「終戦の日」の頃、恒例となっている、総理や、大臣、国会議員などの「靖国神社参拝」に対する、中・韓・北などの反発、今年もありました。
13日~15日、岸田内閣の閣僚、木原防衛相、高市経済安全保障担当相、自民党議員などが、靖国参拝した。
岸田総理は、私費で、「自民党総裁」名義で、玉串料を奉納したようです。
自民党に限らず、靖国に眠っていると思っている「戦争で兵士として亡くなった息子・夫・兄弟たちの英霊」の
遺族は、選挙での得票が読める、大きな票団。英霊を大切にしているというポーズは欠かせないのでしょう。
しかし、戦争を体験している年代が、毎年少なくなって、戦争のむごさを知り、「絶対戦争はすべきでない」と語り継ぐ人が減ってきており、政治家にとり、靖国のご利益(ごりやく)は、どうなるのでしょうか。
靖国神社は、明治2年(1869)6月、明治天皇によって、国のために、尊い命を捧げた人たちの「御霊」を慰め、
その事績を長く後世に伝えることを目的に「招魂社」として建てられました。
明治12年(1879)6月、明治天皇の命名で、「招魂社」は、「靖国神社」となったのです。
明治天皇は、「国を靖(安)んずる」という願いを込め、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」こと
を希う神社として、命名したのです。
日清・日露戦争など、戦争でなくなった兵士を、「国のために命を捧げた英霊」として、奉るようになった。
戦後、国民310万人余の命を奪い、近隣諸国や対戦国の尊い命もいっぱい奪った戦争を仕掛け、多くの迷惑を
掛け、東京裁判で死刑となった東條英機など大罪人を、1979年10月に、靖国神社が「昭和殉難者(国家の
犠牲者)」として合祀(ごうし=英霊と一緒に奉る)して、英霊に加えた。
以来、中韓などは、「靖国神社」を「大罪人の巣窟」、「日本軍国主義が侵略戦争を起こした象徴」として、
政府要人が参拝する度に、強く反発しているのです。
天皇家の靖国参拝も行われなくなりました。
靖国には、英霊は愛想をつかし、隣の「千鳥ヶ淵墓苑」にお引越しし、靖国に残っているのは、310万の国民を死に追いやった戦争犯罪人だけ。
尊い命をささげた英霊は、靖国に見切りをつけて、お隣の千鳥ヶ淵墓苑の上空の風になって、無辜の戦没者と
一緒に平和を祈ってくれている筈です。
昭和天皇が1986年終戦記念日に詠まれた歌、
「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれいはふかし」
このうたに込められた思いを、岸田総理はじめ政府要人などは真摯に受け止め、靖国参拝をキッパリとやめて、自国民ばかりではなく、近隣諸国や対戦国へかけた迷惑を、心から反省して世界平和を築くために責任を果たすべきです。
(今日は、午前中マンションの理事会、ブログアップ遅れました)
ウオーキング中にであった、4歳のパピオン、お耳立ってます。
娘が連れてくる、15歳のパピオン、らら君。歳には逆らえない、耳もオネンネ。
8月18日「今日は何の日カレンダー」より 高校野球記念日、太閤(豊臣秀吉)忌、頭髪の日(毎月)
▲豊臣秀吉没(太閤忌)(1598)▲明治天皇、初めて馬車に乗る(1871)▲東京市、ワシントンへ2千本の桜を
寄贈(1909)▲第一回全国中等学校優勝野球大会開催(1915)▲谷崎潤一郎、細君譲渡事件(1930)
▲岐阜県白川町で土砂崩れにより飛騨川にバス転落。死者104人(1968) ▲参議院選挙に比例代表制含む
公職選挙法可決(1982)▲大相撲力士の大麻所持問題発覚(2008)▲なでしこジャパン国民栄誉賞(2011)
▲リオ五輪で、女子バトミントン高松(高橋礼華・松本美佐紀)ペア金メダル(2016)▲常磐自動車道での
あおり運転・殴打事件犯人逮捕(2019)▲香港で、「逃亡犯条例」改定案で170万人が反対デモ(2019)
▲韓国で、元徴用工の賠償裁判で、三菱重工が持つ債権を差し押さえ判決(2021)