地球にあしあと

地球の色々なところに足跡をつけてきました。

高野山

2009年09月27日 | Weblog
Sさんと行く秋のお散歩in高野山。

本当は宿坊にでも泊まりたかったのですが、どこの宿坊がいいのかよくわからないし、仕事が忙しかったため直前まで全然調べられなかったので、とりあえず今回は日帰りに。

高野山を訪れるのは小学校5年生の時の林間学校以来なので、まあ10年ぐらいぶりですね。(←嘘つけ!)


大阪から高野山まで片道2時間ほどかかるので、朝は7時半に家を出ました。
Sさんは奈良の実家から出発し、途中の駅で合流。

秋の行楽シーズンの連休とあって、高野山行きの電車&ケーブルカーは混み合っていました。
それにしても、高野山は本当に山が深くて素敵。
ちょっとブータンを思い出すほどです。


高野山駅に着いたら、多くの人はバスの1日乗車券などを購入し、バスであちこち回るようです。
が、私とSさんの目的は今回も歩くことなので、バスの利用は最小限に抑えたいものです。

最初のバス停の女人堂まではバス専用道路のため徒歩や自転車では行くことができないため、そこまではバスで。
女人堂で降りたのは私たちだけでした。




昔は高野山のあちこちに女人堂があったそうですが、今はここしか残っていないようです。


昔、高野山が女人禁制だった時代、そうと知らずにやってきてしまった女性たちをお接待するためにあったのが女人堂だそうです。
さすがにそのまま門前払いというわけにはいかなかったのですね。


ここから先が女人禁制でした。





女人堂横のお地蔵様。




女人堂の向かいにも巨大なお地蔵様が。(デ、デカイ…





路線バスや観光バスが次々と通り過ぎていきますが、私たちはてくてくと金剛峰寺を目指して歩き始めました。
途中でいくつも現れるお寺はどこも建物や庭がとても素敵です。
おそらく全て宿坊として一般の人も受け入れているのでしょう。
泊ってみたいなあ。


まず最初に辿りついた観光スポットが徳川家霊台です。




このように徳川家康と秀忠の霊を祀ってある場所です。






中に遺骨などはないので、お墓ではありません。


徳川家霊台のすぐ横にあるのが浪切不動。
か、かわいい!




たまらない感じがします。





そして天井には見事な龍の絵が。




あ~、しょっぱなからなんだかとっても気に入りましたよ、ここ。



さらに歩いて行くとじきに金剛峰寺に到着しました。
意外と近いのですね。

が、先に腹ごしらえをしましょう。
「ダウンタウン高野山」とでも言えるような、お土産物屋や飲食店が立ち並ぶ道へ。
(でも繁華街っぽいのはここのみで、すぐに終わってしまうところがまたブータンの首都ティンプーを思い起こさせます。)

「高野山と言えばやっぱ精進料理!」と思っていたのですが、どのお店も値段が高いばかりでよさそうなところがありません。
悲しいかな、やはりかなり観光地化されていますね。

仕方がないのでとあるお土産屋さんの2階で食事しましたが、精進料理ではなく普通に天丼定食…。
だって精進料理定食と言っても普通に野菜の天ぷらとかで、なんの風情もなかったんだもん。


ささっとお腹を満たして観光協会で地図をもらってから、高野山のメイン、真言宗総本山の金剛峰寺へ。
ツアー客いっぱいです。





入口わきにある手水場の水が出ている部分がかわいい!






金剛峰寺ってこんなだったかな~。
全く記憶に残っていません。









金剛峯寺はお庭がとてもきれいでした。
そしてすでにほんの少しだけ木々が紅葉してきています!
もう少し後で来たら絶対にきれい!











お寺の内部は撮影禁止なので写真はありませんが、狩野探幽ら有名人による襖絵があったり、今でも行事の時に使用している大きなかまどがあったり、見学するのがとても楽しい場所です。
やっぱ好き、高野山。


金剛峰寺でお庭を見ながらお茶とお菓子を頂いてから、金堂、根本大塔などを見るために移動。
やはりこの道もあと2週間ほど後に訪れれば紅葉が美しいのではないでしょうか。




うっすら記憶に残っていた根本大塔でございます。








境内では、ちょうどお彼岸のお祈り行事をしていました。




こんなにたくさんお坊さんがいると壮観です。
(「撮影はご遠慮ください!」と言われてしまいました。すいませんでした。)





根本大塔の入口でお香を手のひらに塗ってからお参りします。
中のきらびやかな仏像や柱の装飾などがちょっとチベット寺院を思わせる懐かしい感じがしました。


金堂の中でもやはり法要が行われておりました。
もちろん撮影禁止なので写真はありません。




そして金堂の前では一人のお坊さんが鐘をついていらっしゃいます。
何回ついたか数えるために石をならべて。なるほど。





高野山は緑が深くて好きです。
あちこちで高野槇が売られていました。


あと、写真は撮らなかったのですが、高野山にあるお地蔵さんなどに備えてある大根や人参は、独特な切り方。
まっすぐに立てて上の方を斜めにスパッとカットみたいな。
初めてみるお供え方法かもしれません。
真言宗ってそうなの?


