地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと 32

2010年11月29日 | Weblog
【32日目】7/27(火) Barbadelo → Gonzar
6:00起床。
外は真っ暗で霧が立ち込めている。
暗闇の中、懐中電灯を手にした巡礼者たちが次々とアルベルゲ前を通り過ぎて行く。
今日もスィナと私は、ほぼ最終出発だった。


今日はスィナの誕生日なのでおめでとうを言う。
昨夜のうちにプレゼントを渡しておいたが、スィナは「明日まで取っておく」と言って開封していなかった。
クリスたちとディナーをした時以来、ずっとリュックに隠し持っていたポプリの袋をようやく手渡せて、少し荷物が軽くなった(ような気がする)。


やはり、Sarria以降、格段に巡礼者の数が多いと感じる。
小一時間ほど歩くとバルが出て来たので、朝食のために立ち寄る。
私たちとは別にアルベルゲを出発したルー、今朝Sarriaを出てすでに追いついてきたマークも参加。







ここからPortomarínまではマーク、ルーも交えて4人で歩く。

霧はまだ晴れない。











Portomarínまでの約20km、ときおり休憩を挟みつつ、楽しく歩く。








途中、Santiagoまであと100kmを示す標識が出てきたが、あまりに落書きが汚かったのでそこでは写真を撮らず、次に出て来た99kmの標識と一緒に記念撮影。
いよいよ2ケタとなり、Santiagoが近づいてきたことを実感する。









美しい川が見えてくると、そこはPortomarín。




橋を渡って町へ入る。
前を進むのは、途中で再会したオランダ人のJJ。
強烈なキャラ炸裂の人物で、後々まで語り草になる。





橋を渡り終えたら階段が待ち受けている…。





町へ入るとJJはさっさとどこかへ行ってしまったので、残る4人はひとまず町の中心部でランチすることにした。
昨日Sarriaでクレデンシャルを買うことができなかったので、ここの教会で新しいものを購入。

聖年バージョンの表紙でかわいい。
たったの1.5ユーロ。





教会前でランチをし、今日はこの町に留まるというマークを残し、ルー、スィナと3人で再び歩きはじめる。
スィナはここでようやく安いサングラスを購入。

今度は小さな橋を渡って、カミーノは先へと続いて行く。





ここからは上り坂。
暑くて疲れるので何度も休憩しながら、ようやくGonzarという小さな町に到着。

カミーノ沿いに現れた公営アルベルゲに行ってみると、すでにJJが到着していた。
あいにくベッドの空きはあと1台のみ。

次に少し道を下ったところにある私営アルベルゲに行ってみたものの、満床。
さて、困ったぞ。
次の町まではおよそ4.5km。
たいした距離でもないが、暑くて疲れているので、正直歩くのはしんどく、途方に暮れる。
巡礼始って以来、初めての危機である。


とりあえず公営アルベルゲのベッドは1つ押さえてしまおうということで、ルーが急いでチェックインしに行く。

無事に最後のベッドを確保し、それから3人で対策を練る。
誰か1人がここに宿泊し、残る2人は次の町まで歩くというオプションが考えられるが、お互い遠慮して譲り合うので、解決しない。

ダメもとで公営アルベルゲの床に寝させてもらえないか聞いてみたが、案の定冷たく断られる。
次の町のアルベルゲに空きがあるかどうか、電話で聞いてもらいたかったが、そういう親切行為もなし。
ただ、事務的に断られて終わり。



ところで今日はスィナの誕生日。
野宿しないかもしれないという危機的状況においても、なぜかスィナは超のん気で、公営アルベルゲ前のバルと、私営アルベルゲのバルのメニューを見比べて、「今日のバースデーディナーはこっちの方がいいわね」とか言ってる。

今それどころじゃないんですけど
そもそも3人そろってディナーできる保証がないんですけど、今日は!
もうこっちはぐったり疲れて公営アルベルゲ前のベンチで途方に暮れて座っているのみ。
あ~、あと4.5kmはきついわ~!


そこでルーが一計を案じ、私営アルベルゲでなんとか空いているスペースに2名寝させてもらえないか交渉して来てくれた。

すると、私営の方は融通がきくので、わりと簡単にOKが出た。
ダイニングエリアに置いてある2台のソファを使ってもいいということで、通常の半分の5ユーロで話がついた。
こういう時にルーのスペイン語力が役立つ。
そしてルーの機転に感謝。


これでようやく3人分の寝場所を確保することができ、ほっと一安心。
ベッドを確保できた時はすでに17:00。
今日はすでに26kmぐらい歩いているので、この時間からさらに歩くのは辛すぎるし、到着先のベッドの確保も不透明だ。
あ~、本当に救われた。
神様、ルー、ありがとう。


早速スィナと私で私営アルベルゲに宿泊代金を支払ったが、スィナが席を外している時にルーがやってきて、「ねえ、今日はスィナの誕生日だから、公営アルベルゲのベッドを譲ろうと思うの」と。
それはいい考えだ。
せっかくの誕生日なのに、ソファで寝るのはかわいそうだし。

黙ってこっそり入れ替わろうか、それとも正直にアルベルゲに申し出ようかと相談されたので、公営の方はともかく、私営の方にだけ伝えればいいんじゃないかと答えた。
「彼女の方がずい分年上だから」とか「お誕生日だから」とか理由をつけてベッドを譲りたい旨申し出れば、問題ないだろう。
公営の方は人も多いし、そもそもオスピタレラが冷たかったので、別に知らせなくてもいいんじゃないかということで話がついた。


で、ルーが私営アルベルゲにて、「さっきチェックイン手続きした女性だけど、年齢も高いので私が交代してあげたい」と申し出たら、こちらもあっさりOK。
誕生日うんぬんと言い訳しなくても問題なかった。


スィナが席に戻ってきた時、ルーが言ったことは、「今日はあなたの誕生日だからベッドを譲りたいって言ったら、あっさりOKもらえたわよ。ベッドは私からの誕生日プレゼントと思って、今日は公営アルベルゲで寝て」だった。
もちろんスィナは大喜びでオファーを受けた。

さすが、年のことを言ってOKもらったとは言わないのがルーのすばらしさ。
私だったら「あんた年食ってるから、若者と交代するのOK出たわよ」とか言ってしまいそうだ。
ほんとに若いのによくできた娘さんだわ~、とおばさんは感心するのであった。



私営アルベルゲのソファは、夜9時までは公共スペースなので使えないけど、それ以降はベッド代わりに使ってくれて良いとのこと。
全然問題ないです!
ソファで眠れるだけで幸せ。
しかも、シャワーも洗濯もできるので、何も不満はない。


シャワー室が2つ空いたので、ルーと同時にシャワーを浴びていると、出て来たルーが「ねえ、シャワー室内に椅子があったわよね!」と。
実は今日、道々スィナが「もう年取ってるから、長距離を歩いた後に立ってシャワー浴びるのしんどいわ。椅子でもあればいいのに」と冗談を言ってたのだった。

実は私が使った方のシャワー室には椅子はなかったけど、ルーが使った方は壁に折り畳み式の椅子がついていたらしい。
これは絶対スィナに報告せねば!


しばらくしてスィナとディナーで合流するために、公営アルベルゲ前へ向かう。
するとアルベルゲから出て来たスィナは、大柄なドイツ人の女の子を伴っていた。
またドイツ人捕まえたんですか…。

スィナによると、今までのアルベルゲと違い、ベッドルームに入って行ったら他の巡礼者の反応がみな冷たく、ろくに挨拶もなかったので寂しい思いをしたという。
その後、洗濯場所に行ったところこのドイツ人のベティと出会い、意気投合したそうだ。

せっかくなので、ベティも交え4人でスィナのバースデーディナー。
ベティは学校の先生をしているらしい。
大柄で金髪で、いかにもドイツ人といった風貌をしている。

巡礼中、一度パワーが切れて歩けなくなった時に、お医者さんでマグネシウムの錠剤を処方され、それが効果てきめんだったそうだ。
「何をおいてもマグネシウムよ!」と力説。
そうか、これからはアクエリアスを意識して飲もう。


そして話題は、オランダ人のJJのことに。
ベティも今日のアルベルゲでJJと会ったらしく、「なんか彼、強烈な個性よね~」と。
ベティ曰く、レディの前なのにJJは「暑いからここにも風を入れなきゃ」と言って、短パンの裾をつかんで股ぐらに空気を送り始めたとか。
「あり得な~い!」と女4人で盛り上がる。


ところでスィナとベティによると、公営アルベルゲに日本人女性2人が泊まっているとのこと。
お、久しぶりに聞く日本人の存在。




食後、私営アルベルゲのバルに戻り、JJも誘ってスィナの誕生日のお祝いをした。





そこで噂の日本人に遭遇。
ちょうど私と同じぐらいかちょっと若い目の娘さんとお母さんのペアだった。
日本人は若く見えるので、スィナとベティは友達同士2人だと思っていたらしいが、私があとで「母娘だったよ」と告げるとびっくりしていた。

お母さんは長野県で民宿をされているそうだ。
そして娘さんは、ご主人が東京でスペイン料理レストランをしているので、道々料理の写真を撮りながらSarriaからSantiagoまでの100kmの巡礼を楽しんでいる。
あ~、久しぶりの日本人との会話だったなあ。


さて、お茶も済み、スィナと明日の出発の待ち合わせ時間を確認し、それぞれのアルベルゲへ。

ルーと私は、てっきり2人きりでソファが置いてあるダイニングを広々独占できると思っていたら、なんとオスピタレラがさらに巡礼者を招き入れていた!
スペイン人男女5人組が加わり、計7名に。

う~む、仕方がない。
寝る場所に困っているのはお互い様だもの。


彼らはマットレスを与えられ、床とダイニングテーブルの上にも寝る。
(ご飯を食べるテーブルの上に平気でマットレスを敷いて寝るのが西洋人的である。)

お陰で部屋は足の踏み場もないぐらいとなり、乾き切ってない洗濯物とか荷物の置き場にも気を使い、不便極まりなかった。
でもしょうがない。


ソファは大小2つあり、当然私はルーに大きい方を譲ったのだけど、ルーはしきりに「ソファが小さすぎて窮屈じゃない?なんなら私はマットレスを敷いて床に寝るから、ユウコは大きいほうのソファに寝れば?」と心配してくれたけど、私は小さい方のソファで全然オッケーだった。
君が思っているよりも小さいソファは大きく、私の体は小さいのだよ。


夜は案の定スペイン人5人がやかましかった…。
一応声をヒソヒソ静めてはくれてるのだけど、とにかくスペイン語って口数が多い。
たいした内容はしゃべってないんだけど、「なんでたったそれだけの会話にそんだけ単語が必要かね?」って思うぐらい、口が回転しまくっている。

