地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと ~Muxia → Santiago~

2011年01月31日 | Weblog
8/7(土) Muxía → Santiago
7:00頃、自然に目が覚める。
実は1回、5:30頃にも目が覚めたが、さすがに早すぎるので二度寝。

スィナはやはり全く起きる様子がないので、1時間ほどは我慢してベッドの上で静かに過ごす。
8:00過ぎたし、もうそろそろ音を立ててもいいかな~と思い、洗面所へ。

が、やはり全く起きるつもりはないらしく、イビキをかいて寝ている。
しょうがないので、まるでアルベルゲ泊の時のように気を遣いながらこそっと身支度。
うう、早く1人になりたい。


宣言通り、9:00になってようやく起床したスィナ。
オステル1階のダイニングで4ユーロの朝食。



10:30から11:00の間にチェックアウトし、町へ出てみるとお祭りの準備が進んでいた。
どうやらお祭りは夕べではなく、今日やるようだ。

古い教会があるので行ってみた。




教会は案の定閉まっているが、そこからの景色はすばらしい。









その教会の陰に荷物を置き、遊歩道を歩いていくと素晴らしい岬へ出た。
何やらモニュメントもある。










ここにも教会があり、ここもやはり閉まっていて中には入れないが、入り口から内部をのぞくことはできる。






海辺の教会らしく、船の模型みたいなのが天井からぶら下がっているのが見える。




教会横手のドアにはヨットの模様の柵がついている。





お互い、しばし岩の上で大海原を見つめ、物思いにふける。


ずいぶんと風が強い。




スィナがせがむので、岩の上でロダンのポーズをとっているところを写してあげたりして、十分に楽しむ。
いやあ、Muxíaっていいとこだな。



しばらくしてまた遊歩道を歩き、リュックを置いていた場所まで戻ってきたが、ここへ来てスィナが「しまった。あのモニュメントの前に説明の看板があったのに読むのを忘れたわ!」と言い出し、友達とかに説明するためにわざわざ見に戻っていった。

たっぷり30分は待たされただろうか。
私は1人で景色を見たり、教会のそばにある墓地を眺めていた。





だいぶ経ってからやっとスィナが戻ってきた。
あまりに遅いのでまた誰かとおしゃべりでもしていたのかと思いきや、方向音痴のスィナは帰り道を間違えて丘の上まで行ってしまったそうな…。




町へ戻ってみるとお祭りが始まっていた。
どうやら海賊祭りのようだ。
パレードなどやっている。













食べ物の屋台もたくさん。














中世(?)の格好をした人たちがウロウロしている。









チビッコたちはゲームに夢中。





ここで、今まで気になっていたPercebes(亀の手)を発見




地元の人たちにも人気なようで、みんながこぞって買っている。




ちょっと高いが、私たちも注文してみた。


ゆであがるのに時間がかかり、かなり待たされてようやく出てきたものを初めて食す。
なかなかグロテスクだ。





期待して食べてみたものの、、、、おいしくない、かも。

初めて食べたけど、貝みたいな味。
私とスィナは好きじゃない食べ物だったかも。


う~ん、失敗。
でもこれもまた経験。




バスの時間が迫っているので、あわててパンなどを買い、バス停前で食べる。


時間を守らないスペインにおいて、なぜかバスはきっちり時間通りにやってくる。

途中、20~30分の休憩を挟んで、Santiagoまで約2時間の道のり。
見慣れた風景をたどる。





長距離のバス乗車は久しぶりなんで、ちょっと車酔いをしてしまったので、Santiagoに着いて早々にバルのテラスに座り込む。
と、とりあえずコーラ。
それから宿泊先を探そう。


さすがにSantiagoは混雑しているので、ホテル2軒見たがどちらも満室。
あきらめかけたところに3軒目、オブラドイロ広場のすぐそばのオステルに空きがあった!

ダブルの部屋で48.6ユーロ。
しかも綺麗で広い!
早速2泊申し込んだ。
クレジットカードでお金を払おうとすると、宿のおばさんはなぜか「明日でいい」という。
え?そうなの?


シャワーは穴が開いていて横から水が噴き出たが、スィナがテーピングを巻いて補修すると素晴らしいものとなった。
ああ、やっぱりちゃんとしたホテルっていいな。



上機嫌でディナーへと繰り出す。

と、以前スィナ、ルーと3人で魔女の顔ハメ写真を撮った路上の土産物写真屋に、私たちの写真が見本として(本人無許可で)飾られているのを発見




店のおじさんに「これ、私たちだよ」と言うと、飾ってあったのを剥がしてくれた。


そこでスィナが「ねえ、私たち2人でまた撮りましょうよ」と提案し、今度はルーがいないけど2人で魔女の顔ハメ撮影。
お互い睨み合って撮ったのがこれ。




1枚5ユーロもするのに、スィナが記念にと1枚ずつ買ってくれた。




さて、今日こそはちゃんとしたタパスを食べたい!
本当は最後の記念に巡礼者メニューを食べようかとも話したのだけれど、Santiagoまで来ると巡礼者メニューと名付けられたものはなかった。


町の中心部におしゃれなタパスバルを発見




メニューを見てもよくわからないので、ショーケースのところに行き、指さし注文。




いつもよりお高いワインも飲んで、ちょっと奮発したディナーとなった。







ちなみにスィナが「Patata con Ali Oliが食べたい」と言うので、ポテトのアリオリソースを注文。
すると、1皿では足りず、もう1皿おかわりしたスィナ。
何度も言うが、一体どんだけポテト食べるんだ


最後はプリンで締めました





高いワインで酔っ払い、上機嫌でお土産物屋を冷やかし、路上のミュージシャンに寄付をし、オステルへ。






う~ん、今日は最も素晴らしい夜だったな。













本日の歩行距離:約6㎞?
本日の歩数:10,902歩

カミーノにあしあと ~Finisterre → Muxia~

2011年01月30日 | Weblog
8/6(金) Finisterre → Muxía
8:30に起床。
ゆっくりと準備をしてアルベルゲを出る。
マークはもうとっくに出発してしまっただろう。
アルベルゲ前で自転車の整備をしていたイタリア人サイクリストと少し話す。

港のバルで朝食を摂ろうとしたが、Tostada(トースト)がなかったので、とりあえずオレンジジュースのみ注文。


バス乗り場へ向かって歩いていると、再び先ほどのイタリア人に遭遇。
片言の英語で、今度は日本へも行きたいと必死にアピール。
そして私に自分のメールアドレスを手渡すも、この人はどこか抜けているところがあるのか、お互いの名前すら知らない。


イタリア人を見送り、バス乗り場で時刻表を見るが、そこに本日の行先Muxíaの文字はない。
う~ん、どうしたことか。

スィナが他の巡礼者に聞いた情報では、Muxía行きのバスはFinisterreの入り口付近まで戻らないとないという。
これまでの経験上、巡礼者同士の情報は有益なものもあるが、かなり疑わしいものもある。
今回、ちょっと疑わしいなと思ったけど、ひとまず黄色い矢印を逆戻りしてFinisterreの入り口を目指してみることに。

途中すれ違う地元の人や巡礼者など、色々な人に聞いてみたが、だれも明確に分からない。
どうにもらちが明かないので、やっぱり港にあるインフォメーションで真相を確かめようと、来た道を戻る。

が、港エリアに戻るもインフォメーションがどこにあるのか分からない。
標識は見かけるが、その先どこへ行けばあるのか不明。
さすがスペイン、分かりづらい。


そうこうしているうちに、スィナがまた別の巡礼者から、「バス停に表示のあるMurosという行先は、Muxíaと同じことだよ」と教わる。
が、それも疑わしいと私は思う。

リュックを背負ってウロウロするのも疲れたので、近くにあったバルで朝食に。
バルのおじさんにあらためて聞いてみると、「11:45のバスでCeeまで行き、そこで別のバスに乗り換えるんだよ」と教えてくれ、解決。


スィナは足を痛めているくせに、町の中心部を散策したいという。
私は重いリュックを背負ったままサンダルで歩き回りたくないので、断る。
バスの出発時間にバス停で待ち合わせとし、スィナは町へ、私は港へとそれぞれ向かった。


港ではマーケットが開かれていたので、ブラブラと見学。




特にやることもないので、ベンチにでも座って道行く人を眺めることにしよう。
風がまともに当たる場所に座ると肌寒く、日なたへ出ると暑い。
なんとかちょうどいい場所を見つけ、メモ帳に昨日までの出来事を記入。



