地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

カミーノにあしあと 27

2010年10月29日 | Weblog
【27日目】7/22(木) Molinaseca → Cacabelos
昨夜誰かがものすごくイビキをかいていたので耳栓を使ったが、それでもあまりよく眠れなかった。

スィナはと言うと、全く眠れなかったらしい。
あまりに眠れないので、起きだしてウロウロしていたら、オスピタレロが1階の食堂にあるカウチで寝るよう勧めてくれたらしいが、結局ほとんど寝ていないようだ。

イビキ犯は、分からず。


窓から外を見ると牧場があり、馬が草を食んでいた。
朝のすがすがしい空気と光の中で馬を見るのは、とても気持ちが良かった。


今日も自動販売機で買ったコーヒーと手持ちのクッキーでエネルギー補給し、パタゴニアのおじさんとほぼ同時に7:30頃にスタート。
しばらくは国道沿いを歩いて行く。
外はとても寒い。
どうやら私もBed Bugにやられたらしく、体がかゆい。


1時間ほどでPonferradaの町に到着。




ここにはCastillo de los Templariosというお城がある。
名前から想像がつくように、テンプル騎士団がこの町を守っていたらしい。




朝日を受けたお城の美しい佇まいに、そばにいたフランス人巡礼者も”C’est magnifique!”と絶賛してた。
私もお城は大好きなので、絶対中を見学したい!
が、11:00まで開かないとのこと。
ずいぶんと遅いな。

時間潰しにお城の前のバルで朝食を摂る。
メキシコ人のマリアとか、色んな人が通り過ぎて行く。
みんなお城目当てなのに、開館時間が11:00とあって、暇を持て余している様子だ。


食事を終え、まだ11:00にはならないので、先にカテドラルを見学に行くことにした。




今日は比較的大きな町に来たので、買い物をするチャンス。
私はかねてから気になっていた靴ひもを買いたい。
あと、キャッシュが底をつきつつあるので、なんとしても両替したい。


カテドラル前でまたスィナが通りすがりの巡礼者に声をかけた。
「あなた、スペイン語分かる?」
どうやら、銅像のところにある説明書きの意味を知りたいようだ。






呼びとめられた青年はブラジル人で、スペイン語も堪能だった。
それをきっかけにスィナが長々と立ち話を始めたので、「やれやれまた始まったよ」と思っていたら、ついでに「ところで、靴ひも買えるとこ知らない?」と聞いてくれた。

するとブラジル青年が、「そこにアウトドアショップがあるから、売ってると思うよ」と言って店まで案内してくれ、さらには買うのも手伝ってくれた。

ブラボー
スィナが誰かれかまわず声をかけてくれたおかげで、こっちは助かったよ。
本当にありがとう。

靴ひもはデザインに限りがあり、ちょっと長すぎるけど、それでも切れるよりマシ。
あ~助かった。
オダノブナリ状態に陥らずにすんだよ。

スペイン語で靴ひもがCordonesだというのも、この時に覚えた。

ちなみにそのアウトドアショップで五本指ソックスを発見。
やっぱ一応売ってることは売ってるんだ。
思わずブラジル青年に「これ、すっごいいいよ!」と力説したけど、あまり相手にされなかった。


このブラジル人、7:00ぐらいにPonferradaに到着したものの、お城が開くのが11:00と聞いて途方に暮れていた。
「スペインのわけのわからない時間設定のお陰で、4時間も時間つぶさないといけない」とブツブツ。
ブラジル人にまでそう言われてしまうスペインって一体…。


店の近所にSantander銀行があったので、店内に入って両替できるか聞いてみたが、できないと言われた。
スペイン語だったので詳しくは分からなかったけど、この先にある別の銀行へ行けと言われたようだ。
Santanderってどこの町にもある大きな銀行なのに、なぜ両替できない?
謎が深まるスペイン。


ばったりとキムに出会ったので、しばらく4人でブラブラとお土産物屋さんなどを見学。
そのうちブラジル人がどこかへ行ってしまい、お城見学は3人で。

お城からの町の眺めは良かったけど…、




お城内部は改装中で、特に見どころもなく、あっという間に見学終了。

スィナとキムが「これで3ユーロも取るなんて、ひどすぎる!」と、英語もほとんど分からない案内のお兄さんに抗議する始末。

それだけでは言い足りず、スィナが私に「メモ1枚ちょうだい!抗議文書いて受付に渡すわ!」と言いだした。
仕方なく1枚渡すと、「こんなものに3ユーロも取るなんて、心底がっかりしたわ」的なコメントを書き、その下に勝手にYuko, Kim, Sinaと連名で書いていた。

ちょっと待ってよ~。
私、別に文句行ってないのに勝手に名前書かんといてよ~。


それにしても、Bed Bugにやられた腕がかゆい。
キムによると、MolinasecaのどちらかのアルベルゲにはBed Bugが発生すると言うことを、地元の人は知ってるけど、わざわざ巡礼者に教えてはくれないとのこと。

まあ、聞かなきゃわざわざ向こうから言ってはくれないだろう。
それに、Bed Bugなんて巡礼者にくっついてあちこち旅をしているので、今日は虫がいなかったアルベルゲでも、明日はいるかもしれないし。

私たちが泊まったのは私営のアルベルゲだったけど、もう1軒は公営。
しかもそっちは「外に寝る」というオプションもあり、軒下にベッドが並べられていた。
暑がりのスィナは「外に寝たかったから、あっちのアルベルゲにすればよかった」としきりに残念がっていたけど、私は寒いから嫌!
そして屋外の方が虫が寄ってきそうで、さらに嫌!


繁華街の方にあるSantander銀行に入り、両替にトライしてみた。
日本円を受け取った窓口のおじさんは、「ちょっとチェックするから待って」と言って、パソコンをカチャカチャやり、その後”No conexión.”と言う意味不明な言葉を発して首を振った。
え?何がノー・コネクションなわけ?

パソコンの不具合なのか、日本円に対応していないのか、意味が分からん。
とりあえずおじさんは、「あっちにあるCaja Madridに行きなさい」と、別の銀行を勧めて来た。

で、Caja Madridに行ってみたけど、そこでも断られる。

一体何なんだ、スペインって


一旦カテドラル周辺に戻り、テラスでお茶をしているスペイン人のレベッカ&ホセ夫妻を見つけたので、相談してみる。
彼らは親切に、バルの店員にも「外貨を両替できる場所はあるか?」と聞いてくれたのだが、やっぱり店員の返事は「Santanderとか大手の銀行で」とのことだった。

だからSantanderでもCaja Madridでもらちがあかなかったんだよ~。

ふと、前回両替した時のレシートを取り出してみる。
FrómistaのCaja Españaのものだ。

よし、Caja Españaなら大丈夫、に違いない。
この町にもあるはずだから、探してみるべ。


スィナとキムがスーパーで買い物している間、私はCaja Españaを目指す。
が、どうもCaja Españaが見当たらない。

仕方なしに、他の銀行で聞いてみることにした。
BBVAとPopularが並んでいる。

とりあえずBBVA店内へ。
なんとなくここは違う気もするが、聞いてみないことには分からない。
カウンターは2名しか対応できず、結構人が並んでいる。
じっと並んで待つが、1人1人の対応時間が長いのよね~!

待てど暮らせど前のおじさんの用件が終わらない。
たまりかねて、ちらっと店内を通った行員のおじさんを捕まえて、「ここで両替できますか?」と聞いてみた。

答えは案の定「できないよ」だった。
がっくり。

「じゃあ、この辺にCaja Españaはあります?」と聞くと、「あの公園の向こう側にあるよ」と教えてくれたので、おじさんにお礼を言ってCaja Españaへダッシュ。


元々、両替にこんなに苦労するとも思っていなかったので(というか、ATMが使えるはずだったので)、両替に関するスペイン語フレーズなど考えてもおらず、しかし英語はほとんど通じないので非常に困った。
「そういえば外国行った時の両替所にはいつもCAMBIOって書いてあるから、きっとそれだよね。Cambioって実はスペイン語じゃん?」と思い、Cambioを連呼してみたけど、それでも通じにくかった。

が、困ったシチュエーションになると、火事場の馬鹿力的に記憶の奥底に埋もれていた文法とかがひょいっと顔を出してくれるようで、この表現が合っているかどうかも分からないけど、とりあえず”¿Puedo cambiar dinero aqui?”(ここでお金を換えられますか?)というフレーズをいつの間にか自分で編み出していた。

すると、”¿Qué dinero?”(何のお金?)と返されたりするので、必死に”¡Dinero japonés!”と訴えると、ちゃんと通じた。
ゼエゼエ…。


で、Caja Españaなんですが…、

カウンターの女性に上記の「両替したい」旨を伝えると、なんと返事は「ここではできません」とのこと。
ななな、なんで

「でも少し前にFrómistaにあるお宅の銀行でちゃんと両替してもらったんですけど?」と、その時のレシートを見せると、「ちょっと待ってて」と言い、その紙を持って奥に聞きに行った。

戻ってきた彼女のセリフは、やはり「できません」だった。
「なんで?Frómistaでは両替できたのになんで?」としつこく詰め寄ってみると、彼女の口から発せられたのは、「私は日本円を見たことがないので、それが本物か判断できないの」と、到底先進国の銀行とは思えないセリフだった。

円の両替ぐらい、ベトナムの銀行でもできまっせ~。

しかし、何よりも解せないのは、同じCaja Españaで、しかも人口1,000人ほどの小さな町Frómistaでできたことが、人口62,000人の都市Ponferradaでなんでできないかね?

スペイン、意味不明だ~


傷心のまま、もういい加減戻らないとスィナとキムを待たせ過ぎだと思いつつ、3度目の正直で、BBVAの隣にあるPopularに入ってみた。

半ばあきらめながら「円の両替できますか?」と聞いてみると、なんとカウンターにいたお兄さんは、あっさりと「できますよ」と。

マジで嬉しい~
Popular最高
Caja España最低

こんなことなら最初からPopularをトライしておけばよかったよ。
どれだけ無駄足踏んだことか…。
Popularのお兄さんが輝いて見えたよ。


次にいつ両替できるか分からない危機感があるので、5万円分を換金。
多額の現金を持ち歩くのは良くないが、そんなことは言ってられねえ。


すっかり遅くなり、走ってスーパーまで戻る。
途中でスィナへのSMS送信や電話も試みたが、またこういう必要な時に限って機能しないんだよね。
本当に、どうなってんだスペイン


「ごっめ~ん!ほんとにごめん!かくかくしかじか…」とスィナに説明。
スィナは「いいのよ、時間はいくらでもあるんだから」と全く気にしていない様子。
そういうところは大変ありがたい。(でも、急いでる時はちょっと困る。)

キムはと言うと、やはり彼女の性格上、待ち切れなかったようで、もうすでに先へ進んでしまったようだ。


すっかり疲れ、出発前にもう一度バルでコーラ休憩。
う~ん、コーラ1本2.3ユーロもするあたりが都会だな。
両替も満足にできないくせに!(←根に持っている)
昨夜も200mlのビンで2ユーロもしたし、ここは物価が高い。
ここでもテラス席料金を取られてるのかも。

私が銀行に奔走している間、スィナはスーパーでパンやチーズ、生ハムを買ってくれていた。
「今日のランチはピクニックにしましょうよ
わ~い、さんせ~い。


ずいぶんと時間をロスしてしまったけど、焦ってもしょうがないのでのんびり出発。

1時間ほど歩き、Columbrianosという場所の教会裏でランチ休憩。
先ほどスィナがスーパーで買っておいてくれた、生ハムとチーズでサンドイッチを作る。



まさにピクニック気分で楽しい。


休憩ついでにPonferradaで買った新しい靴ひもを通す。
よし、これでSantiagoまで安心して歩けるぞ。




そこからさらに1時間ぐらい歩いて、もうそろそろ疲れがたまってきた頃に、巡礼者用の休憩所を発見。
地図にはCo-op de Vinosと書いてある。
ワイン工場の一角にちょっとしたお店スペースがあり、たった1ユーロでワインとピンチョが食べられる場所だ。

まだ1日の歩行は終わってないけど、特別にサングリアとサンドイッチでゴキゲン




サンドイッチの中身はツナとポテトで、とてもおいしかった。

休憩エリアのほんとにすぐ奥は、ワイン工場になっている。




私たちの後から数名のサイクリストもやってきて、みな当然のようにワインを飲んでいた。
酔っ払い運転注意~!


炎天下に飲んだ1杯のサングリアでゴキゲンになったスィナと私は、フラフラと結構時間をかけてようやくCacabelosに到着。
しかし、これまた町に到着してからアルベルゲまでが遠い。
足も痛いし、しんどい。


ここはMolinasecaに並ぶ、美しい川がある町。






橋を渡って少し進むとようやく公営のアルベルゲが出て来た。
すぐ隣は教会。




ずらりと並ぶドア。




どうやらここは個室タイプのアルベルゲらしい。
2段ベッドじゃないだけで、ずいぶんと落ち着ける。



やや遅めの17:30にチェックイン。5ユーロ。
エリザベスやジムなど、見知った顔がすでにチェックインしていた。


エリザベスは相変わらずBed Bug被害から解放されていないらしく、今日もまた持ち物全部を洗濯したらしい。
「服を全部60℃のお湯で洗ったら、ずいぶん縮んじゃったわよ。私、まだそこまで痩せてないのに」と笑ってた。

同じアルベルゲにスペイン語が得意なベルギー人の女の子がいたので、エリザベスは彼女からBed Bug用の薬を買う際のスペイン語表現を必死に聞きだしていた。
私はしきりに、「オスピタレラに聞くのが一番正確じゃない?」と提案したのだけど、誰もそれには耳を貸さず、なぜかベルギー人に必死に聞いていた。

でもさ、Bed Bugという言葉すら、スペイン人に聞いても「さあ…?スペイン語でなんて言うんだろう?」な反応だったのに、ノン・ネイティブに聞いても、さ。
しかもシチュエーション的に分かってるのは絶対オスピタレラなのに。


結局エリザベスは、ベルギー人に書いてもらったメモを頼りに薬局に行ってみたけど、以前入手したのと同じ種類の薬を見つけることはできなかったらしい。


今日は疲れているので、町の中心部までまた歩いて戻るのもしんどいが、ディナーはしっかり食べねば。
橋を渡り、町に入ると一角のバルにキムやジムなどアメリカ人数名を含む巡礼者がビールを引っかけていた。

「ジョインしない?」と誘われたけど、スィナと私は「それよりお腹空いたから、すぐにでもディナー食べたい」ということで、断って晩御飯を探しに行く。


何軒か覗いてみたけど、これと言って決め手になるお店は見つからず、適当なところで手を打つことに。
「今日こそは、いつもの巡礼者メニューではなく、タパスを何種類か食べたい!」という私の主張が認められ、本日は単品オーダーで。


Ensalada Mixta(ミックスサラダ)、Croquetas(コロッケ)、Lacón con Pimientos(豚のショルダーハムとパプリカ)。




パプリカはスペイン名産。
よくオイル漬けになったものが瓶で売っている。


Patatas BravasとPatatas Ali-Oli(辛いソースとニンニクソースの2種類のソースがかかったポテト)。




そして、パプリカの粉がかかったPulpo(タコ)。




どれも普通に注文すると巨大なので、ハーフサイズでオーダー。
ちなみにポテト2種はスィナの希望による。
なんか、ドイツ人と同じでやたらとポテトばかり食べたがるんですけど…。

タコ以外は全部おいしかった。
一番期待していたタコが不発だったので、むなしさが残る。
やはりタコは最後のGalicia州に入ってからでないとダメかな~。

しかもスィナはタコが嫌いなので、食べない。
ただでさえお腹いっぱいで、タコが出て来た頃には「もう、食べたくない」状態だったのに、さらにまずいって…。

お店には申し訳ないけど、タコはほとんど残してしまった。


バルのテーブルでタパスをたくさん頼んで長々と食事しているのは、外国人であるスィナと私のみ。
地元の人たちは、ふらっと入って来て、カウンターで1杯飲んで、何かつまんで、そしてまたふらっと別のバルへ行ってしまうので、滞在時間は短い。


お会計をする時、店員が50ユーロ札を持ってきて、「細かいのに換えてくれ」と言う。
そ、そうなんだ、お客さんが店に両替頼むのは分かるけど、店がお客さんに頼むとかアリなんだ。
さすがスペインやな…。

細かい紙幣を持っていなかったわけではないけど、こっちだって巡礼中にバルばっかり回るので大きなお札は不便。
悪いけど、「細かいの持ってない」と言って断った。
(巡礼者的には、換えてあげるのが正解だったでしょうか…。)

一度、キムにも「私、大きなお札しか持ってないんだけど、誰か両替できる?」と言われて、渋々換えてあげたことがあるけど、「アメリカでだって50ドル札なんて使わないのに、ちゃんと細かいの持ってこいよ!」と、正直思った。
ちなみに私は日本でもお財布の中に細かいお金は常備している。



今日は両替ハッスルがあったけど、なんとか無事に1日が終わりました。
神様、ありがとう。

スィナの家族が会いに来るはずだったけど、突然フライトがキャンセルになってしまったので、明日に延期となった。


夜は、結構寒かった。







本日の歩行距離:約25km
本日の歩数:44,124歩

カミーノにあしあと 26

2010年10月26日 | Weblog
【26日目】7/21(水) Rabanal del Camino → Molinaseca
朝6時を過ぎてもまだ外は暗い。

上のベッドのスペイン人のせいで、あまり良く眠れなかったので、体調悪し。
今度からスペイン人の若者の近くにならないようにベッドを選ばねば。
(というか、若者に限らず、スペイン人にはみんなえらい目に遭っている。)


同じアルベルゲに例のオランダ人、ヤン・ヤップ(JJ)が泊まっていた。
朝、洗面所で彼を見てびっくり。
コンタクトレンズを洗っている。

トラベル用でもなんでもない、大きなサイズの洗浄液を持ち歩いているようだ。
巡礼なんてややこしい時に、しっかりレンズをこすり洗い。
ちなみに私は普段コンタクトレンズを使っているが、別につけてなくても日常生活に支障のないほどの視力があるということもあり、巡礼中はずっと裸眼。
目が悪いなら眼鏡でなんとかならないのかと思うのだが、JJの場合は特殊なレンズらしく(遠近両用なのか、重度の乱視用なのか知らんが)、いかなる状況でもコンタクトレンズは必須らしい。


さて、薄暗い中、コーヒーとビスケットで朝食を済ませ、7:00に出発。
エリザベスもちょうど同じ時刻に出発だった。
あいさつすると、「昨夜のディナー代、一緒に払ってくれたの?」と聞かれた。

「え?私は自分とスィナの分しか払ってないよ」と言うと、「おかしいわねえ。私、自分の食事代払おうと思ったら、バルの女性が『もうもらってる』って言うのよ。でも私は払ってないので払おうとしたら、『韓国人の女の子が一緒に払った』と言って受け取ってくれなかったの」とのこと。

韓国人って、、、たぶん私のことよね。
バルのおばさん、私がエリザベスの分も一緒に払ったと勘違いしたのか。
でも払ってないし。

スペインのバルって、伝票があるわけでもなく、お客さんもいつ払ってもいいシステムになってるから、意外とこういう間違いが発生しているのよね。
お店側も代金取りっぱぐれてることがままあると思うよ~。