はぁ~。(ためいき)
今夜も耳栓を装着。

















本日の歩行距離:約26km
本日の歩数:40,201歩

カミーノにあしあと 31

2010年11月26日 | Weblog
【31日目】7/26(月) Samos → Barbadelo
ここのアルベルゲには自動販売機も何もないので、さっさと起きてさっさと出発。
宿泊代は寄付ベース。
素泊まりなので、5ユーロを寄付箱に入れ、いつもよりかなり早い6:45にアルベルゲを出る。


出がけに、昨夜レストラン情報を得たバルに立ち寄り、スィナがサングラスの落し物が届いてないか聞く。
外で待っていると、スィナがサングラスを手に喜び勇んで出て来た。
「あったわ~!誰かが拾って届けてくれてた~

「よかったね。これで3回目のラッキーだね」と応じていると、スィナがふと、「ねえ、私のサングラスってこんな柄だっけ?」と聞いてきた。
よく見ると、それはスィナのサングラスとは似ても似つかない、柄の部分にストライプの模様が入ったものだった。

全然違うやん…。

喜んだのもつかの間、スィナは肩を落としてスゴスゴとそのサングラスをバルに返しにいった。

っていうかさ、自分のサングラスかどうかぐらい、パッと見て分かるやろ
本当にお気楽な人である。



さて、今日はスィナの足取りが重く、遅れ気味に歩いている。
聞くところによると、夜中にお腹が空いて起きてしまったとのこと。
昨夜のディナーで、タコが嫌いなスィナはタコを食べてなかったから、量が足りなかったのか?
でもその代わりにパンをモリモリ食べてたけどなあ…。


この辺りは緑が多く、朝は霧が出ていた。
ガリシア州は雨が多いことで有名なので、緑が深い。




こんなお地蔵さんみたいなのが、道端に建っている。





2時間半ほど歩いてやっとバルが出て来たので、朝食休憩。
先にスタートしていたマークが朝食を食べている。
韓国人のカユンも通りがかる。

相変わらず、スィナがアジア系を見かけるたびにいちいち呼び止めて出身国を聞いたり、私に「あの子知ってる?」と聞いてきたりするのが、面倒くさくて気に障る。
Santiagoに近付くにつれ、私の不機嫌度が増していくのはどうしたものか。


キムと会う。
本日は生理1日目で絶不調だそうだ。
また、昨夜はエリザベスと2名1室のアルベルゲに泊まったが、エリザベスのイビキがひどくて眠れなかったとこぼす。

そうなんだ。
エリザベスとは何度か同じアルベルゲになったけど、イビキがうるさい印象はなかったな。
疲れてたのかなあ?



今日は、Santiago手前100km地点のSarriaを通過する。
徒歩なら100km以上歩けば巡礼証明書がもらえるので、Sarriaを出発地点としてSantiagoを目指す人も多い。
また、近隣に住んでる人であれば、週末巡礼的に、ハイキング感覚で歩いているので、Sarria以降のカミーノの混雑具合はかなりのものだ。


朝食場所からSarriaまでの約8kmは、マークやキムと一緒に歩く。
スィナとマークが前を歩き、私とキムが少し遅れて2人で歩く。

ちなみにキムはここへ来てまたメンタル不調である。
体の不調が心の不調を呼んでいるものと思われる。
私が貸した本はすでに第8章まで読んだと言ってたが、元気がない。

キムは巡礼終了後、家族が住んでいるドイツへ飛び、そこからアメリカには戻らず直接ニュージーランドへ行く予定にしている。
が、家族に巡礼でのことを色々聞かれることにまだ心の準備ができていないので、しばらく時間が必要だという。

しかもニュージーランドへ到着した際は、現地で会う人たちにはカミーノのことは話したくない、とも。
う~む、これはかなりの重症かも。

私も巡礼してる割にはイライラしたり、ふてくされたりすることが多くて、巡礼って一体なんなんだろうと思ったり、心の整理がつかない部分はあるけど、キムほど深刻に考えてはいない。
きっとこの巡礼が終わると、何事もなかったように日本での日常生活に戻るであろう自分が想像できる。

そういえばキムは、Astorgaで一緒だった時に、他に行きたい場所があるので、このまま巡礼を続けるか、途中で抜けるか悩んでいた。
とある有名なベトナム人のお坊さんがいて、その人が南フランスでワークショップというか、なんというか、ヒーリング的な集いをやるそうだ。
それにとても興味があるキムは、参加するかどうかずっと悩んでいた。
せっかくフランスに近い場所にいるんだし、興味あるなら参加すればいいのにと思うが、本人はなかなか決められないでいた。

その件は結局どうなったのかと聞いてみると、その後もずっとギリギリまで悩んでいたら、他の巡礼者に「今すぐインターネットで交通経路を調べなさい。それでうまく乗り継いで間に合うようなら、明日の朝すぐに出発しなさい。うまくつながらない場合は諦めなさい」とアドバイスされ、ネットで検索したところ、そのお坊さんがいる南フランスまでのうまいアクセスがなかったとのこと。
なので諦めてカミーノを歩き続けているそうだ。

そうだね、それでよかったと思うよ。
踏ん切りがつかない時には、そうやってキビキビと指示してくれる人がそばにいるといいね。


ふと、キムに「歳聞いてもいい?」と言われたので、「いいけど、びっくりするよ」と前置きしてから正直に答えると、キムは愕然として「一体あなたたちのDNAってどうなってんの?! ほんっとうらやましいわ!」と。
あはは。確かに東洋人はかなり若く見えるもんね。



ほどなくSarriaへ到着。
お店やオフィスが立ち並び、かなりにぎやかな通りを進む。
ちょうど薬局が見つかったので、虫さされ用の塗り薬を購入。

お店の人に伝える時に、”remedio”という言葉を使い、Bed Bugに刺された腕を見せるとすぐに理解してくれた。
アナマリアから教えてもらった表現が役立った。
ちなみにスペイン人であるアナマリアに聞いても、Bed Bugのスペイン語は分からなかった。
なぜだ?
日本語だったら、正確な訳ではなくても、「ああ、ダニ系のやつね」とすぐに出てくるのだが、何故スペイン語では対応する単語が出てこない?
スペインにもダニいるでしょ、当然?

なにはともあれ、無事にかゆみ止めの薬を入手できた。
薬局の人からは、「1日に3回塗るように」との指示。
ラジャー。


次にスィナがサングラスを買いたいというので、メガネショップに。
カミーノでサングラス無しはかなり厳しい。
キムもサングラスを失くした翌日には、紫外線で目が真っ赤になったので、安物のをどこかで購入したらしい。

店に入り、「アナマリアから借りてたサングラスはここのメーカーのやつなのよ」と言いつつ値段を見たスィナが驚愕。

スィナ、それ、レイバンだよ。
高いに決まってるよ。
そんな高いもの借りてくる神経がそもそも分からない。

「さすがにこんな高いの買えないわ~」と言って、安めのを探すが、なかなか気に入ったのが見つからず、今回は断念。



坂を上り、教会やアルベルゲがあるエリアへと進む。
体調が悪いキムは、今日はここでストップすると言い、私営アルベルゲにチェックイン。

私とスィナは、そろそろクレデンシャルの空きスペースが少なくなってきたので、新しいクレデンシャルを買いたい。
が、本日は月曜なり。
教会は閉まっている。

アルベルゲの人に聞くと、この先の修道院なら空いていて、そこでクレデンシャルが買えるとのこと。


ひとまずお腹を満たそうということになり、マークやキムとも連れだって近くのバルへ。
軽い食事を取りながら、話をする。
不調なキムが、「周りのみんなはとても順調にやってるように見えるのに、私だけなぜこんな目に…」と泣きだす。
いや、そんなことないよ。
他にも足の故障でリタイアした人とか、精神的につらい人とかいっぱいいるし、体調悪い時は休んで、歩ける時に歩けば全然大丈夫。
Santiagoはもうすぐそこ、100km先にあるんだから

私とスィナで一生懸命慰め、マークは目の前で泣かれて困惑顔。

マークのようにフランスのLe Puyから1,300kmもの距離を歩こうとしている、強靭な肉体と精神を持った人もいる一方、たとえ100kmでも歩くことが難しいと感じる人はいる。
肉体よりもやはり精神面が大きく作用するけれど、体の調子が悪いと心の調子も悪くなることはうなづける。


マークもSarriaに宿泊するというので別れを告げ、私とスィナは先へと進む。
修道院までキムもついてくると言って一緒に歩き始めたが、途中で「やっぱり調子悪いからアルベルゲに戻るわ」と。

見ると、この暑いのに全身に鳥肌が立っている。
確かに体調不良だ。

「とにかく、何も心配しないで、今夜はゆっくり体を休めなさい」と諭し、キムを見送る。

大丈夫かなあ、ちゃんと立ち直って最後まで歩いてくれるかなあ。



坂をヒイヒイ言いながら上り、修道院へ到着。
が、13:00からシエスタの時間で扉は閉ざされていた。
しまった、10分ほど到着が遅かった。

このマグダレナ修道院は、見学する値打ちがありそうだが、でも夕方まで待ってる時間はない。
ここでもまた、ほとんどの巡礼者がSarriaという巡礼路一大拠点を楽しんでいるところ、私たちはほぼ素通りで先へ進むのであった。

が、私は個人的に今日はそんなに長距離を歩きたくない気分。
Sarriaから4kmちょっと先のBarbadeloまでしか今日はもう行かないぞと心に決める。


途中、スィナと2人でキム宛てのメッセージを書き、カミーノの目立つ所に貼っておいた。
明日、キムがSarriaを出発したら必ずこの道を通るから見つけてくれるだろうか。
キムはいつも朝が早いので、暗くて見落とされてしまうだろうか。
でもとにかく、巡礼者同士応援してるから、がんばって!