そろそろ時間なのでと思い、バス停へと向かっていると、見覚えのある人に呼び止められた。
えーっと、この人誰だっけ?
たぶんオランダ人。

その人は、「さっきスィナに会ったわよ」から始まり、「昨日は(マケドニア人)のメリと一緒にいたのよ」などと話しかけてくる。
どこで会ったか、名前は何か、思い出せないまま話をし、抱き合って別れる。


急いでバス停まで行ったがスィナの姿なし。
おいおい、どこにいるんだよう。

そこへ巡礼中何度か会った韓国人の女の子が現れる。
彼女は先にMuxíaへ行ってから昨日Finisterreに到着したらしい。
彼女曰く、Muxía-Finisterre間のカミーノは最も素晴らしい景色で、そこを歩かないなんてもったいないとのこと。
私はスィナが足を怪我したのでもう歩けないことなどを説明。

ふと、MuxíaとMurosは同じ町のことを指すのかと聞いてみると、「そんなことはないと思う」とばっさり。
ああ、やっぱりね。


時間通りにバスが到着したのに、まだスィナの姿は見えない。
これに乗り遅れると明日はバスがないはずなので、焦る。

出発ギリギリになって、ようやくスィナが到着。
近くのお店でバナナと水を買ってくれていた。
銀行もあったのでお金も下しておいたとのこと。

念のため、運転手にもう一度Muxíaに行くにはこのバスでいいのか確認し、乗り込む。
バスはあっという間に昨日歩いた道を通り過ぎ、Finisterreを離れていった。
私たちは観光地には興味がないので、Finisterreに連泊するつもりはない。

ちなみにさっき会ったオランダ人の名前はヨークだそうだ。
う~ん、うっすら記憶があるけど、どこで会ったのかいまだに思い出せない。



Ceeまでは20分ほどで到着。
あっという間だった。
Muxía行きのバスへの乗り継ぎまで20分ある。
近くに大型ショッピングセンターらしきものもあるが、買い物してると乗り遅れそうなので、バス停でじっと待つことにした。

バス停でまたスィナがドイツ人と話し始めた。
そのドイツ人の女性は小さな犬を連れていた。
話を聞いてみると、巡礼中にその捨て犬らしき犬と出会い、なぜかその犬がずっとそばを離れないので途中から一緒に巡礼をしてきたという。
アルベルゲに犬は泊まれないので、テントを買って野外で寝泊まりしたとか、犬連れ巡礼の話が地元の新聞に載ったとか、山の中でクリスタルをたくさん発見したので、O’Cebreiroの真ん中でそれを売って巡礼費用の足しにしたとか、様々な話が飛び出した。
とにかくよくしゃべる。

カミーノには様々な「武勇伝」を語る人が登場する。
全部がガセネタとは思わないが、疑ってかかるべきものも多い。
私はすべての話を話半分に聞いている。
スィナは熱心に聞いているが、信用してるのだろうか?


ようやくMuxía行きのバスが到着し、ドイツ人と話し込み過ぎて乗り過ごしそうなスィナを無理やり引きはがし、乗車。
もういい加減疲れたよ。

バスに乗り込むとスィナが「ねえ、さっきのドイツ人の話、本当だと思う?」と聞いてきた。
さすがにニセ修道僧に騙されたあとだから慎重になってるのか?

「さあ、すべてが嘘だとは思わないけど、クリスタル発見云々のあたりはちょっと疑わしいかもね」と答えると、スィナも同感だったようだ。



ほどなくして、Muxíaに到着。
観光客が訪れるきれいな港町だけど、規模は小さいようだ。

まずはインフォメーションへ向かい地図をもらうが、その地図がほとんど役に立たない代物だった。
地図上のサインも分かりにくく、宿など必要な情報が載っていない。
距離感もいまひとつ分からない。
2人で「スペイン人には地図の作り方を教えなきゃね!」と憤慨する。

ビーチに面したバルで今日こそは海鮮ランチをと張り切る。
店に入ると大家族が一心不乱にPercebes(亀の手)を食べていた。
お店の人に「私たちもあれが食べたい」と注文してみたが、店のメニューにはないという。
どうやらあの家族は亀の手持ち込みらしい…。
仕方なくサラダとシーフードのフライを注文。

さて、腹ごしらえが終わり、オスタルを探す。
もうさすがにアルベルゲには泊まりたくないからね。

1軒見つけるもあいにくお祭りがあるので満室とのこと。
インフォメーションに戻って聞いてみるが、これといった有益な情報がもらえなかった。
本当に役立たずなインフォメーションだ。


アルベルゲには泊まりたくないけど、とりあえず公営アルベルゲに向かってみる。
着いてみると、わりと新しく近代的な作りで快適そうなアルベルゲだった。

受付で泊まりたい旨伝え、オスピタレロと世間話ついでに今日はFinisterreからバスを使ったことを伝えると一転、「バスを使った人はこのアルベルゲには泊まれない」と言われた。

ええっ
だって私たち、フランスのSt. Jean Pied-de-PortからSantiagoまでの800㎞を徒歩で巡礼し、巡礼証明書も発行してもらい、さらにはSantiagoからFinisterreまでの90㎞も歩いたんだよ!
なのにFinisterreからMuxíaまでのほんの20㎞程度をバスに乗ったからってアルベルゲ泊を拒否されるってどういうこと?

必死に訴えてみたが、オスピタレロはダメの一点張り。
スィナが転んで足を負傷したから仕方なくバスに乗ったのだと説明してもダメ。
バスに乗った奴は普通のホテルに泊まれ、と。

巡礼も終え、Finisterreでいったん心の区切りもつけ、この期に及んでまだスペインが嫌いになっていく…。
巡礼中は楽しかったけど、Santiagoに到着して以降、あまりいいことなかったな。



ふてくされて、とあるオステルへ。
ここは1室50ユーロ。
先に部屋を見せてもらうと、なかなか清潔でいい感じだったので泊まることにした。
元々宿の数自体少ないようなので、ここを逃すと野宿になってしまうし…。

部屋は海と反対側だけどしょうがない。
清潔なタオルとかあるだけでも嬉しい。
窓の外を見たスィナが「洗濯物干場があるわ!」と嬉々として叫んだが、おいおい、それは単にこのオステルのシーツ干場だよ。


スィナがストレス解消のため歩きたいというので靴を履く。
確かに観光地やバスでの移動は私たちにとってストレスだ。
できればこれまでのように歩いていたい。

まだ日も高く暑いので、その前に一旦オステル1階のバルでお茶を飲む。
オーナーのおやじは無愛想で、紅茶のティーバッグはまずい。

明日の予定をどうしようか話し合うが、なかなか決まらず。
スィナがしきりにカミーノを歩きたがるので、とりあえず今日の夕方少しだけカミーノを歩いて、明日の朝に町をぐるりと散策、14:30のバスでCeeに戻ろうということになった。
Santiagoにはあまり長居したくないので、できるだけSantiago入りは遅らせたい。


スィナが1階で日記を書いている間に私は部屋に戻り、洗濯。
日当たりのよい窓際に洗濯物を干し、シュラフもベッドの上に広げて日に当てる。
しばし部屋で1人の時間を満喫。



17:30頃になってから、カミーノを少し歩くために出かける。
スィナはまだ少しストレスを感じた顔をしている。

リュックは部屋に置いてきたものの、トレッキングシューズを履き、ストックを持って歩くと心地よい。
スィナは方向音痴のくせに「こっちから道が続いていると思う」と、でたらめな方向へ歩き出した。
風が強くてビーチの砂が舞い上げられ、ピシピシと顔や体に当たって痛いことに、ちょっとイラッとさせられる。

足を痛めてる時でも出たとこ勝負のスィナ。
案の定すぐに行き止まりになってしまい、結局来た道を戻り、また別のルートからチャレンジ。
やっぱりスィナは全く方角が分かってない。

私の方もかなり機嫌が悪くなり、黙々と歩く。
一体ここまで来て何をやってるんだろう、私。



しばらくして、ようやくカミーノへと出た。
海岸沿いの車道を、お互い距離を取ってただ黙々と歩く。

さらに進んで行くとビーチが出てきたので、降りてみる。

裸足になって足を海につける。






今度こそカミーノの終わりを実感。


ここまで頑張ってくれた足の足形を砂に取った。




トレッキングシューズもお疲れ様。





帰り道にインフォメーションで明日のCee行きのバスを聞いてみると、「明日のバスはない」とのこと。
Santiago行きのバスなら出てるので、明日Santiagoに帰るしかオプションはないようだ。
いつまでもMuxíaにいても特に見るところもないし、仕方がない。



ホテルに戻り、シャワーで砂を洗い流し、再び洗濯。
20:30頃になってディナーに出かける際、スィナがベッドサイドの電気がつかないと文句を言う。
電球を外し「換えてもらうわ」とフロントまで出かけて行った。
ど、どうでもいいんですけど…。

しばらくして新しい電球を手に戻ってきたスィナは、「下のおやじに電球が切れてるから新しいのくれって文句言ったら、クレージーな人を見るような目で見られたわ」と。



外に出るとお祭りの準備が始まっていた。
今日、満室で断られた1軒目のオスタルの前の道がすべてお祭り会場となるようだ。
これまでの経験上、スペインのお祭りは夜遅く始まる?
たぶん23:00以降?
ってことは、今夜も騒音で眠れず…?

