城郭 長谷川博美 基本記録

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明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場する本格劇画『元亀の騒乱』1

2019-08-14 16:49:29 | 戦国
明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場す
る本格劇画『元亀の騒乱』1

小野伸明先生の秀逸な劇画を紹介したいと思
います。先生の画業の斬新かつ素晴らしい作
品には敬服致します。小野先生の益々の御発
展と隆昌を祈念して『元亀の騒乱』を、是非
紹介したいと思います。

作品のネームつまりシナリオや原作は◆長谷
川博美が担当しています。また当ブログでの
解説も私が担当させて頂いております。なお
順番を追って紹介しますが皆様は順次ページ
を追って御鑑賞下さい。

◆織田信長の足利幕府末期の批判
『信長公記』天正元年には以下の信長の文言
がある。

公方様御謀叛付十七ケ条のこと

さる程に、公方様内々御謀叛おぼしめしたつ
るの由、其の隠れなく侯。子細は、非分の御
働きども、御勿体なきの旨、去る年、十七ケ
条を捧げ、御異見の次第。
条々
一、御参内の儀、光源院殿御無沙汰につきて、
果たして御冥加なき次第、事旧侯。これに依
つて、当御代の儀、年々懈怠なき様にと、御
入洛の刻より申し上げ侯ところ、早おぼしめ
し忘れられ、近年御退転、勿体なく存じ侯事。

麒麟の花押を使う足利義輝は死後「光源院」
と追号された。彼足利義輝は各地をを転々と
する窮状の生活を送って内裏「皇室」を尊ば
ずあまり参内せずに将軍として日本の諸侯か
ら尊崇されず不遇の暗殺「永禄の変」により
倒れてしまった。
信長も麒麟の花押を使う平和を希求する武将
であるが「光源院」の弟の足利義昭を庇護し
先君足利義輝の皇室軽視を注意したのに足利
義昭は京都から出て行った事は信長としては
残念な事だと足利義昭を糾弾している。

◆元亀年間の朝倉義景の戦勝祈願文

元亀2年(1571年)朝倉義景の奉納したの長浜
市内の鰐口には
元亀二年(一五七一)五月朝倉義景奉納
江北表山田和泉大明神金口
国土安全,武運長久 敬白
于時元亀貳辛・未五吉祥日、願主越州義景と
書かれている。

願文の中の越州義景とは越前守護職を意味する
言葉である。
後の『信長公記』の天正元年の記述には美濃の
前守護職の斉藤龍興が越前刀禰坂で打ち取られ
た首級を「濃州龍興」と同様の表現で表記され
ている。つまり、当時は越州義景だけで朝倉義
景と通用して守護職と世人には解る。濃州龍興
だけで斉藤龍興と通用して守護職と世人には解
る。一国の国主、守護大名に用いる当時の表現
様式と思われる。

◆戦国戦勝祈願文の鰐口は意外にも領国ではな
く進駐地で発見されている。
 織田信長の白山神社祈願文、鰐口や
浅井長政の志賀郡仰木の鰐口の祈願文等は平素
の自領ではない進駐地または予定地に奉納され
ている。これは神道思想史的見地からみれば、
その土地の地主神への畏敬の念や神霊への戦勝
や加護を期待した、当時の神道思想であろう。






◆元亀の騒乱は足利義昭が内裏「朝廷」に奏上し
た元亀年号に端を発する織田信長と近畿北陸
東海周辺の戦国大名による騒乱を言います。
特に元亀元年に織田信長が京都に一度集結し
若狭から朝倉方の越前金崎城に侵攻した事に端
を発し浅井氏や六角氏も是に呼応し甲斐武田氏
や三好松永氏や石山本願寺らも加わる織田信長
包囲網をも含めた騒乱の総称を『元亀の騒乱』
と言います。劇画は元亀元年の姉川合戦が物語
の巻頭に登場しています。

(元亀元年)は1570年同年6月姉川合戦、姉川の
戦い(あねがわのたたかい)は、戦国時代の元亀
元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月
9日)に近江浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市
野村町付近)で行われた合戦である。