Barbadeloに到着すると、なにやら宗教イベント?お祭り?のようなものが開催中。
教会から、人形が乗ったお神輿のようなものをかついだ集団がぞろぞろ出てくる。
そして爆竹というか、花火というか、とにかくパンパン鳴っていてうるさい。
広場ではパーティーをやっていて、たくさんの人が踊ったり食べたりしている。

その広場の真ん前にアルベルゲが1軒。
私はとにかく今日はこの村に泊まりたいので、祭りを見学しているスィナをほっといて、一人でアルベルゲの受付へ。
そこにはエリザベスもいた。

比較的小さなアルベルゲなので、ベッドを確保できるか心配だったけど、まだ時間が14:45と早めだったのでセーフ。

受付のオスピタレロがかなり手際悪くて、時間がかかり、巡礼者の列ができている。
そして私営アルベルゲにありがちな、誓約書っぽいものにサインさせられる。
「まるで移民審査みたいね」とエリザベス。

そのエリザベスがサインしていると、横からスィナが「ねえ、本当にその書類にサインして大丈夫?」と茶化す。
すると、「万が一の時はウィーンにあるアパートを売るわ」と応じるエリザベス。
このおばちゃんたちのやり取りが面白い。


チェックインに時間はかかったけど、また不織布のベッドカバーがもらえてゴキゲン。
カバーはどこのアルベルゲでももらえるわけではないので、前にもらったやつを大事に使っている。
新しいものをもらうと、古いのをやっと捨てることができる。
これでBed Bugが防げるわけではないと思うが、ま、気持ちだけ。
宿泊料は5ユーロだった。


アルベルゲは細長い部屋に2段ベッドが縦1列に並んでいた。
窓は例の広場に面している。

スィナに下の段を譲って、上に行く。
エリザベスはスィナの隣、頭同士がくっつく形で寝る。
キムの話ではイビキがすごかったらしいけど、今夜スィナは大丈夫かなあ。


エリザベスに今日はキムが体調不良だったことを伝えると、「おかしいわね、彼女昨夜は良く眠っていたのに」
って、実はあなたのイビキで眠れなかったという証言ですけどぉ。

「私がアルベルゲに戻った時には、キムはすでにベッドで寝てたわよ」
って、キムちゃんの証言では、「せっかく早く寝てたのに、エリザベスが後から帰って来て大イビキをかきはじめたので、目が覚めて全く眠れなかった」とのことでしたけどぉ。

もちろんそんなことはエリザベス本人には口が裂けても言えない。
けど、しきりにエリザベスが「おかしいわね、おかしいわね。彼女元気そうだったのに」と繰り返すので、なんだか笑いがこみあげてきて抑えるのが大変だった。


エリザベスに今日買った塗り薬を見せると、「私も同じの使ってるわ。でももうほとんどなくなったから、新しいのを買わなきゃ」とのこと。
この塗り薬1本使い切るってすごいんですけど…。
一体どんだけ豪快に塗ってるんでしょうか。
スィナと同じで、西洋人は使い方が豪快だと思われる。

そういやマリアとピーター親子もBed Bugにやられてたなあ。
彼らは今頃どこにいるんだろう?
カミーノ上でもう1回会いたい。
それか、Santiagoで無事巡礼完了を抱き合って祝いたい。



シャワーを済ませ、アルベルゲ裏手にある洗濯場に行ってみると、洗濯用のシンクがかなり汚い…。
使う気にならないので、1階にある洗面所で洗っていたら、通りがかったオスピタレロに「洗濯はあっちでしなさい」と注意された。
「は~い」と返事だけはしたものの、絶対あっちでは洗いたくないので、洗面所のさらに奥にあるトイレのドアを閉め、トイレ内にあるシンクで隠れて洗濯。
後でエリザベスにも教えといてあげた。

洗濯干し場は日陰なので、今日も洗濯物が乾きそうにない。
ズボンだけは勝手にアルベルゲの前の柵にひっかけておいたけど、あまり奇麗じゃないので他の物はここには干せない。


今日は早く到着したし、時間が有り余ってるので、スィナと2人でバルを探しに行く。
オスピタレロの話では、坂道を上がって行ったところにあるらしい。

かなり上がったところに確かにレストランが1軒あったが、20:00からディナーをやってる以外の時間にお茶とかはできない。

他にバルはなく、仮設テントみたいなところと、自動販売機とピクニックテーブルが置いてある場所しかない。

仕方なく自動販売機でコーラとポテトチップスを買い(←また?!)、ピクニックテーブルで日記などつけながらウダウダ過ごす。

自販機しかなく、そしてスペインの自販機はお札しか使えないので、後からやってきた巡礼者が「両替してくれ」と言ってきた。
んもう、みんなちゃんと日頃から意識して小銭準備しとけよ。

一応私も巡礼者なので、ちょっとだけ両替してあげたら感謝された。
でも自分用の小銭も残しておくのが鉄則。


風が強く、じっと外で座ってるのが寒くなってきたので早々に退散。
私がアルベルゲに戻ろうとすると、スィナまで日記を切り上げてついてこようとするので、「私先に帰っとくからいいよ。日記全部書いてしまえば?」と言って拒否ってみた。
朝から晩まで一緒にいるんだから、たまには別々に過ごす時間作ろうよ、スィナ。


暇でやることもないので、ちょっとベッドでウトウトして過ごした後、エリザベスとアイルランド人のルーも誘ってディナーへ。
またあの坂を上らないといけないのがしんどいが。


ディナーは10ユーロ。
スペイン料理は多すぎるからと、ルーは第2皿とだけにしてくれと店側に申し出、代金は半分の5ユーロにしてもらっていた。
そんなシステムありなのか
気がつかなかったよ。
しかもたったの5ユーロでデザートも注文できていたから、かなりお得だ。

明日はスィナの誕生日なので、みんなで前祝いとした。
いつもおじさん、おばさんメンバーが多いので、今日はルーという若者(26歳)が参加してくれてよかった。
ちょっと細かいことは忘れてしまったけど、大学院で社会学だったか何かを勉強中で、卒業後は中南米でNGO活動などをしたいので、スペイン語を勉強中。
赤い髪とたくさんのそばかすが象徴的なアイルランドガール。



夕食を終え、アルベルゲに戻ると、目の前の広場から音楽が聞こえている。
ステージがあり、何やらリハーサル中。






そうだった、スペインのパーティーは夜始まるんだった…。
開始時間は23時とのこと。
ね、眠れないよ私たち…。


ここのアルベルゲも当然、門限は22:00だけど、門限後も外出できるようスィナがオスピタレロに交渉していた。
明日誕生日だから特別に許可しろと迫り、了解を取り付けたようだ。

が、早寝早起きが習慣づいている巡礼者は夜更かしに興味はない。
「もう遅いから寝るわ」と言うエリザベスと私に対し、ノリノリなスィナはお尻をフリフリしつつ、口紅を塗りつつ、「カモ~ン」と誘ってくる。

いや、もういいですから…。
誰かこのおばちゃんを止めてくれ!


エリザベスは「年寄りは寝るから、連れてくなら若者を連れてって」と逃げ、私も「私そんなに若くないから寝る」と言い、結局スィナはルーを伴って広場へと出かけて行った。



その夜、23:00から始まったパーティーは午前4:00まで続き、一晩中ロックやらポップスやらのコンサートが繰り広げられた。
アルベルゲとしては最悪のロケーションである。
耳栓をするも、しょっちゅう「ドーン」と花火の振動があり、眠れたもんじゃない。

巡礼始まって以来、最も眠れない夜であった。












本日の歩行距離:約18km
本日の歩数:29,278歩

カミーノにあしあと 30

2010年11月13日 | Weblog
【30日目】7/25(日) Hospital de la Condesa → Samos
朝7時台に出発。
今日は標高1,300mの地点をしばらく進み、その後一気に600mあたりまで下降する。
ちなみに昨日、O’Cebreiroに入る前に、州境を越えているので、今いる場所は巡礼最後の州、ガリシア州だ。


歩き始めて小1時間で、少し急こう配を上ったところにあるAlto do Poioという場所で朝食休憩。
バルが2軒あるが、1軒は巡礼者でいっぱい、もう1軒は巡礼者の姿が見られない。
どうしたことか。

繁盛している方は、上り坂を上りきってすぐのところにあるので集客しやすのは分かるが、もう1軒もちょっと道を渡ったところに見えているのに。

スィナと2人で「繁盛してない方」のバルを偵察に行った。
全く客がいない。
朝食は出しているのかと聞いてみたら、「出せるよ」とのことだったが、結局私たちも他の巡礼者たちでにぎわっている方のバルへと流れた。



ここのバルは人手が足りず、注文するのにも、注文した品を受け取るのにも、かなり待たないといけなかった。
例の韓国人夫妻や、アメリカ人のキム、オーストリア人のエリザベスなど、見知った顔がたくさんいる。

キムは割と元気そうにしていたが、今日はエリザベスが不調なようだ。
「もう私、巡礼を中断したいぐらいよ」とぼやく。
スィナが「せっかくここまで来て、Santiagoはもうすぐなんだから、がんばって続けるべきよ」と励ます。

前にも書いたが、カミーノでは精神的にグラグラしている人をたくさん見かける。
長い道のりを歩いていると、ふと「自分は一体こんなところで何をしているのか?」という疑問にぶつかるらしい。
周りの巡礼者友達に励まされて続ける人もいれば、途中で心が折れて(あるいは体がだめになり)棄権する人もいる。


テラスで話をしていると、何人か韓国人の若者が到着した。
そのうちの1人が話しかけて来た。
まだ19歳のカユンという名前の女の子である。
アジア人らしく、早速私の年齢を聞いてきた。
正直に答えると、めちゃめちゃ驚かれた…。
そうだよね、下手したら若くして産んだ娘ぐらいよね、カユン。

カユンが「一緒に歩いてもいい?」と言うので、「いいけど、あそこにいるオランダ人も一緒だよ」とスィナを見ると、相変わらずおしゃべりに興じている。
しばらくスィナのおしゃべりが終わるのを待ってみたが、一向に終わりそうにないのでカユンは諦めて「先に行っとくわ」と歩きだしてしまった。

気がつけば最初に到着した時にいた人たちは全員出発済み。
後から来る巡礼者、来る巡礼者、スィナが話を振っているので、取り残される一方。
悪いけど、「もういい加減出発しようよ。さっきの韓国人の子、一緒に歩きたがってたけど、あなたのおしゃべりが終わらないから待ち切れずに行っちゃったよ~」と、割り込んでようやく話を切り上げさせた。
ふぅ~…。


歩きはじめると、すぐにカユンには追いついたので、並んで歩く。
スィナは私を若い人と一緒に歩かせようと気を使い、エリザベスと一緒に私とカユンからは離れて歩いている。
別にそこまで気を使ってもらわなくてもいいんだけどさ。


カユンはポーランドの高校に1年通っていたらしく、その分休学していた韓国の高校にもう1年通わなければいけないとのこと。
大学ではドイツ語とデザインを勉強したいと思っていて、できればドイツに留学したいらしい。
ポーランド語は話せるのかと聞くと、学校では英語しか使ってないので話せないという。
インターナショナルスクールとかだったのかな。


カミーノを歩く動機は、「自分探し」。
韓国ではカミーノは有名なので、過去に歩いた友達から「カミーノのお陰で人生が変わった!」と聞かされていたけど、まだ自分にはそのような変化が訪れないとのこと。
まあでも、みんなに同じような形でカミーノ効果が訪れるとは限らないよ、とお母さんらしく、もとい、お姉さんらしくアドバイスしてみる。