外は風が強いのにお祭りできるのかな?



今日ランチしたお店のすぐ隣の店で、魚料理を注文することにした。
まずはSardinas con Ensalada(イワシと野菜)のお皿。
てんこ盛りのSardinas。




それから、メニューを見ても何かわからず、店の男の子を説明を聞いても「シーフード」ということしか分からないけど注文してみた、Gulas del Norte。




一見したところ、しらすのようだ。
ガーリックと唐辛子風味の油煮といった感じで、味はおいしい。

後日、調べてみたら、Gulasは魚のすり身をパスタ状にした食材だった。
しらすにしては、目とかついてないからおかしいなとは思ったのよね。
まあ、いわば麺状になったカマボコってとこかな。


特にやることもないので、23:00頃には就寝。
スィナは明日の朝、9:00まで起きるつもりはないらしい。

よくそんなに眠れるなあ…。













本日の歩行距離:約15㎞?
本日の歩数:21,658歩

カミーノにあしあと ~Cee → Finisterre~

2011年01月28日 | Weblog
8/5(木) Cee → Finisterre
スィナは昨夜、夜中にイビキおばさんを起こしたらしい。
確かに彼女の大イビキは迷惑だったけど、自分のことを棚に上げて人に注意する感覚が良く分からない。


昨日膝が痛かったので、今日は久しぶりにワコールのCW-Xタイツを履いてみる。
これを履いたのは巡礼最初の2~3日だけだったな。

今日はスィナの足の調子も心配なので、ゆっくりとアルベルゲをスタート。





まずはバルでクロワッサンなどで腹ごしらえをし、いざ、カミーノへ。


上り坂が2回程あり少しきついが、やはり歩くことが一番体にしっくりくる。

昨日会ったカミーノ友の会のおじさんの話では、ここSan Roqueのアルベルゲはなかなか良いところらしい。
でも昨日はスィナが足を負傷したこともあり、きっとここまではたどり着けなかったな。





狭い道を歩いていると、羊飼いのおじさんに遭遇。
ちなみに羊のご飯はバゲットだった。
そういや馬もバゲット食べてたなあ…。






Finisterreの入口にある浜辺で小休憩。
誰もおらず静か。
海が青くて奇麗。








しばしの休憩の後、また道々ベリーを摘んで食べながら、ようやくFinisterreに到着。
早速コーラで乾杯。




お腹が空いてたのでイカのフリッターを食べたかったのに、ここのバルでは夕食時以外出してないそうだ。



Finisterreに到着したこの段階になって、スィナが「これ、荷物の中から見つかったんだけど、お財布にどうかしら」とビニールのポーチを取り出した。
今頃出してくるなよ~。

でもとりあえずそれを財布に使い、今まで財布代わりにしてたボロボロのジップロックを捨てる。
ちなみにスィナは荷物の中から、自分で隠して忘れていた50ユーロ札を見つけてご機嫌。
よかったよ。
私は本当にいよいよキャッシュが尽きて来た。


同じバルのテラスにどうやらオランダ人らしき男性が2人おり、スィナが話を始めた。
話し始めると長いな~~~!



ようやく話が終わり、一路公営アルベルゲへ。
Finisterreでも証明書を発行してもらうのだ。

と、港のところで長いことご無沙汰していた韓国人夫妻に再会
お互い抱き合って到着を祝う。
不思議なことに、彼らとはかなり親しくしていたのに、結局最後まで連絡先も名前も聞くことなく別れた。
でも彼らはもうすぐ仕事で京都に引っ越してくると言ってたので、そのうちどこかでバッタリ出会うかもしれない。



公営アルベルゲで証明書をもらう時、オスピタレロが「この紙に日本の文字で名前を書いて。それをコピーするから」というので、「???」と思いながらも書くと、なんと彼は私が書いた感じを見ながら丁寧にそれを証明書に書き写してくれた。



あ、有り難いけど、そこは漢字で書いてくれなくても良かったかも…。


さらには「このハンコ、押してほしい?」と取りだしたのは、キャラクターと共にハングル文字が踊るハンコだった。
たぶん「よくできました」とかそういう感じのフレーズだと思われる。

「…。いえ、結構です」と断ると、「そうか…。韓国人にはバカ受けなんだけどね」とちょっとさみしそうにされた。
ごめーん。だって私韓国人じゃないから。


この公営アルベルゲのベッドはまだまだ空きがあったが、なんだかもう大型アルベルゲに泊まるのも嫌になり、私営を探してみることにした。

証明書をもらって出てくると、Grañonのアルベルゲでオスピタレラをしていたイタリア人のアニータにまたまた遭遇。
彼女とは先日Santiagoで再会したばかりだ。
同じようなタイミングで移動してるのね。

アニータには、「ここは観光地だから貴重品に注意するように」との忠告を受ける。



さて、せっかくなので港の前のレストランでシーフードランチでもしようと言うことになり、レストランエリアに行くとそこに待ち構えていたのはなんと、フランス人のマーク
思いがけず再会できて嬉しい。

マークは食事を終えたばかりだったけど、座りなおして私たちのランチにつき合ってくれた。
話を聞いてみると、どうやらマークも日曜日のミサにいたらしい。
エリザベスも同じく日曜のミサに出席していたらしいが、Santiagoは人が多いので同じカテドラル内にいながら全くお互いを見つけることができなかった。
キムやピーターやマリアはいつ、どこにいたのだろうか。


マークがビール、私とスィナが相変わらずクララを注文し、到着と再会を祝って乾杯。
そしてさっきから食べたかったイカのフライを食べる。


その後、マークが宿泊しているという私営アルベルゲに連れて行ってもらった。
ベッドも空いてるので、今日はここに泊まろう。

が、10ユーロも払った割には部屋がとてもせまく、あまり奇麗でもない。
さらには洗濯物を干す場所が限られていて、わざわざ別の部屋をノックして中に入れてもらい、そこの窓際に干さなければいけなかった。

う~ん、最後だと言うのにガッカリだ。
私たちの部屋は小さな空間に2段ベッドが2台押し込まれていてとても窮屈。
おまけに同居人カップルがいちゃいちゃしてるし、さらになんとなく男性の方の言動が気に入らない。
カミーノ上で最も最悪なアルベルゲではないだろうか。



ひと段落ついたところで、最西端のCabo Fisterraと呼ばれる場所へ。
そこには灯台があり、その周辺で巡礼を終えた人たちが持ち物を燃やしたりするのだ。

アルベルゲから灯台までは片道3kmぐらいはあり、しかもずっと上り坂。
スィナは足を痛めているのに歩いて行くと言って聞かない。
別にもう巡礼は終わったんだし、タクシーにでも乗ればいいのに。
本当に頑固だ。

灯台までの道のりは、車がびゅんびゅん通る国道沿いで結構危険。
風が強くて飛ばされそうになるし。
でも景色は最高。





岬にある十字架前で記念撮影。






ここはまさに0.0km地点。





後からマークも追い付いてきた。




この後、博物館をちょっと見学し、それから大西洋を望む。






すでに何かを燃やしている人たちもいるが、風が強くて大変危険。
しかも思いっきり「NO FIRE!」と書かれていたりして、本当はダメなのかな…?