◆北陸の浅井朝倉勢と対峙する東海の織田信長と
徳川家康は元亀元年の金ケ崎の失策を回復すべく
東海勢を動員した姉川合戦を展開しますが越前の
第一人者で当主の朝倉義景やその一族筆頭格の朝
倉式部太夫は姉川を軽視して本国に引き籠る体制
で朝倉景健を代行者として姉川合戦に臨むと言う
当時の東海経済権力と姉川の戦い(あねがわのた
たかい)は「北陸経済権力の対戦で一大決戦や難
局という意識は稀薄で越前朝倉方の認識不足であ
ったと考えられます。織田方は重要拠点横山城な
どを、姉川合戦により獲得します。

◆織田信長は天正元年の足利義昭への17ヶ条の
告訴状で次の如く元亀の年号に申し述べている。
元亀年号は不吉であると明言し天正への改元を
求めている。

一、元亀の年号、不吉に侯間、改元然るべしの
由、天下の沙汰につきて、申し上げ侯。禁中に
も御催しの由に侯ところ、聊かの雑用仰せ付け
られず。

◆足利義昭の突然の元亀年号奏上!
足利義昭は将軍に就任した際、元号を「元亀」
と改元する事を朝廷に奏請した(『言継卿記』
永禄12年4月8日条ほなど)。織田信長は『元亀
』が将軍権威の復活につながる事や、正親町天皇
の在位が続いているのに必要ないと反対した。
足利義昭は朝廷を説得するために下行費用の
名目で5000疋の朝廷への献金を実施(『康雄記』
同4月6日条)し、事もあろうか皮肉にも、織田
信長が朝倉氏討伐に出陣した4月23日、改元を
実行している。 『信長公記 巻六』によると、
元亀3年(1572年)9月に足利義昭に提出した17
か条の意見書で、「元亀の年号、不吉に侯間、
改元然るべしの由、天下の沙汰につきて、申し
上げ侯」と改元するよう申し出ている。義昭
追放後に改元を実行させた事からも、信長に
とって元亀の年号は大変不愉快なものだったと
推察される。
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明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場する本格劇画『元亀の騒乱』 2

2019-08-14 16:47:30 | 戦国
明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場す
る本格劇画『元亀の騒乱』 2

小野伸明先生の秀逸な劇画を紹介したいと思
います。先生の画業の斬新かつ素晴らしい作
品には敬服致します。小野先生の益々の御発
展と隆昌を祈念して『元亀の騒乱』を、是非
紹介したいと思います。

作品のネームつまりシナリオや原作は◆長谷
川博美が担当しています。また当ブログでの
解説も私が担当させて頂いております。なお
順番を追って紹介しますが皆様は順次ページ
を追って御鑑賞下さい。


下記の「長比」野瀬山砦とも言う。『嶋記録』
にも登場する。とは美濃近江国境の「たけくら
べ」長比城の事で信長と浅井が対立していた元
亀年間に長比城は近江国坂田郡の鎌刃城の堀氏、
樋口氏、が、この城塞を守っていたが信長方に
誘降されている。
「鎌刃」
   鎌刃城とは堀、樋口氏の城であるから
当然当時の南坂田郡は織田領へと編入されたと
思われる。『嶋記録』には国人領主今井氏の臣
下、田辺式部丞が信長に500石で召し抱えられ
る一節あり。
「横山」
横山城とは浅井方の重要な出城で坂田郡の東西
を眼下に見下ろす戦略上重要な城で姉川合戦の
後に木下藤吉郎が城番とされた大規模な中世城
郭遺跡。
「佐和山」
 佐和山城は浅井方の磯野丹波守が姉川合戦後
に8ケ月もの籠城戦を行った水陸の要衝を扼す城。
『嶋記録』には天の川流域の今井氏方の武将が
佐和山城に籠城した様子が詳しく記されている。
   この時の佐和山城包囲織田軍団の指揮官は
丹羽長秀が担当。『信長公記』によると彦根市鳥居
本の百々屋敷「どどやしき」に丹羽長秀は陣城を設
けている。現地の陣城は「とどやま」丸山に城郭
遺構が残存している。
   


