2009年5月10日(日)[1]、「火焔土器の国 5000年前のメッセージ」という企画展が新潟県立歴史博物館(長岡市)で開催されている。この3月、スイスのジュネーブ近郊の町へバイオマスによる地域暖房システムの視察に訪れた際、たまたまチップボイラーの炉の中でチップが燃えている写真を撮った。あとでその写真を見ると、肉眼では見えない炎の形が写っていた。それを見たときすぐ火焔土器のことが頭に浮かんだ。
今度もう一度じっくり火焔土器を見てみようと思っていた時に、ちょうどこの企画展が始まった。5000年前の縄文時代の人たちが、何のために何をイメージしてあの形を創作したのかはわからない。しかし、その土器を最初に発見した人が「火焔土器」と名付けた。
今までは言われてみれば確かに炎に似てるかなと思う程度であった。しかし炎が燃えている状況では炎そのものの形は実際にはよくわからない。その時の瞬間を止めてみて初めて具体的な形が見えてくる。今日改めて火焔土器を眺めてみたが、やはりこの形は炎がデザインのモチーフに違いないと実感じた。
〈5000年の時を経ても一級の芸術品である〉
〈火焔型土器にも多様な形と用途がある〉
2009年5月9日(土)、斜め向かいの家の脇のアスファルト舗装と側溝の隙間に今年もオダマキの花が咲いた。昨年から花を付けるようになって初めてそれがオダマキであることに気づいた。どこからか種が飛んできたのだろう。下水が完備されて以降、側溝には雨が降ったとき以外に水はない。最初はこんなところにも雑草が生えてきているナ、くらいにしか気にとめていなかったが、ある時きれいな紫色の花が咲いているではないか。
そうか家の人も知っていて抜かなかったのかと納得。暑くても寒くても逃げるわけにはいかず、雨が降らなければ降るまでじっと耐えて待つしかない。この過酷な環境下でも年々大きくなっていくのには驚かされる。毎朝出勤時にこの花を見ると励まされる思いがする。
一方我が家の庭ではヒラドツツジが満開になった。こちらはオダマキの生育環境と比べると過保護な環境と言えよう。
これからしばらく新潟は最も良い季節となる。最近数年間くらいは豪雨や地震災害が続いたが、もうこれ以上続かないことを願いたい。
〈こんな所でもちゃんと花を咲かせているオダマキ〉
〈過保護のヒラドツツジも満開に〉
2009年5月6日(水)[2]、一昨日の4日に、孫とそのいとこたちと一緒に食事に出かけ、注文をし終わったときに携帯が鳴った。昨年の連休の時のようにまた訃報である。知人のお母さんが亡くなったという。連休中を配慮してのことだろう通夜と告別式は連休後に行われるようだ。とりあえずは急いで帰宅する必要はなくなった。
連休をあと2日残して、何となく不安な気分になった。
そして今日6日、無事に帰宅してテレビのニュースを見ていたら、初代のトキ保護センター所長の近辻さんが亡くなったことを報じていた。トキ保護センターの適地調査や基本構想づくりで色々とご協力いただき、その後も講演をお願いしたりしてお世話になった方である。数年前に定年退職されたが、その直後に食道がんを患ったということであった。しかし、亡くなる当日も野鳥のモニタリング調査に出かけていたという。トキの野生復帰を確認しないまま逝ってしまった。残念である。
ついに、今年の連休も3人の方たちが亡くなり、悪い予感は的中してしまった。
〈トキ保護センターの初代所長近辻さんが亡くなる〉
2009年5月6日(水)[1]、連休最終日、熊谷のバァバは入院中だし、ジィジは早朝からゴルフにいってしまったので、新潟への土産用の野菜を孫に手伝ってもらって我々が勝手に収穫することになった。今日はフキとブロッコリーである。ここでいただく野菜は無農薬だし非常においしい。昨日からずっと雨なので長靴を履いて傘をさしての作業となった。孫その1は手つき良くブロッコリーを収穫してくれる。その2は肥料の匂いが臭いのか鼻をつまんであまり近づきたがらない。それでも一応収穫用のバケツを運んでくれたりして手伝ってくれた。
今回は新幹線で来たのであまりたくさんは運べない。それでも新潟から折りたたみのキャリアを持参してきたので、段ボールにつめてしっかり頂いて帰ることにする。
帰る時間が近づくと孫たちが「帰らないで」という。そう言われるとジジ・ババは弱い。何でも言うことをきいてやろうという気になってしまう。孫たちがホームまで見送るといったが、お互いによけい」寂しくなるからと駅前まで送ってもらって帰した。
<孫その1がブロッコリーを収穫してくれる〉
2009年5月5日(火)、今日の天気予報はあまりよくなかったが、午前中くらいは何とか持ちそうな気配であった。昨日は半分も行かずに断念した小学校までの道のりをもう一度トライすることにした。孫たちは自転車で、我々は歩いてついていくことにした。4歳の孫その2の方は途中で花が咲いていると自転車から降りて手に取ったり匂いを嗅いだりして興味を示している。以前はその1の方も植物に興味があったが、今は全く見向きもしなくなった。