マークが大西洋を前に瞑想している間、スィナと私はお土産物屋兼カフェに入り、まったり。
土産物には興味ない。

スペイン版アイスコーヒー。
先に温かいコーヒーに砂糖を加えて混ぜ、




そして隣の氷が入ったコップに移すだけ。





この後、一旦アルベルゲへ戻るが、もう洗濯をする気力が失せている。
シャワーを浴びたが、タオルが強烈に臭い。
そのにおいをかいで、突然「もうたくさん!」と思った。
急にアルベルゲ生活が嫌になる。


気を取り直し、港のレストランで、豪華にシーフードディナーを。
タコとかエビとか最高においしい。
お気に入りのピミエントス(ピーマン)も。
スィナのためにもちろんフライドポテトも…。







ディナーしてると、なんとそこへ見知った顔が。
怪しげなレイキを施す、ホセだ。
う~む、ここへ来てまた奴に会うとは…。

内心嫌だけど、仕方がないので笑顔でほっぺにキスをして挨拶。
Finisterreまで到着してもまだ女性相手に怪しげなヒーリングをやってるのだろうか。


食後、スィナがお気に入りのChupitos(食後の強いお酒)を。
ご機嫌だ。




そろそろ日の入り時刻近くになったので、再び岬へ。
スィナは相変わらず頑として車には乗らず歩いて行くという。
でも足を引きずって痛々しい。

スィナのためにマークが道々ヒッチハイクを試みるが、誰も停まってくれない。


なんとか日没に間に合って、雄大な景色を眺める。
沈んでいく夕陽に願いを込めて。














結局何も物は燃やさなかったけど、何かが浄化された気がする。



日が沈んでしまうと、観光客は我先にと帰路に就く。
が、スィナはバルで飲みたいと言い出す。

岬にあるバルは日の入りと共に閉店になるので、町まで戻るしかない。
強風で寒いし、急速に暗くなってきているので早く帰ろう。

スィナの足を気遣ったマークが、またもや車を捕まえて交渉を始めた。
今度は成功。
親切なドイツ人カップルが車で下まで送ってくれた。



ドイツ人にお礼を言って車を降りると、スィナがしつこくChupitos, chupitosとアル中のように騒ぐので、バルへ。
私はもうお酒を飲む気がしないので、ホットミルクのみ。


アルベルゲへ戻り、感極まったスィナとマークが「お互いのノートにメッセージを書き合おう」と言いだした。
ちなみに私はきちんとした日記らしいものはつけておらず、小さなメモに日々の出来事や歩行距離を記しているだけなので、メモ帳自体に大きな意味はない。
でもスィナやマークは旅の記録を記した大切な日記帳だ。

私はスィナとマークそれぞれのノートに日本語でメッセージを書いたが、自分は特に何も書いてもらわなかった。


最後にマークにお別れを告げる。
彼は明日の朝、早くにここを立ち数か月ぶりに家に帰る。
フランスのLe Puyからの長い長い道のりお疲れさま。


私とスィナは真っ暗な中、音を立てないように気を使いながらベッドへ戻り就寝。

帰りが遅くなることは分かっていたので、私はきちんと寝袋を整え、戻ってきたらすぐに眠れる準備をしていた。

が、スィナはどうやら準備して行かなかったらしい…。
暗闇でゴソゴソしている。

おいおい、あんたもう40日も巡礼してるんだから、段取り分かるだろうに。
そういうとこもスィナらしいな。












本日の歩行距離:約20km?
本日の歩数:39,239歩

カミーノにあしあと ~Maronas → Cee~

2011年01月26日 | Weblog
8/4(水) Maroñas → Cee
7:00頃、階下の巡礼者が出発の準備をする物音を聞いて起床。

ベッドのマットレスがあまり良くなかったので、疲れが取れていない。

7:45頃には出発の準備ができたが、2階で寝ていた人たちはまだ誰も出発する様子がない。
巡礼40日目にして初めて一番先に出発!(1階の部屋はもう空っぽになっていたけど。)



今日は曇りで山には霧がかかっている。
風が強く、寒い。
ここから10kmほどは何も出てこないので、ひたすら歩く。

歩いていると先に出発した1階の巡礼者たち(女性3人)に追いつく。
他は誰も見かけない。

とうもろこし畑が広がり、静かなカミーノで嬉しい。


Olveiroaの入口でようやく出て来たバルで朝食。
今風のおしゃれなところだった。
Olveiroaはもう少し大きな町かと思ったが、特になにもなく、本当に村という感じだった。
でも歩道が整備されていて、花が植えられていたりして、とても奇麗な村だ。



さらに5kmほどひたすら歩く。

途中、スィナと道端のベリーを摘んで食べながら歩く。




巡礼初期に道端のさくらんぼを摘んで食べたことが懐かしく思い出される。
そういえばスィナと2人、山の中でさくらんぼの種飛ばし競争をしたもんだ。




さて、私たちはFinisterreへ向かっているが、先にMuxíaに行き、最後にFinisterreで巡礼グッズを燃やす方が良いだろうかと話しあう。
Santiagoから先のガイドブックは持っていないので、あまり状況が分からない。



FinisterreとMuxíaの分岐点にあたるHospitalのバルで、店のおばさんに情報をもらう。
おばさんによると、ここからFinisterreへ向かう途中の町、Ceeまでは15km。(ガイドブックには12kmと書いてある。)
その間、お店も何もないので、ボカディーヨなど食料をしっかり持って行った方がいいと勧められる。

ちなみにMuxía方面に向かうと?と聞いてみると、途中にペンションしかなくアルベルゲはないとのこと。

じゃあやっぱりCee経由でFinisterreを目指しましょうということになり、まずはフレンチトルティーヤ、トマトのボカディーヨ、コーラで腹ごしらえ。

道中用には、チーズとトマトのボカディーヨ、バナナ、水を入手。



ここが分岐点。
右へ行くとMuxía、左へ進むとFinisterre。







左へ折れて少し進んでいくと、カミーノが封鎖されている。
回り道をするようにとの看板があったので、それに従って歩いて行くと、脇道からおじさんが2人出てきて「カミーノはあっちだよ」と言う。
「でも通行止めでテープが張ってあったので」と答えると、「大丈夫、大丈夫」と私たちを誘導。
そして、通行止めのテープと看板を外して、ガンガン中へ入って行く。
か、関係者?!

カミーノを歩きはじめると、重機で作業していたりする。
だから通行止めになっていたのか。
でもおじさんの許可もらったからいいのか。


大きな岩があったので、スィナが写真を撮っていると、また先ほどのおじさんたちが現れた。
どうやら1人は考古学者、もう1人はカミーノ友の会の人らしい。

「この岩は3000年前のものでね」などとうんちくを垂れてくれた。
スィナは「オランダにも古い岩があって、もっと小さいのにみんな騒いでるわ。ここの岩の大きさを見たら、オランダの名所なんて吹き飛んじゃうわね」と、家族に送るためせっせと証拠写真を撮っていた。



これまでのカミーノと違い、この道は粘土質な黒土で、松なども生えている。




途中、何台も重機が採石作業やら何やらしていた。


しばらく行くと教会が出て来た。
教会前には馬で旅をしているスペイン人家族が休憩していた。

私たちも教会前で休憩。
奥さんの方が「カップを持ってないか」と聞いてきた。
どうやらColacao(ココアの様な飲み物)が飲みたいけど、容器がないらしい。
牛乳と混ぜて作るので器が必要なのだ。

Iracheで蛇口から出るワインを飲んだっきり使ってなかったカップを貸してあげると、彼らはお礼にパンをくれた。

小学校低学年ぐらいの子供はわりと英語が分かるようだったが、親2人はほとんどできなかった。
馬巡礼に犬も連れていて、名前はベティ。



リュックが重いので、軽くするためにバナナを食べ、水を飲む。
その後ひたすら、延々と道が続き、本当に何も出てこない。
景色もほとんど変わらず、結構つらい道のりだ。
もういい加減巡礼生活も長いので、膝が痛くなってきた。


2時間以上、何もないところを黙々と歩き、ちょっとした石垣の残骸みたいなのがあったのでそこに腰をおろしてボカディーヨを食べる。

長ズボンを履いているのに、黒い土埃で足が真っ黒に汚れている。
はぁ~、あとどれくらいだろうか。



休憩を終えて坂を上るといきなり海が見えた!
Ceeだ




おおっ!
この時の感動と言ったら!


ずっと山の中を歩き続けてきて、初めて海を見ると感激。
このカミーノで一番感動した瞬間だと思う。
Santiagoのカテドラルに到着した時よりずっと達成感がある。

海を見て、ああ、ここまで歩いて来て本当に良かったと心から思う。







下り坂は石がゴロゴロしていてきつい。
やっと下り終え、最初に出て来たバルで到着を祝って乾杯。
飲み物はもちろんクララ(レモンジュース入りビール)にしよう!

おいしい!