◆③画面は浅井朝倉の志賀の陣で浅井朝倉に協力
した比叡山延暦寺の荒廃の様子を劇的に小野先生
は描いておられます。実際に火災で類焼したのは
根本中堂ではなく比叡山の坂本の里坊などの近辺
ではないかとされています。比叡山焼き討ちは元
亀2年9月の事です。

◆志賀の陣とは?
志賀の陣(しがのじん)とは、元亀元年(1570年)
9月16日から12月17日にかけて発生した織田信長と
浅井長政、朝倉義景、比叡山延暦寺の戦いを言う。
浅井朝倉方は総勢3万の勢力を盛り返して比叡山に
籠城して織田信長は苦戦し「天下は朝倉殿持ち候え」
と珍しく弱き下手に出て和議を結んで織田軍の危機
を回避します、勿論信長の言う天下とは近畿を中心
とした政権の事と考えられます。武家で初期の畿内
の天下人は三好長慶と一般に言われております。

◆④織田信長の物思いにふける信長らしい南蛮甲冑
が目を引きます。この頃の信長は既に総髪ではない
でしよう。しかし小野先生の総髪の信長像が当時の
信長の荒涼とした精神世界を見事に表していると言
えます。※斬新な南蛮具足にマントを羽織った織田
信長像がなんとも異形な信長ワールドを感じさせて
くれる画像。

◆元亀年号の出典拠の謎?
『毛詩』の「憬彼淮夷、来献其琛、元亀象歯犬賂南
金」と『文選』の「元亀水処、潜竜蟠於沮沢、応鳴
鼓而興雨」から。勧進者は式部大輔高辻長雅。とさ
れる。しかし韓半島には『元亀作封』と呼ばれる
言葉もあり今後も研究が必要であろう。
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明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場する本格劇画『元亀の騒乱』3

2019-08-14 16:46:07 | 戦国

明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場す
る本格劇画『元亀の騒乱』3

小野伸明先生の秀逸な劇画を紹介したいと思
います。先生の画業の斬新かつ素晴らしい作
品には敬服致します。小野先生の益々の御発
展と隆昌を祈念して『元亀の騒乱』を、是非
紹介したいと思います。

作品のネームつまりシナリオや原作は◆長谷
川博美が担当しています。また当ブログでの
解説も私が担当させて頂いております。なお
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◆元亀の年号不吉に候!
この有名な織田信長の文言は『信長公記』に
記された貴重な文言です。永禄13年4月23日
(ユリウス暦1570年5月27日) 戦乱などの
災異のため改元。元亀4年7月28日(ユリウ
ス暦1573年8月25日) 天正に改元。足利
義昭は自らが将軍に就任した際、元号を
「元亀」と改元するべく朝廷に奏請した
(『言継卿記』永禄12年4月8日条ほか)。
これに対して、織田信長はそれが将軍権威の
復活につながること、正親町天皇の在位が続
いているのに必要ないと反対した。しかし、
義昭は朝廷を説得するために下行費用の名目
で5000疋もの朝廷への献金を実施(『康雄記』
同4月6日条)し、信長が朝倉氏討伐に出陣した
4月23日、改元を実行している。

◆織田信長は天正元年の足利義昭への17ヶ条
の告訴状で次の如く元亀の年号に申し述べて
いる。元亀年号は不吉であると明言し天正へ
の改元を求めている。
一、元亀の年号、不吉に侯間、改元然るべし
の由、天下の沙汰につきて、申し上げ侯。
禁中にも御催しの由に侯ところ、聊かの雑用
仰せ付けられず。

信長は信長包囲網の中で悪戦苦闘を続けてい
た。『信長公記 巻六』によると、元亀3年
(1572年)9月に足利義昭に提出した17か
条の意見書で、「元亀の年号、不吉に侯間、
改元然るべしの由、天下の沙汰につきて、
申し上げ侯」と改元するよう申し出ている。
義昭追放後に改元を実行させたことからも、
信長にとって元亀の年号は不愉快なものだ
ったと推察される。

