいおじいちゃんだったので、記念に写真をパチリ。





その後も当分バルは出てこず、水飲み場も出てこず、休憩に適した場所も出てこず、暑さに参る。


しばらくしてようやく町らしきところに到着したが、バルが見当たらない
どこかの家の玄関先にへたり込み、手持ちのレーズンなどを食べて元気を取り戻そうとする。


ところでバックパックには昨夜乾かなかった靴下がぶら下がっている。
あと、巡礼の象徴であるホタテ貝と最初のアルベルゲでもらった黄色いリボン。





休憩しているとスペイン人らしき父娘が通りがかり、「水はないか」と聞いてきた。
水飲み場は皆無のようだったので、「ないよ」と答えると切羽詰まった様子。
スィナが2本持っていた水のボトルの1本をあげると、感謝して去って行った。
この暑さで水を切らすと命取りだよ~

暑くて疲れてへこんでいたけど、すぐわきの国道を通りがかったサイクリストが”¡Hola, Chicas, Buen Camino!”と声をかけてくれたので元気が出た。


さあ、気を取り直してがんばるぞ





30分ほどがんばって進むとようやく売店にありつき、コーラやパンを買い、リンゴを食べて一息。
学校からの遠足か何かで、中学生ぐらいの子どもを連れたグループがいた。
あ~あ、うちの甥っ子も誘ったのに来なかったもんなあ。
いい経験ができるのに、残念。





Pamplonaまであともうちょっとだけど、もうひと山(ひと丘?)越える。





Pamplonaのひとつ手前のTrinidad de Arreという町にアルベルゲと教会があった。
誰もいなかったので、こそっと教会内の写真を撮る。
この先いくつもの教会を訪問することとなる。





14:30頃、やっとPamplonaの町のすそ野に入り、お店が出てくる。

肉屋さんのショーウインドーにはこんなグロテスクなものが…
イランでもこんな感じでヒツジかヤギの頭売ってたな。。。





Pamplonaは目の前に見えているのに、途中から矢印や標識が途絶えて道が分からない!
大きな公園を通り過ぎるも、このルートで本当にPamplonaの町に入れるのか?

途中、また別のスペイン人父娘らしきカップルに出会う。
娘の方は特徴のある甲高い声で、牛乳瓶の底のような眼鏡をしてて、テンションが異常に高くてかわいい。(17歳以上だとは思うけど…。)
彼女らが地元の人に道を聞いたりしてくれたので、助かった。
どうやら今は道路工事などのせいでカミーノの矢印が消えているらしい。
そりゃ分からんわ。

そんなわけで、通常とは違うルートで13:00にPamplona入り。





橋を渡ってすぐのところにドイツ人が運営しているCasa Paderbornというアルベルゲがあった。
宿泊費は5ユーロ。プラス2ユーロで朝食も付いてくる。
到着時にオレンジジュースを振るまってくれ、感じのいいアルベルゲ




スィナはドイツ国境近くに住んでいてドイツ語もできるので、嬉しそうにオスピタレロ達とドイツ語で話していた。


杖置き場を見ると見覚えのある杖が。
スィナに「アンとミジャもここに泊まってる!ほら、これアンの杖だよ」と言うと、「え?そお…?」とピンと来ない様子。
おいおい、アンの杖はちょっと刀の柄みたいな感じで特徴的だったじゃん。
見てないのかよ、スィナ

アンとミジャはPamplonaで巡礼を終了するので、最後に会っておきたいな。


Roncesvallesのアルベルゲには棚があり、巡礼者が不要になったものを置いていき、必要な人が必要なものを持っていくシステムになっていた。
ここのアルベルゲにも階段わきに棚が設置してあり、Tシャツとか靴下とか以前ここを利用した巡礼者が不用品を置いて行っていた。