スィナが「ここでクララとは良いアイデアだわ~」としきりに感心するので、「こういうことには天才的な能力を発揮するのよ、私」と答える。



さて、一服したのでアルベルゲを探そう。
途中で矢印や標識がなくなったので、アルベルゲの場所が分からず人に聞く。

教えられた通りに進み、また迷っていると地元のおじいちゃんが「あっちだよ」と教えてくれた。

が、それらしき建物が出てこない。
なんか、政府系の建物みたいなのが出て来たので、聞いてみようと中に入るが守衛室は空っぽ。

う~ん、どうしたことか。
スィナと二手に分かれて付近を探していると、フランス人のおじさんに声をかけられた。

彼も巡礼者らしく、「アルベルゲはそこだから」と先ほどの守衛のいない建物に導く。
なんか、まるで刑務所みたいな造りなんですけど。


フランス人に案内された部屋はベッドが数台あり、あとはコンクリートの床に直接マットレスが敷いてある。
何人かの巡礼者の荷物はあるが、人はいない。

オスピタレロもおらず、なんとも汚く変な場所だ。
治安的にもどうなのだろうか…。
スィナも同様に感じているらしい。


そういえばさっきクララを飲んだバルで、私営アルベルゲのチラシをもらってきていたので、そっちを探すことにした。
どうしてもチョイスがなければこの場所でも仕方ないが、どうもこの刑務所みたいな場所は気にかかる。
フランス人の目を盗んで、こそこそっと退散。


さて、私営アルベルゲの方はきちんと住所も書いてあるのだけれど、人に聞いても適当なスペイン人なので適当に教えられ、一向に正しい場所へたどり着かない。

そうこうしているうちに、とある親切なおじさんが「連れて行ってあげるよ」と誘導してくれた。
ほっとしてついて行っていたら、気が緩んだのか、疲れがたまっていたのか、ちょっとしたスロープでスィナが派手に転倒。

周りの人たちもびっくりして駆け寄って助け起こしてくれた。
ここでスィナは膝を強打し、血が出て来た。
今まで巡礼中怪我などなかったのに、ここへ来て負傷か。



ようやく私営のアルベルゲに到着。
10ユーロと少々高いが、小奇麗。

ここのオスピタレラはドイツ語ができるらしく、スィナとドイツ語で話し出した。
その後、なぜか私にまでドイツ語。
いや、大体何言ってるか分かったけどね、「洗濯機使う?それとも手洗い?」でしょ。
分かったけどドイツ語で返事できないので、身振り手振りで「手洗い」と伝える。
だからなんでドイツ語なんだよ~。

あとでスィナに聞くと、彼女のドイツ語はかなりブロークンで、分かりにくかったそうだ。
練習したかったんだね、きっと。


Ceeに到着したのは17:00だったのに、色々あってアルベルゲにチェックインできたのは18:00だった。
なんだかどっぷり疲れた。


シャワー室は奇麗だったけど、このアルベルゲの欠点は洗濯物が部屋干しなこと。
あ~あ、また乾かないよ。
そろそろ臭いも気になってるんだけどなあ。



夕方になり、アルベルゲの隣のバルで夕食。
9ユーロで食後のコーヒーまで含まれてお得だけど、せっかく海辺の町にいるのにこの格安メニューにはシーフードがついていない…。
スィナが転倒で足も痛めているし、かなり疲れている様子なので、今日の町歩きはナシ。
せっかくカルフールなんかもある大きな町なのに。

仕方なく、アルベルゲでちょっとインターネットを使ってから就寝。
スィナの隣のベッドのおばさんのイビキがうるさく、あまりよく眠れなかった。



この日、なぜかとても、とても寂しく感じた。



本当のゴールが近づいてるなあ。
















本日の歩行距離:約30km
本日の歩数:50,442歩

カミーノにあしあと ~Negreira → Maronas~

2011年01月25日 | Weblog
8/3(火) Negreira → Maroñas
前日から予約制の朝食@アルベルゲ。
2.5ユーロでクロワッサン、トースト2枚、コーヒーがついており、なかなか良かった。

そういや昨日のドイツ人青年、「子供の時から聞いてた日本語の歌が大好きなんだけど」と言って自分のiPodで聞かせてくれたが、それは日本語ではなかった…。
しいて言うなら縄文語みたいな響き。



8時過ぎにアルベルゲを出発し、西を目指す。
この町はあまり奇麗な町ではなかったが、町を出る際に城壁跡のようなものがあり、そこだけはわりと雰囲気が良かった。






これまで幾度も麦畑やブドウ畑を通り過ぎて来たが、SantiagoからFinisterreまでの道のりはトウモロコシ畑が広がる。




なぜかSantiago以降は標識の数字が詳細となる。
Finisterreまであと55.379km。




アルベルゲを示す看板もかわいい。





SarriaからSantiagoまでは人が多くて辟易したが、今歩いているカミーノはほとんど人がおらず、静かで緑も多く気持ちいい。



スペインのお墓は大体みんなこんな感じだった。




ルーもはっきりとは知らないし、なかなか人に聞きにくいと言ってたが、おそらく各層に棺が納められているのだろう。
アルベルゲの2段ベッド、3段ベッドを思わせるので、私が「アルベルゲ方式」と名付け、皆が爆笑した。




延々と歩くがバルが1軒も出てこず、しんどい。

黙々と歩いていると、スィナが「あなたは考えたいの?それとも話したくないの?」と聞いてきた。
「別に今何も考えてない。最後のカミーノを楽しんでるだけ」と答えると、「じゃあ邪魔しないでおくわ。質問はディナーの時にでもできるし」と意味深な言葉を残してプイと先へ行ってしまった。
なんなんだ、おばちゃん。

でもまあスィナがいなくなって、しばらく1人でのカミーノを楽しむことができた。
やはり巡礼はこうであるべきかもしれない。


Negreiraから13kmぐらい行ったところのVilarseríoという村でようやくバルが出て来たので休憩。
ベーコンとチーズのボカディーヨを注文する。
ところでBACONの発音が良く分からなかった。
スペイン語風に発音すれば「バコン」?
が、バルにいたスペイン人巡礼者が「ベーコンは英語と同じ発音でOK」と教えてくれた。
紛らわしいな…。



今日は道中、修道僧のような服装をした男性を見かけた。
この後Maroñasのバルで再会し、好奇心旺盛なスィナが早速話しかけた。
その男性はもう2年もカミーノを歩いているという。
それは単なる浮浪者と呼ぶのではないか…?

が、スィナはいたく感激し、「オランダに行ったら私の友達に連絡してあげて。きっとあなたの話が聞きたいと思うわ」と誰かの連絡先を渡していた。
おいおい…。

実は後日、別の巡礼者から「あの修道僧、偽物らしいよ」と聞かされたスィナはいたく憤慨していた。
「もう、私ったらすぐ騙されちゃうのよ!今度奴に会ったらあの連絡先返してもらわなくちゃ!」と。

そもそもすぐに何でも信じ込むあんたが悪いよ…。
しかも他人の連絡先まで教えちゃってさ…。

私が「だけど彼が偽物だっていう証拠もあるわけじゃないから、結局のところは分からないじゃない」と言うと、「それもそうね」と言いつつ、もうすっかりスィナの頭の中は「例の修道僧=ニセモノ」で固まっている様子だ。



さて、修道僧と話をしたバルから少し進むとANTELOというバル&アルベルゲが出て来た。
先にチェックインした女性(先のバルでベーコンの発音を教えてくれた人)によると、なかなか快適なアルベルゲだと言う。

オーナーに聞く前にこっそり中を見させてもらう。
2階建の民家がアルベルゲになっている。
なんとなくスィナが気に入らない顔をしているが、次のOliveiroaまではあと11kmほどもある。
そうなるとトータルで33kmぐらい歩くことになり、ちょっとしんどい。

バルに行き、ベッドの空きを確認し、一応他にアルベルゲはあるかどうかも聞いてみた。
が、この辺りにはここしかない様子。

近くにいたスペイン人巡礼者が「ここのディナーはおいしいよ」と言った瞬間、スィナの心が決まった。


10ユーロ払い、シャワー、洗濯を済ませる。
チェックインしたのが14:30ぐらいだったので、まだ時間はたっぷりある。
周辺を散策してみるが、本当に何もない。

ウロウロしているとすれ違ったフランス人のおじさんら2人に、「なんかあっちにあった?」と聞かれ、「ちょっと先にバルがもう1軒あっただけで、他は何もないよ」と教えてあげると苦笑いしてた。
お互い、暇を持て余している模様。

スィナはアルベルゲ前の椅子に座ってしきりとドイツ人と話をしている。
どこまでもドイツ人好きだなあ。

スィナが話していたドイツ人夫妻が、カミーノを少し戻る形になるが近くに教会があると教えてくれた。
暇だし、行ってみるか。



スィナと2人でまずは修道僧と話をしたバルでコーヒー休憩をし、バルの人に教会の場所を教えてもらう。
ここからほんの1kmほどしか離れていないので早速行ってみたが、残念ながら教会は閉まっていた。