カユンのリュックはかなりコンパクトだ。
聞くと、最初は余計なものを持ってきすぎていて重かったけど、一部は捨てたり、郵便局からSantiago宛てに送ったりしたとのこと。
さらには、シャンプー1本で髪から体から衣服まで洗い、長ズボンの裾を切り半ズボンにし、大きかったタオルは小さいサイズにカットしたという。
そ、そこまでと思うけど、その「1グラムでも軽くしたい」という、巡礼者共通の切実な気持ちは良く分かる。


5~6km先のBiduedoという村のバルで休憩。
私はコーラを注文。
カユンはミルクのみ注文し、そこにシリアルを入れて食べている。
なるほど、賢いかも。

カユンは1人で歩いているので、結構他の若者グループに声をかけてもらい、アルベルゲで一緒に自炊したりもしてきたそうだ。
いいなあ、私、そもそもスィナとペアになったことが間違いだったかもしれない。
おっちゃん、おばちゃんの知り合いは増えたけど…。


キムが通りがかったので一緒に休憩。
キム曰く、「いやよねえ、すっかり巡礼者みたいになっちゃって。バルで何か注文した時についてくる紙ナプキン、折りたたんでポケットにしまっちゃう癖がついて。どこかでトイレに行った時に紙がなくてもこれ使えるしね」とのこと。
わはは、めちゃ巡礼者だ。

私はBed Bugにやられた腕のかゆみが収まらず、休憩しながらバルのテラスにある柵にシュラフを天日干し。
バルの人に怒られやしないかと、ちょっとビクビクしながら。

そうそう、この機会にと、キムにコーラ薬膳説?について聞いてみた。
さっきカユンに「ヨーロッパ人が、コーラはお腹壊した時とかに効くって言うんだけど、そんな説知ってる?」と聞いたら、「そんなの聞いたことないわ」と失笑してた。

ならばアメリカ人ではどうだと思ったところ、キム曰く、「ああ、聞いたことはある」とのこと。
が、「コーラにはお腹の中の何かを固める作用があって、それが下痢に効果があるっていう説を聞いたことはあるけど、逆にコーラに含まれる糖分が下痢には良くないんじゃないかって言う説もあるわ」とのこと。
う~ん、謎に包まれたコーラ薬説。



ここからさらに6kmほど先の、Triacastelaという町を目指す。
アルベルゲやバルもたくさんあるし、ここに宿泊する巡礼者は多い。

Triacastelaに着くとカユンは公営アルベルゲに泊まると言って、アルベルゲに向かった。
後ろから追い付いてきたスィナとキムと私の3人で、とりあえず近くにあったバルで昼食を摂る。

他のテーブルでスペイン人たちがおいしそうなピンチョスを食べていたので、キムがそれを食べたいと言い、「パンの上にチーズが乗ってるピンチョス」と注文してみたが、出て来たものはパン数切れとチーズ数切れが別々にお皿に盛られた別のものだった。
指さし注文しようにも、さきほどそれを食べていたグループはすでに立ち去っていた。
う~ん、思い通りの物を注文できないもどかしさ。

私とスィナはオリーブや野菜のマリネ風のものを注文し、3人で分け合って食べる。
ドリンクは、いつもコーラばかりなので、今回は炭酸水にした。


キムもカユンと同じく、この町に宿泊するつもりだという。
私たちはもう少し先を目指すので、ここで別れる。

さっき歩いている時に、キムが「手持ちの本を読み終えてしまって、退屈してる」というので、「じゃあ私のSATCを貸してあげるよ」ということで話がついていた。
ネイティブのキムの方が断然読むのが早いし、私もしばらく本の重みから解放されたい。
スィナの手前、アナマリアからもらった本を捨てるわけにもいかず、困っていたところだ。
幸いキムもSATCは好きだというので、先に読んでもらうことにして、本を渡した。
また明日以降、カミーノで会った時に返してくれればいいから。



キムと別れて歩きだすとすぐに教会が出てきたので入ってみる。
すると、教会の世話人らしき、カミーノTシャツを着たおじさんが、日本語で書かれたカミーノ訓のようなものをくれた。
スィナにはオランダ語バージョンを。

この教会の壁には、様々な言語で祈りの言葉などが書かれており、各国語のパンフレットを取りそろえているようだ。

スィナがおじさんに「スペインの教会は、ほとんどの場合閉まっていて入れない」と苦情を言うと、「ちょっとこっちへ来て見てごらん」とキャンドル台のところへ連れて行かれた。
教会にあるキャンドルは、本物であれ、電気式のものであれ、点灯する時にはコインを入れる。
日本のお寺でもロウソクやお線香は有料なのと同じだ。

キャンドル台の後ろに回ってみると、そこにはぽっかりと大きな穴が開いていた。

おじさん曰く、このコインを盗まれる被害が後を絶たないそうだ。
犯人は巡礼者かもしれないし、地元の人かもしれないし、通りがかりの泥棒かもしれない。
確かに巡礼者を装って、カミーノ上で金品を狙っている人は存在する。
本来誰でも自由に出入りできるはずの教会も、そのような窃盗被害を恐れて、ミサの時以外は鍵をかけているのだという。
う~ん、なんとも残念な話だ。



教会のおじさんに別れを告げ、カミーノを進むと、Triacastelaの繁華街へと出た。
な~んだ、こんなにおしゃれなバルやレストランが立ち並ぶエリアがあったんだ。
早まって町の入口にあるバルに入って損したよ。

ふと見ると、例のパタゴニア在住のフランス人のおじさんが、テラスで女性と楽しそうに食事している。
その女性もかなり年配だったが、昔からの友達で、カミーノで合流したそうだ。
パタゴニアおじさんが別人のように明るくイキイキしているのが印象的だった。



さて、Triacastelaから先は、カミーノがまた二手に分かれる。
左手に進むと、スペイン最古の修道院があるSamosという町へと続く。
もう一方の道は、距離は短いけれど、アップダウンが激しいらしい。

スィナが仕入れた情報によると、Samosの修道院はグレゴリア聖歌で有名らしい。
今日は7月25日、聖ヤコブのお墓が発見された、特別な記念日である。
きっとSamosの修道院でも特別行事をやっているに違いない、という複数の巡礼者からの情報や予想で、Samosルートに進むことに決定。


歩きはじめると意外にきつかった…。
最初の数キロは、アスファルトの道が続く。
もう、暑くて暑くて。

途中からやっとアスファルトを逃れて山道に入るが、今度は起伏が結構あって、やっぱりしんどい。
地図で見ると、Triacastelaから7.5km先のRencheという村にバルがある。

とにかくバルで何か冷たいものが飲みたい
その一心で必死に歩く。


ようやくRencheらしき場所に出て、バルを発見
喜んで近づいてみると、、、、閉まってる。

しまった、今日は日曜日だ。
小さな村や集落では、日曜日にバルが閉まっているという憂き目にあうこともしばしば。

でもテラスにはコーラの飲み残しなどがあり、ついさっきまで営業してたかのような様子。
が、無情にもドアには鍵がかかっている。



この辺り、なにやらにぎやかな音楽が鳴り響いている。
ちょっと中東っぽい感じの音楽。
祭りでもやってるのか?

バルの隣の垣根越しにのぞいて見ると、大勢の人がBBQパーティーらしきものを開催中。
う~む、もしかしたら今日のバルは、このパーティー対応なのかもしれない。


パーティーを楽しんでる人たちに、「オラ~♪」とあいさつしたが、誰も食べ物や飲み物は提供してくれなかったので、泣く泣くRencheを後にし、カミーノへ戻る。


ここから先は、Samosに着くまで村や集落はないし、水飲み場もない。
つらい歩行が始まる。

Samosまではあとたったの3.5kmのはずなのに、なぜかなかなか到着しない。
しかも途中からカミーノの標識からSamosという地名が消え、本当にこの方角で合っているのかと不安に駆られる。
途中、何度か小さな集落を通り過ぎるが、人に聞こうにも人は全く歩いていない。
地図にはこれらの小さな集落は乗っていないし、自分たちがどこにいるのか見当がつかない。

スィナの水も尽き、暑さの中、いつになったら水にありつけるのか分からないまま歩く。
この区間は本当につらかった。


体感的には相当な距離を歩いたと感じられた後、やっとSamosの標識が出てきて、眼下に修道院の黒い屋根が見えた。
ふ~、助かった。

町に入り、前方に歩いていた巡礼者グループの後をついて行く。
が、どうも町はずれにまで来てしまったようだ。
彼らはまだ先へ進むのか?

振り返ると、いつの間にかスィナが離脱しており、姿が見えない。
しばらく待ってみたが、一向に到着する気配なし。
すぐそばにホテルがあったので、我慢できず1階のバルでアクエリアスを購入。
一気飲み。

ぷはぁ~!生き返った!


よくスィナは、「暑さが問題じゃないのよ。足よ!」って言うけど、私は逆です。
足は大丈夫っす。
暑さがつらいっす。


スィナが来ないので来た道を戻り始めた時、スィナから携帯にSMSが入った。
「そっちじゃないよ。アルベルゲは修道院のとこ。戻っておいで」とのこと。

「で、修道院ってどこにあるの?」と返したが、返信なし。

仕方ないので途中に会った商店のレジにいた人に修道院の場所を聞き、そこを目指す。
どうやら町に入ってきた時に、修道院とは反対方向へ歩いて行ってしまったようだ。


こちらがスペイン最古の修道院。





修道院は見えるのだけれど、そこへ至るルートが右からなのか左からなのか分からない。
結果的にどっちからでも行けたのだけど、もう疲れきっているので無駄に歩きたくない。

ふと、目の前に私営のアルベルゲが見えたので、入ってみる。
受付のオスピタレラが、しきりにここに泊まるようにと勧めてくる。
「友達を探してるんで」と言うと、「その友達の名前は?国籍は?」と台帳をめくりはじめた。

たぶんスィナはここにチェックインしてないと思うんだけど、とりあえず「スィナ。オランダ人」と伝えてみる。
案の定そこにスィナの名前はなかった。
スィナに電話してみるも、つながらず。

オスピタレラは、スペイン語しか話さず、しきりに「ここのアルベルゲは奇麗でいいわよ~。テレビもあるし」と勧めてくるが、こちらは状況を説明しきれず。

と、そこへ以前見かけた韓国人の若い男の子が通りがかったので、「あの修道院にアルベルゲはある?」と聞いてみた。
すると流暢な英語とさわやかな笑顔で、「あるけど、もうこの時間だとベッドが埋まってるかも知れないよ」との回答。
この時すでに17:30頃。