ここから高野山第2のメインである奥の院を目指す前に霊宝館にて仏像を堪能。
う~ん、素晴らしい国宝や重要文化財の仏像たち。
一緒にチベットを旅した留ちゃんにも見せてあげたいよ。
仏像マニアは是非お越しください。


仏像を堪能後はいざ、奥の院へ!
多くの方々はバスに乗って移動されていますが、私たちは当然歩きます!


奥の院へ向かう途中にはビルマ戦没者を祀ったお寺などもあり、中を見学はしましたが写真は撮らず。
博物館のようにビルマの色々な物品や元日本兵たちの遺品などが展示されていてとても興味深かったのですが、今日はせっかく高野山なのでなんとなく真言宗メインで行きたい…。
写真はまた今度ね~。


ここが奥の院の入口です。
気合を入れなおして、有名人のお墓を目指して頑張ります。




最初に出くわしたのは仙台の伊達家のお墓。
仙台で伊達と言えば伊達政宗ですよね。





実は伊達政宗本人のお墓は奥の院のもっと先にあるのですが、そっちは見落としました…。


こちら、武田信玄と勝頼の供養塔です。(ボロボロ)





薩摩の島津家。





石田三成!
素人でも知ってる名前が出てくると興奮します。
歴史マニアにはたまらんのでしょうな。




明智光秀~。
(いいのか、このテンション?)





おっ、市川団十郎。
何代目とか書いてないんですけど、初代?




法然上人。




家康の次男のお墓はこのような霊廟となっておりました。




この階段の上には豊臣家のお墓が。



これですか。
柵で囲われた向こうの方にあり、「お前らシモジモのもんは気安く近づくな!」って感じでしょうか。




豊臣秀吉のお墓は偉そうだったのに、なぜか織田信長のお墓はこじんまりと手の届くところに。なぜ?





ちなみに上杉謙信・景勝霊屋は見落としました。

それにしても、こんなに観光客がわさわさいたのでは、有名人の子孫の方々はおちおちお墓参りもできないのでは?


ここから先は撮影禁止です。
気のせいか、同じ奥の院でも空気が神聖に感じられます。
この奥には弘法大師御廟があります。




関係ないですが、金剛峯寺や奥の院のあちこちに「スズメバチに注意」という張り紙がしてあったのが一番怖かったです。



弘法大師様をありがた~くお参りした後は、立ち並ぶ水向地蔵さんにお水をたっぷりとかけ、帰りは浅野内匠頭や赤穂四十七士の供養塔を参拝。
そういえば、四十七士のお墓は赤穂にありましたよね。







いやあ、よく考えるとお墓なんですけど、有名人を探し求めて結構素人さんはハイテンションです。
好きな人は海外でも有名人のお墓めぐりとかやりますから。
私もパリのモンパルナスでわざわざお墓参りしましたし。
サルトルのお墓とかあったっけ?


ここでお墓番外編。

誰もが知る有名大企業さんたちがみなこぞって従業員物故者のお墓や供養塔を建立されています。
高野山にお墓建てるの、ステータスなんですか?


こちら、江崎グリコ。
あ、グリコのマークだ!





パナソニックってことは最近ですね。
奥にある古びた墓石には「松下」と彫ってあります。





UCC上島珈琲。
分かりやすい!




福助。
かわいい!
(いや、やっぱ微妙。





企業のお墓のところには必ず名刺受けがあります。



思わず私も自分の名刺を入れて帰ろうかと思いましたが、連絡して来られても困るので思いとどまりました。
年に1回ぐらいはここの名刺受けをチェックして、「お、取引先の○○君ちゃんと来とるな」とか思ってるんでしょうか、ご担当者様は。



久しぶりに訪れた高野山は、思った通りとても好きな場所でした。
帰りはどっぷりと疲れましたが、大阪から2時間ぐらいで行けてしまうので、これからも時々訪れたいなと思います。

日本demoサムゲタン!