結局、「お店側の勘違いだね」ということになったのだけど、エリザベスは店に戻って支払うでもなく、食い逃げを決め込んだらしい。


外は風が強く、寒い。
久しぶりに木々が生い茂る森の道を歩く。

今日はスィナがカミーノで楽しみにしていた場所のひとつを通る。
La Cruz de Ferroと言って、丘の上に十字架が立っている場所だ。
巡礼者はそこに、家から持ってきた石を積み、祈りを捧げる。
私が住吉大社から持ってきた五大力の2番目の石はここに置くことにした。

もうひとつ、La Cruz de Ferroに至る少し前に出てくるFoncebadónと言う場所も、スィナがワクワクしている場所。
そこは野犬がいっぱいいてかなり危険な場所らしい。

でも昨日他の巡礼者から「今年の春、政府が野犬駆除をしたので、今はもうFoncebadónで野犬に襲われる心配はないらしいよ」と聞いていた。
にもかかわらず、スィナは「野犬に襲われたらどうしよう。危ないわね~」と、なぜかワクワクした様子。

だから、もう野犬いないんだってば…。


今日はカミーノで最も標高の高い、1500m地点まで上る。
曇っていて風が強く、霧が出ている。

ほどなくFoncebadónに到着。
寒いので、バルで休憩することにした。






ここでまた色んな人に再会。
キムとはアルベルゲでは何度も会ってるけど、歩いている途中で会うのは初めて。
体調は良さそうで、明るい表情をしていた。

いつか会った韓国人夫妻にも再会。
相変わらず、奥さんの方は膝が心配らしいが、今日は後半に結構急な下りが出てくるよ。

昨日のアルベルゲやミサで一緒だったドイツ人たちとテーブルを囲む。
そう、何をどうやってもドイツ人からは逃れられないのだ。
もうかなりドイツ語で何が話されているか分かるようになってきたし、「ヤァヤァ」と完璧な発音のドイツ語で相槌を打てるようになっていて、スィナにほめられた。


隣のテーブルにいたドイツ人の若い女の子は体調がかなり悪いらしい。
そして別のドイツ人の女の子は、昨夜泊まったアルベルゲに忘れ物をしてきたらしく、泣いていた…。

ほんとに色んな人がいるなあ。
…にしても、ドイツ人多すぎるやろ


スィナはひたすら野犬の話をしている。
だからもういないってば。



休憩を終え、外に出るとJJが追いついてきた。
JJとスィナは対立する支持政党を持っているらしく、半分冗談で、半分本気でお互いを非難し合っている。
で、記念に仲良く写真を撮っていた。
家に帰った時に家族に見せると大ウケするらしい。


バルを出てすぐに、サングラスが落ちているのを見つけた。
私は以前、スィナが巨大な寝袋でさえ拾って持って行ってあげたことを思い出し、今回もそうするのかと思ったが、今回はそのようなそぶりがない。

「バルとかに届けてあげないの?」と聞くと、「このサングラス、安物みたいだし、別にいいわ」と。
…。
あんたの判断基準が分からん。

後日、スィナはとうとう自分のサングラスを失くし、泣く羽目になるのだが、この時の罰が当たったに違いないと私は思っている。


Cruz de Ferroに向かって坂道を上って行く。
3日ほど前のアルベルゲで出会った若いスペイン人夫婦もいる。
後で色々とお世話になる、親切な人たち。


坂道を登りながら、姉にメールしてみた。
返信内容を見ると、やっぱり甥っ子の状況はちっとも改善されてなくて、かなり参っている様子。
う~ん、どうすることもできないなあ。


ついにCruz de Ferroに到着。




住吉大社の石を取り出し、甥っ子の救済を願いつつ、十字架の下に置く。




スィナに「自分のことを祈ったの?それとも家族のこと?」と聞かれ、「家族のこと」と答えてからちょっと涙が出た。
ここに来るとみなエモーショナルになっているので、スィナも涙ぐんでいた。

夫を亡くしたエリザベスは、昨日私たちに夫の名前が書かれたひとかけらの石を見せて、「これをCruz de Ferroに置くの」と言っていた。

そのエリザベス、石を置き、祈りを捧げた後、号泣していた。
みんなそれぞれの思いを抱いて、巡礼している。
それが最も象徴的に現れるのがこの場所じゃないだろうか。


メキシコ人のマリアも加わって、記念写真。







十字架横をアメリカ人のジムが通りかかった。
特に石を置いたりはしないらしい。
最初会った時に比べて元気がないので、大丈夫かと声をかけると、「まあ、ちょっと足を痛めてるからね」と。
そして相変わらずブルーな表情で去って行った。


エリザベスと連れだって、十字架を後に。
まだなんとなくみんな涙目なので、霧が出ているのにサングラスをかけたまま歩く。


牛がたくさん放牧されているところを通り過ぎる。
ちょうどお母さん牛のお乳を飲んでいる子牛に遭遇。
かわいいなあ
お母さん、ちょっと人相(牛相?)悪いですけど。





Irago峠を越え、ほどなくしてManjarinという廃村に到着。
レイキのホセが「不思議なことが起こる場所」のひとつに挙げていたところだ。






アルベルゲ兼お土産物屋さんの近くにはポットン便所が設置されていた。
なるほど、これが噂の、ね。


色んな場所への距離が書かれた標識。
日本までの距離はないね。(今度勝手に書こうかな?)




中ではお土産物が売られ、寄付をしてクッキーやコーヒーを頂く。




店内にある鐘は、霧で巡礼者が迷わないように鳴らすそうだ。


ここから先は急な下りが待ち受けている。





今日は、St. Jean-Pied-de-Port以来の素晴らしい景色の中を歩いたと思う。
標高が変わり、植栽の変化も面白い。
ただ、足元は石がゴロゴロしていて、滑りやすく、傾斜もきついのでかなり膝に負担がかかる。
韓国人の奥さんがつらそうにしている。
足の悪いパタゴニアさんも大変だね、とスィナと2人で心配する。


涼しかったものの、結構体力的には負担がかかった。
やっとAceboという村に到着し、バルで休憩。
スペインのバルでは、同じ柄の食器を良く見たが、ここでは久しぶりにちょっとこじゃれた感じのティーカップとシュガーを見た。





さて、ここからもうひとがんばり、延々とひたすら下って行く。


下りはスィナに疲れが見え始め、遅れがちになる。
先に進んで途中でスィナを待っていると、上から下りて来た若いドイツ人カップルが、「これ、あなたの?」と差し出した物を見ると、私の腕時計!

そうありがとう
ゴロゴロ足場の悪い下り道を歩いているうちに、いつのまにかウエストポーチのポケットからこぼれおちたらしい。

帽子に引き続き、2度目の落し物を拾ってもらった体験。
ありがとう、カミーノ。


次にRiego de Ambrósという村に到着した。
ここにはアルベルゲが1軒のみ。
中を見せてもらったけど、スィナは気に入らず、ここには泊まりたくないと言う。
私は別にどこでもいいので若干うんざりしながらも、まだ歩く体力はあるのでMolinasecaまで進むことにした。

アルベルゲにはスニーカーが1足のみ。
後で聞いたらキムだった。
村にたいして食料品店もなく不便だったけど、普通に泊まるには支障なかったとのこと。


もう1度コーラ休憩を取り、ひたすらMolinasecaを目指して進む。
最後の力を振り絞り、ひたすら歩く、歩く。
今日はSantiagoまで200kmを切ったお祝いに、途中で出て来たバルでアイスキャンディーを買い、スィナと乾杯。

途中、黄色い矢印が見つからない場所があったりして不安がよぎったが、どうにかこうにかMolinasecaに到着!
美しい!











町が美しいのはいいが、アルベルゲは町の出口辺りにある。
疲れた体に鞭打ってひたすら歩かなければならず、巡礼者的にはブーイングものだ。
できるだけアルベルゲは町の入口付近に作ってもらいたいものだ。


最初に出て来た私営のアルベルゲの方に飛び込む。
ヘトヘトに疲れて到着したのが16:00。
長い1日だった。

ここのオスピタレロは、11月に四国にお遍路に行くらしい。
アルベルゲ内にもお遍路関係の手ぬぐいだとか、本だとか置いてあった。
さらに日本人が書いたカミーノ本があり、このアルベルゲのことが書かれてあり、このオスピタレロのおじさんも写真入りで登場していた。
自慢げに見せられ、あれこれ説明されたけど、私のスペイン語力では気のきいた返しもできず、すいませんでした…。


宿泊費は7ユーロ。
一番上の階のロフト状の部屋に行ってみると、そこは1段ベッドが並んでいて快適そうだったけど、全部埋まっていた。
ナターシャやエリザベスがすでにそこに陣取っており、「今頃到着したの?」と驚かれた。
私とスィナの巡礼は休憩が多いのんびりタイプなので、大体こんな時間の到着になるが、他の人はもっと早く到着してくつろいでいる。

仕方ないので階下の2段ベッドを使う。
私営だから結構奇麗だし、シャワーなども快適。
今日も1日を無事終えたことに感謝しつつ、シャワーを浴び、洗濯をする。
そろそろ手洗いの洗濯物も臭って来た気がするが、我慢…。


アルベルゲのテラスで日記を書いたりして過ごすも、本日のスィナはどっぷり疲れている様子。
私も今日はかなり足に負担がかかったので、左のかかとにマメができかけている。
30km以上歩いた日以来のことだ。

あと、前々から気になっていたんだけど、靴のひもが切れそうになっている…。
とりあえず結び目を作ってその場しのぎをしているけど、早くどこかで新しい靴ひもを買わなきゃ、Santiagoまで持たないかもしれない。
これでは織田信成の二の舞になってしまうわ。


テラスの隣のテーブルに東洋人の女の子がひとり。
う~ん、韓国人か日本人か判定が微妙。

話しかけてみると、韓国人だった。
う~ん、やはり日本人にはなかなか会わないなあ。
彼女は7/1にサンジャンを出発したそうだ。
私たちが出発したのは6/26だから、ずいぶんと歩くの早いなあ!


スィナがグダグダに疲れているので、早めの夕食を求めて町の中心部へ。
日本語が書かれた石碑があった。




アルベルゲにも同じものがあったよ。




町を歩いていると、例のパタゴニア在住フランス人が到着した。
あんなに足が悪いのに、あの急な傾斜の道を下ってここまで来たんだ
おめでとう

同じく町を散策していたナターシャやエリザベスも彼に声をかけている。
いつの間にか顔見知りになった巡礼者のことは、みんな気にかけているんだね。


エリザベスはまたBed Bugにやられたので、薬局を探しているそうだ。
以前も体中をかまれ、かゆそうにしていた。
自分の衣類にくっついて、背中のリュックと共に虫が旅してると思われるので、手持ちの衣類を全て洗濯したそうだ。


夕食前にちょっと教会をのぞいてみる。




どこの町や村へ行っても、必ず私たちは教会を訪ねてみる。
閉まっていることも多いけど、開いていれば祈りをささげ、ロウソクに火をともす。
(大抵の場合、電気のロウソクなのでスィナが不機嫌になるんだけど。)

川沿いのレストランのメニューを見てみると、町だからかちょっと高め。
あと、テラス席は料金が高くなっている!

ここぞと思うところでディナーを食べようと思ったが、20:00以降じゃないとダメと言われ、自分たちがスペインにいることを思い知らされる。


これ以上ウロウロする気力も体力もないので、とりあえずコーラを飲んで1時間ほど待つことにした。
川沿いのテラスで一休み。

ふと見ると、またあのレイキ男が女の子と一緒にお茶してるよ。
絶対怪しいし、あいつ。


コーラとポテトチップスで空腹をしのぐも、じっとテラスに座ってること自体がつらい。
「他のレストラン探しに行こうか」とスィナが言うので、立ちあがってまたアルベルゲ方面に向かって歩く。


ようやく20:00より前にディナーを出してくれる店が見つかり、そこで12ユーロのセットメニューを。

一応、そこそこきちんとしたレストランのはずなのに、しわくちゃになった紙ナプキンを出され、スィナと2人で苦笑。
Viva, Spain!





Primero Platoは海鮮リゾットにしてみた。




Segundoは豚肉。




もうお腹いっぱいだけど、デザートはタルト…。




どこの村や町でもそうだけど、やっぱりここでも犬がウロウロしている。
しっぽを振り振り足元にやってきた犬を見ると、、、、ブサイク。
スペインで良く見かける、受け口の犬だ。

顔がブサイクな上に、歩き方までおかしく、スィナと2人で大爆笑。
あとになって、「写真に収めとけばよかったね、あのブサイク犬」と笑い合った。

同じレストランに、パタゴニアのおじさんもやってきた。
どうやら店の主人が元々フランス出身らしく、話に花が咲いていた。
今日はパタゴニアさんもかなり上機嫌だ。


通りに面したテラスで食べているので、色んな顔見知りが通りがかる。
とある巡礼者(たぶんオランダ人だったと思う)から、「ピーターがあなたを探してたわよ」と言われる。

おおっ!ピーター!
13歳のコリアン・カナディアンじゃないか。
昨夜は私たちのひとつ手前の村に泊まっていたらしい。
会いたいよ~。

ピーターには写真を送らないといけないのに、まだメールアドレスを聞いてない。
いつかきっと、また会える。








本日の歩行距離:約26.5km
本日の歩数:40,662歩

カミーノにあしあと 25

2010年10月25日 | Weblog
【25日目】7/20(火) Astorga → Rabanal del Camino
アルベルゲでしっかりとした朝食を摂り、7:30に出発。

本日も快晴。
景色が奇麗だ。

さすがにAstorga以降は巡礼者の数が多いようだ。
いつもより巡礼路が混んでいる。


出発してすぐに小さな教会へ。






中でお祈りし、クレデンシャルにスタンプをもらい、先へと進む。


スィナは今日もかなりの早足で進んでいくので、調子が良いのかと思いきや、「昨日のレイキ男にエネルギー吸い取られた~」と、どうやら絶不調らしい。

それにしてもスィナの成長は目覚ましい。
普段あまり運動をしないので、ピレネーを越えた時にはヨレヨレになっていたのに、今ではすっかりたくましく元気になっている。
ヨーロピアンの底力やね。

しかもスィナの後ろ姿を見ると、お尻のあたりが引き締まり、ふくらはぎが太く発達してきているのが分かる。
自分もそうなってるに違いない。
巡礼者=アスリートだよ、こりゃ。


もうメセタを脱し、パラモと呼ばれる気候帯に入り、徐々に標高を上げて行くと緑が増えてくる。

本日の宿泊地は、Rabanal del Caminoという、小さな小さな村。
人口は50人ぐらい。

村の真ん中を通る巡礼路を歩き、スィナのガイドブックに載っている、El Pilarという名前のアルベルゲに少し早目の13:15頃に到着。




宿泊料は5ユーロ。
門をくぐって中に入ると、バルと平屋のアルベルゲエリアがある。
雰囲気はとても良いアルベルゲだ。






到着するとオスピタレロが、大きなテラコッタのピッチャーに入った水をくれる。
いつかGrañonでワインの回し飲みをした時のように、ピッチャーを上に掲げて長い飲み口から落ちる水を飲む。


ベッドを確保し、シャワーへ。
シャワーが3つ並んでおり、2つは使用中。
空いている1つを見ると、ドアに「冷水しか出ません」と書いてある。

ひえ~っ、夏とはいえ、水シャワーは嫌だぁ。

スィナはいつもシャワーの最後に水を浴びるので、水シャワーでも気にならないと言って先に入って行った。
隣のシャワー室のドアには何も張り紙がないので、こっちはお湯が出るのかな?

と思っていたら、そのシャワー室から出て来たおばさんが、「こっちも水シャワーよ。ちょっと冷たいけど、急いで浴びると大丈夫」と言う。
が、中に入ってみると、明らかに赤いお湯の栓と青い水の栓がある。
これ、お湯出るんじゃ?

試しに赤いほうをひねってみると、ちゃんとお湯が出た!

中から「こっちはちゃんとお湯出ましたよ~!」と教えてあげると、知らずに水のみでシャワーを浴びたおばさんが、「うっそ~」とショックを受けていた。

きちんと確認しましょうね。


洗濯後、お腹が空いているのでバルで何か食べることにした。
周りのお客さんが食べている料理のお皿を見ると、バリバリのスペインサイズみたいなので、2人でパスタとサラダをシェアすることに。

だって1人前でこの量だもん…。




さらに隣に座っていた親切なスペイン人のおじさんが、自分の食べ物を私たちに分けてくれたりもする。
きょ、恐縮です。

「スペイン人は良く食べますね~」と言うと、「そんなことないよ、これが普通だよ」と。
う~ん、体の造りが違うね。


お腹も落ち着いたので、村の散策へ。
私たちのアルベルゲのすぐ隣は公営アルベルゲらしい。

教会の前にもう1つ私営アルベルゲがあり、見学させてもらった。
ここはイギリス人が運営しており、アットホームな感じ。
開放的な中庭があり、芝生の上で昼寝するキムを発見。
調子もだいぶ良くなったようだ。


オスピタレロ達の話によると、巡礼者でもあるフランス人の牧師さんが、夕方5時からガーデンミサをしてくれると言う。
ミサ大好きなスィナは、もちろん大喜びで出席表明。

一旦自分たちのアルベルゲに戻り、昨日会ったドイツ人の牧師にもミサの件を伝え、参加者を募るスィナ。
またまたドイツ語で盛り上がってるので、私はアルベルゲ入口にあったパソコンを使ってメールチェック。
すると門から入ってきたおじさんに何やら言われた。
スペイン語なので、はっきりと分からなかったけど、アルベルゲの前にバンが止まっていて、その中でインターネットが使えるらしい。
「あっちの方がお得だよ」というようなことを言われた、と思う。

ごめん、おじさん。
私スペイン語ほとんど分かってないのに、分かったフリして「うんうん。あ、そう?オーケー」って返事するの、すっごいうまくなってるの。


パソコンのそばには自動販売機があり、通常のスナック類の他に、絆創膏やテーピング、シャンプーやかみそりなど、巡礼中に必要なものがここでそろうようになっていた。
すごいな~。


これと言って何もない村に早くに着いたので、メールチェック後は暇だからベッドで昼寝する。
夕方、スィナが「ミサの時間よ」と起こしに来たが、面倒くさいので無視すると、諦めてそのままミサへ出かけて行った。

しばらくベッドでゴロゴロしてたけど、あまり寝過ぎても夜眠れなくなるし、巡礼中しかできない経験だしと思い直して、やっぱりミサに行くことにした。

中庭に出ると本を読んでいるエリザベスに遭遇。
最初、隣の公営アルベルゲに行ってみたけど、2段ベッドの上しかあいてなかったので、こっちへ移ってきたそうだ。

ガーデンミサのことを告げると、「私も一緒に行くわ」と言うので、連れだって出かけて行く。


ミサはまさに芝生の真ん中で輪になって、行われた。
フランス人の牧師がフランス語で、ドイツ人の牧師がドイツ語で、お祈りの言葉を捧げる。
そして讃美歌を歌う。

私一人、クリスチャンじゃないし、東洋人なのでどうかとも思ったが、途中で抜け出すこともできず、我慢して最後まで付き合う。
歌ばかりか、フォークダンスのようなものまで始り、参加者で手をつなぎ、輪になって踊った。
う~ん、やっぱ参加せずにそばで見ていればよかったかも。

ミサの後、コミュニオンと言って、キリストの肉に見立てたパンを食べ、血に見立てたワインを飲む儀式を行う。
これは希望者のみなので、私は希望しなかった。
スィナに無邪気に「あなたも参加すればいいのに~」と言われたけど、だって私クリスチャンじゃないもん。