なるほど。
さわやか韓国男子もいるし、もういっそスィナとは別にここのアルベルゲに泊まっちゃおうかな~

と、心が動いたところへ「ユウコ~!」と叫びながら走ってくるスィナ。
げ。

「携帯のバッテリーが切れて返信できなかったのよ。あそこの修道院のアルベルゲ、まだベッド空いてるわよ。こっちこっち」と強引に連れて行かれた。
ぐすん、韓国イケメンに後ろ髪引かれる…。



スペイン最古の修道院併設のアルベルゲは、まったく快適ではなかった。
玄関を入ってすぐ、ずらりと並ぶ2段ベッド。
これといった設備はない。
シャワーは水。

ああ、さっきの私営アルベルゲにさっさとチェックインしてしまえばよかった。
疲れているところにこの仕打ちで、ついつい不機嫌になる。
そもそもアルベルゲの善し悪しに文句は言わないはずだったのに。
Santiago到着を目前にして、いまだ短所を改善できず。



フランス人のマークがいて、19:15から隣の教会でグレゴリオ聖歌が歌われるから一緒に見に行こうということになった。

洗濯を済ませ、まだ時間があるので荷物の整理をする。
もう疲れが蓄積しているので、荷物を1グラムでも軽くしたい。
使っていない靴下、日本から履いてきた1回しか使ってないユニクロのサラファインレギンス、同じくこのカミーノでは全く着用していないユニクロのジップアップセーター、各地の教会や博物館でもらったパンフレット類(悪いけど今日Triacastelaの教会でもらったばかりの日本語のパンフレットも)、もう使いそうにない薬、色んなものをアルベルゲのゴミ箱にぶち込んだ。

さらに時間が余っているので、薬局はないかと探しに出かけたけど、見つからなかった。
さっきアクエリアスを買ったホテル辺りまで、延々と歩いてみたが、見つからない。
そろそろかゆみ止めの薬が欲しいかも。


19:00頃、教会の前へ。
人がたくさん集まっており、韓国人夫妻の姿も。

彼らは膝に問題があるので、ちょいちょいバスやタクシーを使っている。
今日は、TriacastelaからSamosまでの区間に、バスもタクシーも見つからなかったとのことで、なんとヒッチハイクをしてたどり着いたそうだ!
なんてブラボーな人たちなんだ


さて、教会に入り、ミサらしきものが始まるのを待つ。











しばらくして、壇上に何人もの男性が現れた。
年配の聖職者が多い。
そして、グレゴリア聖歌とおぼしきものが歌われる。

私は初めてなので、「ふ~ん、こんなもんかな」と思って聞いていたが、マークとスィナは相当気に入らなかったらしく、「憂鬱にさせるような歌だよね。もうさっさとディナーに行こう」と言いだした。
そ、そうなんだ。

マークは私たちと違って早い時間に到着しているので、修道院の中も見学してきたらしい。
彼の話では、この巨大な修道院に修道僧はたったの16名?とかだそうだ。
もちっと若者いっぱい入れて、合唱のレベルアップをはからないとね。


教会からでたところで、スィナが「あれ?サングラスがない!」と言いだした。
この巡礼3回目の紛失なり。
教会や修道院の周りなどもくまなく探してみたが、見つからない。

「アナマリアに借りてるサングラスなのに、どうしよう」
って、サングラスみたいな紛失しやすいものを借りてくる感覚が分からないんですけど…。
仕方なく諦めてディナーに行くことに。
「前回も前々回も誰かが拾ってくれたから、きっと今回も見つかるわ」と、希望的観測。



ディナーの場所を探すが、修道院周辺はバルやカフェばかり。
とあるお店でレストランはないかと聞いてみたら、どうやら私が最初に間違えて行ってしまった、町はずれのホテルのレストランしかないようだ。

はぁ~、今日は散々余分に歩いてるよ。


ホテルに到着したものの、ディナーは20:30からしか食べられないというので、しばしテラスで飲み物で待つ。
マークとカミーノ論議を交わしたり、自分たちのことを話したり。
ちなみにマークは、会社を早期退職し、フランスのLe Puyというところから歩いて来ているので、この時すでに50日以上巡礼をしている。
足などいい飴色に焼けている。


ようやくディナーテーブルにつき、ここは海産物が有名なガリシアだから、シーフードにしようと決め、みんなでPulpitos(イイダコのような小さいタコ)、Calamares(イカ)、Gamba(エビ)などを注文。
以前、Cacabelosで食べたタコと違って、このタコはめちゃめちゃおいしかった
サラダもいつものとは違って、リンゴが入ったものを選択。
巡礼者メニューではない料理に舌鼓を打つ。


レストランの奥のテレビでは、7月25日のSantiagoの様子などを放送している。
それ以外は、カミーノ上でも思ったほど、聖ヤコブの日を感じさせない。


スィナは上機嫌でしゃべりまくる。
が、アルベルゲの門限は22:00。
マークと私はそろそろ時間が気になり出している。

何度か、「そろそろ切り上げないとね」と言うのだけど、スィナは完全無視でペラペラと喋り続ける。
さすがにマークもそわそわしている。

「もうデザートを食べてる時間はないよね。大急ぎでお会計してもらおう」と言うと、スィナはかなり不満そうな様子。
「え~、コーヒーとか飲みたいのに~」って、あんたも22:00になったら無情にアルベルゲのドアが閉められるのは知ってるだろう。


レストランを出たのは、門限の5分前ぐらい。
町はずれのレストランから、アルベルゲに向かって一目散に走る、走る。
ワインの酔いもすっかり醒めるよ。


アルベルゲ前にはオスピタレロが今にも扉を閉めんばかりに仁王立ちしている。
ふ~っ!ギリギリセーフで間に合ったぁ!

あ!でも洗濯物を取り込んでない!

仁王立ちのオスピタレロに、片言のスペイン語と身振りで「服、取りに行ってもいい?」と聞くとOKが出たので、また3人で一目散に道路を挟んだ向かいの洗濯物干しスペースに走る。

と、ビーチサンダル履きで焦って走ったのと、洗濯物干しエリアに至る石の階段が滑りやすかったのとで、ガーンと転んでしまった。
スィナが大げさに叫び声をあげ、マークも「胸とか打ってないか?」とかなり心配してくれた。
だ、大丈夫です…。

膝をすりむいたのと、石の階段にぶち当たって右手の爪が割れた…。


負傷しながらも必死で洗濯物を取り込み、アルベルゲへ戻ると、若い女性の巡礼者がちょうど今到着したところだったが、無情にも「空きベッドはない」と断られていた。
外はまだ明るいとはいえ、こんな夜遅くに到着?

そして公営アルベルゲはいつもそうだけど、空いてるスペースにマットを敷いて寝させてくれるなどということはない。
とにかくお断り、その一点張りだ。

心配してその巡礼者に「今日はどうするの?」と聞くと、「マットを持ってるからそこらへんで野宿するわ」とのこと。
女の子なのに、かわいそう。
しかももう22:00でアルベルゲ消灯の時間なので、シャワーだけ借りることもできない。(水シャワーだけど…。)

う~ん、やはりベッドの確保は最優先に巡礼しなければ。
この修道院アルベルゲの設備の悪さに不満だったけど、ベッドを与えられただけでありがたいと思わなければ。


自分のベッドに戻り、怪我の具合を確かめてみると、ズボンの左ひざは穴が開き、膝はすりむいて血が出ていた。
でもそれほど大きな怪我ではない。

手の爪も割れて血が出ているが、こちらも大けがというほどでもない。

手持ちのマキロンで消毒し、バンドエイドを貼って就寝。

今日もなんだか色々あったなあ。。。

Santiagoは近い。










本日の歩行距離:約26km
本日の歩数:45,149歩

カミーノにあしあと 29

2010年11月11日 | Weblog
【29日目】7/24(土) Trabadelo → Hospital de la Condesa
愛する息子夫婦と孫に会えて興奮冷めやらぬのか、スィナが結構早く起きたので、いつもより早めの7:00出発。

今日はもう一度、クリスたちとカミーノ上で軽く会う予定。
従ってスィナは昨日と引き続き、ソワソワ落ち着かない様子で人の話を聞かない。

Trabadeloを出発して最初に出て来たLa Portela de Valcarceという村にて朝食。
バルは国道沿いにあり、駐車スペースも十分にある場所。
もしクリスたちがやって来ても大丈夫なロケーションだ。

スィナは相変わらず舞い上がった様子でウロウロし、「クリスたちが車で通りがかった時にすぐに分かって、車を停める場所があるところがいいわね」って、だからここがまさにその場所ですってば


電話で確認したところ、クリスたちは起きるのが遅かったようで、今私たちがいるバルにやってくるには間に合わない。
従って、私たちはここで朝食を済ませると先へ進み、昨日と同じくカミーノ上のどこかで合流しようということになる。
車だとすぐに追いついてこれるから大丈夫。


ところで私は昨日レストランのオーナーからもらったワインを背負っている。
ハーフサイズとは言え、ガラスのボトルでかなり重い。
イライラしながらも我慢して背負っていたが、だんだん両腕がしびれるまでになってきたので、出発から6.6km地点のVega de Valcarceでついにギブアップした。

スィナに「ねえ、このワイン本当に必要?重すぎてもう耐えられないんだけど」と言うと、「そうね、ワインは重すぎるわね。アナマリアのお父さんへのプレゼントとして持って帰ってもらいましょう」ということになり、そしてアナマリアと合流するまでの間、スィナが代わりにワインを背負ってくれた。

有り難い…。
本来なら若いほうの私が持つべきだろうけど、スィナの方がどう考えてもパワーがある。
本当に助かった。


クリスたちとは、Vega de Valcarceからさらに2.2km進んだ先にある、Ruitelánという村で落ち合うことにした。

Ruitelánの入口付近にあるバルで到着を待つ。
その間、ワインボトルにアナマリアのお父さんへのメッセージを書き込む。
さらにスィナは、孫のノアを「小さな巡礼者」に仕立てるために、子供用のリュックとサングラスを用意していた。
ノアに巡礼者の格好をさせ、歩かせるのを楽しみに、ワクワクしている。