Santiagoを出発してから、教会やバルでスタンプをもらっていない。
今日はアルベルゲの1個だけだ。


ところでスィナは最初、Finisterre往復を歩くと宣言していたが、ここへ来てやはり帰りは歩かないと決めたらしい。
帰り道も一応矢印が書いてあったが、往路ほど分かりやすくなっていないことで不安を感じたようだ。
私は片道しか歩かないと宣言していたので、帰り道1人になって迷うのが嫌らしい。

FinisterreからMuxíaまでは行くつもりらしい。
私もそこまではスィナにくっついて行かないと、キャッシュが尽きてしまうので困る。
手持ちのお金が100ユーロを切った。


今はカミーノを楽しむ気持ちと、一刻も早く終わらせて帰りたい気持ちが交錯している。
特に洗濯はもう嫌になってきたよ。


夕食はドイツ人のクラウスとソニア夫妻、スペイン人のニエベスと一緒に食卓を囲む。
ニエベスは英語を話さないので、限られたボキャブラリーを駆使してスペイン語で話すしかない。

ちなみにこのニエベス、ちょっと変わった感じなのでカミーノで会った時もあえてこちらから話しかけずにいた。
じっくり話してみると、案の定強烈な個性の人で、身振り手振りがかなり大げさだ。
そして私たちに元夫や息子、フィアンセの自慢話を延々と続け、写真を何枚も見せてくる。

最初、「夫はどこどこで働いてて」みたいな話をしだしたので、「へ~、そうなんだ」と聞いてると、今度は「それで私のフィアンセがね」と話題が変わり、「え?フィアンセ?夫はどうした?」と思っていると、夫とはすでに離婚していることが分かったり。
息子がガードマンか何かで著名人の警備をしているらしき写真を見せてきたり。

正直、その場にいた巡礼者全員、ほとほと疲れ切った…。


適当なところでディナーを切り上げ、ニエベスのおしゃべり攻撃から逃れてベッドへ。














本日の歩行距離:21.4km
本日の歩数:36,014歩

カミーノにあしあと ~Santiago → Negreira~

2011年01月22日 | Weblog
8/2(月)

アルベルゲにてクッキーとコーヒーで軽い朝食。
すぐそばにあるかなり近代的な教会が見える。
コンクリート造りでモダンな感じの教会は、これまで巡礼中に見て来た数々の教会とずい分違う。

今日、スィナと私は西の果てFinisterreを目指して再び歩きはじめる。
ルーとトマスは10:00にマルコスが車で迎えに来てくれるので、Finisterre日帰りをするらしい。

なんだか実感がわかないけれど、ルーとトマスにお別れを告げ、歩きはじめる。


リュックを背負い、慣れた光景に戻る。
やっぱり歩けるって最高に幸せなことだ。


出発前、スィナが「私、靴を最初のアルベルゲに忘れて来たみたい」とのたまった。
Santiagoに到着してからスポーツシューズを履いていたので、今まで気づかなかったらしい。
「なんかリュックの中にスペースあると思ったのよねえ」と。

仕方がないので、もう戻りたくもない例の教会のアルベルゲに靴を取りに戻る。
オスピタレラたちとは会いたくないので、裏手からのルートで中庭へ侵入。
そこに干しっぱなしのスィナのトレッキングシューズ、あったあった。


さて、ちゃんとした朝食を食べたいのだけれど、バルがことごとく閉まっている。
そこでスィナが「思い切ってパラドールで食べない?私が奢るわ」と提案。

パラドールは私が8月9日に宿泊予約を入れている高級国営ホテルだ。
まずは中に入り、階段を上がってレストランへ。
「巡礼者」と書かれた看板があるので、巡礼者OKなのだろう。

2階のレストランで「朝食を食べたいのですが」と言うと、やはりそこは高級ホテル、1人20ユーロほどするらしい。
「パンとコーヒー程度の簡単な朝食なら1階のバルでも提供してますよ」と言われ、1階へ。

バルへ行き着席するも、さすがパラドール、店員もやや高慢な感じでなかなか注文を取りに来てくれない。
ずい分待ってようやく来てくれたので、いつもの感じでオレンジジュース、パン、コーヒーを注文したところ、出て来たものはこれまであちこちのバルで食べて来たものとは似ても似つかないちっちゃいのだった!

なんなんだ、このクロワッサンのサイズは…。




もちろん一緒についてくるジャムとかがちょっと高級だけどさ。

そしてさらに驚くべきことに、この小さな朝食が2人で22.7ユーロ!
高っ!!!

スィナが「このレシート、記念に取っとくわ」と。
それにしても、人に奢るのに何度も高い高いと連呼し、レシートを取っとくとか言うし、オランダ人ってあんまり相手への気遣いないんだね。
普通、人に食事おごる時って、心の中では「ちょっと高いな~」と思っても、相手に気を使わせないように口には出さないじゃないですか、日本人としては。



いざFinisterreへ向かうその前に、ダメモトでもう一度両替所に行ってみる。
実はSantiagoの町にはいくつか両替所があったけど、ずっと閉まっていた。
お土産屋さんの一角にある両替所、お店の人に聞くと「月曜の10時」と言われたので、土日だから閉まってたのかと思ったのだが、月曜のその時間になっても開いてない。
さすがスペイン…。
結局Santiagoでも両替できず。


両替を断念し、オブラロイド広場をもう一度横切ってカミーノへ戻ろうとした時、地元のテレビ局に声をかけられた。
オブラロイド広場では連日、到着した巡礼者らへのテレビインタビューなどが行われている。

が、問題は言葉である。
レポーターは一切英語が話せないので、オールスペイン語でのインタビューとなる。

スィナは舞い上がってしまったのか、質問されたことと関係ないことを話している。
しかも結構めちゃくちゃなスペイン語で。
おいおい、あんたのスペイン語、私よりよっぽどうまかったはずなのに何故?
レポーターもわけのわからない外人を捕まえてしまったと、ちょっと困り顔になり、早々にインタビューを切り上げられてしまった。
たぶん私らのインタビュー場面、カットだね。



Santiagoの町はごった返しているが、ひとたびカミーノに戻ると人もいなくて快適。
景色も奇麗だ。


遠くにSantiagoのカテドラルが見える。




これ、雨の多いガリシア地方に多い高床式の穀物倉庫。




これまで見たものは年代物のボロボロの石造りのやつで、屋根に十字架が乗ってたりするので思わず「お墓?」と思うようなものだったが、今日見たやつは最も新しくて奇麗なものだった。


久しぶりに自然の風景に触れ、心が休まる。
やっぱりカミーノはいいなあ。









10km弱進んだところのAmesという村でボカディーヨとコーラ休憩。
さらに6kmほど進んだTrasmonteという場所にあるバルで再び休憩し、アクエリアスを飲む。
バルのおじさんが珍しそうに「どこから来たの?」と話しかけてきた。
お客のおじさんらも興味津々で目線を送ってくる。
Santiagoから先を目指す東洋人は少ないのか?

バルの奥には他にも数人の巡礼者がいた。
これまでも何度か見かけた韓国人の女の子は、Finisterreの前に先にMuxíaを目指すそうだ。
私たちはまずはFinisterre、それからMuxía。



途中、ルーからメールが入る。
何がどうすれ違ったのか知らないが、マルコスと合流できず、したがってFinisterreにも行けなかったらしい。
気の毒に…。



Santiagoから22kmほど歩いてようやくアルベルゲのあるNegreiraという町へ到着する。
町に入ると公営アルベルゲの看板がすでに「満室」と告げている。
私営アルベルゲがいくつかあるはずなので、そっちをトライ。

大通り沿いに出て来た私営アルベルゲ、ベッドの空きはまだあり、1泊9ユーロ。
もう私はかなり疲れているので、ここに泊まりたい。
が、スィナが洗濯干し場とガーデンがないのが気に入らないと言いだす。
町中にあるアルベルゲなので、洗濯物は室内干しとなっているし、裏庭の様なものも当然ない。

この期に及んでまだガーデンがどうこうと言いだすスィナに思わずキレる。
坂を上って行った先にもう1軒私営アルベルゲがあるらしく、そっちも見たいと言うので思わず私は「じゃああなたはそっちへ行けばいい。私は今日ここに泊まるから!」と宣言。
常に一緒に行動するのももう限界だ。


ところがその後のスィナの言葉に一気に怒りが萎えた。

「じゃあ、ディナーは何時に待ち合わせする?」


おい…。
ディナーの心配かよ。


待ち合わせとか、考えるのも面倒くさいので(というか、今日は一緒に食べなくてもいいとさえ思っていた)、「分かった、とりあえずもう1軒のアルベルゲ見に行くよ…」と私が折れ(というか心が折れ)、一緒にもう1軒のアルベルゲへ。


この日の道中、1人のドイツ人青年と何度か抜きつ抜かれつしていた。
Negreiraに到着した時も彼と同じタイミングで、お互いアルベルゲを求めてフラフラしていた。
2軒目のアルベルゲから彼が出て来たので、「ベッド空いてなかったの?」と聞くと、「ベッドは空いてるけど、予算外だ」とのこと。
聞いてみると、1泊12ユーロもするらしい。
まだ新しくて設備は整っているみたいだけど。

「いくらまでなら出せるの?」と聞くスィナに「6ユーロ」と答える青年。
するとスィナは「差額は払ってあげるからここに泊まりなさい」と。

…。
あのさあ、親切なのはいいんだけど、そんなことしてたらキリなくない?
しかも私たちのお金は共同管理なんだから、あなたが勝手な判断で奢るって言った分、私の財布からも出てるんですけど。
ちょっとまたムッとする。


アルベルゲには毛布とタオルもついていて、かなり快適だ。
が、びっくりしたのはそこまで新しくて設備がいいアルベルゲなのに、シャワーが複数名共有スタイルになっていたこと。
洗面台の奥にあるカーテンを開けると、広い空間にシャワーヘッドが3つ…。
何故…?