◆いよいよ藤吉郎の登場です。画像の藤吉
朗は骨太に描かれており我々一般のイメー
ジする、痩せて細いイメージとは異なりま
す。しかし是は秀吉の母や秀吉の弟秀長の
絵画画像も骨太に描かれており長浜時代の
秀吉像は意外にも壮健な骨太に描かれてい
ます。秀吉は後年太閤となり天下に君臨し
ます晩年には病気を得て衰弱していた可
能性があります。劇画の藤吉郎は主に
は忠儀を先輩には礼儀を配慮する柔軟な
秀吉として描かれています。左ページの
信長の後ろ姿には多数の武将を従えながら
も孤独な信長の憂鬱な精神世界が表現さて
います。宣教師達の信長の心象として普段
は陰鬱な暗い表情をしていたとあります。
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明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場する本格劇画『元亀の騒乱』4

2019-08-14 16:44:18 | 戦国
明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場す
る本格劇画『元亀の騒乱』4

小野伸明先生の秀逸な劇画を紹介したいと思
います。先生の画業の斬新かつ素晴らしい作
品には敬服 致します。小野先生の益々の御
発展と隆昌を祈念して『元亀の騒乱』を、
是非紹介したいと思います。

作品のネームつまりシナリオや原作は◆長谷
川博美が担当しています。また当ブログでの
解説も私が担当させて頂いております。なお
順番を追って紹介しますが皆様は順次ページ
を追って御鑑賞下さい。





◆劇画中の柴田勝家の文言が凄い!人間とは
迷信や風説の流布に簡単に惑わせられると言
及しています。詰り人間とは自分ではなく周
囲に生きている人々の噂や意図的に流されて
さいる言説に簡単に惑わされるものだと
言っております。柴田勝家は後年越前北庄城
主時代に宣教師達の布教活動は意外にも寛容
で越前での布教は「切り取り次第」である。
つまり布教活動は自分達の力量次第だとと述
べています。勝家の馬印は金の御幣であるか
ら勝家自身は神道系ではないだろうか?越前
の織田氏先祖の神社の奉斎においても織田信
長の代行者として赴いてる。また越前敦賀郡
の延喜式内社にも「織田神社」がある事も留
意しておきたい。

◆越前敦賀郡の謎の城郭状況
 永禄末期には越前朝倉氏は若狭守護職の
武田元明を越前に拉致し実質若狭を手中に
する目算で再三再四に渡り敦賀郡から若狭
に侵入しているのであるが、下図は越前若
狭の境界に存在する城址名称は控えたい
城址であるが図の左が若狭方面に位置し図
の右が敦賀方面に位置する。城郭遺跡の常識
として高所を占める右が本丸に相当しこの
城郭遺跡は越前から若狭方面に向って構え
られた城郭遺跡である事が解る。金ケ崎城
より手筒城よりはるかに戦国末期の城郭遺構
の様相を呈していると言えよう。この城の構
造は元亀の騒乱で朝倉方が陣した田部山城な
どと類似した城郭遺跡であり朝倉氏と言うよ
り北近江型の土塁陣城とも言えようか?

◆元亀の騒乱の仮説を立てる!
 元亀の騒乱が始まる契機つまり切っ掛け
は?織田信長が若狭の武藤氏から救援を受
けての若狭派兵である。
この時期若狭の朝倉氏に頑強に抵抗してい
た粟屋氏はどうしていたのであろうか?若
狭粟屋氏は国吉城を根城に親織田信長派と
して活躍した若狭でも傑出した武将である
と私は評価している。元亀元年に織田信長
が若狭から急遽敦賀平野越前に攻め込む際
にイラストにある様な陣城に越前勢が布陣
していたら全く信長は越前には侵入できな
かった事であろう!一応若越の紛争が一時
収束して、形式的には古い旧式の金ケ崎城
や手筒城へと朝倉勢が引き上げていた時期
に織田信長は若狭から越前に乱入したと歴
史の流れを仮定すると。元亀元年の頃の元
亀4年天正元年の北近江と若狭の浅井朝倉
方の城郭状況を知る必要がある。それを知
り得る文献とは何か?
◆文献『信長公記』の天正元年記の浅井
朝倉方の落城した記録だ。1573年8月25日)
天正に改元されている事にも注意!「同日
、落城の数、大づく、やけ尾、つきがせ、
ようの山、たべ山、義景本陣田上山、引
檀、敦賀、志津が嵩、若州粟屋越中所へさ
し向け侯て、付城共に、拾ケ所退散。」と
ある。是を現代的に解釈するならば