そこでピンときた
あ、私、あの重い変圧器ここに置いていこ。
電化製品を捨てるのも気が引けるが、でもさ、でもさ、今後日本人の巡礼者が来たりしてさ、変圧器なくて困ってたりしたらこれ使えるじゃん。(って、いまどきの電化製品はすでに変圧機能搭載だから、そんな可能性薄いか。。。
若干良心の呵責を感じながらも、そっと目立たないよう棚に変圧器を置く…。



アルベルゲの部屋は4人部屋。




部屋の窓の外は川だし、景色もいい。

同室は、ベネズエラ人のホセとベティ夫妻。
とてもフレンドリーな人たちだった。
この後も何度か一緒になり、再会を喜んだ。


洗濯中のスィナ。(ズボンの漢字が怪しい…。)





洗濯も済ませ、アルベルゲのテラスでしばしくつろいでから町へ。

わ~い、大都会だ~






こちら、Ayuntamiento(市町村議会とかの建物)。
巡礼初期に覚えた言葉のひとつ。Ayuntamiento、Ayuntamiento…





ここPamplonaは毎年7月初旬に行われるサン・フェルミン祭り(牛追い祭り)で有名。
これこれ、この危険な祭り、テレビで見たことあるでしょ?





直前なので町は祭りムード一色。




ベランダに牛が立っていてかわいい。
牛が牛追い祭りを見学してる構図だよね。





祭りの期間中はアルベルゲが閉まってしまうし、ホテルも観光客でいっぱいになるので、あえてその時期を避けてのPamplona入り。
牛や人が走り回ってる中、とてもじゃないけどPamplonaの町を通り抜けて巡礼できないもんね。


ヘミングウェイが出入りしていたCafé Iruñaにてお茶。
みんな広場の方に向かって座っている。




コーヒーに飽きたので紅茶にしてみた。





夕食はどこにしようかと町を歩き回ってみる。
都会なのでレストランやバルはたくさんあり、どこも魅力的。

だけど結局またCafé Iruñaに戻ってきてしまい、13ユーロのMenú del Díaにした。当然パンとワイン付き。

お腹がすいていたので、Primero Plato(第1皿)にいきなりスパゲティをチョイス。
当然日本での2~2.5人前ぐらいは軽く盛ってある。
が、ペロリと完食。

Segundo Plato(第2皿)は、カモだかアヒルだかの煮込みを注文。
付け合わせはポテトフライとパプリカ。




こちらもほぼ完食。
自分の食欲が怖い…

デザートは濃厚なプリン。


この日はワールドカップでスペインがプレイする日
カフェでもテレビがついていて、子どもたちが必死に画面に見入ってるのがかわいかった。

ワインが一瓶ついてきてスィナと2人では飲み切れなかったので、近くのテーブルにいた巡礼者2家族に勧めてみたけど、丁寧に辞退された。
もったいないけどしょうがないので残す。

ところでこのCafé Iruñaのウェイトレスがとてつもなく愛想が悪かった。
というか、愛想悪いを通り越して、ケンカ売ってるのかと思うくらい態度が悪い。
ナイフやフォークも投げつけるように置く。

スィナと2人で「このような場合、チップはどうしたもんか?」と話し合うが、まだ2人ともスペインの旅の始めなので現地事情が良く分からない。
仕方なくチップを含めた額を支払皿に置くが、例のウェイトレスは金額を確認もせず、ひったくるようにお皿を持っていった。

感じわる~っ
やっぱりあげなきゃよかったよ、チップ


食後、門限まで夜のPamplonaをブラブラ歩き、明日用にまたオレンジや水を購入し、アルベルゲへ戻る。
途中ですごい歓声が上がったので、どうやらスペインが勝ったらしいと知る。


部屋に戻ってみるとすでにホセとベティは寝ていた。
それは別にいいんだけど、なんと窓を閉め切って真っ暗な上に蒸し暑い!
なんで窓閉めてるんだよ~

この夜、あまりに暑くて良く眠れなかった…。
暑さに耐えかねたスィナが、夜中に意を決して懐中電灯をつけて窓を開けにかかっていた。
ホセとベティを起こして怒られても構わないと覚悟したらしい。
ブラボー



本日の歩行距離:約21km