まあでも青空の下のガーデンミサなんて、貴重な体験ができたと思う。


ミサの後は、ビスケットと紅茶がふるまわれた。
さすが英国式。

相変わらずスィナがドイツ語ばかりしゃべるので、私はつまらなかったので、後からオランダ人のナターシャたちが入ってきたのを見つけ、そっちへ行って英語でしゃべっていた。


ミサ帰りに村の小さな日用品店に寄ると、シエスタの時間が終わって開いたので、明日のためのリンゴやミューズリーを買い、ついでに小さなメモ帳も買った。
しっかりとした日記をつけるつもりはなかったので、日本から小さなメモ帳を持ってきていたけど、最近あれこれ書くことが多くなり、もう残りページが少なくなっていた。
これで一安心。

ちなみに私が購入したメモ帳は、その後結構役立つこととなる。
なにかにつけてスィナが、「メモ用紙1枚ちょうだい」と言ってくるので。
私のウエストポーチにはさっと取り出せる便利なものがいっぱい入っているので、スィナに「ユウコはきちんとしている」といつもほめられていた。


アルベルゲに戻り、洗濯物を取り込んでいると、近くにやってきたオスピタレロが、地面に落ちていた何かをひょいと拾い上げ、その後固まった。

なんだろと思って良く見てみると、それはパックリ開いて落ちていた生理用品。
え~、ちなみにここには洗濯機がないので、洗濯は手洗いのはず。
だから「うっかり間違って服と一緒に洗濯しちゃった」という状況はない、はず。
なぜそれがそんなところに落ちているのか、不明。

私は、「うわっ、やば!恥ずかしい!」と思ったけど、そばにいたスィナとエリザベスは大爆笑。

そ、そうなんだ。
ここは大爆笑なんだ。
恥じらいとかは別にないんだ…。

逆に、ナプキンを手に大爆笑されたオスピタレロがちょっと恥ずかしそうにしていた。


夕食までの間、暇なのでスィナが足のマッサージをしてくれた。
私が日本で購入して行った、スティックタイプのタイガーバームは使いやすくてとても重宝する。

足の裏にたっぷりとタイガーバームを塗り込み、ぐいぐいと指圧してくれる。
気持ちいい~。

そばで見ていたエリザベスが、「若いからかかともツルツルでいいわね~」と言い、スィナと2人でまた爆笑していた。


さて、「そろそろ夕飯食べたいけど、何時からだろうね?」とみんなで噂しあう。
全くディナーのアナウンスがないので、オスピタレロに聞きに行くと、「何時からでも食べられるよ」との答え。
「じゃあ、メニューは?」と聞くと、「そこの壁に貼ってあるやつ」と言われた。

え?
ディナーはないのね。
壁に貼られた1日中オーダーできるメニューは、目玉焼き+ベーコンとか、朝食みたいなメニューばかり。
でも他にレストランもないので、ここで食べるしかない。

隣の公営アルベルゲからも夕食を食べに人がやってくる。
1人、陽気な韓国人のおじさんがいて、私を見つけるとかなり嬉しそうに握手してきた。
あんまり韓国人にも会ってないのかな?

食事していると、また例のレイキ男、ホセがアルベルゲに来ていた。
どうも胡散臭いんですけどぉ~。


この日、夕方以降気温がぐんぐん下がり、中庭で食事していると寒い!
標高は1,155m。
ここしばらくメセタの低いところを歩いてきたので、久しぶりに少し高いところに来たからか。
今までで一番寒いと思う。

まだ時間は早いけど、あまりに寒いのでもうベッドに入ることにした。


ところで私のベッドの上にはスペイン人の若者(男子)が2名おり、そいつらがガサツでうるさくて参った…。
ベッドの周りには荷物が散乱してるし、上からは靴がぶらさがってるし、寝るときに2人でふざけてガサガサ動くので揺れるし、本当に不愉快だった。
おまけに夜中に上から強烈な硫黄臭…。

久しぶりに殺意を覚えた夜だった。







本日の歩行距離:約21km
突然歩数計が復活したので、本日の歩行数:32,345歩


カミーノにあしあと 24

2010年10月21日 | Weblog
【24日目】7/19(月) Villadangos del Páramo → Astorga
アルベルゲを出発したのが7:20頃。
今日は体調が良いので早足でどんどん進む。

いつもは歩くのが早いイタリア人のジーナは、なぜか今日はゆっくり。
道路わきで一緒に休憩していると、ジーナが「どうして休憩のときに靴を脱ぐの?」と聞いてきた。

どうしてって、、、乾かすために決まってるやん

「汗で蒸れるし、休憩ごとにブーツを脱いで風を通した方がいいよ」と教えてあげたけど、「ふ~ん」と言ったっきり、特に関心はなさそうだった。
しかし、そういう足のメンテをしっかりしない人に限って、案の定マメや靴ずれのトラブルに陥っている。
実はこの後、ジーナは足のトラブルでリタイアしたと思われる。

休憩していると、昨日みんなにレイキ・ヒーリングを施していた男性が現れる。
名前はホセ。
カナリア諸島出身らしい。
スペイン人としては、英語はかなり流暢な方だ。
私はちょっとヒーラーとしての彼に疑いの目を持っている。

今日は結構知り合いに遭う確率が高く、久々にハンガリー人のアンドレアもいた。
しばらく同じペースで歩いていたが、会話がほとんど成り立たないので、あまりしゃべらないようにする。


Villadangos del Páramoから10kmぐらい進んだところのHospital de Órbigoで、朝食休憩。

スィナの後ろに見えるのは、刃物砥ぎのおじいさん。




自転車を押して、笛を吹きながらだったか、ベルを鳴らしながらだったか忘れたけど、おじいさんがやってくると、バルの女主人が包丁を何本か持って出てきて、おじいさんに手渡した。
自転車の前に取りつけられた砥石が、ペダルを漕ぐと回転して刃を砥げるようになっている。

どこの国でもこういうのはあるんだなあ。
日本でも最近は少なくなったけど、お豆腐売りやら竿竹売りやらが来るし、ベトナムでもイランでもあった。

スィナと2人でこっそりおじいさんの隠し撮りをしていたら、後ろのテーブルにいたアメリカ人のカップルがちゃんと「写真撮ってもいいですか?」と聞いて、堂々と写させてもらっていた。
あ…


朝食を済ませ、再び歩きだす。
ここでもう一方のルート、Vilar de Marifeからの道と交差する。
さて、Astorgaまで国道沿いの道を行くか、オフロードを行くか。

私たちは昨日ずっと国道沿いを歩いてきたので、ここから先は自然の中を歩くことをチョイス。
多少のアップダウンがあるが、緑が多く、休憩する木陰もある。

4~5km進んだ先に出てきたSantibanez de Valdeiglesiaにはアルベルゲがあり、壁に描かれた洗濯物の絵がかわいかった。




今日も日差しがかなり強く、非常に暑い。
しばしば休憩しながらでないと、きつい。

途中、カミーノは誰かの農場を横切るので、普通に牛とかがいっぱいいる。
牛の赤ちゃんがとてもかわいい




赤ちゃんがいる場所の反対側では、実は私たちは巨大な牛の死骸を見てしまった。
最初は牛が寝ているのかと思ったけど、ピクリとも動かないので死んでいるに違いない。
なまんだ~。


何もない荒野に現れた、巡礼者のための休憩場所。
木陰とベンチがあるだけで、有り難い。




さらに進み、森の中で休憩していると、大柄な男性が通りがかった。
いつものようにスィナは初めて会う人に興味を示すので、あいさつだけにはとどまらず、「どこから来たの?」と会話に引き込む。

すると、その男性の答えは「オランダ」。
おおっ、こんなところに同郷の人みっけ。

当然スィナはいつも以上に嬉々として会話を始める。
オランダのどこから来たのか聞いたスィナは、さらにその男性の名字を聞いて、「○○って人、知ってる?」と。
男性は「それ、僕のオバです。」と答えた。
するとスィナが、「彼女、私の同級生よ!」って。

これが初めてではないが、オランダってどんだけ狭いねん


彼の名はヤン・ヤップ。
かなり個性的なキャラクターで、その後私たちの間では頭文字でJJと呼ばれることになる。

エキサイトしたスィナはAstorgaに入るまでずっとJJとオランダ語で話し続けることとなる。
当然、根掘り葉掘りプライベートなことまで聞き出しているんだろうな。


本日、Astorgaまでは約30kmの道のりなので、後半結構へとへとになっているところへ、セルフサービスのちょっとした屋台みたいなのが現れる。
ジュースやフルーツ、クッキーなどが置いてあり、代金は気持ちを寄付箱へ入れる。
しばらく何もない道が続いて疲れているところへ、こういうサービスがあるととても嬉しい。

その屋台を運営している男性に、Astorgaまであとどのぐらいか聞くと、「1、2kmだよ」ということだったんだけど、どうも地図に載ってる距離とは明らかに違う。

地図やガイドブックをノーチェックなスィナは単純に信じ込み、嬉々として歩くが、しばらくして男性に言われた距離は短すぎると気がついたようだ。

小高い丘の上に大きな十字架が現れ、巡礼者たちが記念撮影している。
その丘を下ってさらに遠くの方にAstorgaらしき町が見えている。
あと小1時間ぐらいかかりそうだ。

これまでにスィナと私は「スペイン人の言う距離はアテにならない」ということを学習している。
誰かに道を聞いた際、「あとどれぐらいですか?」と聞くと必ず短い距離で言われる。
過去に「バルまであと200m」と書かれた矢印につられ、えらい遠くまで誘導されてしまった時の記憶がよみがえる。


Astorgaに入る直前に出てきた村を通過した時、とあるホテルのテラスから声をかけられた。
ジーナだった。
なんでも彼女は、足の靴ずれが悪化し、タクシーでAstorgaの病院に行き、しばらくは静養するよう告げられたそうだ。
ジーナに携帯電話の番号を渡し、「きっとまた後で会おうね」と約束し、村を後にする。
残念ながら、その後ジーナの姿を見ることはなかった。



Astorgaの入口には、「心臓破りの坂」
なんで30kmも歩いた上にこんな急な坂を上らないといけないんだ?
他にルートはないのか?

坂を上りきった左手に、カミーノ友の会運営のアルベルゲが1軒ある。
ぶらりと中を見に行ったスィナだが、ここには興味がないようだったので、そのまま町の中心部まで歩を進めることにする。

が、Astorgaも結構大きな町で、歩けど歩けどアルベルゲが出てこない。
ずいぶん歩いて、ようやくカテドラル近くに出たところ、自転車を押した奇妙な男性に捕まる。

「アルベルゲはこっちだよ」と案内してくれるのだが、なんか、カラフルなボーダーのTシャツにデニム地のホットパンツ姿だし、この人。
しかも結構年を食っている。

怪しいな、いいのかなこんな人について行ってと思いながらも、「さあさ、こっちこっち」と促され、「ここはガウディホテルだよ」とか教えられながら進む。

カテドラルの前の細い道を入って行くと、私営のアルベルゲに到着。16:30。






さっきの奇妙なスタイルのおじさんは、オスピタレロなのか、「さあオレンジジュースをどうぞ」と勧めてくれた。
こういうのはありがたい。

あと、これまでの経験上、アルベルゲの受付で無料で提供されるジュースは薄くておいしくなかったんだけど、ここのはおいしかった。

受付にいた女性が説明する。
「グッドニュースは、ここはとても快適ですばらしいアルベルゲよ。バッドニュースは、宿泊代金が8ユーロだということ。」
私たちはあまり宿泊代金は気にしていないが、巡礼者の中には宿泊費の安い公営にしか泊まらないとか決めている人もいる。

説明を受けている間にも、さっきのカラフルおじさんが2杯めのジュースをついでくれる。
勝手にそんなにサービスしちゃっていいんだろうか…。

さらに、「18:00から隣の教会でミサがあるから、必ず出席するように」と、しきりに勧めてくる。

久しぶりにミサに出席するのもいいだろう。
ひとまず、シャワーと洗濯!

このアルベルゲには日本人のオスピタレラがいて、日本式マッサージが好評らしい。
振り返ると、奥でお客さんのマッサージ対応中。
いいなあ、マッサージ。


さて、木の階段を3階まで上がって行くと、屋根が低く斜めになっているロフトっぽいスペースにベッドがたくさんならんでいる。
2段ベッドもあったけど、1段のも空いていたのでそちらを使う。

ここのアルベルゲは設備がわりと充実していて、トイレやシャワーも結構たくさんある。
もちろんシャワーは問題なくお湯が出る。

シャワーを終え洗濯の準備をしていると、階段の下からスィナが誰かと話しているのが聞こえた。
ひょいと見てみると、アメリカ人のキムだった。
久しぶり~!

なんでもキムは数日前からお腹の調子が悪くなり、Léonで連泊したもののまだ調子が良くならず、今日アルベルゲに倒れ込むように到着した時には、泣き崩れてしまったとのこと。
お医者さんに行き、薬をもらって、食事制限されたと言う。
当分は水道水は飲まず、必ずペットボトルを買い、食事は少量のお米や穀物に限られているそうで、体力消耗しそうだな~。


洗濯はいつものように手洗いで。
脱水機があるというので、オスピタレラに使い方を聞く。
巨大な炊飯器みたいな丸い器の蓋をパカッと開け、靴下など軽いものから投入。
全て入れ終わると蓋を閉め、スイッチオンすると、ウィ~ンと中で回る音がし、下に取り付けられたホースから水が出てくる。

たったこれだけのことで、洗濯物は半分乾いたも同然。
全てのアルベルゲにこういうの置いといて欲しいな~。


洗濯物も干し、そろそろミサの時間。
例のカラフルおじさんが「早く早く、こっちこっち」と強制的に私たちを教会に連れて行く。
キムも一緒に連れ立ってミサに出席。

最後の方に讃美歌を歌う段になると、突然後ろからも歌声が。
振り返ってみると、この教会はうしろにまだスペースがあり、格子の向こうで数人のシスターが歌っていた。
こういうのは初めてのスタイルかもしれない。

後で他の巡礼者から聞いた話では、「あの教会には、十字架に磔された女性の銅像があった」という。
通常、十字架にかかっているのはキリストと決まっているけど、女性って珍しいな。
誰だろ?
ミサの後、教会はすぐに閉まってしまったので確認できなかった。


キムはスーパーに食材を買いに行き、スィナと私は一旦アルベルゲに戻る。

このアルベルゲの中庭には、テラスの他にちょっとした足湯のようなスペースがある。
お湯ではなく塩水なんだけど、巡礼で疲れた足を浸すと良い。
さらには打たせ湯のように水が上から落ちてきている。

テラスでくつろいでいると、今朝も会ったレイキ男のホセが。
今日の彼は怒っている。
どうしたのかと尋ねると、誰かにセクハラ呼ばわりしてからかわれたらしい。

「自分はあくまでレイキを施しているだけで、下心など一切ないのに、そういう見られ方をするのは心外だ!」とかなりお怒り。
う~ん、でも私も口には出さないけど、微妙なラインだと思って見ていたよ。

そこへキムが夕飯をたずさえて来た。
スーパーで買ってきた、レンジでチンするタイプのカップ入りのライス。
たぶん何か味付けはされてるんだろうけど、夕飯それだけ?
ライスとフルーツジュースでキムの夕飯は終わりらしい。
私たちが買ったブドウが残ってたので勧めてみたけど、「ありがとう。でも今はこれしか食べられないから。」と頑として他の物は口にしない。

ところでレイキ男、ホセだけど、キムを紹介された時、握手しながらちょっと前かがみになり、「あ、そうだったね。スペイン人じゃないもんね。」と。
キムが理解できず「はあ?」と言うと、「スペイン人だったらほっぺにキスするんだけど、みんながみんなそういう文化じゃないんだった。」とのたまった。

わざとらし~
ますますレイキ男への疑惑が深まる私。

が、スィナはこの手の人に騙されやすいので、「キム、体調悪いんなら彼にレイキしてもらえば?」と勧める。

マジで?
そんなことしたら奴の思うつぼじゃんか。

キムもスピリチュアルなことは好きな方なので、早速やってもらうことに。
大勢人がいるから変なことはされないだろうけど、キムはべっぴんさんなんで気になり、レイキの動向を見守る。
だけどホセがレイキを施しながら、何度もこっちを見るので、何度も目が合い、気まずいのでもう見るのやめた。

キムのヒーリングが終わると、今度はホセがスィナに向かって「あなたは昨日人にマッサージを施していて疲れているだろうから、レイキを受けるべきだ。」と指名。
で、スィナもレイキを受けることに。

長くなるので私は1人でAstorgaの町を散策することにした。
(スィナの場合は見張ってなくてよろしい。)

Astorgaのカテドラルも美しい。








カテドラルのそばにある巡礼博物館は月曜日閉館だったのが残念。


カテドラル脇のちょっとしたくつろぎスペース。
「犬の散歩禁止」の看板が出ているのに、堂々と散歩させている人もいた。(笑)




さて、カテドラルの周りをぐるっと回って帰ってこようと思っていたのに、ちょっと「この通りに何かお店ないかな?」とか思ってそれてしまうと、思いもかけない大周りに。
結局、かなりの距離を歩かないとアルベルゲまで戻れなくなってしまい、ビーチサンダルが痛い。
今日も30kmぐらい歩いたというのに、なんでこんなことしてるんだろ、私。

ずいぶん長い散歩をしてようやくアルベルゲに戻ると、スィナのレイキはまだ続行中だった。
長っ!

キムに「レイキどうだった?」と聞くと、「レイキの効果自体は良く分からないけど、彼には『どうしてそんなこと知ってるの?』と思うようなことを言われた」とのこと。
ん~、でも占いとか信じない私からすれば、大抵の人が悩んでそうなことを口にすれば当たると思うんだよね。
特に巡礼中の人には「人生の岐路ですね」とか、さ。

キムは「スィナのレイキの様子を見てると、ホセと何度も目が合うから、もう見るのやめた」と、私と同じことを言ってる。
やっぱ怪しいよ、ホセ。


やっとレイキが終わり、ディナーへ行こうという話になる。
このアルベルゲ宿泊者は受付で1枚のカードをもらっている。
それは、すぐ近くのガウディホテルのレストランでのディナー割引券として使える。

ホセが私たちと一緒にディナーに行きたいと言うので、割引券のことを伝えると、「僕ももらえるか聞いてくる」と受付へ向かった。
実はホセは別のアルベルゲに泊まっているが、レイキを施すためだけにこっちのアルベルゲの中庭に出没していた。

受付では「割引券をもらえるのはここの宿泊者だけ」と、むげに断られたようだ。
するとホセは私たちに「ま、とりあえずレストランに行って『割引券を忘れた』って言ってみるよ」と、全く気にする様子もない。
さすがスペイン人。

レストランに行き、私たち2人は割引券を提示。
ボーイさんに「あなたのは?」と聞かれたホセは、わざとらしくあちこちのポケットをまさぐり、「失くしちゃったみたい」と。
さっすがスペイン人!

ボーイさんが「割引券がないと割引料金では食べられません」と伝えると、「通常料金はいくら?うん、分かった。通常料金を払っても構わないよ」と平然と答える。
するとボーイさんが少し声をひそめ、「本当はだめなんですけど、今回は割引券なしでも割引料金にしておきますよ」と言ってくれた。
さっすがスペイン!