2009年09月20日 | Weblog
ベトナムでは市場ですぐに丸のままの鶏が手に入るのでサムゲタンも作りやすいのですが、日本では手に入れにくいので、最近は骨付きもも肉などを使った「サムゲタンもどき」を作っておりました。

とある週末、ふーちゃんが遊びに来るのでリクエストに応えて「サムゲタンもどき」を作ろうと準備していたところ、叔父から思いがけないニュースが飛び込んできました。

「サムゲタン用の、手に入ったで。」

おおっ!なんという素晴らしいタイミング
実は従弟の友達が鶏肉屋をやっているらしく、今度サムゲタン用の鶏を入荷してくれると言っていたのですが、まさかこのタイミングとは


待つこと数時間、仕事帰りの従弟が鶏屋の息子を伴って持ってきてくれました。
「サムゲタン用に小振りのもの」と言ってたにも関わらず、持ってきてくれた鶏は2kg以上もある巨大なもの。

ま、しょうがないか。


早速調理開始です。
まずは届いた鶏の中も外も荒塩をつけてしっかりと洗います。





ベトナム生活を乗り切った私でも、はっきり言って気持ち悪いです。
鶏の体を洗っていると、子供の体を洗っているかのような妙な感覚をおぼえます。

でもこうやって自然の恵みの命を頂いていると思って感謝しながら食べるのです。

これ、絶対子供の教育にいいわ。
子供が産まれたら絶対サムゲタン作らせるわ!



そして材料。
もち米、ナツメ、松の実、クコの実、栗、ニンニク、ショウガ、長ネギ、それから高麗ニンジンが高価で手に入らないので、ゴボウで代用。





材料を鶏さんのお腹にギュウギュウ詰めていきます。





本来、足をクロスさせて止めるのですが、体が大きいために足が周りません。
なので足はそのままに、お腹を竹串で止めます。
鶏の皮って意外と固いことを発見。
竹串を刺すのが結構大変でした。





鶏の体が大きいので、圧力なべに押し込んでようやくギリギリ入るぐらい。
長ネギはお腹には入れず、鍋の中で臭み消しとして。





沸騰してから30分ぐらい弱火で煮込むと、もう火が通っています。
圧力なべバンザイ!




食べるのは翌日なので、翌日の加熱用にウー・ウェン・パンに移しました。
本当は土鍋にでも入れようと思っていたのですが、鶏があまりにデカイので入りきらず、ドーム型の蓋つきの中華鍋しかチョイスがなかったのです。




何かのサイトで「鍋に入れた薬味は灰汁を吸ってるので捨てるべし」と書いてあったので、もったいないけど捨てました。


う~ん、煮込めば煮込むほどおいしそう。





翌日やってきたふーちゃんは、思いがけず(ほぼ)本格的なサムゲタンを「おいしい、おいしい」と喜んでくれ、2回もおかわりしてくれました~。

あまった汁にさらにもち米を投入して炊くと、鶏おこわの様になってこれまた美味でございました


次はもっと小振りの鶏の仕入れをおねがいしま~す。

犬鳴山ハイキング

2009年09月20日 | Weblog
ダイエットを兼ねた夏のお散歩企画第2弾with職場のSさんです。
(第1弾は昨年の三重県の赤目渓谷です。)

今年の行先は、大阪府の南のほう、泉佐野市というところにある犬鳴山(いぬなきやま・いぬなきさん)。
関空の近くと言うとある程度場所をイメージして頂けるでしょうか。


犬鳴山は修験道のある霊山です。





えー、まずはじめに名前の由来を。
昔々、ある猟師が犬を連れて山に入り、鹿を狙っておりました。
もうちょっとで鹿を仕留めるところだったのに、連れの犬が吠えたてたために取り逃がしてしまった猟師は、怒って犬の首に切りつけました。
が、実は犬が吠えた理由は、近くにある大樹に猟師を狙う大蛇がいたからなのでした。
切られながらも犬はその大蛇にかみつき、主を難から救ったのでした。
犬の忠誠心に感動した猟師は、犬を手厚く葬り、自分は僧となって寺に入り、一生愛犬の菩提を弔ったということです。



犬鳴山にはとてもかわいい仏像がたくさんあるので、マニアの心をくすぐるかと思います。











写真では見えにくいですが、これが義犬の墓でございます。







他にも滝や七福神、巨大な不動明王などバラエティに富んだ見どころあり。











犬鳴山には七つの滝があり、お寺の名前は七瀧宝寺と言います。
また、日本の多くの場所で見られるように、仏教と神道が混在しています。
なので七福神がいたり、不動明王がいたり。