幸い私たちの他に使う人がおらず、スィナが譲ってくれたので先に1人で浴びさせてもらう。


チェックイン時、スィナが「ガーデンはある?」とオスピタレラに聞いてて、「ありますよ」と言われたんだけど、結局ふたを開けてみれば単に物干しロープが外にあって、ベンチとテーブルが置いてある程度でガーデンなんてものはなかった。



フロント前にあるパソコンで日本語が読めたので、マドリッドのホテルを探して予約。
夕食は近くのバルでタパスにした。






2人で22ユーロ。
結局いつもの巡礼者メニューと同じぐらいお金かかってるなあ。
さらには今朝のパラドールでの朝食と同じ値段というのが怖い。
恐るべし、パラドール。


食後、スーパーに行き買い物。
私は日本から持ってきた日焼け止めがもうなくなりかけているので、新しいものを買いたい。
肌に優しいタイプのものを発見したが、なんと13.98ユーロ。
痛いなあ…。
しかも容量が大きくて重い。
でも背に腹はかえられないので購入。

スーパーの近くにあったATMを2台試してみたが、またもやキャッシングに失敗。
「本日の限度額に達しています」とか、わけのわからないメッセージが表示される。
やっぱスペイン嫌い。
でもバルのおじさんは親切だった。













本日の歩行距離:22.4km
本日の歩数:29,873歩

カミーノにあしあと ~Santiago~

2011年01月21日 | Weblog
8/1(日) En Santiago
翌朝。
7:30頃に起床し、身支度を整える。

この36日間、毎日歩き続けて来たので、歩かなくていい日は何をしたらいいのか分からず、とまどう。


外は霧が出て肌寒い。
アルベルゲの一角にあるテーブルで朝食を摂っていると、目の前に座った女性が「Finisterreまで歩くの?じゃあ洗濯用洗剤いる?」と言ってきた。
せっかくなのでもらっておこうかなと思い、「うん、いる!」と答えると、想像していた形状とは違い、大きなタブレット状の洗剤だった。
入浴剤のバブをもうちょっと大きくしたぐらいのが3つ4つセットになっている。
お、重い…。

今さらいらないとは言えず、仕方なくリュックに押し込むが、一部はそっとアルベルゲの洗面所に置いといた。



今日は1日Santiagoの町を散策し、もう1泊ここで過ごしたい。
普通アルベルゲは連泊できないことになっているが、Santiagoはゴールだし、昨夜もベッドが満床になってなかったし、大丈夫かな?
ルーとスィナがオスピタレラに聞きに行ったところ、一旦荷物を持って外出し、19:00頃に戻ってくるようにと言われたとのこと。
その時点でベッドが空いていればOKということだろう。


出かける準備をしていると、誰かが目の前に立った。
ふと顔を上げると、(スィナが嫌っている)メキシコ人のダニエルだった。

「おお!ダニエル!久しぶり!」と声をかけたが、どうもダニエルはグロッキーな感じで元気がない。
スィナの隣のベッドに荷物が置かれたまま不在だったので、どうやらダニエルは昨夜どこか飲み歩いていて門限に間に合わず、外で夜を明かしたものと思われる。


アルベルゲは寄付制なので、5ユーロを寄付。



まずは重いリュックがあると邪魔なので、巡礼事務所隣の手荷物預かり所に預ける。
夜まで預けられて2ユーロだ。

身軽になったところで朝食へ。
トマスはスーパーで何か買ってその辺で食べようと言うが、今日は細かい雨が降っているし、寒いので私が却下。
バルでトーストやコーヒーの朝食にすることにした。

ルーだけはスペイン名物のChocolate con Churros(チュロスとホットチョコレート)を食べたいと言い、それを探しに出かけて行った。


朝食場所に見知った顔がやってきた。
スウェーデン人の女性ら数名のグループ。
昨夜はホテルに宿泊したそうで、広場のイベントや花火も見れてとてもよかったとのこと。
みんな正午のミサに出席予定だ。

今朝見かけたフランス人のジュリアンから聞いた話では、カテドラルには巡礼者専用の入口があり、そこでクレデンシャルを見せれば列に並ばずに入れるとのこと。
スウェーデン人たちにも教えてあげた。


その後、時間潰しにお土産屋さんを物色。
ルーがロザリオのお土産を買う。
スィナは以前見かけたPeregrinoをもじったPengurinoというペンギン柄のTシャツを孫のノアに買いたくて探しているが、見つかっていない。
もっと早くに買っておけばよかったのか。
でもSantiagoに着いたら絶対売ってると思ったのになあ。


正午のミサにはマルコスも参加する予定だ。
カテドラル前で待ち合わせしている。
昨日の見学の列を見ても、かなり早めに並んでおかないといけないような気がするのだが、マルコスが「15分前で大丈夫!」と言ったのでその時間に行ってみると、案の定長蛇の列だった。
ほら~、やっぱり。

Santiagoには巡礼者意外にも観光客がたくさんおり、日本人観光客もちらっと見かけた。
多くの人がミサに参加しようとしている。

あ、でもジュリアンから聞いた「巡礼者専用入口」はどこだ?
とりあえず私たちが並んで場所を確保している間、ルーが聞きに行ってくれたが、警備員に聞いても分からなかったという。
そもそも巡礼者専用入口なんてないのか??
巡礼中は多くのガセネタに接するので、疑わしい。


結局ずい分並んでからようやくカテドラル内へ。
今年は聖年だしセキュリティが厳しめと聞いていたけど、入口前の持ち物検査は意外なほどあっさり。
私はわざわざウエストポーチを開いて準備していたのに、チェックすらされなかった。


カテドラル内は大混雑。
すでに座席は埋まっており、周りを大勢の立ち見客(?)が取り囲んでいる。
人ごみをかき分け、ミサが見られる場所を確保するのが大変だ。

そして場所取りをめぐってちょっとした諍いが起こるのもどうかと思った。
まあ、諍いを起こしたのは我らがルーなんだけどね。
私たちが入って行くと文句を言った観光客だか巡礼者だかがいて、それに対しルーが「別にあんたら見えるでしょ!邪魔してないじゃん!」と応戦。
うう、巡礼を終えて神聖な場所に来たはずなのに…。


場所を移してようやくミサがスタート。
だけど、先日ちらっと見かけたスロバキアからの団体客(スロバキアと書かれた同じTシャツを着ている)が座席に大勢陣取っており、彼らの内の何人かが神への忠誠を示すために座らず立ったままだったりして、非常に邪魔。

スロバキア人同士でも途中で「ちょっと座りなさいよ!」的にTシャツを後ろから引っ張る人、それを振りきって頑として座らない人などがいた。


なんとなくまだ実感が湧かないけれど、Santiago de Compostelaに到着したんだなあ、このミサで祝福を受けているんだなあ、全ての罪が赦されるんだなあ、などと漠然と考える。
病気もせず怪我もせず無事にここまでたどり着けたことに、まずは感謝。

巨大なボタフメイロを揺らす儀式が始まり、ミサはクライマックスに。
天井からロープで吊るされた大きな香炉が振り子のように揺れ、薬草のにおいが立ち込める。
あまりに人が多く、前が見えづらいので、写真は1枚しか撮らなかった。





ボタフメイロが終わって聖職者たちがぞろぞろと退場する時、スィナが「ほら、あの人!ミシェルよ!」としきりに指さすが、誰の事だかわからなかった。
ミシェルって誰だっけ?