で、元々割引券なんか持っていなかったホセは堂々と割引料金でディナーを食べることとなる。
こういう融通がきくところが、スペインの好きなところ。


ディナーテーブルでホセはペラペラとしゃべりまくる。
元々はカナリア諸島出身だけど、海外生活も長く、現在はノルウェーで働いているという。
レイキを施すため、世界中あちこち飛び回っているらしい。

ふ~ん、でもなんとなく怪しいんだよね、この人。
さらに話題がスペイン人作家のパウロ・コエーリョの話に及ぶ。
この人はサンティアゴ巡礼者の間では有名。
なぜなら、彼が書いた「星の巡礼」というサンティアゴ巡礼経験を書いた本が世界的に有名で、多くの巡礼者は彼の本に触発されてやってきている。
ちなみに私はあえてこの人の本は読んでこなかった。

ホセによると「彼はインチキ野郎だ。本当はカミーノを全部歩いてなくて、車で回ったりしたのに、あたかも徒歩で全部歩いたかのような書き方をしている」とのこと。
まあ、ことの真偽はわからんが、あんたの話も十分怪しいので、話半分に聞いとくよ。


この怪しげなホセから、さらにカミーノの怪談話とでも言うべきものも聞かされた。
カミーノ上に「不思議な気が満ちている場所」というのが2か所ほどあるそうだ。

ひとつは、San Bolという村。
ここは私たちがポールやグナーと、BurgosからHontanasまでの何もない荒野を30km以上歩いた苦しいエリアの真ん中に位置する村。
なんならHontanasまで行かずに、途中のSan Bolに泊まっても良かったんだけど、グナーが「あそこの村のアルベルゲにはシャワーもないし、トイレもポットンだから」と敬遠していたので、素通りした。

ホセ曰く、昔、あそこでは村が忽然と消えたことがあるという。
ある朝起きると、村人が全員消えていたと言う不思議な現象があり、ニュースにもなったとか。

さらにもう1つの場所は、Manjarinという場所。
ここはまだ私たちは通過していないが、今は廃村となっており、一応アルベルゲはあるが、電気もなく、お湯も出ず、トイレも離れたところにポットンがあるのみという。

ホセの話では、これらの場所に共通しているのは、「不思議なことが起こるので、なるべく巡礼者を近づけないようにしている」ことだそうだ。
シャワーがなかったり、トイレがポットン式なのは、あまり巡礼者が泊まりたがらないようにして、わざと人を遠ざけているのだとか。
夜遅くに到着したり、疲れていたり、やむを得ずこれらの場所に泊まる巡礼者がいた場合、オスピタレロ達はなるべくアルベルゲ内でのイベントを企画して、巡礼者が夕暮れ以降外に出ないように仕向けているという。

ホセが以前Manjarinに泊まった時、1人の英国人女性が日が暮れてから「ちょっと散歩に出てくる」と出かけて行ってしまったらしい。
オスピタレロやホセは「何かが起こる」ということを知っていたけど、特に引きとめもしなかったそうだ。
するとものの15分でその女性がすごい勢いで帰ってきたそうだ。
そして顔面蒼白のまま、みんなの「どうしたの?」という問いかけにも答えず、自分のベッドにもぐりこんでしまったそうな。
彼女が何を見たのかは、彼女の口から聞くことはなかったと。

とまあ、こんな怪談めいた話をホセから聞く。
100%信用できないけど、ね。


今日は久しぶりにわりとちゃんとしたレストランでの食事だったので、Segundoにビーフステーキを注文してみたが、値段が安い分あんまりいいお肉ではなかった。
やっぱスペインで牛肉はナシかな…。

ちなみにここはそこそこ大都市のホテルのレストラン。
が、ここでもハエは飛んでいる…。
すごいなあ、スペインって。


ディナーを終えて帰り際、ホセがスペイン人の知り合いを見つける。
その人も巡礼者で、なんと毎日60km以上歩いているという。
一体どうやったらそんなに歩けるんだ?!
私も去年の大みそかに60km歩いたけど、毎日は続けられない…。



アルベルゲにいた日本人のオスピタレラは、マッサージが好評らしく、常に誰かの対応をしている。
結局彼女とはちらっと挨拶を交わしただけで、ゆっくり話をするチャンスはなかった。



今日も盛りだくさんな1日が終了。






本日の歩行距離:約30km

カミーノにあしあと 23

2010年10月18日 | Weblog
【23日目】7/18(日) León → Villadangos del Páramo
朝、アルベルゲ内にある公衆電話から自宅への電話を試みるも、なぜか電話がかからない。
国際電話のかけ方は合っているはずなのに。
何度か試したけどダメで、最終的には公衆電話が私の貴重な1ユーロを食ってしまった。
スペイン、嫌い…。

釈然としないまま、8:00にアルベルゲを出発。
外に出ても黄色い矢印などが見つからず、Leónからの出方が分からない。
私は、「町の中心部のカテドラルかアルベルゲまで出ようよ。そしたら矢印あるから」と提案したが、スィナは「もう町の中心部は見たし、通りたくない」と言う。

見たとか見てないとかの問題じゃないんだよ。
一番効率よくカミーノを歩くには、確実に矢印が見つかる場所を通ればいいじゃない。

スィナは地図も見ないくせに、通常ルートを拒否し、道行く人に尋ねるがルートがイマイチ分からない。
朝っぱらから険悪ムードで歩く。

私がさらに、「分かった、川沿いを上がって行こう!」と提案して川沿いに歩くも、スィナは相変わらず自分で地図など確認しないくせに懐疑的らしく、「ちょっと上にあがって人に聞いてくるわ」と土手から上にあがってしまった。

だ・か・ら~、私が持ってる地図にはちゃんとカミーノに出るルートが書いてあるから、川沿いに行けばそのうちカミーノにぶつかるんだよ!
カミーノはパラドールの前を通ってるから、絶対見落としたりしないし。
地図にある通り、川の左側にはバスターミナルや駅の標識も出てるし、方角的に間違ってないんだから。

スィナのことは無視して私はひたすら黙々と土手を歩く。
朝からイライラが募って、本当に気分が悪い。

ずいぶん歩いてそろそろ土手から上にあがろうという頃、振り返るとスィナはずいぶん遠くから歩いてくる。
不機嫌に彼女の到着を待ち、お互い言葉少なに歩く。


カミーノに至る1つ手前の橋を韓国人と思われる青年が通りがかる。
自転車で台車のようなものを引っ張っている。

案の定、彼は私を韓国人と判断したらしく、韓国語で何か呼びかけてきた。
私が英語で「私、韓国人じゃないです」と返事したけど、英語でのそういう回答は予想してなかったらしい彼はそれが聞きとれず、何度も「え?」と聞き返し、私は何度も「私は韓国人ではありません!」と繰り返した。

ようやく事情を察してくれ、「ああ、日本人か。ところでカミーノはどっち?」と聞かれたので、「方角的には左方面だよ」と教えてあげたのに、なぜか彼はそのまま右方面に去って行った…。
近くで見ていたスィナが「でたらめ教えたの?」って、そんなわけないやん

後で他の巡礼者も口々に言ってたが、Leónの出方が本当に分かりづらい。
ほとんどの人がウロウロ迷ってなかなかLeónから出られなかったそうだ。


さて、さらに川沿いを北上するとようやくパラドールに到達!



Leónのパラドールは、元々サン・マルコス修道院だったらしい。
ガイドブックによると、12世紀までは巡礼者宿であり、以降はサンティアゴ騎士団の本部となっていたらしい。
外観がすばらしい。

と、パラドールの近くに佇む人を見てびっくり。
ハビエルじゃない!

思いがけない再会を喜び抱き合う。
しかもハビエルは私の名前をちゃんと覚えていた。
日本人で最初に署名した甲斐があったわ。

「グリンゴはどこ?」と聞くと、「川辺で草を食べてるよ」とのこと。
ハビエルはグリンゴとここで野宿したらしい。

さすがにグリンゴがいる場所まではかなり下って行かなければいけないので、会いに行くのは諦め、橋の上から「グリンゴ~!」と呼び掛けたけど、聞こえたかな?
グリンゴ、草を食べるのに夢中。


ハビエルとグリンゴに会ったおかげで私とスィナの険悪ムードも和らぎ、その後は順調に歩く。
Leónのすそ野は広く、歩けど歩けど国道や商業地帯。

6~7km歩いてたどり着いたLa Virgen del Caminoという町のホテルのバルで最初の休憩。
携帯を見ると相変わらず圏外。
ふと思いついて一旦電源を切り、再度入れてみたけど、やっぱり圏外。

しょうがないなあ、と思っている矢先に突然携帯がブルブルと震えだした。
あ、つながった!

開いてみると5通もメールが。
全部、フィンランドにいる友人のパイヴィからのものだった。
SMSなので文字数が限られており、1通のメールが5通に分割されていたのだ。

スペインから出したポストカードが早くも届いたらしい。
さすが、ヨーロッパだから近いね。
「巡礼の話を聞きたいから、帰国後に電話で話したい。いつ帰るの?」って、私あと20日以上日本には帰りませんが…。

何故か未だに母からの返信はない。
どうなってるんですか、お母さん?
せっかく携帯がつながったので、母と姉に久しぶりにメールしておいた。


店を出ると、道路を挟んだ向こう側から手を振る2人がいる。
あ、マリア&ピーター親子だ。
ひっさしぶり~。
私たちと同じぐらいのペースで歩いてるね。
また会おう!


ここ、La Virgen del Caminoはカミーノが二手に分かれる分岐点になっている。
私は自分の地図に載っているお勧めルート、左手に進み未舗装の道を通ってVillar de Mazarifeに至る約12kmのルートを進もうと思っていたが、珍しく自分のガイドブックを見たスィナが、Villadangos del Páramoに至る別ルートを行きたいという。

なんでも、Villadangos del Páramoのアルベルゲが良さそうなので、そっちに泊まりたいらしい。
(実際行ってみると「ガイドブックの評価って嘘が多いわね、ふん!」という結果になったのだが…。

私は大きなこだわりはないので、そっちルートでもOK。
ただ、こっちのルートは国道沿いで距離もちょっと長い。
なるべくなら車の通らないルートで行きたいけど、ま、今日はいいか。


黙々と歩いていると、日本にいる姉からメールが入った。
次男が難しい年頃で色々と問題を抱えていて、その解決のために私も今回カミーノに彼を連れてきたかったのだが、本人が拒否したので連れてこなかった。

姉からの報告では状況は依然おもわしくない。
というか、さらに悪い方向へ向かっている。

私もかなりショックだ。
この日、初めて泣きながらカミーノを歩いた。
スィナとは離れて歩いていたし、サングラスをかけていたから見られてないとは思うけど。


しばらく進んだ後、道路沿いに1台の車が止まっているのが見えた。
運転席のドアが開いており、女性がドアにもたれかかるようにしている。
助手席にはもう1人女性がいるが、なにやら不穏な空気が漂っている。

あまり見ないようにしてその車の横を通り過ぎようとしたその時、運転席側で外に出て立っていた女性が突然倒れた!
助手席の女性が泣き叫びながら飛び出し、運転席側に回る。
私たちも慌てて駆け寄る。

どうやら倒れたのはお母さんで、助手席にいたのは娘らしい。
何の事情があったのか知らないが、2人ともかなり落ち込んだ様子でいたが、母親が倒れて娘がパニックに。

リュックやストックを放り出し、倒れているお母さんに声をかけると、意識はあったようで目を開いた。
2人がかりでお母さんを抱き起して運転席に座らせる。
スィナがペットボトルの水を勧めるが、「大丈夫」と言って飲まない。
ほんとに大丈夫かな~?

泣いてパニックっている娘が携帯電話を取り出したので、スィナが「1、1、2にかけなさい」とゆっくり諭すように言う。(112はスペインの救急の番号)
私たちはスペイン語がほとんどできないので、どう慰めていいかもわからず、とりあえずお母さんの服についた砂埃を払ってあげ、背中を撫でてあげると”Gracias.”とは答えていた。

反対側車線を通りがかった車の男性が異変に気づいてUターンしてきてくれたので、後はその男性に任せて私たちは再びカミーノへと戻った。
はぁ~、まさかの緊急事態に遭遇で、自分の悩みも吹っ飛んだわ。
それにしても、もうちょっとスペイン語できるようになっとかないと、人命救助できないわ。


目的のVilladangos del Páramoまで、ひたすら国道沿いを歩く。
暑い…。
アルベルゲまであともう1歩というところで、木陰にベンチがあったので休む。
リュックの重さよりも、歩行距離よりも、灼熱の太陽がつらい。

ベンチで休んでいると、スペイン人の親子らしき2人が現れた。
2人とも英語ができないので深い話はできないが、年配のお母さんと中年の息子という、ちょっと珍しい組み合わせ。

息子は無口だけど、お母さんは良くしゃべる。
今日が巡礼初日でLeónからスタートしたものの、暑さにかなり参ってるらしい。


スペイン人親子に別れを告げ、そこから数十メートル先のアルベルゲへたどり着いたのが14:00。
いつも一番暑い時間帯に歩いてるわ、私たち。

アルベルゲは公営で、思いっきり国道に面しているけど、一応建物の前に芝生がありくつろげるスペースがある。
オスピタレロはとびきり親切かつフレンドリーで、到着した私たちに「2人で分けて食べなさい」とキットカットをくれた。
私、あんまりチョコレートとか好きじゃないんだけど、ありがたく頂く。






大部屋に並ぶ2段ベッドと1段ベッド。
1段ベッドは1つを残し全部埋まっていたので、スィナとは隣同士の2段ベッドの上の段にする。
また、梯子がないタイプだよ…。

荷物を置き、シャワーを浴びに部屋を出ると、キッチンでマリア&ピーター親子が料理をしていた。
彼らの情報によると、昨日Léonのサンタ・マリア修道院アルベルゲに6人も日本人がいたらしい。
6人全員がひとつのグループではないが、大阪から来たおじさんやおばさんたちが超面白かったとのこと。
あーあ、せっかく関西人と出会うチャンスを逃したな。

シャワーを浴び、部屋に戻ると久しぶりにアメリカ人のジムを見かけた。
そして、ずいぶん遅れて先ほどベンチで会ったスペイン人の母・息子が。

もうこの時間帯はオスピタレロがお昼の休憩に入っており、夕方まで戻らないので、到着した人は各自空いているベッドを確保して、後でオスピタレロに申し出ることになっている。

先ほどのスペイン人のお母さん、「上の段のベッドしか空いていないけど、自分は年だから上の段は無理だ」と、私に訴えかける。
そうは言っても私も上の段だから代わってあげられないし、下の段の巡礼者たちは皆昼寝中。(寝たふりの人もいたと思うが。)
「とりあえず、夕方にオスピタレロが戻って来てから相談すればいいですよ」と渾身のスペイン語で慰める。
もう、それ以上高度な会話無理ですから、私。


洗濯を済ませ、スィナと連れだって教会と夕食場所を探しに行く。
小さな村なので、ひと回りで全て把握。
教会は相変わらず閉まっているし、お店も日曜日だから閉まっている。
バルも夕食は当然20:00以降しか食べられない。

早めに歩き終えてしまうと、夕食までの時間がなかなかつらい。
そこそこ見どころがある町ならいいけど、小さな村では特にやることがない。
スィナは「私はアルベルゲには夕方5時か6時ぐらいに到着するタイミングが好き。そしたらシャワーと洗濯後、すぐにディナーが食べられるもの」と言う。
う~ん、タイミング的にはそうなんだけど、あんまり遅い時間に到着すると、ベッドの空きがないってこともあるだろよ?
遅くとも4時には着いとこうよ。


やることもなく、仕方なくベッドでごろりと横になる。
しばらくするとオスピタレロが戻って来たらしく、例のお母さんも別の部屋のベッドをあてがわれたようで、問題解決。

夕方になるとオスピタレロが1人1人のベッドを回り、話しかけ、異常がないかどうか聞いてくれる。
どうやら彼はもうすぐ家に帰るようだ。

その前に夕飯を確保せねばなるまい。
20:00までは待てないので、夕飯はアルベルゲで食べることにする。
受付にメニューが置いてあったのでオスピタレロにパスタを注文する。
ワインも注文できるようだ。
それを見ていたマリアが「ここの食事は高いから、スーパーで食材を買ってきて自分で作った方がずっと安くつくよ」と教えてくれた。
「う~ん、でもスィナが巡礼中は料理したくないって言ってるから…」と答えたけど、「そこの坂を上がって行ったところにスーパーがあったから」と親切に勧めてくれた。
が、念のため、オスピタレロに「スーパーはどこですか?」と聞いてみても、「今日は日曜日だから閉まってるよ」と言う回答。
そして、なぜかまたチョコレートをひとかけくれた。


私たちが夕飯に注文したパスタは、なんと冷凍食品だった。
アルベルゲ内の電子レンジでチンして食べるらしい。
普段はきちんとしたディナーを食べたがるスィナも、今日は諦めた様子。
ワインが飲めることが決断を後押ししたと思われる。

ワインのラベルにも巡礼者っぽいイラストが。
そしてスィナが他の人に取られないように、ちゃっかり”Sina & Yuko”と名前を書いていた。




冷凍パスタを電子レンジに入れる前に、フォークで穴をあけるスィナ。




お皿などの準備をしていると、スィナが「ねえ、マリアがチャーハンを作っていて、『少し食べないか?』って言ってくれてるんだけど、悪いから…」と言う。
う~ん、スィナの遠慮の基準が良く分からない。
あんたいつもかなり無遠慮やん。

私がキッチンに行ってみるとマリアがまさにチャーハンを調理中だった。
そして「こんなにたくさん作ってるから、いらない?」と聞いてくれたので、私は素直に「ちょっと味見する程度の量でいいから欲しい!」と答えた。

他の巡礼者たちも、冷凍パスタその他手持ちの食材で食卓を囲む。
久しぶりに合流したエリザベスや、スペイン人の青年、オランダ人のヨークなど交え、賑やかに。




スペイン人の青年は、英語が結構上手だったので、スィナとエリザベスが「ねえ、あなたスペイン人には珍しく英語上手ね!」って、失礼やんか。。。
青年曰く、イギリスに留学したりして英語は勉強したらしい。
そして今回、友達と2人でカミーノを歩き始めたが、途中でケンカ別れして1人で歩いているとのこと。
「カミーノはやはり1人で歩くのが一番」という彼の言葉に、う~ん、羨ましい…。
私もできることなら、別々に…。

マリアのチャーハンはとてもおいしく、みんなから大好評。
やっぱスペイン生活が長くなると、違うものがおいしいね。
それにこのチャーハン、おふくろの味だよ、まさに。

テーブルの奥からマリアと他の巡礼者の会話が聞こえてきた。
巡「それで、カナダ在住だけど元々どこ出身なの?」
マ「韓国よ」
巡「たまには里帰りとかしてるの?」
マ「年に1回ぐらいは。大韓航空が安いから」

な~んだ、普通の韓国人じゃん。
脱北者じゃないかとか、変に気を使って損したよ。
(ま、もちろん本当のところは分からないけど。)


食後、スィナが他の巡礼者とおしゃべりに興じていたので、1人でぶらりともう一度村の散策に出る。
念のためチェックしてみたスーパー(というか、食料品店)は、やはり閉まっている。
せめて明日のためのフルーツぐらい買っておきたかったなあ。
仕方なく、ぐるっと村内を回り、明日の出口を確認してアルベルゲへ戻る。
夜でもまだ外は明るいので、家の前のベンチなどにたむろしておしゃべりしている地元のおじいちゃん、おばあちゃんに挨拶して通り過ぎる。
ぶらぶらしてると、久しぶりにひとり旅気分を味わえた。


夜は特にすることもなく、多くの巡礼者がアルベルゲ前のテラスや芝生でくつろいでいる。
私も椅子にすわり、マリアやピーターと話をする。
ピーターは足の親指が化膿していて、消毒液を塗り、絆創膏を取り換えている。
痛々しい…。

ふいにピーターが、「ねえ、スペインでデジカメ買った方がいいかな?」と聞いてくる。
ん?どういう意味?