ずい分待って、ようやくクリスらが車で到着。
スィナは一緒にお茶を飲んで別れを惜しむ。

最初は寝ていたノアも起きだして、みんなに愛嬌をふりまく。
かわい~





ところで昨日からしつこくスィナに言われて困っていることがある。
「ねえねえ、ユウコ、例の歌をノアに歌ってあげてくれない?」



こういうことを言ってはいけないが、、、














ウザイ









例の歌とはもちろん、「モシモシカメヨ」である。

いやだと言っても、「ノアがあの歌を聞いてどんな反応するか見たいのよ。お願い!」と、しつこい。

ウザイ。
真剣にウザイ。


別に特別な反応は示さないと思うよ。
しかし、あんまりスィナがしつこいので、ノアを抱っこしつつ、ちらっと歌いかけてみた。



…。
案の定、たいした反応ではない。


話しかけられたり、歌ってもらったりすると、それなりに嬉しそうな顔をするが、別にそれが日本語だからって特別な反応は示さないのである。
そもそも幼児に言葉の違いなど、大きな意味をもたないのである。
特にノアの場合は、元々マルチ・カルチャーな環境に住んでいるのだから。



そろそろお別れの時間が来たので、スィナがワクワクしながらノアに帽子、リュック、サングラスを着せる。

ノア、嫌がる。

それでも写真を撮ろうと無理に歩かせると、ノア、号泣。

通り過ぎる巡礼者たちもその愛らしい姿に笑顔になるが、ノア本人にとっては地獄。
気の毒に…。


クリス、アナマリア、ノアにお別れを告げ、再び歩きだす。
今度スィナが家族に会うのは、巡礼を終えた8月中旬、アナマリアの実家に集まる予定だそうだ。
それまで孫とはしばしのお別れ。



ところで昨日、アナマリアにSantiago到着後の予定を聞かれ、「9日にパラドールに予約を入れてるけど、それ以外は全く予定が決まってないので、あまり早くつきすぎても時間を持て余す」と答えると、「それならスィナと一緒にうちの実家に来れば?うちのお父さんの作るパエリアは絶品よ!」と言ってくれた。

う~ん、パパのお手製パエリア。
なんとも魅力的なお誘いだ。

「パラドールの予約なんて、キャンセルすればいいじゃない。うちに来なさいよ」と、かなり熱心に誘ってくれた。
おお、スペイン北部の一般家庭にお邪魔できるチャンス!
(というか、パパのパエリアが食べられるチャンス!)

と、結構気持ちがそっちに傾いていたのだが、アナマリアから「ユウコをうちの実家に誘ってたのよ」と聞かされた時のスィナの反応がイマイチだったので、没。

これまで散々、「息子が結婚式を挙げた教会」「息子家族とのディナー」「息子家族とのお茶」と、家族のプライベートなことに私を参加させておきながら、嫁の実家行きには反対なのですね。
がっくり。




さて、気を取り直して先へと進む。
Ruitelánのアルベルゲでは、確か日本人のIさんという若い女性がこの夏オスピタレラとして働いているはず。
もしタイミングが合えばごあいさつしたいなと思っていたのだが、ちょうど通りがかったのがアルベルゲが閉まっている時間帯だったので会えず。
そのまま素通りする。

ちなみに私は今朝から何回も、「Ruitelánに日本人の女の子がいるはずだから、会えれば会いたい」と言ってたし、村に着いてからも「ああ、アルベルゲ閉まってるから会えないわね」とか言ってたのに、舞い上がっていたスィナは全く私の話など聞いておらず、右から左へ素通りだったらしく、Ruitelánを通り過ぎてずい分経ってから「ええ?!あそこのアルベルゲに日本人の女の子いたの?アルベルゲが開くまで待って会えばよかったじゃない!」とのたまった。



Ruitelánから森の中を通る道にそれ、道はだんだんと傾斜を増していく。
本日は、カミーノの難所のひとつである、O’Cebreiroという峠を越えなければならない。
現在いる場所の標高は705m。
O’Cebreiroは1,300mである。

延々と上り坂が続き、暑くてしんどいが、景色はとても美しい。
ナッツやみかんで栄養補給しつつ、上る。

途中、La Fabaという集落にあった小さなTienda(商店)でコカコーラとポテトチップスを買い、店の前のベンチで食べる。
どんなにジャンクフードを食べようとも、巡礼中は全く太らない。
何よりも、消費したカロリーを取り戻そうと、体がジャンキーなものを欲するのである。


La Fabaからさらにちょっとだけ上ると、今度はLaguna de Castillaという村にバルが登場する。
当然、休憩。

さっきポテチとコーラを消費したにもかかわらず、改めてオレンジジュースとエンパナーダ(パン生地の中にツナなどの具材が入って焼かれている、おかずパン風のもの)をがっつり。



お腹も満たされ、O’Cebreiroの頂上目指して出発。
と、そこへ牛の群れ。




放牧から帰ってきたようである。
牧羊犬ならぬ牧牛犬?がしっかりと仕事をしている。

巡礼者にとっては珍しい光景なので、みんなで喜んでパチパチと写真を撮っているが、酪農家の人には何でもない日常なので、二コリともせず、牛を追いたてている。


さあ、あともう少し。
しんどいけど、景色が良いのがご褒美。





そしてようやく、石畳が風情あるO’Cebreiroの集落へ到着。
ここはケルト文化の名残がある場所らしく、建物も他の場所とは違う。

が、疲れていたので、伝説が残る銀の聖遺物があると言われているサンタ・マリア教会もさくっと見学のみ。
聖遺物を見たかどうかも分からない。

私はともかく、敬虔なカトリック信者であるはずのスィナが、そういった重要な場所や物に興味を示さないのはいかがなものか。


お土産物屋にすら興味を示さない私ら2人は、バルへ直行して昼間っからSidra Manzana(リンゴシードル=リンゴ発泡酒)をあおる。
だってもう、暑さと坂道で疲れきってるもん。

多くの巡礼者がそうするように、ここで宿泊してもいいんだけど、スィナが足にマメがいっぱいできているにも関わらず、まだ歩きたがるので先へ進むことにした。
こうやって私たちは、いつも有名な場所を素通りする。
O’Cebreiroにいたっては、写真すら撮っていない。


さて、O'Cebreiroを過ぎると比較的平坦な道が続く。
次のアルベルゲがある、Hospital de la Condesaという村に至る手前、小高い丘があるSan Roqueという場所に巡礼者の銅像があった。
私は疲れていて機嫌が悪かったので、無視して通り過ぎようとしたのだけど、スィナに「写真撮ってよ~」と呼び止められ、不機嫌に銅像の場所まで戻る。

不機嫌ながら、スィナに「この銅像と同じ格好で撮ろうよ」と誘われ、撮ったのがこの1枚。




意外とこの旅のナンバーワン・ショットと言っていいぐらいの出来映えだ。
私がポーズを取ってる時、すぐ横の道路を観光バスが通り過ぎて行き、バスの中の全員の視線が集中したのがちょいと恥ずかしかったが。


17:30頃、ようやくHospital de la Condesaに到着。
どうやらアルベルゲは1軒しかないようだ。
それほど大きなアルベルゲではないが、ガリシア州政府運営のこの施設は小奇麗で、運よくベッドもまだ空きがあった。

O'Cebreiroのような有名な場所では、早く到着しないとアルベルゲもすぐに埋まってしまうが、こういうマイナーな場所だと夕方に到着してもまだ大丈夫。
そうやって今までどうにかこうにか、ベッドだけは確保してきた。
これからSantiagoが近づくにつれ、人も増えるし、ベッドの確保が難しくなることが予想されるが、なんとかこの調子で野宿だけは避けたい。

このアルベルゲで、久しぶりに韓国人夫妻に会う。
相変わらず膝に不安を抱えているものの、お元気そうだ。


ここは村というより集落といった感じの小さな小さな場所。
散策しても、周りは農家ばかりで、これと言ったものは見つからない。
相変わらず放牧から帰ってくる牛の風景とか。






これだけ牧畜が多い地域を歩いて来ているので、当然カミーノは臭う。
家畜の糞のにおいが蔓延している場所が多く、そして大量のハエが飛んでいる。


教会は閉まっているし、ここにはバルが1軒しかないらしい。
ひとまずバルでコーヒーなど飲んで、暇をつぶす。

このバルの裏手のドアに、思いがけず四国お遍路ステッカーを発見。
四国巡礼路1周1,200kmと書いてある。
初めて知った。
もっと早くにこのステッカーを見ていれば、いや、出国前にちゃんとそれぐらい調べておけば、これまでのお遍路に関する数々の質問に答えられたのに。
「日本のアルベルゲは2段ベッド?」という質問をされるとまでは想定していなかったが。


バルは1軒しかないので、必然的にここでの夕食となる。
Menú del díaの第1皿はシーフードスープをチョイス。
出て来たものは、パスタが入ったシーフードヌードルスープだった。
もうこれだけでお腹いっぱいである。

2皿目に選んだ牛肉の煮込みはおいしかった。
安い店で牛肉を食べるなら、ステーキじゃなく煮込み料理が正解。


食事を終え、することもないのでアルベルゲへ戻る。
後からどんどん巡礼者が到着し、もうベッドは全て埋まっている。
人が多く、携帯電話で長電話するスペイン人がうるさく、そして臭い…。


しばらくベッドでアナマリアからもらったSATCの本を読む。
やはり、出だしからめちゃ面白い。
しかし、電気は暗いし、巡礼中はさほど本を読む気になれないので、第1章のみ読んで就寝。



そういえば今日、スィナがデンマーク人のポールにSMSを送ってみたら、今Ferreriosあたりを歩いているとのことだった。
Ferreriosと言えば、Santiagoまで100km地点のSarriaよりさらに先。
2日ないし3日分の差をつけられている。
恐るべし、ポール。
一時はマメと股ズレで凹んでいたのに、いつの間にか調子を取り戻してガンガン進んでいる。
ポールは30日には帰国するとのことなので、残念ながらもう会えない。












本日の歩行距離:約23km
本日の歩数:39,158歩

カミーノにあしあと 28

2010年11月01日 | Weblog
【28日目】7/23(金) Cacabelos → Trabadelo
せっかくの個室だったのに、隣の部屋のスペイン人の若者が携帯電話でしゃべる声がうるさかったので、昨夜は耳栓をして寝る羽目になった。
スィナも良く眠れなかった様子だ。
やっぱスペイン人、迷惑だ~。

夜中に小雨が降ったらしく、中庭に干していた洗濯物が全く乾いていない…。


アルベルゲの自動販売機で買ったコーヒーだけを飲み、肌寒い中、8:00に出発。
しばらくは車が通る道路沿いを歩く。

今日のスィナは体調がすぐれないらしく、かなり遅れて歩いてくる。
たぶん、一昨日の山歩きの疲れが今頃出てるんだと思う。

途中、何度も立ち止まってスィナの到着を待ち、また進んでは待つという状態。
一度、待てど暮らせどスィナが来ないので、本気で心配したこともあった。
でも、カミーノは1本道で、次々に他の巡礼者が通り過ぎて行くので、スィナに何かあればすぐに分かるだろうと、辛抱強く待った。
ほんとに調子いい時と悪い時の差が激しいね、この人は。


