★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2022年7月にteacupからgooへ引越しました。

八甲田雪中行軍遭難事件から121年が経過

2023-01-23 06:00:00 | その他の記事
 私の生まれ故郷は青森県東津軽郡筒井町です。筒井町は私が生まれた2年後に青森市へ編入され、中学校2年生まで青森市に住んでいました。

 在籍していた筒井小学校での遠足場所は、萱の茶屋(かやのちゃや)・田茂木野(たもぎの)・月見野(つきみの)・幸畑(こうばた)でした。その後に進学した筒井中学校のすぐ西隣りには青森県立青森高校があります。

 青森高校は旧日本陸軍歩兵第五聯隊があった敷地跡に建てられていて、私の自宅から中学校までの通学路の途中にあった高校の門柱には当時の陸軍駐屯地、正式には衛戍(えいじゅ)地の門柱がそのまま残されていると聞き及んでいました。

 なぜ、いきなり私のブログ記事で八甲田雪中行軍(はっこうだせっちゅうこうぐん)のことを書くことにしたかというと、2023年のアラスカ遠征を控え、日本における最低気温の記録を調べていたところ、1902年1月に旭川市で記録したマイナス41度が日本での記録ということを確認。
 うん? 1902年1月? 八甲田雪中行軍遭難事件も1902年(明治35年)1月。同じ頃だ!

 詳しく調べると、歩兵第五聯隊が青森県筒井村(当時)にある衛戍地を出発したのが1月23日7時前。その後、田茂木野を通り昼過ぎから天候が急変。1月25日にかけ軍事訓練に参加した将兵210名のうち199名が遭難死するという山岳遭難史上類を見ない大事件となりました。

 一方、旭川での最低気温となった日は1月25日。強い寒気団と低気圧の影響で北海道と東北地方は真冬の台風状態だったようです。


 2022年1月9日に、青森市の中心部から南東へ6kmほど離れた幸畑の八甲田山雪中行軍遭難資料館を訪問したときに撮影した画像です。

 この資料館のすぐ隣の幸畑墓地には、遭難で亡くなられた将兵が眠っています。


 この雪中行軍は、南下政策を行う当時のロシア帝国の脅威に対抗するため、当時の日本帝国が厳寒地でのロシアとの戦いに備えるための訓練だったようです。
 雪中行軍遭難事件の2年後の1904年(明治37年)に日露戦争が勃発しています。

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