どうやらデジカメが壊れてしまったようで、これまで通ってきた村では修理する場所が見つからなかったとのこと。
そうだね、大きな町へ行かないと修理とか無理だね。
「Astorgaなら修理できるんじゃない?でも修理に数日かかるかもしれないし、あまり高くなければ新品を買った方がいいかも」と答えておいた。


話をしていると、目の前で何やらヒーリングが始まった。
レイキ(霊気)を施すおっさんがいるらしい。
イタリア人のジーナがヒーリングを受け、その後も多くの巡礼者が順番を待っている。

マリアも「肩が凝るので…」と言って、レイキを受けることにした。
ピーターに「今カメラ壊れてるから私が代わりに撮ってあげる。後でメールアドレス教えてくれたら送るね」と言うと喜んでくれた。









スィナが「そういえばまだあなたにマッサージしてあげてなかったわね。今やる?」と言ってくれたので、お言葉に甘えて。

スィナはマッサージの講習を受けたことがあるらしい。
そもそも夫が「肩が凝る」と言うので、マッサージしてあげようと思って習いに行ったのに、いざ講習を終えてやってあげようとすると、「人に触られるの嫌」と拒否られたそうな。
でもスポーツをやってた息子らの筋肉痛をほぐしてあげたり、それなりに役立ったそうなので、無駄にはなってないらしい。

テーブルにうつぶせになり、首から肩にかけてタイガーバームをたっぷり塗られ、マッサージを受けた。
気持ちいい~。
上手だよ、スィナ


今日は険悪なムードでスタートし、その後色々あったけど、最後はマリアのチャーハンも食べられたし、スィナのマッサージも受けられたし、振り返ってみれば良い1日でした。







本日の歩行距離:約22.6km
本日の歩数:分からず

カミーノにあしあと 22

2010年10月17日 | Weblog
【22日目】7/17(土) Mansilla de las Mulas → León
今日はいよいよLeón入りする日。
アルベルゲのバルでクロワッサンとコーヒーの朝食を済ませ、7:40に出発。
交通量の多い道路沿いに歩く。

歩き始めて1.6km地点のViliarenteというところで一旦休憩。
今日もまたスィナがドイツ人のおじさんを発見し、呼び寄せてしきりにドイツ語で話を続ける。
延々と続くドイツ語会話に、私は2人とは距離を置いて歩く。


今日は調子が良い。
水も減らしたのでリュックも重く感じないし

さらに4.5km先のArcahuejaという村のバルで、ドイツ人のおじさんも一緒に休憩。
このおじさん、当然英語が流暢なので私とは英語で話してくれる。
スィナはどうして何が何でもドイツ語で話したいんだろうか?
何度も言うが、あんたドイツ寄りのオランダに住んでるから、常日頃ドイツ語使う機会あるでしょ!

おじさんと私は巡礼の動機など語り合う。
彼はドイツ人なのでクリスチャンだけど、特別宗教心が強いわけでもなく、建築物などを楽しみながら巡礼を続けている。
なので、私が語った日本の仏教と神道の融合なども、特に違和感なく聞いてくれた。
スィナは相変わらず、このドイツ人に「ポールのリュックに犬のおしっこ事件」を吹き込んでいた。
一生語り草やね、ポール


休憩後、ドイツ人のおじさんとは別に出発。
スィナは「はぁ~、ドイツ人はもうええわ」と一言。
だから、あんたが好き好んでドイツ人に寄って行ってるやろ~


本日。Leónまではたったの18.6kmなので気楽だ。
とはいえ、交通量の多い国道沿いを歩く割合が多いので、それなりに疲れる。


歩道橋で国道を渡り、ようやくLeónの町が見えてきた。





町へ入るとこれまでも何度も見かけたように、教会の塔の上に巣を作るコウノトリがいた。
都会でも田舎でも同じように巣を作っている。







Leónは大きな町なので、Burgos同様に町の入口に入ってから市内中心部までが遠い。
途中で一旦バルに入りコーラ休憩とする。

するとここのバルではコーラを注文するとつきだしにポテトのアリオリソースがけが出てきた。
思いがけないおまけにスィナとばんざーい。
しかもこのアリオリソースがめちゃめちゃおいしかった

ポテトにパワーをもらい、残りの距離を歩く。
が、他の大都市同様、町に入ってしまうとカミーノが分かりにくく、必死に黄色い矢印やホタテ貝の標識を探す。

路上に黄色い矢印と「公営アルベルゲ」のサインが出てきたので、思わずそれを辿って行ってしまう。
他にもアルベルゲあったはずなのに。


2人で歩いていると、少し離れたところに例のパタゴニア在住フランス人が歩いているのを発見。
スィナはこの人に過剰な興味を示している。
いつも、何か特徴のある人を見つけると、あからさまに興味を示すところが、純粋な子供のようと言うか、大人げないと言うか…
このフランス人は高齢で足を痛めているので、気遣ってあげるのはいいけど、過剰なまでに相手の懐に入って行くスィナ。

今日も、彼がアルベルゲとは別の方向に歩いて行ったので、スィナが「大変!教えてあげなきゃ!」と過剰に反応し、慌てて彼の後を追って走って行った。
が、彼が角を曲がったところで、スィナが追いついてみたら、彼はおまわりさんにきっちり道を聞いていた

まあ、そんな感じでパッと思ったらそのまま衝動的に行動してしまうオランダ人のおばさんと常に一緒にいる私は大変なんだけど、このストレートさは意外と欧米人にはウケがいいみたいだ。

そのパタゴニアのおじさんも、最初は気難しく無口な雰囲気を漂わせていたのだけれど、スィナが臆せず話しかけ、いつものようにプライベートなことまで聞き出そうとしているうちに、なぜか心を開いて笑顔まで見せるようになっていた。

さらには、彼を見つけると大声で、”Hello, Patagonia!”と呼び掛けるスィナ。
何故そんな呼び方をするかと言うと、Pamplonaに入る手前で出会った、ちょっとテンションが高い、ビン底眼鏡のスペイン人の女の子が、”¡Hola, Holanda!”とスィナに呼びかけていたから。
それ以来スィナは名前が分からない巡礼者には国籍で呼び掛けるようになった。
私的には、「それってちょっと失礼じゃ…」とヒヤヒヤすることもあったけど、相手には受け入れられていたところを見ると、それもまた彼女の魅力なのだろう。
とは認めるけど、やっぱ私にはできないなあ



12:50にチェックインした後で気がついたけど、このアルベルゲって町の中心部から結構離れてる

しまった…。
失敗したと思ったけど、もう動きたくない。
スィナはこのアルベルゲの外観が、学校か刑務所のようにそっけない建物なのも気に入らない様子。

仕方ないのでシャワーや洗濯をし、受付前に備え付けの無料インターネットを使う。
が、無料のせいか、日本語フォントが読み取れないタイプで断念。
せっかく早い時間にメールが打てる環境だったのに、残念だわ。
いつもは時差のせいもあり、日本の誰かの携帯宛てにはなかなかメールできない。
自分の携帯も相変わらず圏外。


アルベルゲの廊下を歩いていると、フランス人のマークに出会う。
Leónには昨日すでに他のアルベルゲに1泊したけど、何やらカテドラルでコンサートがあるので今日もLeónに泊まるため、ここに移ってきたとか。

が、なぜかフランス語で説明されたので、今さら私の頭はついて行かない。
「あ、なんかコンサートあるんだ」ぐらいのことしか聞き取れなかった。
もはや仏語理解は大変すぎる。

そうこうしているとスィナが通りがかり、今度はマークが英語で話し始めたので途端に内容が分かった。
通常、アルベルゲには病気やけがなどの特別な事情がない限り、1泊しかできないことになっている。
同じ町に連泊する際は別のアルベルゲに移るか、ホテルに泊まらないといけない。
が、アルベルゲというのは基本、純粋な巡礼者をサポートするために作られているので、同じ町で2軒目のアルベルゲはあまり歓迎されない。
マークの場合、通常より多くの宿泊代をチャージされ、ここのアルベルゲに宿泊する許可が出たとのこと。


その後、スィナとLeón市内を散策。
さすがに観光客でにぎわっている。

カテドラルが16:00まで閉まっているので、カテドラル前のアイスクリームカフェでCafé Helado(コーヒーフロートみたいなの)を食べてくつろぐ。






スィナはこの機会に書くに書けずにいたポストカードを何枚も書き、私は通り過ぎる巡礼者を眺めている。
時々知り合いが通りがかるので、しゃべったり。


ようやくカテドラルが開いたので、見学へ。




ステンドグラスが美しい。








しかし、全く観光のための下調べをして行ってないので、細かい事は良く分からない…。






ま、いっか。

入口付近でポーランドのマリアに似た人を見つけ、駆け寄ってみるが別人だった。
う~ん、もう彼女とは会えないのだろうか。

カテドラルの見学を終えたスィナが「もうカテドラル見学は十分だわ」と一言。
え?でもあんた敬虔なカトリック信者…

乗り気しないスィナを促して、次はサン・イシドロ教会へ。
いつも観光はしないけど、今日はせっかくLeónまで来たんだから、有名どころぐらいは見ておきたいものだ。






でもすでにBurgosを見てしまっているせいか、あまりLeónの町や教会には魅了されなかった。
もう大きな町はいいから、早く大自然の中に戻りたいよ。

サン・イシドロ教会前でまたマークに会う。
マークに「美術館は見た?すばらしかったよ!」と興奮気味に語られたが、スィナと私は疲れているし、あんまり興味がなかったので軽く聞き流し。

しばらくブラブラ散策。






ちょっとした展示会みたいなのがあり、入ってみると、ありとあらゆるカミーノを歩いて、11歩ごとにカメラのシャッターを切り、それをつなぎ合わせて映像にした人がいるらしく、それが大型スクリーンで放映されていた。
まるで自分が歩いているかのように、どんどんカミーノを進んでいく。
今自分たちが歩いているフランス人の道の映像を見たけど、どこら辺が写っているのか判別できなかった。

スタッフに「黄色い矢印」をスペイン語で何と言うのか聞き出そうとしたが、全く英語が通じないので無理だった。
他のお客さんにも、パンフレットの黄色い部分を指して、「これはスペイン語で何色って言いますか?」と聞いても、頓珍漢な答えしか得られず。



さらにブラブラ歩いていると、イタリア人のジーナに会った。
クラリネットの教え子が会いに来てくれており、楽しそうだった。
確かジーナはBurgosでクラリネットを教えている。


サンタ・マリア教会を通りがかると、また結婚式に遭遇。
相変わらず、式の出席者は教会前のバルで1杯やったり、タバコ吸ったり、自由な感じだ。

そばで見ていると、ノルウェー人のギーティが来たので、3人で結婚式の群衆を眺めつつ、「やっぱスペインの結婚式のやり方って分からないよね~」と語り合う。


ギーティはこの近くのサンタ・マリア修道院が運営するアルベルゲに宿泊しているという。
早速見に行ってみると、なかなか良さそうな環境だ。
私たちが焦って町はずれのアルベルゲに行ってしまったことがやや悔やまれる。
でも、それもまた経験なのでいいと思うが、スィナがしつこく人に「私たちのアルベルゲはまるで刑務所みたいなとこよ」と話すのがちょっと気に障る。

ギーティを交えてバルで1杯やっていると、カーラも参加してきた。
カーラはLeónで巡礼完了。
さぞかし感慨深いだろう。

しばらくすると、結婚式が終わったのか、招待客たちがぞろぞろバルにやってきていくつもテーブルを合わせて大人数でワイワイガヤガヤやりはじめた。
子供も何人かいる。
スペインの子供は小さい時からバル文化にどっぷり浸かってるんだなあ。

カーラとお別れのキスをし、修道院でのミサに出席するというギーティにもお別れを告げ、食事場所を探しに行く。


インターネットカフェが出てきたので、ちょっとメールチェック
ここ数日、携帯も不通になっていたし、Carrión de los Condesのバルから母親にメールして以来、メールチェックできていないので、返信を確認したい。
スィナに告げると、スィナはちょうど息子に電話したいので、近くのベンチに座って電話してるからゆっくりしてくれていいよ、とのこと。

ネットカフェでメールを開いてみると、母からの返信なし…。
たぶん、思うに、PCのアドレスにメールを送っても余計な国際電話着信料はかからないということを理解してなくて、変に遠慮して送ってきてないんだろう
とはいえ、音沙汰がないと気になるので、やはりどこかのタイミングで確認せねば。

メールチェックを終え、スィナが待っている場所へ行くと、彼女はまだ電話中だった。
結構な長話で、結局私の方が延々と待つことになる。


ようやくスィナが電話を終えたので再び食事場所を探すが、なぜかそういう時に限ってあまり見つからない。
私は兼ねてから、「スペインに来たらせっかくなのでタパスを食べたい!」と思っていたのに、来る日も来る日も巡礼者メニューばかりでチャンスがなかった。
2軒ほどバルで「タパスありますか?」と聞いてみたけど、あいにく「ない」との返事。
「土曜だからない」という意味不明な回答も

ところでLeónに入ってから急にCerveceriaという文字が目につくようになった。
Cervezaがビールなので、いわばビアホールである。
Leónに入る前は、この表現は見かけなかったような気がするなあ。
他の場所では、Barとしか書いてなかったと思う。
(Barすらないような田舎の村を通り抜けて来たもんね…。)


これと言ったお店もなく、町の中心部に戻るには遠いし、なんとかアルベルゲへの帰り道にあるお店を探そうということになったけど、帰り道がまた分からない…。
Leónは本当に分かりにくい町だ。

道路標識を見たり、黄色い矢印を探したり、散々ウロウロした揚句、アルベルゲの近くで一番大きくて目立つ建物、”El Corte Inglés”を目指すことにした。
El Corte Inglésは、大型デパート。

やっと見覚えのある通りに到着。
デパート前のバルで「タパスはありますか?」と聞いたけど、やはり「ない」との答え。
仕方なく、もう何でもいいので食べたいと思い、バルの地下にあるレストランへ。

そこで私はパエリアを注文
そして、いつもの巡礼者メニューについてくる安ワインじゃなくて、ちゃんとした赤ワインで乾杯
が、安ワインを飲み慣れ過ぎていて、私にはこのワインは強すぎ、少し飲んで残りをスィナに譲った。
スィナは大喜びだったけど。

ディナーを済ませ、外のテラスでコーヒーを飲み、デパートの中を冷やかす。
久しぶりに文明社会に戻った感じ。
でも物欲は一切消えている。


今日はビーチサンダルで散々歩きまわりすぎて、足も疲れたけど、親指と人差し指の間が痛い。
マメではなく、こんなことで足を痛めるのは嫌だ
スィナはスポーツサンダルなので平気だけど、私はトレッキングシューズとビーチサンダルしか持ってきてないので、町歩きはもっぱらビーサン。

ヘロヘロに疲れてアルベルゲに戻り、ベッドにもぐりこむ。




本日の歩行距離:18.6km
何故か携帯の歩数計が機能せず、歩数分からず

カミーノにあしあと 21

2010年10月15日 | Weblog
【21日目】7/16(金) Calzadilla de los Hermanillos → Mansilla de las Mulas
清潔なベッドが非常に心地よいので、いつまでも寝ていたいぐらいだけど、6:00頃に起きだして準備する。
昨日、パッキングせずに散らかし放題で寝たので、そのツケは今朝払う、と

アルベルゲのテラスにてバナナ、ホットミルク、それから手持ちのカラメルっぽいお菓子で簡単に朝食。
朝食を済ませ、昨夜取りこみ忘れた洗濯物を取り込んで部屋に戻ると、何やら外からパカパカと蹄の音が…。

急いで窓からアルベルゲの前の道を見下ろしてみると、白い馬に乗った男性が通り過ぎて行った。
巡礼者だろうか、それともこの村の人だろうか。
カウボーイみたいでかっこいいな。
スィナはその場にいなかったので見ていない。


7:15にアルベルゲを出発。
今日は風が強く、寒い。
そして今日はメセタのハードなパートその2。
20.4kmに渡り、村もなく、バルもなく、水飲み場もない平坦な荒野が続く。
そう、今日は少なくとも24.5kmは歩き切らないと、泊まるところはない。


スィナは快調に飛ばしていく。
私は今日はあまり調子が良くなく、体が重く、肩が痛いので、スィナからはかなり遅れ気味に歩いて行く。
もうやっぱり別々に歩いた方がいいのではないかと悩む。

エリザベスはじめ、ほとんどの巡礼者はもう一方のルートを歩いているらしく、ほとんど巡礼者に会わない。






ひたすらメセタを歩いていると、道の真ん中に何やら大きくて黒いものが落ちていた。
近づいて見てみると、それは大きな寝袋だった

この大きさからして、徒歩巡礼者が持っているような寝袋ではない。
とすれば、サイクリストが落としたか?
道は平たんとは言え、土の道で石がごろごろしていたり、表面がでこぼこなので、自転車で通るとかなり揺れると思う。

さて、寝袋を落としたのは気の毒だけど、さすがにこんなに大きくて重い物は運べない。
しかも私はまだ体調が回復してないので、自動的に「これは本人が取りに戻ってくるだろうから、道の脇によけといてあげよう」と判断する。

が、スィナはしばらく考え込んでいる。
ま、まさかあんた…

そして、スィナが言った。
「私、これ持って行くわ」と。

ええっ
もっと小さい落し物ならまだしも、こんな大きくて重い物を徒歩で担いで行くの無理でしょ。
しかも次のアルベルゲやバルと言っても20km先だよ!
今日は途中に何もないんだよ!
そしてこれはきっとサイクリストの物だから、本人が気づいてなければ30kmも60kmも先に行ってしまっている可能性だってある。


しかし、案の定スィナが考えていたことは、「昨日はナターシャが私のサングラスを拾って持ってきてくれたから」、お返しということらしい。
う~ん、確かにそうなんだけど、いかんせんサイズが…。

「まあ、とにかく持てるとこまで持ってみるわ」と、スィナはその巨大な寝袋を持って歩き出した。

え?えええ~


この場合、私の方が若いんだから持ってあげるべきだと思う。
だけど私はまだ病み上がりで体力ないし、ただでさえ自分の荷物を背負うのに精いっぱいなのにこんな余分な重量の物は持てない。
そもそもきちんと固定しておかなかった方が悪いし…。
と、罪悪感と言い訳で悶々としながらしばらく歩いた。


すると向こうから、白い馬に乗った人がやってきた。
あれ?今朝アルベルゲの前で見た人だ。

なんと、例の巨大な寝袋は彼が落としたものだった。
なるほど、馬に揺られていると落ちても気づかないな。

寝袋を拾ってくれて大層感謝していた。
私、引き続き複雑な心境。
でもちゃんと神様はうまい具合に取り計らってくれるもんだなあ、と感心。

彼の名はハビエル。
そして相棒の馬はグリンゴ。
「写真を撮らせて」というと、「ちょっと待って」と言ってサングラスをかけたハビエル







なんでもハビエルはグリンゴに乗ってRoncesvallesを出発してカミーノを歩き、Santiago到着後はそのままMadrid、Barcelonaを経て、海を渡ってアメリカまで行く予定らしい。
とんでもなく長い道のりだ。

なぜそのようなことをするかというと、動物愛護キャンペーンの一環らしい。
旅を通じて「せめて月に一度は肉を食べない日を作ろう」と呼び掛け、署名を集めている。
集まった署名は最終的にはオバマ大統領まで持っていくらしい。
ハビエルはほとんど英語が話せないので、スペイン語の説明では詳しいことまで良く分からないけど、せっかくなので私たちも署名する。
「日本人の署名は初めてだ!」と喜んでもらえた。

ハビエルは当然ベジタリアンで、かなり痩せている。
そしてお金を持たずに巡礼しているらしい。
う~ん、メキシコ人のダニエルと重なる部分があるが、スィナはすっかりハビエルには感心している。
ダニエルはダメでハビエルはいいのか?
動物愛護だから?