この辺りまで来ると、またワイン畑がたくさん出現している。
Villafranca del Bierzoに入る手前に、Puerta de Perdón(赦しの門)の看板。




病気や怪我などの理由により、Santiagoまで到達できない巡礼者も、ここまで来ると巡礼を達成したものとみなされる。
実際にSantiagoまで行かなくても赦されるのが、この門を潜った巡礼者。

もちろん私たちは、最後まで歩きますよ
足も大丈夫だしね。





ところで昨日か一昨日あたりからよく見かける男性がいる。
荷物は持たず、ブルーの毛布らしきものだけひょいと肩から担いで、フラフラと巡礼路を歩いている。
町では物乞いをしていたし、巡礼者なのか、浮浪者なのか判断が難しいところだ。

今日はその人が何度も私たちの前に現れる。
私もスィナも、なんとなくこの人のことは警戒しながら歩いている。


Villafranca del Bierzoに近付くと、向こうから馬に乗ったおまわりさんらしき人たちがやってきたので、ちょっと安心。
「写真を撮らせて下さい」と言うと、わざわざ立ち止ってくれた。





教会で礼拝し、10:00過ぎにようやく朝食タイム。
町の真ん中にあるバルで、いつものようにトーストやコーヒーを注文。

後から巡礼者が2名入って来て、2つ隣のテーブルについた。
当然の流れとして、スィナが「どこから来たの?」と話しかける。
巡礼者のみんながみんな、このようにコミュニケーションを好むわけではないけど、スィナは必ず初めて見る人には話しかけて素性を知らなければ気が済まない。
お陰で私もずいぶんたくさんの巡礼者と話をすることができたもんだ。

スィナが声をかけた相手は、フィンランドから来た姉弟だった。
彼らはLeónからスタートし、今日はバスに乗って、7/25のSantiago入りを目指すそうだ。
休みが短いのと、体力にあまり自信がないので、今回初めてとなる巡礼は、さわりだけにしておくらしい。

驚いたことにこの2人、リュックの重さは15kgほどもある。
しかも、すでに不必要と思われるもの8.7kg分は途中の郵便局からSantiagoに送ったそうだ。
それでもまだ、15kg…。
明らかに荷物多すぎ。

よくよく聞いてみると、「もしもの時に備えて、着替えとか、電化製品とか色々持ってきちゃってて…」と言うのだけど、あなたたちの旅行はたったの10日間ですよね?
8.7kgを郵送しても、そのリュックの中に、まだ不必要なもの入ってますよね

彼らは、スィナと私がフランスから歩いて来て、しかも荷物が少ないことに驚いていた。
これでも私のリュックは重いほうだと思うのだけど。
私のリュックより、スィナのリュックの方がさらに軽いよ。
人って、これぐらいの荷物で1カ月以上巡礼できるんだよ。


フィンランド姉弟に別れを告げ、バルの外に出ると、テラスに例のスペイン語堪能なベルギー人の女の子が友達と座っていた。

スィナが寄って行って、延々と立ち話をしている間、私はせっかくだからVillafrancaの町を見ておこうと思い、周辺のお店のショーウインドーなどを眺める。
ずいぶん経ってからスィナが戻って来て、「ねえねえ、聞いて。あの子、足の故障で巡礼をここで中断するんだって」との報告。
そうなんだ、かわいそうに。

「見せてもらったけどね、足の小指がもげ落ちそうになってるの!」と、背中がゾクッとするような報告まで。
「あなたも一緒に来て見ればよかったのに」って、見たくないよそんな悲惨な光景!


さあさ、出発しましょ。
町を通り抜けていると、ふとアウトドア用品などが売られている店を見かけ、スィナに「ねえ、ストックの先っちょ買わなくていいの?」と聞くと、「グッドアイデア!」ということで、店に立ち寄ることに。

っていうかさ、なんでPonferradaで買っておかなかったのさ?
スィナはストックの使い方が悪く、体重をかけすぎるので、すでにラバーが擦り減り過ぎて、金属がむき出し状態。
石畳やアスファルトを歩くと、カツカツ音が鳴る。

店員さんにはストックの先を見せるだけで、何を言わんとしてるかすぐに理解してくれ、ささっと交換してくれた。
しかもそのゴム製の先っちょ、2個でたったの50セント!
あまりの安さにびっくりだ。
これならスィナのような使い方をしてすぐに擦り減っても、気軽に新しいものと交換できる。


余談だが、スィナが持っているストックはかなり安いらしい。
山道を歩いているとき、スィナが「ああ~、やっぱりストック買ってよかったわ。安いのにずいぶん役立つわ」というようなセリフを連発するので、「???ストックって結構高価だと思うけど?」と言うと、「そんなことないわよ。友達がお金払ってたけど、15ユーロぐらいしかしてなかったと思うわよ」とのコメントが返ってきた。

まさか。
「いやいや、そんな安いはずないよ。私のストックなんて1本100ユーロ近くするよ」と言うと、心底びっくりされた。

ところで、元々のスィナの話では、「St. Jean-Pied-de-Portで木の杖を買ったら、宿の人に『歩き慣れてないのなら、ちゃんとしたトレッキング用のストックを使いなさい』と言われたので、急きょ買った」とのことだったけど、今の話を聞く限り、その場に一緒にいた友達が買い与えてくれたのね。
で、自分でお金払ってないから、正確な金額も知らないってことね?

う~ん、何から何まで他人任せな人だね。
オランダからフランスまでも、その友達の車で連れてきてもらったらしいし。
そりゃ旦那や息子がスィナの単独巡礼を心配するはずだ。
ご家族のみなさ~ん、カミーノでのスィナの面倒は私が見てますから、大丈夫ですよ~。

スィナはしょっちゅう家族にSMSを送り、私との巡礼を報告しているので、まだ会ったこともないスィナの家族や親せきは私のことを熟知しており、誰かからSMSが来るたびに「ユウコによろしく」との一言が添えられている。

なにはともあれ、このあたり(=ヨーロッパ)でのストックの値段は分からないが、後に別の人に聞いてみたら「それほど高いものではない」と言ってたので、スィナの言うこともまんざら間違いではないらしい。
にしても、15ユーロは安すぎでは?
せめて50ユーロじゃない??


さて、ストックの先が無事補修され、上機嫌のスィナと共に町を抜ける。
広場ではマーケットが開かれており、新鮮な野菜や果物が売られていた。




果物欲しいけど、重くなるから今日は我慢しようかな。


教会を見学し、橋を渡ってVillafrancaの町を出る。





通りがかりの地元の人に聞いた通り、橋を渡ってすぐにスーパーがあったので、スーパーで水とロレアルのトラベルサイズのシャンプーを購入。


ああ、Bed Bugにやられた腕がかゆいよぉ。
虫さされの跡が、昨日よりさらに増えてる気がするし。
日本から持ってきたムヒではあまり効果がないみたいなので、どこかの薬局で薬を買おうかなあ。


Villafrancaから先はカミーノが二手に分かれる。
いつもながら、森の中を通る道を選択したつもりだったのだが、気がつけばいつの間にか国道沿いの道に来ていた。
進行方向右手は交通量の多い道路、左にはPereje川が流れている。

しばらく進んでランチ休憩。
あまり良い休憩場所もないので、ガードレールのようなところに腰かける。
昨日買ったハムやチーズを食べきってしまわないといけないので、今日のサンドイッチは具がてんこ盛りの豪華バージョン。


次々と通り過ぎる巡礼者を眺めていると、楽しそうな人、疲れた表情の人、様々だ。

今日はスィナが頻繁に息子とSMSや電話をしている。
訪問が遅れていた長男夫婦と孫に、今日こそは会える。

今、長男らは車でこちらに向かっているので、私たちがどこら辺を歩いているか知らせる必要がある。
で、いつもながらスィナは地図など見てないし、毎日の行程管理はしていないので、息子と電話で話しながら、私に「ねえ、今どの辺?なんていう場所?」としきりに聞いてくる。

どうやらこの辺りはマイナー過ぎて、地名を入れてもカーナビで表示されないようだ。
とりあえず、次に到着するのがPerejeという小さな村なので、そこで落ち合うことに。
お嫁さんはスペイン人だから、大丈夫。
道々人に聞けばちゃんとたどり着けるよ。

今日は朝からソワソワしていたスィナだが、ここへ来てソワソワ度が最高潮に達する。
しきりに通り過ぎる車を気にしている。
いや、まだここまでたどり着いてないよ。
それに巡礼者が歩いていたら、向こうから分かるからさ。

そして今日はイマイチ体調不良だったはずなのに、ここから猛烈にスィナの足が速くなる。
最愛の息子と孫に会えるのが嬉しい気持ちは分かるが、もうちょっと落ち着こうよ~。

ついにPerejeに到着すると、ソワソワが最高潮をさらに通り越す。
バルが1軒あり、テラスがあるので、そこが一番格好の待ち合わせ場所だと思うのだが、とにかく落ち着かないスィナは、いつもならテラスを好むのに、「ここは暑すぎるわ」と言ってバルの中に入ったかと思うと、また出てきて、「やっぱりあっちのアルベルゲにしましょうか。国道に近いから見えるんじゃない?」とスタスタ歩いて行く。

もう、私が何を言っても全く耳に入らず、誰も彼女を止められない。
そんなスィナが、かわいい。
でも、迷惑…。

で、結局はまたバルに入りコーラを注文したのだけれど、今度は「やっぱり中は暑いわ!」と、外のテラスに移動。
そうだね、テラスの方が車が通った時に見えるしね、テラスにしとこうね。


Perejeを通る国道は1本だし、間違いようもない場所。
しかも村はとても小さいので、村の真ん中を通る1本道のすぐそばに私たちが座っているテラスがあり、見落とされる心配はない。

が、スィナはじっと座っていられず、「あなたはここで待ってて。私、国道まで出て見てくるから!」と、飛ぶように行ってしまった。

おいおい、あんたがじっとしてなくてどうする?
待ち合わせ時にウロウロしないのは鉄則じゃないのか?
アジア人はめったにいないから、息子たちが車で通った時に私を見れば分かるかもしれないけど、スィナがここに座ってるのが一番いいのではないか?