大づく、=大嶽城
やけ尾、=焼尾丸砦
つきがせ=月ヶ瀬城
ようの山=丁野山城
たべ山、=田部山城
義景本陣田上山=田上山城★
引檀=疋田の城つまり引壇城
敦賀=全く不明!金ケ崎城や手筒山城の
事か?花城山城の事か?それと下図の城
郭遺跡の事か?
志津が嵩=賎ケ岳城★
若州粟屋越中所=国吉城
へさし向け侯て、付城共に、=中山の
附け城など。拾ケ所退散。」
これらの浅井朝倉の城郭の内で★印の
ある★賎ケ岳城と★田上山城は1583年
天正11年の賎ケ岳合戦に再利用されて
いる事である。これに注意したい!
また敦賀の城とは金山城の事なのか後
の敦賀城の事なのか全く解らないので
ある。

◆賎ケ岳城の現況
 賎ケ岳城の現況としてはかって観光
開発された為に城郭遺跡の原型を完璧
にはとどめていない。しかし砦の周囲
は旧来の切岸を中心とした室町期の城郭
を思わせる切岸が残る。

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明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場する本格劇画『元亀の騒乱』5

2019-08-14 16:42:42 | 戦国
明智 羽柴 丹羽 柴田 織田信長が登場す
る本格劇画『元亀の騒乱』5

小野伸明先生の秀逸な劇画を紹介したいと思
います。先生の画業の斬新かつ素晴らしい作
品には敬服致します。小野先生の益々の御発
展と隆昌を祈念して『元亀の騒乱』を、是非
紹介したいと思います。

作品のネームつまりシナリオや原作は
◆長谷川博美が担当しています。また当ブロ
グでの解説も私が担当させて頂いております。
なお順番を追って紹介しますが皆様は順次ペ
ージを追って御鑑賞下さい。





◆信長が元亀年号を奏上してこれが認可される
も織田信長と対立する諸侯は依然として元亀4
年の年号を使い続けたとされます。年号とは、
時の為政者が選定し作成するものである事が
如実に現れております。
◆信長が気長な敵将誘導策戦を実行したのは
永禄3年に尾張桶狭間が顕著です。先ず信長
は永禄2年から気長に尾張大高城の今川方を
一年間包囲します。敵の今川義元が尾張に侵
入しても、清洲城で織田信長はのらりくらリ
と暮すばかり、ところが突然電撃の如く桶狭
間に突撃して今川義元の本陣を急襲して義元
の本体に決戦を挑み、義元本隊が約500m後
退したところをすかさず追撃追い打ちして今
川義元の首級を取り疾風の如く清須城に凱旋
する行動をとっております。今川は大高城救
援します。これを「後詰」と呼びます。
敵将を救援させておいて敵の本隊に急激なス
ポツト攻撃を仕掛けて後退する敵陣を強烈に
追撃する作戦を「付け入り」作戦つまり追撃
作戦が相手の後退に「付け入る」集中攻撃作
戦です。この作戦バリエーションが小谷城包
囲や虎御前山城築城でありましよう。つまり
は北陸王朝倉義景を打倒するには義景を近江
に誘引して是を打ち取る計画でしょう。小谷
城を落してしまっては越前朝倉は一乗谷に逃
げて越前を固めてしまう。
信長としては一乗谷に住む純然たる分限ある
武士階級3000人を討滅してしまえば朝倉の
雑兵8000人は脆く瓦解してしまう。そう
信長は策戦をシュミレートした事でしょう。
つまり大軍が二つに割れた時にその本隊
を直撃して主体を討滅する事を考えた事
でしょう。
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