個人的な意見を言わせてもらうと、「こんな長距離にわたって過酷な旅をさせられているグリンゴがかわいそう!」だ。
まあ、グリンゴは飼い主のハビエルにすっかり懐いているので、私たちとハビエルが立ち話をしていると、後ろからハビエルの背中を顔でゴシゴシこすったりして甘える姿がかわいかった


ハビエル&グリンゴに別れを告げ歩き出すと、後ろから自転車に乗ったサンティアゴがやってきた。
昨日同じアルベルゲに泊まっていたスペイン人の若者だ。

スィナが仕入れた情報によると、彼は以前ガンを患い、奇跡的に回復し、巡礼をしているそうだ。
サンティアゴとハビエルが道の真ん中で長い事話しこんでいた。

こうやってのんびり巡礼するパターンもアリだ。





長い長い距離を歩き、ようやくReliegosという村へたどり着いた
ここには公営のアルベルゲがあるので、ここに泊まる巡礼者も多い。
私たちはひとまずバルで休憩して対策を考えることにした。

いつものようにコーラとボカディーヨ。
バルの前にあるちょっとした公園のような場所の芝生の上に、テーブルといすが置いてありテラス席となっている。
韓国人の若者男女や、これまで何度か見かけているパタゴニア在住のフランス人の高齢男性(足を痛めて引きずるように歩いている)など、色んな巡礼者が集っている。

しばらく休憩していると、昨夜ディナーを一緒したオランダ人のカーラが到着。
おや?昨日会った時はシャロン・ストーンみたいに奇麗だと思ったけど、巡礼者ルックで現れたカーラはずいぶん印象が違うぞ。
失礼ながら、誰だか分りませんでした

続いてイタリア人のジーナが到着。
ジーナはここでがっつり巡礼者用メニューのランチを食べている。




さらにマケドニア人のメリ。
彼女もランチを注文したけど、しばらくして全く手をつけないまま去ってしまった。
お店の人には「急に気分が悪くなって食べられなくなった」と説明してたけど、大丈夫かな?

ところでいつも会う人会う人に巡礼中に出会った人のことを話しまくるスィナが、何故だから誰にもハビエルとグリンゴの話をしない。
なぜだろう?
スィナはいつも不思議だ。


さて、私たちはここからさらに7kmほど歩いて次の場所へと向かった。
次の町、Mansilla de las Mulasは、人口1,800人ぐらいで、12世紀の城壁に囲まれた町。
地図には公営アルベルゲしか載っていなかったが、町に入るとすぐに私営アルベルゲが出てきたのでそこへ入る。
1階にバル、そして芝生の庭にテラスがあって雰囲気はいい。

16:00にチェックイン。
8ユーロ。

1階のバルにはおいしそうな生ハムがぶら下がっている





2階に上がると大きな部屋が2つあり、2段ベッドが並んでいる。
人はほとんどいない。
みんな公営アルベルゲの方に行ったのかな?
ここに泊まった顔見知りは、ギーティ、カーラ、ジーナ、メリだった。

ちなみにジーナはシャワーの後、ドライヤーで髪を乾かしていた。
やっぱり!


洗濯を終え、テラスで紅茶を飲む。
まだ胃の調子が完全ではないので、なるべくコーヒーより紅茶にしている。
夕食に差し支えるといけないので、スィナとクロワッサンを半分こして食べた。


夕食前に恒例の町散策。
たしかに中世の街並みが奇麗な町。
思ったより大きな町で、色々なお店がある。
スィナが「マニキュアを買いたい」と言いだした。
足のペディキュアがはげてしまってるのをずっと気にしていたのだ。

私はこういうハードかつアウトドアな巡礼なので、最初っからマニキュアとか塗ってきてないし、化粧道具は持ってきてない。
でも口紅やマスカラを持ってきているスィナはマニキュアの誘惑に勝てないようだ。

実は巡礼開始前に自分でパッキングした際に、マニキュアをはじめ余計なものをたくさん詰め込んでいて、全部長男のお嫁さんに出されたそうだ。
「これは何?いらないわね」って感じでどんどん荷物を減らされ、結果的にリュックが軽くなって助かっている。

それでも毎日炎天下、長距離を歩いているので、リュックは1グラムでも軽いほうがいい。
スィナは一番小さいマニキュアを必死に探す。
私は呆れることしきり。
それに対してスィナは「モラルの問題だから」と繰り返すけど、「モラル」って言葉の意味使い間違ってないか?
「モラル」というより「身だしなみ」でしょ?

赤いマニキュアを購入し、ルンルン気分でアルベルゲに戻り、テラスで早速足の指に塗るスィナ。
うっ、ちょっとうらやましい…。
でも散々反対した手前、死んでも「私にも貸して」とは言えない


ゴシップ好きのスィナが「ねえ、カーラって何歳だと思う?彼女、聞いても教えてくれないのよ。『年齢は関係ない』とか言って」と話を振ってきた。
まったくもってカーラの言うとおりである。
人の年齢をかぎまわるのに興味はない。

興味ないって言ってんのに「彼女、○年間結婚してたっていう話で、仕事が○年だから、まあ大体50歳から55歳の間ね」としつこく話しかけてくる。
年齢は教えてもらえなかったけど、これまでの人生を根掘り葉掘り聞き出して推測したらしい。
だから興味ないってば!

「なんでそんな人の年齢ばっかり知りたがるのさ」と軽蔑のまなざしを向けても、「当然知りたいじゃない」と開き直っている。

さらには「マケドニア人のメリは、ドイツ人との離婚経験がある」ことまで教えてくれた

というわけで、メリはドイツ語が話せるので、テラスでディナーした後もずっとスィナがメリとドイツ語で話し、いつまで経っても話が終わらないので、まだ時間は早いけど「私、もう寝るわ。おやすみ」と先に部屋に戻った。
ほんとにこの人気遣いないわ。
なんのために私と一緒にいるんだろうかね?


明日はいよいよLéon。
なんか、Léonまで来ると「ああ、巡礼もとうとうここまで来たか」と、感慨深い気持ちになる。
Santiagoまであと300km超。
(みんなが持っているガイドブック毎に若干記載されている距離が違うので、まあ大体300~350kmじゃないかと推定する。)

早く清潔な生活に戻りたいなと思う反面、Santiagoに到着するのが少し寂しい気もする。
帰国後の不安もあるし。

カミーノで何かが見つかるわけでもなく、自分が大きく変わるわけでもない。
でも日々何か学びや気づきがあり、知らず知らず自分は進化・変化していってるのだろうと思う。


そういえば、未だに携帯が圏外になってるなあ。。。






本日の歩行距離:約24.5km
本日の歩数:34,921歩

カミーノにあしあと 20

2010年10月06日 | Weblog
【20日目】7/15(木) Terradillos de Templarios → Calzadilla de los Hermanillos
本日は5:30に起床。
暑いので早めにスタートして早めに歩き終わりたいもんだ。

マリアとピーターはさっさと起きて洗面所に行ったので、今がチャンスと思いスィナに「ねえ、あんた昨夜横になるなりイビキかいてたよ」と告げた。
すると驚いた様子も悪びれた様子もなく、「夫にもよく言われるけど、自分では分からないもん」と答えた。

え?普段から言われてるんやん、夫にも。
それなのにあの発言の数々?

さらには「私がイビキかいてたら、何か物を投げつけてよ」と。
なんでやねん。


しばらくしてピーターが部屋に戻ってきた。
すると、スィナがよりによってピーターに「ねえ、私昨夜イビキかいてた?」と確認する。
聞かれたピーターも内心困ったと思うが、さらりと ”I don’t think so.” と答えた。
エライ!
さすがカナダの男の子、女性に対する気遣いっちゅうもんを知ってるね

13歳のいたいけな子供に気を遣わせておきながら、さらにしつこくスィナが “You don’t think so or you don’t know?” とたたみかける。
んもう、しつこい!
もうその辺でやめとけよ!

それでもピーターは、「昨夜はぐっすり眠ってたから分からない」と答え、決してスィナのイビキを聞いたとは言わなかった。
本当に良くできたお子さんだ

そこでやめておけばいいのに、さらにスィナは「じゃあマリアにも聞いてみるわ」とのたまった。
あんたほんっとにちっとも反省してないね

もう、本当にいたたまれなくなり、その場を離れて洗面所へ向かう。
すると後からスィナが来て、歯を磨きながら、「さっきマリアにも聞いてみたけど、彼女もイビキのことは知らないって言ってたわ。逆にピーターがお母さんのイビキを非難してたわ(笑)」と。

お・ま・え・と・い・う・や・つ・は~~~
私の堪忍袋の緒も切れるで。

「彼ら、気を使ってるんだと思う?」と聞いてきたので、「当たり前やん」と冷たく突き放しておいた。
あんた56歳、ピーター13歳。
立場を考えろ。


まだ薄暗い中、アルベルゲの庭にある自動販売機でコーヒーを買い、クッキーとバナナの朝食を済ませ、6:45にスタート。
マリア&ピーターはすでに出発済み。

今日はずっと平坦な道を進み、León県に入る。





いつもより早めに出発したので、朝焼けが奇麗だった。

朝食を摂ってから出発したにも関わらず、最初に出てきたバルでまた朝食休憩。
いつもはコーヒーとボカディーヨだけど、バルのカウンターにクロワッサンがあったのでたまにはクロワッサンをと思い注文すると、なぜかスィナが大げさに驚く。

え?別にいいやん、クロワッサン食べたって。
大げさに驚いておきながら、自分もまねしてクロワッサンを注文してた。
なんなんだ一体、この人は


ところで昨日からスィナにとうとう「共同財布」なるものを導入されてしまった。
常に一緒にいるので、アルベルゲの宿泊代金や夕食代を支払う時も一緒、食べ物を購入しても基本的に2人で分けている。
小銭がなかったりしてどちらかが立て替え払いをすることもある。
最初の数日はスィナが几帳面にいちいち支出をメモっていて、細かいお金まで支払ってきた。
別におおざっぱでいいのに、几帳面な人だな~と思っていたら、すぐにメモしなくなり、「どっちがどっちにいくら借りがあるのか分からない!」とパニクリ出した。
だからきっちり割り勘しなくてもいいってば…

以前、カミーノを歩きながらスィナが「うちは3人姉妹で1つ口座を持っていて、そこにみんなでお金を入れておくと、しっかり者の姉が管理してくれて、父親の誕生日プレゼントを買う時とか、何か共同で買い物が必要な時はそこからお金を出して買ってくれるの。とっても便利よ」と言っていた。

ちょっと嫌な予感がしたのでその時は特にコメントせず、「ふ~ん、そうなんだ」と返しておいたけど、ついにこの時が来たか…。
「うちの姉妹がやってるように、共同のお財布を作ってそこからアルベルゲなんかの支払いをしましょうよ」と提案されてしまった。

う~ん、確かに便利っちゃあ便利だけど…。

仕方なく、手持ちのジップロックを仮の共同財布とし、そこへ20ユーロずつ入れた。
今朝のクロワッサンとコーヒー代金はそこから支出。

このシステムの嫌なところは、別れたくなった時に清算しないといけないことと、常に財布を持っている方が支払いと管理をさせられること。
最初のうちは「私、トイレ行ってくるから払っといて」とスィナに財布を渡し、そのままスィナにしばらく持たせる=支払いさせる手段を取ったりもしてたけど、

が、だんだんスィナの方も「あなたが持っといて」と財布を押しつけるようになり、結構な割合で私が財布の管理をする羽目となった。
してやられたぜ、おばちゃんに

しかし、毎日の行程も任せ、支払いも任せ、あなた人についていくだけのカミーノになってますけど?
確か「私のカミーノ」とか「インディペンデント」とか言ってませんでしたっけ?


さて、バルで朝食を摂っていると、昨日のオランダ人のナターシャと義母が到着した。
ナターシャは足のマメに苦しんでいた。
義母に薄いソックスを履けと言われてそうしてみたが、やっぱり汗でぐっしょりになって靴ずれするので、分厚いソックスに履きかえるということだ。
そらそうだろ。
長距離なんでトレッキング用のしっかりしたソックスの方がいいと思うよ。
義母のアドバイスが良く分からん。

しばらくナターシャらとおしゃべりし、バルを後にする。
が、次の大きな町Sahagúnに到着する少し手前になってスィナが「バルにサングラスを忘れてきた!」と。

実はスィナは本当に注意力散漫で、休憩場所やアルベルゲに必ずと言っていいほど物を忘れる。
毎回私がチェックして、「スィナ、ストック忘れてるよ!」「スィナ、帽子忘れてるよ!」と教えてあげている。
もう、財布の件といい、行程確認の件といい、忘れ物チェックの件といい、なんかオカンを旅行に連れてきたみたいになってるんですけど、私
私のカミーノって一体…?
いやいや、深く考えるまい。
これも天からのお導き

サングラスは「きっとナターシャが気づいて持ってきてくれるに違いない」と希望的観測をし、しばらく休憩して待っていたけどナターシャは通らなかった。
別のルートもあるみたいなので、そっちを通ったかな?

スィナは遠くに誰かが見えるたびに「あれかな?ナターシャ」と期待するけど、その後すぐに「違うわね、あんなに細くないわね」と、親切を期待してるくせに悪口めいたことを言う


民家や工場の間を通り、線路を渡ってSahagúnの町へ入る。
入ってすぐにとある民家の周りに警察の黄色いテープが張られているのが見えた。
これって、殺人事件とかがあったってことじゃ…?

さすがに大きな町は治安悪そうだわ。
と言っても人口は3,000人ぐらいのもんらしいけど。

しばらく進むとアルベルゲがあり、巡礼者の人形が立っていた。





回り込んだところにある教会の前で、さくらんぼを食べているジーナを発見
今日はゆっくりとSahagúnの博物館ツアーなどをするそうだ。
手には町の地図を持っている。

私たちは教会だけ見て、そのまま次へ進むことにした。
カミーノに出かける前は、主要な町で美術館や博物館を見たり、連泊して観光とかするのかなと思っていたけど、実際に歩き始めてみると、Santiagoに向けて歩くことが最大の目的となっており、特に観光する気が起きなかった。
これが本当の巡礼だろうか。

町中のおしゃれなバルのテラスにナターシャがいた。
近づいていくと「ほら、サングラス置いてあったわよ」と。
よかったよね、スィナ。
こうやって巡礼者同士助け合って進んでいくのね。

バルにはオーストリアから来たエリザベスもおり、色々と情報交換。
またまたコーヒーを飲んだりお菓子を食べて時間を過ごす。

Sahagúnから4~5km進んだところでカミーノが二手に分かれるので、そこまでエリザベスと一緒に歩く。




エリザベスは学校の先生をしており、半年ほど前に突然夫が亡くなったので、追悼の意味を込めて巡礼している。
パートナーを亡くしたことが巡礼のきっかけになっている人は多い。

エリザベスと私で時々地図を確認しながら進む。
エリザベスは左に折れて国道沿いのルートを進むと言い、私とスィナは右手に折れて自然の道を進むことにする。

分かれ道部分は道がいくつか交差しており、分かりにくくなっていた。
でもなんとか矢印を見つけ、エリザベスが「じゃあ私はこっちに」と進み始めると、なぜかスィナがその後をついていく。

「お~い、スィナよ。あんたどっちへ行くの?」と聞くと、「え?こっちじゃなかったの?」と、全く理解していなかった。
エリザベスも「あなたあっちのルート行くって言ってたのに、ついてくるからおかしいわねと思ったのよ」と。

あれだけ私とエリザベスが地図を手にあーでもない、こーでもないと話をして、「左に向かう矢印が国道沿いね。じゃあ私はこっちの矢印をフォローすればいいのね」とか話していたのに、スィナはそばにいながら全く話を聞いてない
そして全く何も考えていない。
もう、ほんとに人任せの旅行に来たオカン状態…


エリザベスに別れを告げて右方向へ歩き出してから約9km、16:00にCalzadilla de los Hermanillosという村に到着。
公営のアルベルゲがあることが分かっていたので、そこを目指していたが、村に入ってすぐ右手に私営のB&B兼アルベルゲみたいなのが出てきた。

受付で聞いてみると、アルベルゲタイプの4人部屋で1人15ユーロの部屋か、もしくは2人用の個室で35ユーロというのがあるとのこと。
どっちでもいいかなと思ったけど、スィナが「なるべく経済的にしたい」というので、15ユーロの部屋にすることに。

ところがスィナが「35ユーロって1人頭の料金かな?それとも1部屋あたりかな?」と言いだした。
…。
普通ヨーロッパでは1部屋当たりの値段設定だろ。
あんたヨーロッパに住んでるだろ

すると「じゃあやっぱり個室にしない?1人たったの17.5ユーロだし、それに今日は歩き始めてちょうど20日目だからお祝いに贅沢しましょうよ」と言いだした。
私はまったくこだわりはないので、「いいよ」と答え35ユーロの個室に変更してもらった。


部屋はホテルタイプになっていて、タオルまである
一気にテンションがあがる2人。




いやあ、ずっとアルベルゲだったけど、久しぶりのホテルもいいねえ。
バスルームにシャンプーなどのアメニティはないけど、不特定多数で共用じゃなくて2人だけの個室なのでセレブ感がある(この程度のことで…。)

2段ベッドじゃないのも嬉しいし、シーツは奇麗だし、自分のタオル使わなくていいし、夢のような空間。
そして周りのことを気にしなくてもいいので、荷物は散らかし放題!

いつもは必要最低限のものをリュックから取り出し、翌日の出発のことも考えて常に半分パッキングしている状態だけど、今日は特別。
リュックから引っ張り出した服をクローゼットの棚にバーっと広げて置く。

バスルームで久しぶりにちゃんと鏡を見たら、首が変な風に日焼けしていた…
帽子被って手ぬぐいを首に巻いてても、隙間から変に日焼けするんだ。
明日からは暑くても髪の毛を下ろしてガードしよう。

そして痩せたのかどうか良く分からない。
明らかにズボンのウエスト部分はゆるくなってるけど、全体的に体型がガッチリしてきた…?


