1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き野球バカ×6

2012-04-28 21:43:18 | リトルリーガーの記録
基本的に、少年少女スポーツにおける怪我や障害は、親の責任だと思っている。特に有能な選手の場合はそうだ。
実のところ、子供達に選択の自由などないと思っている。彼らには自由な選択ができるほどの情報は与えられていないし、また、その情報を解釈・分析するリテラシーも備わっていない。敢えて言わせてもらえば、「大人」についても同様であるかもしれない。
我々はいつも限られた時間と限られた資源と情報の中でしか選択ができない。だから「無限の可能性」などと甘やかした言葉によって、子供や若者は後々苦しむことになるのである。このため、限られた環境の中では我々は極力自由であるべきなのであるが、子供達はその能力から、自由に選択ができている状態にはないと言いたいのである。最近、「うちは子供に任せてありますから」などとテイのいい言葉をよく耳にするのであるが、それは責任回避にしか聞こえない。あるいは怠慢だ。
有能な選手ほどケガのリスクが高いということは言うまでもない。彼らは無限の可能性などを持っているワケでなく、有限のしかもごく普通の資質を、フルパワーで使っているだけなのだ。
ここに大きな落とし穴がある。有能な選手はパフォーマンスが良いだけに、周囲からの期待も大きい。そして、そういう称賛は一種の麻薬と化し、少年少女の体を蝕んでいくのである。特に、チームプレーともなればその傾向はさらに強い。ここに選択の自由などというものはない。本人の意思のように見えて、実は他人の圧力だったりするのである。そして重篤な障害を抱え、選手生活から早々の幕引きを迫られる。

陸上記録の研究に面白いものがある。少年少女期の有能な選手が、優秀な成人選手に成長する割合についての研究である。ボクの記憶が正しければそれは10%程度である。
成人まで選手生活を全うできるようサポートすることが大人の責任であり、親の役目である。我々に問われるのは、ケガというリスクをどうのように回避し、あるいは最小にし、リスクが発現した場合にどのようなセーフティーを準備しておくのかということである。つまり、リスクをどうコントロールするのかということである。子供の身体は常に成長を続けている。だから、刻々とそのリスクが変化していくことも心得ておかなければならない。
スポーツ選手を育てるということは、かくも大変で一大事業なのである。
だから人々は熱中熱狂するのである。

話しはやや逸れるが、ここは勢いなのでブチマケておきたい。
オリンピックについてである。金メダルについてである。
オリンピックは4年に1度の国別対抗大運動会であることを忘れてはならない。であるからして、出場選手の国籍に関して細かくウルサイのである。ネコかネズミが知らないが、そのへんをわきまえていないから、ヘンなことになってしまうのである。「国籍」とはそんな簡単な話ではないのである。コノ、愚か者めが!。
もし、国籍なんか関係ない世界大運動会であれば、本当に優秀な選手達を集めてやっちゃえばいいのであるが、その場合、ネコは出られない。誰もネコなんかに期待していないのだ。しかし確かに、世界大運動会なんてものがあってもよさそうなものだが、それは盛り上がりになんか欠けそうである。敢えて言っとくがネコが出ないからではない。

わかっている人には「イマサラ」話しになるけど、オチンピックじゃなかったオリンピックはフェアでクリーンなスポーツを建前にした4年に1度の国力順位決定戦なのである。問われるのは「金メダル」の数のみ。参加することに意義なんて無いのだ。
GDPなんかの経済指標や軍事力がその国の「力」を示しているかのように思えるが、これらの数値で我々は熱狂なんかできないのである。熱狂する意味は、そこに数値記号ではないリアルな勝ち負けがあり、順位序列があり、競争があるからである。我々は老いも若きも誰もが実は競争が大好きなのである。そして、自分が所属するコミュニティの勝利をあたかも自分の勝利のように喜ぶのである。負ける者には見向きもしないのである。見る価値すらないと思っているのである。そばに置きたくない臭いモノ第1位なのである。
そういう「仕組み」になっているのである。我々人間が、地球上でこのように繁栄を謳歌できているという理由は数多あろうが、ボクはこの「仕組み」に金メダルを与えたい。

以前、「2位じゃダメなんですか」発言で耳目を集めた女性政治家がいたが、どう見たって彼女が一番の「No.1嗜好」に見えるのである。最初、小膣じゃなかったコイツは何を言っているのかと思ったが、実は、目の前の相手を打ち負かして自分がイチバンであることを示したかったに過ぎないのではないか、ということに思い当たったのである。こんなヤツは年配者に多く、その存在確率の高さから「老害」として認知されている。ひょっとして人間は、先ず一義的に目前のリアルな勝敗にこだわってしまう生き物なのかもしれない。先の彼女は「2位」発言により、は図らずも「1番」が大事ということを我々に証明してくれたのではないだろうか。

それにしても、勝利するのは難しい。本当に難しいものである。
オリンピックにおける金メダルは個人に授与されているようであるが、私のようなデキソコナイにはそのように見えない。表彰式のとき金、銀、銅の順番に国旗が掲げられている。それがミソである。もしボクがメダリストだったら家族の写真を掲げたい、いや、カミさんの肖像なんてのはどうだろう。ただし、若くキレイだった頃の写真じゃなきゃカミさんはダメって言うだろうなぁ、たぶん、うん、そっちのほうがボクもいい。読者諸兄には申し訳ないが、なんか勝手にHAPPYな気分になってきたぞ。まぁいい。

話しを元に戻す。
確かに、メダルを獲った個人の努力は称賛に値する。しかし、個人の努力だけで金メダルが獲れるというものでは決してない。様々なサポートや環境が必要なのである。多くを述べるまでもないが、頂点を極めるためには、選手の持つハングリー精神とは対照的に、彼らを取り巻く環境にある一定の余力や金銭的余裕のようなものが必要である。また、そのスポーツ界のすそ野の広がり具合が重要である。決定的とすら言えるかもしれない。当然、すそ野は広い方が良い。そして、すそ野も強い方がいいに決まっている。すなわち、金メダルが多いということは、一国の余力や余裕を示し、その国の多様性とシステム、場合によってはテクノロジーの高さを示すということだってある。・・・・ような気がする。

・・・と、このくらいにしとこう。この「誇り高き野球バカ」シリーズは、まだ、先があるのだ。ホントは、ここらかジャイアンツを引き合いに出し、そのファン心理に触れた上で、我々野球バカたちが、その広くて強いすそ野の一部となっていることに自負を持ちつつ、強いものに否応なく惹かれてしまうことを話したかったのだ。また、少子化に相まって起こっているように見える急速な野球離れが、今後の野球界の有り様を左右する可能性が大きいことも話しておきたかったっていうか、大体話してしまった。

・・・続く・・・
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