ここは靴をぬいで石の上を歩くのですが、よく見ると「五十一番」などと書かれており、どうやらここを辿ると八十八か所詣りをしたのと同じことになるようです。





さらにここは修験場でもありますので、山伏の格好をした人がちらほらいましたが、どうも会話を聞いてるとノリが軽いような…。
どっちかというと落語家みたいな感じなんですけど。


さて、私たちが行った日は、ラッキーにもとある家族がそろって滝行を受けているところに遭遇。







まずは家族を代表してお父さんが滝に挑みます。




が、がんばれ~、お父さん




滝のそばにいるだけで空気がヒンヤリしていましたから、水は冷たいはず…。


その後、修験者とおぼしきおじさんが、念仏を唱えながら文字を切っていました。






お父さんが終わると続いて家族のメンバーの男性たちが挑んでいましたが、女性陣も挑んだかは不明。

家族の大願は成就したでしょうか。



本堂までの道は思ったほど険しくもなく、楽々辿りついてしまいました。
運動をしに来た身としては、ちょっと物足りない感じではあります。

が、しかし、周りを見渡すとお寺に来る参拝客(しかも車で来ている)ばかりで、その先のハイキングコースに行く人は誰もいません。
Sさんと途中まで山道を登ってみましたが、あまりに人がおらず怖いのですぐに引き返してきてしまいました。
先に展望台があるらしいので、そこぐらいまでは行ってみたかったのですが、人気のない山というのも危険ですからねえ。


山を下ってから、犬鳴山温泉センターにて昼食をとり、温泉につかって体の疲れを癒してから無事帰宅しました~。
温泉と言ってもわりと狭いお風呂場だったので、ゆったりとはできませんが、お湯は紛れもない温泉のため、あったまりました~。


次の行先は、これまた霊峰、高野山です!

人生「感」が変わる旅? 6

2009年09月13日 | Weblog
最終日、仙酔島を後にし、鞆の浦へ。
島を出る前にあらかじめ、「鞆の浦史跡ツアー」に申し込んでおいたので、出発地点となる鞆シーサイドホテルへ。

ガイドをしてくれたのは、昔大阪に住んでいたことがあるというおじいさんでした。
早速由緒と趣のある鞆の浦の街を案内してもらいました。


この坂、ガイドさんが見せてくれた雑誌に同じアングルで載っていて、すごく素敵な風景だったのですが、素人が撮ると全然違うなあ。







この「作右衛門」という表札のかかった古い町屋は貸会場になっていて、還暦、結納その他お祝い事やイベントの際に借りられます。




宿泊もできますが小さな家なので、あまり大人数では利用できないみたい。
家族だけのあつまりにいいかも。
高いけど、会場セッティングや司会進行的なこともやってもらえるようです。
国民宿舎にあったポスターに「ご満足頂けなければ全額お返しいたします」みたいなことが書いてあったのが気になりました~。


ここ鞆の浦は、「潮待ちの港」として栄えた場所です。
瀬戸内海の潮の分かれ目にあるので、昔は多くの船が潮の満ち引きを待って鞆の浦に滞在していたようです。






江戸時代には商人の町としてたいそう栄えたようですよ。


さっそく特別無料公開中の商人の御屋敷をいくつか見学。
ここはお酒を売るお店ですね。




ここに番頭さんが座っていたのでしょうね。




奥の座敷は家族の部屋です。




台所。




庭の手水場の苔むしたカエルがかわいい。





蔵も見せてもらいました。







鞆の浦の風物詩、男の子の成長を願う「八朔(はっさく)の馬出し」に使われる馬もあります。
町中これを引き回すんですね。





御船宿「いろは」には坂本竜馬も宿泊していたそうです。
窓のステンドグラスは宮崎駿監督が竜馬らしいモダンな感じを取り入れるため、後に寄付して取り付けられたものだと聞いています。




なぜここで宮崎駿監督が登場するかというと、「崖の上のポニョ」のアイデアを練るために宮崎監督が長期で鞆の浦に滞在していたからです。
地元の人たちの間では、「崖の上のポニョは鞆の浦が舞台」ということで盛り上がっていますが、監督の事務所は明言は避けているようですね。
まあでも映画に出てくる町の風景を見る限り、どう考えても鞆の浦を描いていますけど。