きょうは、道端に咲いているカタバミを教えたら一生懸命覚えようとして何度もカ・タ・バ・ミと繰り返していた。
途中から3年生のいとこも自転車で追いかけてきた。今日はとにかく頑張って学校まで行ってみることにする。途中で案の定、孫その2が疲れたといっておんぶをさせられる。それでも途中の神社で一回休んだだけで、1時間10分かけてようやく小学校に到着。通学では40分くらいで着くらしいが、低学年には結構きつそうだ。 その後、孫たちの提案でさらに足を伸ばして大きな池のある近くの公園まで行くことにした。そこにはちょうどクローバーがたくさん咲いていたので、孫たちはバァバに花の冠や首輪のつくり方を教えてもらうと夢中になってやり始めた。
結局か帰りはパパに軽トラで迎えに来てもらい、見つかれば交通違反キップだが自転車と一緒に荷台にのって帰ることになった。
〈自転車に乗っていざ出発〉
〈クローバーの冠つくりに夢中になる〉
2009年5月4日(月)、娘の嫁ぎ先のお母さんが頚椎の手術で入院したため、見舞いがてら熊谷に行く。孫たちがホームまで迎えにきていて我々を見つけて飛びついてくる。同じホームで見送りにきていた小さな子が祖父母と別れるのがいやだと大声で泣いている。まさにゴールデンウイークのプラットホームのワンシーンを演じているようだった。駅から病院に直行し、5日前に9時間もかかる手術を終えたばかりのお母さんを見舞う。経過は良好のようだが当分首を動かせないのが見るからに大変そうである。
家に戻ると孫たちはすぐゲームを始めたので、雨が降らないうちに散歩に行こうといって外に連れ出す。孫その1が通う小学校まで行ってみようということになった。3㎞以上あるらしいので、4歳の孫には無理だろうが、とにかく出発した。100mも行くか行かないうちに、近所の家の庭に入り込んで犬と遊び始めた。仕方がないので「いつもお世話になっています」といいながらこちらも見知らぬ人の家の庭に入りこんでなかなか動こうとしない孫たちを待つ。やっと犬とサヨナラして歩き始めて、いとこたちの家の前を通りかかると、留守のはずだったいとこたちが帰ってきていた。私にとっては孫その3とその4みたいなものなので、いっしょに連れていくことにする。
〈近所のお宅の庭に勝手に入り込んで犬と遊ぶ孫たち、家の人も出てきて一緒に遊んでくれる〉
〈小学校の通学路の途中にある乗馬クラブの厩舎を見せてもらう〉
2009年5月3日(日)、先日行き損ねた福島県立美術館にアンドリュー・ワイエス展を見に行ってきた。展示テーマが「創造への道程(みち)」ということで、作品は習作から完成作品に至るプロセスがわかるような展示の手法が取り入れられていた。
完成作品は写真のように繊細緻密であるが、写真より実物の質感が圧倒的によく伝わってくる。特に光が当たって輝いている部分と影になっている部分の間の繊細な描写はすごいとしか言いようがない。どうすればここまで表現できるのか?
今回の展覧会は3月17日から始まっているが、この案内パンフレットには、「90歳を越えた今もひたむきに制作を続ける画家ワイエスの生の姿にせまる、ファン待望の展覧会」とある。しかし、残念ながらワイエスは2ヶ月前に亡くなっている。恐らくその時点で印刷が終わっていたのだろう。展示の中の略歴紹介欄の一番最後は、「2009年1月17日 死去」という紙がパネルの上に貼り付けられていた。
2009年5月2日(土)、今年の連休も昨年に引き続きいやな予感のする始まりである。昨年は5月3日から7日の間に葬儀が4件集中的に連続した。今年も、以前仕事でお世話になった元大学の教授が亡くなったという訃報が届いた。葬儀は近親者で行うということなので、取り急ぎ今日弔電を打っておいた。今年に入ってめずらしく葬儀は1件もなかったのだが、昨夜の電話で昨年の連休を思い出して不安な気持ちになってしまった。この先何事もなければいいのだが・・・。
今日も良い天気で暖かい。会社の玄関脇にシロヤマブキが咲いている。今まで気づかなかったが、最近植えたものではない。もう少し早い時期には黄色いヤマブキがよく目立ったが、この白いヤマブキはあまり目立たず、花の時期も少し違うようだ。
駐車場の植樹帯にはカラスノエンドウが一面に生育範囲を広げている。雑草だと思っていたが山菜のように食べられるらしい。もう少したつと小さいエンドウ豆のような実をつけるが、あれも食べられるのだろうか?
明日から私も連休にして出かける予定にしているが、携帯電話の呼び出し音が鳴らないことを願っている。
〈白いヤマブキはなかなか清楚である〉
〈おいしいかどうかは良くわからないが、カラスノエンドウは食べられるらしい〉