後で聞いた話では、カミーノの途中で会った最高齢のフランス人がその中にいたというのだが、同じミサに参加していたというマークもそんな記憶はなく、スィナの言ってることが正しいのか、単なる他人の空似なのかは未だ不明。

ミサは1時間にも及び、立ちっぱなしの私たちはかなりしんどかったけど、ボタフメイロが見れたので良かった。
聖年の今年は毎日ボタフメイロを行っていると言う噂と、やってない日もあると言う噂の両方を聞いていたからだ。
Santiagoに来てボタフメイロを見ずに帰るわけにはいかないだろう。



群衆に押し出されるようにカテドラルの外に出て、しばらく広場をブラブラした。
こんなにたくさん人がいるのに、カミーノで出会った懐かしい顔は見当たらない。

すると再びジュリアンに遭遇。
ジュリアンによると、やはり巡礼者用入口は存在するとのこと。
オブラドイロ広場からカテドラルに向かって左手らしい。
う~ん、でも警備員とかに聞いても分からないと言われてしまうところがスペインらしい。


Santiagoの町中にはいくつかインフォメーションオフィスがあり、何でも親切に教えてくれる。
明日、私とスィナは再び西の果てFinisterreに向かって歩きはじめる予定にしているが、ルーとトマスはそれぞれSantiagoを離れる予定だ。
インフォメーションで空港バスのことなど聞き、地図をもらう。
ついでにこの辺りのアルベルゲについても聞いてみたが、昨夜泊まったところが一番近く、その他のアルベルゲは少し町の中心部から離れている。
しかも予約が入れられるのですでに満床のところもあるという。

再びあのアルベルゲにはあんまり泊まりたくないけど、しょうがないかな。



さて、ランチタイムです
何食べる~?

トマスが「パエリアを食べたい」と言ったので、「いいねえ」とノリノリになり、お店を探す。
でもマルコスが「他に良いお店がある」というので、ついて行った。
地元の人が言うんだから間違いないだろう。

が、マルコスに連れて行かれたお店は日曜日閉店。
やっぱりスペインだ。

でも観光都市なので周りにたくさんお店がある。
ちょっと高いところは避けて、そこそこなお店を探そうとするが、マルコスが「観光客が行くような店は紹介できない」と言う地元民のプライドを捨てることができず、なかなか了承しない。

だんだん私たちも歩きまわることに疲れてきて、「もうどこでもいいよ~」となる。

結局、なんということもない普通のカフェでサンドイッチと相成った。
マルコスはかなり不満そうだったけど、私とルーがキレ気味に「もうどこでもいいってば!」と。
ああ、巡礼して洗礼を受けたばかりなのに、またキレてしまった…。


ジュリアンも一緒にランチしていたが、どうも私たちのグループとはあまり気が合わないようで、道行く人の中に顔見知りの巡礼者を見つけるとさっさとそっちへ行ってしまった。
結局私はジュリアンとはほとんど会話もしていない。



ランチ後、ルーと私はインターネットカフェへ。
ルーはSantiagoを列車で離れて帰国する予定。
私はSantiago→Madridのフライトを押さえたい。
スィナ、トマス、マルコスとは後で広場で合流する約束をして別れた。

ネットカフェでイベリア航空のチケットを検索してみるが、意外と高い。
するとルーが「ライアンエアーをチェックしてみたら?」と言う。

ライアンエアーのことは知らなかったが、格安航空会社らしい。
検索してみると、イベリア航空より断然安い!
「荷物の制限とか色々あるけど、ライアンが一番安くて便利よ」とルー。

ありがとう。
早速オンライン予約。

この後ルーは「直接駅に行かないといけないみたいだから、私行ってくるわ。遅れる時はメールする」と言い残し、一人駅へ。


ルーと別れてカテドラルへ向かって歩いていると、偶然にもスィナ、トマス、マルコスに再会。
みんなでバルへ行って時間をつぶすことに。

お茶を飲んでると、マルコスの彼女が到着。
サンドラという名前で、明るくてかわいい。
そしてやはり、声がかすれている。。。


みんなでバルのテラスで談笑していると、メキシコ人のダニエルが通りがかった。
ダニエルのことが大嫌いなスィナは必死に隠れようとする。
別に嫌いでも隠れなくてもいいのに…。
そばに寄って来てもコーヒーおごらなきゃいけないわけでもないし…。

ダニエルの方はと言うと、相変わらずちょっと険しい表情で、私たちには目もくれず、かといって何か目標がある風でもなくフラフラと歩いている。


そして通りを挟んだ向かいの建物の柱の陰に腰を下ろした。
そこで私が見たものは…、


ダニエルがリュックからラップトップパソコンを取り出した


えええ
スィナやポールが言ってたことは正しかったのかも知れない。
パソコン持ち歩いてるのに、周りの人から寄付してもらうって…。
やはり彼は信用ならぬ人物なのか。



夕方までまだ時間があるので、マルコスとサンドラの案内で近くの丘へ。
移動式遊園地があったり、出店があったりしてにぎやか。
丘の上の公園からは、カテドラルが見える。




今日のお天気は曇り時々晴れ。
風が強いため、日が照っていると暑いけど、曇ると途端に肌寒くなる。
上着を脱いだり着たりと忙しい。


散歩から町の中心部へ戻ると、とあるバルのテラスで音楽を演奏するミュージシャングループがおり、人だかりができている。
途中でそのうちの一人が踊りだしたり。






どうやらポルトガルから来たグループみたいだが、なかなか良かった。
スィナが路上に置かれた帽子にコインを入れる。
ああ、なんか、私たち巡礼を終えてシティライフに戻ってきたのね。



さて、18:30にルーとオブラロイド広場で落ち合い、預けていた荷物をピックアップして昨夜のアルベルゲへ。
19:00に戻ってくればもう1泊とまれると聞いていたし。


と・こ・ろ・が、

アルベルゲへ行ってみると、「昨夜泊まったから連泊は無理です」とむげに断られる。

えええ???

今朝はOKって言ったじゃん

昨日はあれほど意味もなく笑顔で抱きしめてくれていたオスピタレラやシスターが、手のひらを返したような態度。
スペインって信用できない。。。

さすがにスィナも「だめならだめでいいけど、『今朝は泊まれるって言ったけど状況変わったからごめんね』でもなく、あの態度って…」と不満をあらわにしていた。
修道着を着た鬼やね、あの人。



こっちは1日歩きまわって疲れているのに、重いリュックを背負ってアルベルゲ難民となる。
今日は町歩きだからビーチサンダルでいいかと思っていたけど、朝雨が降っていて肌寒かったのでトレッキングシューズ履いといてよかったよ。

途中で出会う巡礼者たちにあれこれ聞きながら、町の中心部からかなり離れたアルベルゲを目指す。
30分ほど歩いたところでドイツ人の若者グループに遭遇。
彼らはこの先の新しくて奇麗なアルベルゲに泊まっているという。
親切な彼らに導かれ、大型アルベルゲへ。

そこは6ユーロでシーツもあり、かなり清潔な大型YHと言った感じ。
まだベッドの空きはたくさんあった。

荷物を置いたあと、ドイツ人たちに教えてもらったピザ屋へ行こうと歩いていると、一旦別れたマルコスとサンドラに再会。
こちらまで迎えに来てくれたようだ。

ピザのつもりでいたが、角にあるPulperia(タコ専門店)に入ることに。
やった~
Santiagoのタコ料理は有名だし、楽しみ~



店内は地元の人たちでにぎわっており、期待が高まる。


サンドラとマルコス。




お茶碗のような形の器でワインを飲み、タコ、パプリカ、豚肉などの料理を注文。
スィナの希望でポテトも。(またか!)








お気づきかもしれませんが、ルーのTシャツは偶然にもタコ柄。




ガンガン行きます!
ご機嫌です!









マルコスとサンドラがずい分とお金を出してくれたので、本日のディナーは1人5ユーロで済みました。
ありがと~~~



タコで幸せになった帰り道、ルーにジャケットです巻きにされた酔っ払い、スィナ。




私もルーにおんぶしてもらって写真撮ったんだけど、誰が写真持ってるんだ~?


アルベルゲへと続く階段は、手を取り合って踊りながら。
(完全な酔っ払いです。)




ああ、今日はミサで罪が赦されたし、アルベルゲではちょっと嫌なこともあったけど、やっぱり最後にはちゃんと寝る場所がみつかったし、おいしいタコ料理食べれたし、今日も本当に幸せな1日だった。

どんなに大変でも、1日の終わりは丸く収まるのが巡礼ミラクル。
守られてるって感じがする。


感謝しつつ、就寝。





なぜか本日、25,772歩。
距離にして17kmほど。

歩いたな~。