こちら潮待ち茶屋。





鞆の浦のお店は、京都などと同じく間口はわりと狭目で奥に長い造りが多いそうです。
やはり間口の大きさによって課税されたからだとか。


昔ながらの町並み。
鞆の浦に武家はなく、商家ばかりだと聞いています。






長屋で売っている干物なども購入しました。
すんごくおいしかったです


交番までもが素敵。




こちら、もっとも有名な太田家住宅。
元祖保命酒(ほうめいしゅ)の独占製造販売で儲けに儲け豪商となった中村さんのお宅を、後に太田さんが買い取ったものです。




「保命酒って養命酒のパクリ?」などと思ってすいませんでした。
そもそも保命酒が薬酒の始まりだったのですね。
もっと宣伝しましょうよ~。誰も知らないと思うから。









ちなみに保命酒は門外不出のレシピで中村家が藩の保護を受け独占的に製造販売していたのですが、江戸時代が終わると専売制が廃止され、あれよあれよという間に衰退してしまったそうです。

今では「保命酒」を売るお店がいくつかあり、それぞれにちょっとずつレシピが違うのでお味も違うようです。
私はこちらの岡本亀太郎本店というところで買ってみました。









養命酒と違って飲みやすく、しかも杏味とかフルーティーなのが出ていたので、そちらを一瓶購入しました。
最初はさらさら買う気などなかったのに、試飲をするとついつい買ってしまった。
やはり、商売において試食・試飲は重要よのぅ。



さて、太田家住宅の内部もなかなか素敵でございました。
しかも元の持ち主である豪商の中村さん、かなりのおしゃれさんだったようで、床の市松模様とか、天井とか蔵の壁の装飾とか、至る所にちょっとしたデザインが取り入れられていました。




ガイドさんが「華美なものではないけど、こういう誰にも見えないようなところにもこのようなおしゃれを施す、ほんっとに素敵でしょ~!?」と何度も力説。

たしかに、今でいうところの「工場」の建物でさえ、こんなサイコロの目みたいなデザインを施したり、壁にカーブをつけたりと、かなりのおしゃれさんと見ました。










江戸時代、ここで保命酒を作っていたのですね。







太田家見学の後は、お待ちかねのランチ。
国民宿舎で割引券をもらっていた、蕎麦屋の「作十」にて天ぷら蕎麦を頂きました。
久しぶりに魚以外のものをいただきました~




さらには仙酔庵での鯛焼き無料券もついていたので、こちらも遠慮なく頂きました~。




さらにさらに、隣の豆腐工房での豆乳試飲券ももちろん活用。
鞆の浦、イケてるわ~!



本来ならここで帰宅するのですが、たまたまこの日は年に1度の「お手火(おてび)まつり」の日。
イベント好きの母が見て帰りたいと言います。
え~、帰りの新幹線大丈夫かなあ。。。


開始時間は「暗くなってから」というのみなので、とりあえず夕方まで時間をつぶさねばなりません。
バスで一旦福山駅前まで戻り、ロッカーに荷物を預けて福山城を見学。





そして夕方再び鞆の浦エリアまで戻ったのですが、祭りがあるわりには沼名前神社の前はひっそりとしてるんですけど…。







でも祭り用の松明は置かれているので、間違いないようです。





しばらく待っていると町の衆が現れ、




お祭り前のお参りをしたりもするのですが、一向に始まる気配がありません。




そのうち大きなカメラを持ったおじさんたちが集まり始め、「何時頃始まるんですか?」と聞いてみても「さあ、私も初めてなんで…」と言った感じでよそ者ばかり。
「日本三大火祭り」とか聞いた割には人が少ないし、そういやテレビでも福山のお手火まつりは聞かないなあ…。

とりあえず境内の石段の特等席っぽいところを陣取りましたが、そこからが長かったです。
徐々に人が集まり始め、石段がだんだん埋め尽くされていくのですが、祭りが一向に始りません!
地元の人たちはどっぷり日も暮れかかった頃にやっと集まってきました。

私たちは帰りの新幹線の都合もあるので、早く始ってくれないかやきもき。
まだかまだかと首を長くして、石段でお尻が痛くなりつつ待っていると、夜の8時を過ぎてからようやく始まりました!




大きな火のついた松明を地元の若者たちが担いで石段を一気に駆け上がります。
迫力満点!






しかし広島の人、豪快やわあ。
火のそばって危ないのに、最前線に子供づれやらペット連れやらの人がわんさかいます。
さ、さすがです。


待ちに待ったお祭りがようやく始まったのですが、もう私たちは行かねばなりませぬ。
ものすごい人垣をかきわけかきわけ、祭り見学もそこそこにバス停へダッシュ。


最後は駆け足となってしまいましたが、年に1度しかないお祭りも見れたことだし、良い旅だったと思います。

帰りも新幹線で1時間というのが本当にありがたかったです。
鞆の浦はまたゆっくり訪れてみたい土地です。