シャワーと洗濯を終え、表に出てみると、テラスで宿の人や地元の人たちがくつろいでいた。
キョロキョロしてると、「ツレはあっちだよ」と教えてくれた。
もうすっかりスィナと一緒だと認識されているらしい。

飲み物で栄えある第20日目を祝い、それから日課の散策へ。
公営アルベルゲや教会、お店などをチェックする。

ふと見ると、家と路上駐車してある車の間の歩道に1人おっちゃんが横たわっている。
暑いからってそんなとこで寝る
しつこいようだが、スペインは途上国っぽい。

スィナに「ほら見て、あそこ」と指さすと、なぜかスタスタとその寝ているオヤジの方へ向かって歩いて行く。
何をする気かと唖然として見ていたら、歩道に寝ているオヤジのすぐ横を”Hola~”と挨拶しながら通り過ぎた。

「なんでわざわざあそこ通ったの?」と聞くと、「知ってる巡礼者かと間違えた」とのこと。
普通、巡礼者はあんなとこに寝転がらんだろう

ついでだから公開しておくが、スィナは勘違いも甚だしい。
人違いもしょっちゅうで、全く関係ない人にフレンドリーに挨拶して、その後に「間違えたわ」ということは良くある話。
さらには、他の巡礼者に関する情報も勝手に頭の中で内容が置き換わっていることもしょっちゅうだ。
例えばスィナが誰かに「デンマークから来た親子がいてね…」とか話し出すと、「はは~ん、あの人たちのことだな」とすぐ分かるので、すかさず「あれは親子じゃなくて友人同士だよ」と訂正してあげると、「あら、そうだったわね」と言いつつまた次も同じことを言っている。
さらには「デンマーク人の年の離れたカップルがいてね…」と、さらに記憶が混乱したことを言い出すので、いちいち「だからあれ、友人同士だってば」と訂正してあげる。
他の話題も勝手に脚色されていたりするから甚だ恐ろしい。


さて、散策してるとノルウェー人のギーティに遭遇。
彼女は公営アルベルゲの方に泊まってるらしいが、なんと他に誰も宿泊者がおらずたったの1人だそうだ。
そ、それもちょっと怖いな

私たちは宿泊している宿でディナーするので、ギーティも誘って一緒に戻ってきた。
テラスにはオランダ人のカーラがおり、スィナが嬉しそうにオランダ語で話し出す。
カーラはちょっとシャロン・ストーンに似た冷たい感じの美女。
でも中身はかなりスピリチュアルな人らしい。
話し方も優雅な感じ。
何度かに分けてカミーノを歩いており、今回が最後。
Leónでゴールを迎えるそうだ。

同じオランダ語でもスィナの話すオランダ語とカーラの話すオランダ語はかなり違って聞こえる。
そのことを指摘すると、確かに出身地が違うので発音が違うらしく、結構感心された。
いや、耳に聞こえる音の違いは明らかですけど。

ギーティと私はまだ胃腸が本調子じゃないので、ほとんどディナーを食べられなかった。
ギーティは昨日大丈夫そうだったので普通に食べてみたら、今日はやっぱり調子が悪いとのこと。
なんでも同じ時期に5人の巡礼者がお腹を壊したらしく、原因は水じゃないかとも言われている。
今から思うに、ちょうど体に疲労が蓄積されてきた頃で、ちょっとしたことで体調を崩しやすくなる時期なんじゃないかな。

スィナが昨夜のディナーでの話をカーラにする。
そして「イタリア人の奥さんに自分のカミーノを歩いていないって言ったら、ちょっとその場の空気が固まったわよね~」と。
なんだ、自覚してたのか。

それを受けてギーティも「そうね。ちょっと微妙な空気になったわね」と答えた。
やっぱみんな思ってたんだ、それは


ギーティが持っているクレデンシャルはノルウェーで発行されたものなので、デザインが違う。
また、ノルウェーにもカミーノがあり、そのルートが書かれていて興味深い。
私もいつかノルウェーのカミーノにも挑戦してみたいと思う。


結局今日のアルベルゲ兼B&Bに泊まっているのは私たちとカーラ、そしてスペイン人のサンティアゴというめでたい名前の自転車青年だけらしかった。
そしてギーティは公営アルベルゲにたった1人。
スィナが「他人のイビキに悩まされなくていいわよね(笑)」と。

あんたまだしつこくイビキネタ出すか…



気がつけば私のカミーノ日記は「オランダ人のおばちゃん観察日記」になってるよ



この日は清潔なシーツに包まれ、ぐっすりと就寝





本日の歩行距離:約27km
本日の歩数:41,314歩


カミーノにあしあと 19

2010年10月02日 | Weblog
【19日目】7/14(水) Carrión de los Condes → Terradillos de Templarios
アルベルゲのキッチンで手持ちのクッキーやフルーツ、ヨーグルトなどの朝食。
今日は早めの6:45に気持ちの良いスタートを切る。
ひまわり畑と朝焼けがとても奇麗だった




今日はCarrión de los CondesからCaldadilla de la Cuezaまでの17.5kmは、バルなど一切ないので前日に購入しておいた水と食料が頼りとなる。


暑さを覚悟していたメセタだが、風が強く寒い。
先日ドイツ人女性が言ってた「メセタは意外と涼しかった」と言うのは本当だった。

そしてこれまた覚悟していた「17.5kmにわたり何も出てこないので十分な水と食料を!」というガイドブックの注意書きは、出発してから5~6km先で突然現れた移動式カフェにより見事に裏切られた。

アルベルゲで朝ごはんを食べてきたので何も欲しくないが、スィナがカフェイン中毒でコーヒーを欲しがるので、早くも休憩していくことにした。
コーヒーの紙コップも押さえていないと飛ばされてしまうぐらい、強風だ。


休憩を終え、さらに先へと進む。
風が強すぎて、常に動いていないと寒いぐらいだ。
涼しい分、私は調子よく歩いていたが、スィナは昨夜ほとんど眠れなかったようで不調。




寒いので全く喉が渇かず、背中に背負った水が重くのしかかる。
巡礼者はみな、この今日の行程に戦々恐々としており、前日にこぞって食料や水を購入していたのに、きっとみんな拍子抜けだろう。


さらに先へ進むと、休憩所らしきものも建設中だった。
年々カミーノの環境は整えられていっており、昔と比べると格段に便利になっているのだろう。


周りは麦畑で大きな木陰はないので、ちょっとした茂みの陰で休憩。
昨日のアルベルゲで一緒だった韓国人親子も一緒に休憩する。
彼らはちゃんとレジャーシートまで持参してるからすごい。
「ここに座ってもいいよ」と言ってくれたけど、私とスィナは自分たちのリュックの上に腰かける。

カミーノを韓国人らしき若い女の子が颯爽と通り過ぎて行く。
すごいな、あのペースで歩いてたら7月25日の聖ヤコブの日にSantiagoに到着できるんじゃないか?

キリスト12使徒の1人である聖ヤコブの誕生日が7月25日。
この日が日曜日になる年は「聖年」と呼ばれ、今年がその聖年にあたる。
聖年の年にSantiagoに巡礼すると全ての罪が赦されるということもあり、いつも以上に多くの巡礼者で混雑し、多くのカトリック信者は7月25日のSantiago入りを目指す。
聖年は11、6、5、6年の周期で訪れ、今年の後は11年後ということもあり、今年はいつもに増して巡礼者が多い。


韓国人のマリア&ピーター親子と抜きつ抜かれつしつつ、いつ終わるともしれないメセタの大地をただひたすらに歩く。




この区間、まったくトイレもないが意外と大丈夫だった。
風が強いのでかいた汗はすぐに乾いてしまうのだろう。


延々と続く麦畑を歩き切り、ようやくCaldadilla de la Cuezaの村が見え始めた時は嬉しかった。
ひとまず教会を訪れてみたが、ドアは閉まっていた。
巡礼者の多くが不満をもらすことの一つに「なんでスペインの教会はいつもいつも閉まってるんだ?」ということである。
教会と言えばいつでも誰でも訪れてお祈りができるように開かれたイメージがあるけど。
カミーノ上で訪れる教会は小さな村や町がほとんどなので、都会の教会のように常に開いているわけではないのかな?
ちなみにスペインの教会は月曜日は確実に閉まっている。


教会も閉まってるし、アルベルゲのバルで休憩しよう!
この村のアルベルゲにはプールがあり、先に到着した巡礼者が水の中でくつろいでいた。
今日はちょっと水に入るには肌寒いかもしれないけど。
魅力的な環境ではあるが、私たちは今日はもう少し先まで行きたいので、村を後にする。


さらに歩いて15:40にTerradillos de Templariosへ到着。
名前から察する通り、テンプル騎士団と関係のある村らしい。
ここは人口100人程度の小さな村だがアルベルゲは私営が2軒ある。

まず最初に、国道沿いにえらく奇麗なアルベルゲが出てきた。
広大な敷地に立派な平屋建ての建物がある。
ちょっと様子を見に玄関先まで行ってみる。

奇麗で快適そうなんだけど、村の中心部はもっと先にあるのでは?と思っていると、通りがかったマリア&ピーター親子が「そこは村から少し外れてるからよくないよ」と教えてくれた。
まだ13歳なのに頼りになるわあ、ピーター。

ガイドブックを持ったピーターの誘導で、もう一つのアルベルゲを目指す。
しばらく行くと看板が出てきた。

ピーターが「Comidaって何?」と聞いてきた。
スペイン語はあまり知らないようだ。
私とスィナで「Comidaは食事のこと。ここで食事ができるっていう意味よ。ちなみにBebidaは飲み物。大抵Comida y Bebidaって書いてあるから、そこで飲食できるっていう意味よ。重要だから覚えといて!」と教える。
食べ物関係はこのおばさん2人組に任せなさい

2軒目のアルベルゲも庭があり、普通の家っぽい建物でなかなか良さそうな環境。
早速ここに決めて手続きをする。

村の中心部に来てみたものの、周りにこれと言った店もなく、夕食は自動的にアルベルゲで摂ることになる。
ディナーは8ユーロ。


マリア・ピーター親子と共に通された2階の部屋は4人部屋。
しかも2段ベッドではなく普通のベッドが4台置かれている。
普通に民家の寝室っぽい。


洗濯は庭にある井戸の井戸水を使用。
奥に並んで洗濯しているのが、マリア&ピーター親子。






井戸水は冷たいので、マリアはバスルームからお湯を汲んで来ていた。
そういえば韓国人はお湯で洗濯したがるよね。


洗濯後、日課となっている村の散策。
地元の人に道を聞き、丘の上にあるサンペドロ教会へ。

他の教会同様、この教会の塔の上にもコウノトリが巣を作っていた。




教会の近くまで行くと、クラリネットの音色が聞こえる。
あれ?これってどこかの家から聞こえてる?
それとも近くにジーナがいる?


教会の前にたどり着いてみると、そこにはジーナがいてクラリネットの練習をしていた。
その前ではキアラが日記を書いている。




穏やかな時間が流れている。



今日はキアラの友達がイタリアから来るということで、キアラはバスに乗って後からやってきた。
たまたまだけど、今日のアルベルゲにはイタリア人が多いようだ。


一旦アルベルゲに戻り、ディナーまでの時間を思い思いに過ごす。
詮索好きのスィナが「マリアから色々聞き出そうとしたけど、彼女あまり自分のことを話したがらないの。何かわけありなのかしら?」と言う。
さらには「ピーターはカナダで生まれたけど、他に娘が2人いて、その子たちはコリアで生まれたってことまでは聞き出せたけど」と。
そこまで聞き出したら十分じゃないか?

う~ん、確かにマリアはちょっと影がある感じ。
しかもあの年頃の男の子がお母さんと一緒に巡礼してるって、不自然というか珍しいというか。
そして2人はよく手をつないで歩いている。

最初に彼らを見かけた日、スィナと道端で休憩をしていたら、いつものごとくスィナが通りがかりの巡礼者に声をかけた。
見た目通り相手はドイツ人だった…。
そしてまたドイツ語で延々と世間話が始まり、私は隣に座ってイライラしていた。
その時そのドイツ人が「実は手をつないで歩いている日本人親子がいるんだよ」と言ってデジカメの画像を見せてくれた。
ただ、その写真は後ろ姿を撮ったものだったので、国籍は判別できなかった。

へえ、そんな日本人親子いるのかと思っているところへ、ちょうどその2人が通りがかった。

…。
明らかに日本人じゃねーよ

その時マリアはどちらかというとモンゴル人っぽく見え、韓国人とは分からなかったけど、少なくとも絶対日本人じゃないことは分かった。
それが後でカナダ在住の韓国人だと判明したんだけど。


さて、この2人、スィナがそんなことを言い出すので、「あんまり詮索しない方がいいよ。ひょっとして脱北者ってことだって考えられるんだから」と釘を刺しておいた。
カナダから来たんなら携帯電話の一つも持ってそうなものなのに、彼らは持っていなかったのもちょっと気になったし。
あと、ものすごく敬虔なクリスチャンらしくて、2人で真剣にお祈りしてるのも見たし。

ちなみにカミーノでは何人もの韓国人に会ったが、ある時スィナに「どこから来たの?」と聞かれ、「コリア」と答えた子が、なんとスィナからさらに「北?南?」と質問されていた。
思いがけない質問に一瞬絶句した後、「南です」と答えていたけど、そんな質問ありえん

後でスィナに「ねえ、こういうところに旅行に来てるのは北朝鮮人ってことはほぼあり得ないから、わざわざ聞かない方がいいよ」と言うと、「あら、そうなの?でも分からないじゃない」と悪びれもせず。
「いやいや、北朝鮮の人はそうそう自由に旅行なんてできないから、カミーノで会うコリアンはほぼ100%韓国人だよ」と伝えると、「でもワールドカップとかに北朝鮮も出てるじゃない」と。

そりゃそうだけど、それとこれとは事情が違うよ…
う~ん、やはりヨーロッパの人にとって東アジア事情は遠いことなんだろうかね。
アジアでそんな発言したら笑われるけど。

「とにかく、北か南かは聞かない!彼らは南から来てるから!分かった?!」と言い聞かせておいた。
全く、スィナの発言にはヒヤヒヤさせられるよ。
この後さらに爆弾発言連発とは思いもしなかった。



時間がきて、アルベルゲの食堂でディナー
私はまだ胃の調子が悪いので先に胃薬を飲んでおく。

同じ食卓を囲んだのは、イタリアから来た夫婦、もう1人イタリア人、そしてノルウェー人のギーティ。

イタリア人3人はあまり英語が得意でないこともあり、最初はさほど会話も進まずややぎこちない感じでディナーがスタートする。
だけど場を盛り上げたいし、いつもリーダーシップを取りたがっているスィナが次々と話題を持ち出したり、相手に質問したりする。

スィナは常々「私は巡礼するにあたり、家にすべて置いてきた。夫も仕事も家事も全部置いて」と語っているが、私から見れば全部は置いてきてないと思う。
彼女はブティックを経営している関係上、人を雇ったり指導したり、顧客の様子に気を配ったりしているはず。
それがそっくりそのまま巡礼路でも表れていて、誰かに対して説教口調になったり、面接のように根掘り葉掘り相手のことを聞きだしたり、あるいはお客さんを招いたパーティーの主催者のように、その場にいる全員に声をかけ、全てを把握しようとしている。

「カミーノのBest momentとWorst momentは何?」
これはしょっちゅうスィナがディナーテーブルで持ち出す話題で、正直言ってうざったい。
下手したら「毎日その日のBest momentとWorst momentを報告しあいましょうよ」とまで言ってくる

ほとんどの巡礼者はBest momentとして北スペインの素晴らしい景色や人との出会いを挙げる。
Worst momentとしてイタリア人夫妻が挙げたのは、「カミーノにゴミが多いこと」。

確かにそうだ。
巡礼者のマナーはお世辞にも良いとは言えず、ペットボトルやら絆創膏やらティッシュペーパーやら、ありとあらゆるゴミがカミーノ上に落ちている。
そして意外と犯人がスペイン人だったりもする。
アメリカ人のキムは、スペイン人巡礼者が何の躊躇もなくお菓子の袋をポイっと道に捨てるところを目撃している。
もちろんスペイン人以外にも犯人はたくさんいるだろうけど。


そうこう話をしているうちに、イタリア人の奥さんが「夫の歩くペースが早くてついて行くのが大変なのよ」と語った。
するとスィナがすかさず、「それはあなた自身のカミーノを歩いてないってことじゃない」と言い放った。

おい
何を失礼なことを言い出すんだ

案の定、一瞬その場の空気が固まる。

さらに得意げにスィナが続ける。
「私はひとりでカミーノを歩きたいわ。自分のペースで歩けるし」

おい
あんたほぼ最初からずーっと私と一緒に歩いてるやん!
お互いその日の調子の善し悪しが違うから、相手のペースに合わせたりしてるやん!
よくも抜けしゃあしゃあとそんなこと言えるもんだ…。

言われた方も負けじと「でも私たちは夫婦で共にこのカミーノを歩むことに決めてるから、それでいいの」と答えた。
そうだそうだ~、がんばれ~


食後、洗面所で歯を磨いているとスィナが「はぁ~、今日のディナーは最初話が盛り上がらなくてどうなることかと思ったわ。幸い後半はなんとか盛り上がったけどね」と。

おい
あんたKY発言して場を盛り下げとったがな


洗面所から出ると階段下のソファにマリア&ピーター親子がいた。
ピーターはお母さんの膝に座り、仲良くくつろいでいた。
う~ん、やっぱり13歳にしてはおぼこいな。
ますますワケアリっぽく見えてしまう。

アルベルゲの庭では、自由気ままに旅をするオランダ人の若者がギターを奏でていた。
スィナがジーナに「クラリネットとコラボしなさいよ」と言ったが、ジーナはやんわりと拒否した。
ほんとに余計なおせっかいばっかり言うな、スィナは。


スィナの爆弾発言は夜にも続いた。
夜寝る前になってスィナがいたずらっぽくピーターに「ねえ、私たちがすっごいイビキをかくって知ってた?」と言いだした。
おいおい、一体何を言い出すんや

ピーターが「え?知らないよ」と答えると、「今までいろんなアルベルゲで大イビキをかく人たちにはほんとに困らされたわ。私たちは今のところまだそういうことしてないけどね」と。

おいおい、スィナよ、あんたしょっちゅうイビキかいてるよ

他の巡礼者と話をする時、犬のオシッコ事件や恐ろしく厳しいアルベルゲの話題の他に、スィナがよく持ち出すのがイビキ話。
ウルフマンに始まり、「昨夜は誰かが一晩中イビキをかいていたから、全く眠れなかったわ」などという話題。
それを聞くたびに私は内心「あんたも時々イビキかいてんのに、ここでそんな話をして今晩自分がイビキかいたら恥かくよ」と思いつつ、さすがにその場で「あんたもかいてるよ」とは言えずにいた。
そして、いつかはスィナに教えてあげなきゃと思いつつ、なかなかタイミングがつかめずにいた。

そんなことも知らず、自分はイビキをかかないと思いこんで、ピーター相手にそんな話題を振るなんて。

そう言い終わった後、ベッドに横になったスィナは、昨夜眠れず疲れていたせいもあってか、ものの1分でイビキをかきはじめた
ピーターはまだ起きているので、絶対聞こえているはず。

もう、いたたまれない気持ちになった

普通に考えて、イビキをかいているかどうかは本人には分からないので、もしかしたら自分もかいている時があるのではないかと思い、そういう発言は控えめにするんじゃないだろうか?
じゃないとあんまり言い過ぎて自分がかいていたら大恥だ。
そういうこと、全然考えないのかな、スィナは?