しばらく待っていると、ようやくスィナが息子のクリス、お嫁さんのアナマリア、そして孫のノアと一緒に戻ってきた。
どうにか途中で無事に出会えたようだ。

アナマリア曰く「実はこの道、3回ぐらい通ったのよ。あなたが座ってるのを見て、クリスと『スィナの姿が見えないけど、もしかしてあれがユウコかな?でも他にもアジア人って何人もいるのかな?』って話してたのよ~!」とのこと。
ほらぁ、だからスィナ自身がウロウロ動き回っちゃいけないんだってば。


スィナの孫、ノア君は1歳半。
もう、本当に天使のようにかわいい







アナマリアもとてもかわいく、スィナの長男であるクリスも結構かっこいい。
話を聞く限り、2人ともかなりのエリートのようだ。
イギリス留学中に出会い、2年前にスペインで結婚して、今はベルギーのブリュッセルに住んでいるらしい。
ノア君はオランダ語、スペイン語、フランス語、英語の全てを理解してるようだけど、まだ何も言葉は発さないとか。
最初にしゃべるのは何語だろうね?


アナマリアが「これ飲んでみる?」と持ってきてくれたのが、スペインでClara de LimónまたはClara con Limónと呼ばれる飲み物。
ビールにレモンジュースを混ぜたものだ。

普段はビールを飲まない私だけど、これはちょっと甘くてすっきりおいしい!
それにコーラと同じく、ビールの炭酸が夏のスペインの気候にピッタリ合ってる。
その後、このクララに夢中になり、巡礼中何度も飲むことになる。
ちなみにクララにもいくつか種類があるらしいけど、私はひたすらレモンバージョンを頼み続けた。


しばらくバルで休憩し、スィナと私は次の村まで歩き、クリスたちはCacabelosの近くに取ってあるホテルへと向かった。
あとで車で迎えに来てくれて、一緒にディナーする予定。

スィナはカミーノを歩き始めた時から、このイベントを楽しみにしていたので、家族水入らずで楽しんで欲しいと思っていた。
が、いつの間にか私もその家族イベントに当然のように組み込まれていた。
良いんだろうか…。


Perejeから4kmほど歩いたところにある、Trabadeloにて、本日の歩行は終了とする。
すでに時間は17:30になっているけど、途中休憩していたのであまり距離は歩いていない。
今日はスィナにとって特別な日だからね。

スィナは「今日は息子と会う特別な日だから、門限を延長してもらえるよう、アルベルゲと交渉しなくっちゃ!」と張り切っている。

この村には公営、私営の2軒のアルベルゲがあるようだ。
最初に私営の方を訪ねてみた。
6ユーロで、結構小奇麗な様子。

が、そんなことよりスィナの決断を後押ししたのは、「門限は何時ですか?」と聞いた時に返ってきた、「門限は特にありません」という答えだった。
よって、このアルベルゲに即決。

門限もなく、ルンルンのスィナ。
シャワーと洗濯の後、いつもより念入りに化粧をし、さっきアナマリアにもらったばかりの、スィナの歳にしてはかなり短めのワンピースに着替える。
スィナは同じような形のワンピースで、もう少し丈が長めのものをカミーノに持ってきていて、いつもそれをディナー用に着ていたのだけど、スィナの好みを知っているアナマリアが同じタイプで新しいものを買ってくれたようだ。
スィナの誕生日が近いので、誕生日プレゼントらしい。

さすがのスィナも「ねえ、これちょっと短すぎない?」と聞いてきたけど、「いいんじゃない?似合ってるよ」と言っておいた。


アルベルゲは普通の2階建の家のような造りになっており、私たちが通された部屋には2段ベッドが4台置いてあった。
私たちの部屋には2人、別の部屋にも数人巡礼者がいたが、知っている顔はひとつもなかった。


夕方、クリスが車でアルベルゲまで迎えに来てくれ、彼らが宿泊しているホテルへと向かう。
車に乗るのは約1カ月ぶり。
スィナも私も、その久しぶりの感覚にとまどう。

く、車って、早い…。

何より複雑な気分にさせられたのは、今日1日かけて歩いてきた道を、車ではほんの20分ぐらいでビュ~ンと戻れてしまうこと。
ああ、昨夜泊まったCacabelosをもう通り過ぎたよ…。


クリスたちはCacabelosからカミーノを外れてさらに10~15分ほど車で進んだところにあるホテルに泊まっている。
ブドウ畑の真ん中にぽつんと建つ、石造りで中世風の雰囲気ある建物だ。
このホテルは、当時ヒッピーだったオーナーが'72年に建てたもので、この辺りのブドウ畑もみんな自社のものらしい。

ホテルに一歩足を踏み入れて驚いたことは、「れ、冷房が効いてる!」だった。
そうか、今まで冷房設備のないバルやアルベルゲをハシゴしてたけど、やっぱりちゃんとしたホテルにはちゃんとした冷房設備がついてるんだ、と当たり前のことに感心する。

クリスらが宿泊している部屋も、中世の田舎の家みたいな感じでとても落ち着く内装。
スィナと私が奇麗なバスルームに感動してると、アナマリアが「シャワー浴びて行ってもいいわよ」と言ってくれた。
ありがたいけど、大丈夫です。
私たち、アルベルゲのシャワーに慣れてますから。


ホテルのレストランへ向かう途中、お土産物屋さんを物色。
地元のワインなどはもちろんだけど、さすがに高級ホテルなので、お土産も洒落たものがたくさんある。
私はここで、スィナの誕生日プレゼントを探す。

スィナの誕生日は7/27。
それまでに何かプレゼントを買いたいと思っていたが、カミーノ上でこれと言ったものを見つけられなかった。
もっと早い段階でLeón辺りで買っておいても良かったのかもしれないが。

問題は、巡礼中なのでかさばらず軽いものを選ばないといけないこと。
奇麗にラッピングされた石鹸やハンドクリームなんかもあるんだけど、とにかく軽いもの、軽いもの…。

結局、ポプリが入った巾着にした。
スィナに見つからないようにそっと買い、ギフトラッピングもしてもらった。


レストランのテラスで、まずは飲み物を注文。
おいしいおつまみまでついて来て、スィナと私はいたく感動する。
優しいアナマリアが、「私のも食べてくれていいわよ」と譲ってくれた。

テラスでおしゃべりをしている間、クリス、アナマリア、スィナの3人が交代でノアの様子を見に部屋に戻る。
ノアは眠ってるようだけど、長時間1人にしておくのは心配だ。


スィナはこれまでの巡礼体験を誇らしげに息子たちに語っている。
着ている服は毎日手洗いで洗濯していること、意外と乾かないことも多いということを話していると、アナマリアが「でも半乾きの洗濯物をカバンに入れてると、臭わない?」と。

う~ん、しごくまっとうな意見でございます。
ワイルドな生活を続けていたので、あまり気にしてなかったけど、普通の人はそういう疑問を持つわな。


あと、「本とか持ってきてるの?」と聞かれたので、「荷物が重くなるのが嫌なので、持ってきてない」と言うと、「でも読みたくならない?」と。

最初の頃は何か読む物がないと物足りなかったけど、だんだん巡礼生活が板についてくると、活字がなくても大丈夫になった。
むしろ、疲れてるので本など読みたくない気分の時も多かった。

アナマリアが、「Sex and the Cityの本を買ったんだけど、あのドラマ好き?」と聞くので、「うんうん、好き好き!」と言うと、「じゃあ、私のあげるわ」と言ってくれた。
「え、いいよ、くれなくても…」(実は重いから嫌)と言っても、「いいのいいの。私はまだ読みかけだけど、あなたにあげるわ。それに、そんなに重くないのよ」と言って、わざわざ部屋まで取りに戻ってくれた。

本はペーパーバックなので確かに重くはない。
でも、巡礼中って、「1グラムでも軽くしたい!」という意識が働いてるので、複雑な気分…。
アナマリアのせっかくの親切を断り切れず、泣く泣く本を譲ってもらう。


ところで一体いつまでこのテラスでドリンク飲んでるんだろう?
ここに座ってからずいぶん経つし、だんだん日が沈んできたよ。
ディナーはいつ始まるのだ~?

結局ディナーテーブルに移動したのは21:00頃だった。
やはり、ここはスペインであった。

しかも、宿泊予約をした際に、ディナーテーブルも予約しておいたのに、なぜかディナーの予約が入っていなかったようだ。
私たちはとりあえずテーブルにつくことができたが、後から到着した客と店員がもめている様子。
う~ん、やはり、ここはスペインであった。


ディナーはクリスとアナマリアのおごりで、「何でも食べたいものを注文していいよ」と言ってくれた。
安い巡礼者用メニューばかりしか見たことのなかったスィナと私は、普通に高級なメニューを見てどぎまぎ。

全てスペイン語で書いてあるので、アナマリアがいちいち説明してくれた。
う~ん、セットメニューじゃないなんて、何をどうやって注文したらいいか分からない!

前菜などはみんなでシェアすることにして、メインはそれぞれが注文。
もう、サラダもいつもの巡礼者メニューについて来て飽き飽きしてる、ツナ入りのEnsalada Mixta(ミックスサラダ)じゃなくて、ベビーリーフとかも入ってるし、くるみやチーズもトッピングされていて、それだけで舞い上がってしまうスィナ&私。
ああ、天国


スィナと長男のクリス。



クリスはお金持ちなはずなのに、鼻緒の切れたビーチサンダルなどを履いており、「これ、もう8年ぐらい履いてるかも」って言ってた…。


家族のイベントに参加させてもらって恐縮です…。





メインには思い切って牛肉のサイコロステーキを選んでみたら、「久しぶりにスペインでちゃんとした牛肉らしい牛肉を食べた」って感じ。



付け合わせに相変わらずポテトフライはついてきたけど(笑)、いちじくのコンポートみたいなのもついてきたとこが巡礼者メニューとは違う点。


最後のデザート代わりに、お店から勧められて、ショットグラスに入ったかなり強いお酒(スペイン語でchupitos)を飲む。
消化を助けるらしいけど、私はあまりに強すぎて無理。
スィナはワインもたくさん飲んだのに、Chupitosに大喜びだった。
(味をしめ、その後の巡礼中もChupitos, Chupitosとうるさかった…。)

最後にホテルのオーナーが各テーブルに挨拶に訪れ、スィナと私が巡礼者であることを知ると、特別にワインの小ボトルをプレゼントしてくれた。

う、嬉しいけど迷惑…。


帰り際、スィナがそのワインボトルを「はい」と私に渡す。
え?明日も持てってこと?


すっかり日も暮れて真っ暗になった23:00頃、クリスの運転する車に送られてアルベルゲに到着。
同じ部屋の2人はすでに眠っていて真っ暗な部屋にそーっと入り、ささっと歯磨きだけ済ませるとワインのボトルを抱いたまま音を立てないよう気を使いつつベッドにもぐりこむ。

長い1日だった。









本日の歩行距離:約15km
本日の歩数:24,643歩