なんか、私の責任でもないのに、いたたまれない気持ちで眠りにつく。
ごめんよ、ピーター…








本日の歩行距離:約27km
本日の歩数:41,429歩

カミーノにあしあと 18

2010年10月01日 | Weblog
【18日目】7/13(火) Población de Campos → Carrión de los Condes
朝起きると下痢。
昨日のピクルス、ワイン、ミートボールが祟ったか


7:00出発。
今日はほぼずっと川沿いの地道を歩き、後半Carrión de los Condesに入る前に国道沿いを歩くルートとなる。

5kmほど進んだところで、もうひとつの国道沿いのルート上にバルを発見。
朝ごはんに立ち寄る。
多くの巡礼者は国道ルートを通ってきたようだ。

ここのバルは芝生のあるテラスが心地よい。
ノルウェーから来たギーティと出会う。
ギーティは過去に何度かカミーノを分割して歩いており、今回はこれまで飛ばしていたメセタ部分を歩いて巡礼終了とする予定で、Burgosから歩き始めたらしい。

が、ここへ来て食中毒にかかり、苦しんでいた。
下痢やおう吐ばかりか、体にじんましんまで出ている。
これまで何度もスペインに来ていて、何を食べても大丈夫だったのに、なぜか急に食中毒。
本人はトルティーヤの卵が半生だったことが原因だと思っている。

ここで西洋人の間で信じられているコーラ神話を耳にする。
なんでもコカ・コーラには毒素を流す作用があるらしく、食中毒などの際にはもってつけの飲み物、らしい

ギーティも「ここ3日ほど何も食べられなくて、ひたすらコーラばかり飲んでいる」と言っている。
それを聞いたスィナも「それはいいことだわ。コーラを飲んでいれば大丈夫」と。

な、何が大丈夫なんですかね?

以前ちらっとスィナにコーラが病気にいいみたいな話を聞いた時に信じなかったので、ここぞとばかりに、「ほらね、私が言ったとおりでしょ?」と言われてしまった。

う~ん、日本人の私にとってコーラはジャンク以外の何の良いイメージもないが…。
スペインの乾いた夏の気候にはコーラがぴったり合うのは認めるが


話をしていると、先日会ったフランス人の女の子が到着した。
「調子はどう?」と聞くと、「下痢してるの」と。
なんか、下痢流行ってる


スィナがCafé con leche(カフェオレ)を飲んでいると、後から到着したアメリカ人の男性が、「それってなんていうの?」と聞いてきた。
どうやらスペイン語での単語を知らなくて、いつも不本意ながらブラックコーヒーを飲んでいたらしい。
だめだよぉ、飲食に関する単語は真っ先に調べて覚えておかなきゃ。
スィナが教えてあげると、男性は感謝しつつ何度もその単語をブツブツ繰り返し、そのままバルに注文しに行った


さらにギーティと話をしていると、自転車に乗ったドイツ人の女の子が到着。
これがまた妖精のようにかわいい子!
サイクリストは男女ともみんな筋肉ムキムキでマッチョなタイプが多いんだけど、この子は全然タイプが違う。
細身ではかなげな印象で、服装も他のサイクリストの様にピチピチのサイクリングウェアじゃなく、薄い水色のチェックのコットンシャツとチノパンツ。
しかも声がかよわく小さい

たぶん年齢は18歳かそれ以上だと思うけど、もうちょっと幼く見える。
こんなかわいく華奢な感じの女の子だけど、1日60kmぐらいは走っているという。
一時、水筒の水が尽きてしまい、水分補給できないままに何十キロも走らざるを得ない時があって大変だったと語る。


ドイツ人少女らと話していると、どこのバルにもいるように犬がうろうろしており、その犬がなぜかスィナの足にあごをちょこんと乗せてくつろぎ出した。
超かわいいんですけどぉ~




スィナは動物が苦手なので自分からは絶対に触ったりしないが、なぜか動物の方はスィナを気に入って寄ってくることが多いらしい。

あ~、癒されるわあ、ワンちゃんには


そうこうしているうちに、東洋人のカップルが到着。
スィナが「日本人じゃない?」と言うんだけど、見るからに違う。
おじさんが被っている帽子には漢字が。
中国人?でもカミーノに中国人ってめったにいないはず。

声をかけてみると台湾から来た夫婦だった。
なかなか明るくて良いキャラクターをしたおじさんだった。
奥さんの方は日よけに頭から白い布をかぶり、まるで「サウジアラビアの人ですか?」状態になっていた


バルの庭にはハンモックがあり、イタリア人のキアラとジーナが遊んでいる。
二人ともかわいい。

居心地の良いバルだけど、あまり長居し過ぎてもいけない。
そろそろ行かねば。

バルの外に出ると、思いっきり羊の集団に出くわした
カミーノでは珍しくない風景だけど。




さて、国道上にあるバルに立ち寄ったので、ここから先はこのまま国道沿いに進みましょう。
次に出てくる村はVillalcázar de Sirgaと言って、スィナの息子がスペイン人女性と結婚式を挙げた思い出の教会がある場所。
スィナは今回の巡礼中に息子と嫁、孫が会いに来てくれることになっていて、元々はこの思い出の地で集合する予定だった。
ところが家族の予想に反してスィナが順調に毎日20km前後のペースで歩いてきたもんだから、予定日より早くここにたどり着いてしまうこととなった。
なので家族との再会はもっと先の場所になる。

カミーノを歩き始めた頃、スィナが「息子が結婚式を挙げたVillalcázar de Sirgaの教会を見せてあげるわ」と言ってたが、私は「その時まで一緒に歩いてるだろうか?」と思っていた。
ドンピシャ、未だにスィナと一緒だ


こちらがその教会。








中に入るには1ユーロを支払う。
でも私たちは巡礼者価格の0.2ユーロ。
立派な教会だったけど、内部の壁に下手にレーザー光線を使った映像が流れていたりして、変に凝った演出をしているのがイマイチだった
しかもキャンドルは電気のやつだったし。

スィナと2人でいくつもの教会を訪ねたけど、本物のキャンドルではなく、コインを入れると電気がつく形式のキャンドルが置いてある教会も多かった。
これがかなり興ざめでスィナも嫌っていた。
火災とか色々心配もあって本物のキャンドルを使ってないのかもしれないけど、やっぱり本物の方が雰囲気も出るしご利益ありそうに感じる。
(そもそも石造りの教会で火災の心配はそんなにあるのか?)

教会の前ではスィナが、「あそこのレストランで家族そろってディナーをして、パーティーはこっちのレストランでやったのよ」と嬉しそうに説明してくれる。
今日のランチもどちらかのレストランで食べようかと言う話になったが、残念ながらどちらも閉まっていた。

そこへ先ほどの台湾人夫婦が通りがかった。
おじさんの方がどうやらカミーノ上の建物や歴史に詳しいらしく、「こっちの建物はカミーノ上で唯一ユネスコに登録されてて…」などと説明してくれた。
ふむふむ。

「台湾でカミーノって有名なんですか?」と聞くと、クリスチャンの間では有名で、聖地巡礼ツアーも良く出ているそうだ。
全行程を歩くのではなく、Santiagoの少し手前から短距離を歩きつつ聖地を目指すツアーとか。
日本からもそういうツアーはあるね。


お腹が空いたので、教会の真ん前のホテルのテラスにてランチ。
私は未だお腹の調子が悪いので、パンを少しかじって紅茶を飲むだけにしておいた。

例のベジタリアン親子も合流し、それぞれのクレデンシャルを見せ合ったり。




今日の私は体調が悪いので肌寒く、ずっと長袖を着ていたが、Carrión de los Condesに到着する頃には随分と回復していた。

町に着くとすぐ左手にあるバルにギュンターがいた。
手招きしてコーラをおごってくれる。
やっぱいい人や、ギュンターじいちゃん

ここでまたスィナとギュンターのドイツ語会話が延々と続くのでうんざりしたけど、今回スィナがギュンターから仕入れた情報は面白かったらしい。
なんでも、ギュンターが歩き疲れてとあるアルベルゲに到着した時のこと、そのアルベルゲはフランス人の女性が運営しており、その人がまたえらく厳しく潔癖症だったと。

まずは履いていた靴をビニール袋に入れさせられ、さらにはベッドに通された際も靴下や服を脱いでその辺に置くことは禁じられ、すべてビニール袋へ入れさせられた。
そしてその女性から、「まずはシャワー、洗濯、その後2時間の昼寝。起きたらあなたの足の状態について話しましょう」と、有無を言わさず到着後のスケジュールを告げられたそうだ。
なんか厳しいお母さんが子供に指図する感じ?

言われた通りシャワーを浴びて洗濯をしたものの、ギュンターはふと「なぜ自分は70歳を過ぎてまでこんな子供みたいな扱いを受けなければいけないんだ?」と思い、アルベルゲを脱出する決意をした。
そのフランス人のオスピタレラにアルベルゲを出て行く旨を告げると、「じゃあ返金するからあなたのクレデンシャルを寄こしなさい。スタンプを押したページを切り取るから」と言われたそうだ

ギュンターは、「お金は返してくれなくてもいい。なのでクレデンシャルも渡さない」と激しく抵抗し、どうにかそのアルベルゲ脱出に成功。

その日、炎天下を20km以上歩いて疲れていたにも関わらず、ギュンターはアルベルゲを求めて次の村までさらに10kmほど歩かないといけなかったらしく、本当に気の毒な体験だった


実は後日さらにギュンターから別のアルベルゲでの恐怖体験を聞いた。
そこは教会のシスターが厳しく運営するアルベルゲで、ちょうど家族からの電話でちょっとしたトラブルがあり対応していたギュンターは22:00の消灯時間にほんの数分遅れてしまった。
するとシスターにこっぴどく叱られ、「今すぐベッドに直行しなさい!」と言われた。
「その前にちょっとトイレに…」と言っても、「だめです!今すぐ寝なさい!」とトイレすら許可されなかったらしい。
これもまた77歳のおじいちゃんには過酷な話だ…
なんで彼はそんな体験ばかりしてしまうのか?


この2つのネタはスィナの頭の中のネタ帳にしっかりと記載され、後日、会う人会う人にギュンターのおもしろおかしい話を聞かせていた。
いつもカミーノ上であった他人の面白ネタを他の巡礼者に聞かせているスィナ。
Roncesvallesのウルフマンに始まり、ポールのリュックに犬のオシッコ事件、そしてギュンターのアルベルゲ恐怖体験など。
たとえそれがドイツ語で語られていても「あ、今あの話してる」と分かるのであった。


さて、ギュンター、スィナ、そして同じくバルで会ったドイツ人の女の子と連れだってアルベルゲのベッド探しに出かける。
アルベルゲは4軒ほどあるようだ。

教会のすぐ隣にあるSanta Mariaというアルベルゲに行ってみると、オスピタレロもドイツ人。
みんなでドイツ語であーだこーだと話している。
私はすっかり蚊帳の外で分からない。
ちょっとイラつく

ひとしきり話した後、スィナが私の方を向いて「どうする?」と聞く。
知らんがな話の筋分からんし

「ベッドはあるの?ないの?」と聞くと、「ある」と言うので、「じゃあここに泊まろうよ」と言うと、「でも数が足りないみたい」とのこと。
「じゃあギュンターに譲って、私たちは別のアルベルゲを探しに行けばいいじゃん」と言うと、何やらまたドイツ語であーだこーだ話している。

一体何が問題なのかと問い詰めると、ベッドは上の段しか空いていないとのこと。
一緒にいたドイツ人の女の子は、下の段がいいのであっさり諦めて別のアルベルゲに向かう。
ギュンターもしばらくあーだこーだ言ってたけど、結局去って行った。

簡単なことじゃないか。
長話してる間によそのアルベルゲのベッドも埋まってしまうかもしれないから、さっさと決めてさっさと行動すればいいのに。
なんで西洋人はこうも口数が多いかね

その上まだスィナがしつこく聞いてくる。
「ねえ、どうする?」

だ・か・ら~、ベッドあるんならここに泊まるよ私は
アルベルゲに関して好き嫌いは言わないと決めてるの
ベッドがあればそこに有り難く泊めて頂くの

毎日、イライラしてはいけないと思いつつ、どうにもそれが止められず葛藤する。
これもまたカミーノの試練。


ところでこのアルベルゲは教会系なので、よくありがちな「集い」があるらしい。
強制参加ではないけど、18:00から宿泊者みんなで集まり音楽を聞いたり語り合ったりするとのこと。
悪いけどちょっとうざったい
でもスィナはそういうの大好きで興味津々。
しょうがないなあ、時々はこういうのがあるのもまたカミーノ。


荷物を置き、ベッドを確保すると早々にシャワーへ向かうのが鉄則。
もうすっかり16:00だよ。
シャワールームの場所はオスピタレラから聞いた。
「洗濯ってどこでするのかな?」とスィナと話していると、通りがかりの巡礼者が親切に教えてくれた。

すると彼女の微妙なアクセントを聞きとったのか、スィナが「オランダ人?」と聞くと、「そうです」とのこと。
オランダから来て、義理のお母さんと一緒に巡礼しているナターシャ。
お互い喜んでオランダ語で会話が始まる。
長くなりそうなので、私はそのまま退散してシャワーを浴びに行った。

シャワーから戻ると、まだ同じ場所で立ち話してる
ほんとにもう、オランダ人とドイツ人は一体どんだけおしゃべりなんだ


いつまでも油を売っているスィナをほっといて、さっさと洗濯しに行く。

ところでさっき玄関付近を通りがかった時、久しぶりにハンガリー人のアンドレアを発見!

…。
なんだかもめていた

アンドレアの隣には大きな体をした黒人の男性がおり、「とにかくなんでもいいから決めてよ!」とイライラモード。
例のアンドレアは案の定、「…でも、ブツブツ…、ベッドが、ブツブツ…」と意味不明のことを延々とつぶやいている。

どうやらこのアルベルゲにチェックインするかどうか、決められないでいるらしい。
男性のイライラはさらに募り、「今決断しなきゃいけないからどっちなの」と。

私が2階のベッドルームにあがってからもしばらく彼らの声が聞こえていた。
しばらくしてその男性が同じ部屋にあがってきて、入口横のベッドを確保していた。
アンドレアの姿はない。

「アンドレアはどうしたの?」と聞くと、「結局ここには泊まらず他のアルベルゲを探しに行ったよ」とのこと。
さらに「ベッドが1個しか空いてなかったから、彼女がここに泊まるなら自分はよそのアルベルゲに行こうと思ったのに、それを決められなくて困った。炎天下を歩いて来て汗もかいてて疲れてるから、早くベッドを確保してシャワーを浴びたいのにさ」と。

「彼女、そういうの決められない性格だからね」と言うと、今日1日たまたまアンドレアと一緒に歩いたらしい彼は、「そうみたいだね。ま、でも僕らは巡礼者だから相手には寛容にならないとね!」と。
そ、その通りです
私もスィナを相手に寛容でいられるようにがんばります。
ちなみにその男性はイタリアから来たピーターという若者だった。
てっきりアメリカ人のミリタリー帰りかと思ったよ。


ようやくシャワーを終えて出てきたスィナが興奮気味に言う。
「ねえねえ、ジーナのリュックに一体何が入っていると思う?」

ジーナは体が小さい割には大きくて重いリュックを背負っているけど、クラリネット以外に一体何が?

「なんと、ヘアドライヤーと取り換え部品一式持ってきてんのよ、あの子

ひょえ~、巡礼なのにドライヤーとか持ってきてるんだ
どうりで彼女、いつもかわいくしてるんだね。
私なんて毎日洗いざらしのバサバサの髪なのに。
恐れ入りました…。

それ以来スィナはジーナをからかって、”Peluquería”(美容院)と呼んでいた。


洗濯も終えてしまうと、ますます集いには参加したくなくなってきた。
うざったいなあ。
さっさとご飯食べに行きたいなあ。
スィナは集いにも、19:00からの教会でのミサにも出席するつもりでいる。

若干嫌々ながらも集いに参加してみる。
玄関脇のスペースに椅子を並べ、座りきれない人は階段にも座っている。
まずは1人1人の自己紹介から始まった。

先ほど会ったオランダ人のナターシャは、巡礼の理由を去年色々と大変なことがあったからと話、涙を流していた。
隣に座る義理のお母さんは英語は話せないらしい。

今朝バルでCafé con lecheの単語を聞いていたアメリカ人男性や、イタリア人のキアラも参加していた。
キアラも巡礼の動機を「去年、色々とつらいことがあったので」と話しており、あんなに天真爛漫でいつも明るいキアラまでもが心には何かを抱えて巡礼しているんだなあと思った。

巡礼者の自己紹介は英語またはスペイン語、またはオスピタレラがドイツ人なのでドイツ語で話しても他の言語に訳してもらえる。

集まった巡礼者の中に、東洋人の親子がいた。
カナダに住む韓国人のマリアと13歳の息子、ピーター。
13歳って一番反抗期とかで難しい年頃なのに、お母さんと一緒に巡礼かあ。

うちの甥は14歳。
問題を抱えているので今回の巡礼に誘ったけど、来なかった。
スペインに来てから何回か現地の写真付きでメールを送ったけど、反応があったのは最初の1回だけ。
うちの甥もピーターみたいに素直な子に育ってくれれば…。


集いではどこかの教会からやってきたシスター3人が、ギターを弾きつつ歌を歌ってくれた。
また、配られたプリントに載っている歌をギターの伴奏に合わせてみんなで歌う。




これがまた予想外に良かった
シスターの声が素晴らしくて、歌も讃美歌やその他カミーノにふさわしいものばかり。
私が知ってる「ウルトレーヤ」の歌詞もあったけど、これは今回歌われなかった。

でもCambio(英語ではChange)という歌など、まさに巡礼で新しい人生を歩もうとしている人たちの心に響く素晴らしい歌で、思わず感動してうるっと来てしまった。
また、シスターの歌声を聞いて初めて、スペイン語を美しい言語だと思った。
歌の力ってすばらしいね

最後にシスターからのメッセージがあり(スペイン語なので全部は分からないけど)、そしてシスターが1人1人にお祈りの言葉をかけながら、額に十字を切ってくれた時は感動も絶頂で泣いてしまった。
う~ん、Roncesvallesのミサ以来かな、こんなに感動して泣くのは。

オスピタレラからは、みんなの幸運を祈る紙で作った星が渡された。
St. Jean Pied de Portのアルベルゲでもらったメッセージカードを思い出す。

参加する前は「うざい」とか思っていた集いも、参加してみればとても自分にとって良い経験だったと思う。


さて、集いが終わり町へ繰り出す。
教会ではミサの前になにやらギターのコンサートが開かれている模様。
私たちはたった今ギターを聴いたばかりなので、コンサートはパス。

今朝会ったノルウェー人のギーティやイタリア人のキアラと路上で言葉を交わす。
キアラに「ミサには行くの?」と聞かれたので、「実は私は今日はミサをパスしてディナーに行きたいと思ってる」と伝えると、スィナの顔がぱぁっと明るくなり「それは素晴らしいアイデアね」と。
あれ?あんた敬虔なカトリック信者じゃ…?

ミサに行くというキアラと別れ、食事場所を探してさまよう。
とあるバルの中にパソコンがあるのを発見。
実はBurgos県を出てPalencia県に入ってから、なぜか携帯電話がずっと圏外になっていたので、家族に連絡できないでいた。
スペインに来てから3~4日置きに無事を知らせる短いメールを出していたのだけど。

スィナがテラスにいる他の巡礼者と話を始めたので、「ちょっとメールしてくる」と言い残して店内へ。
急いで母へメールを打つ


その後スィナと一緒に明日の買い出しをし、ディナーへ。
残念ながら私はまだ本調子じゃないので、あまりしっかりとは食べられなかった。
Primeroはニンニクスープ。




それ以外はほとんど残してしまい、お店の人に悪いな~と思ったけど仕方がない。
明日は良くなるかなあ?







本日の歩行距離:約17km
本日の歩数:28,804歩