地名や人名や方位から歴史を考察する歴史民俗学
◆湖北の人
この高時川にかかる橋の名をこう呼びます。
馬渡橋 もうたり 橋
馬上橋 まけ 橋
◆対談者
こんな読み方するなんて予想もつかず楽しいわ!
◆一般者
この投稿は全国に広がる八王子神社、山王神社、
日吉神社、日枝神社、近江国坂本を起源とする
事が理解出来て近江浅井氏の後継者が猿夜叉丸
である事も大きな歴史民俗学的視点と思います。
◆対談者
全国に存在する地名が比叡山日吉神社坂本関係
だと夢思いませんでした。比叡山の力の大きさ
◆長谷川
戦国武将武田信玄は天台座主にもなってますし
上杉謙信は比叡山に入山した経歴を持ってます
日本国の著名な宗教者の多くが比叡山で修業を
している事は事実で学僧の為の大学にも相当す
る学府の要素も強いのが比叡山延暦寺でもある
◆長谷川
城郭関連地名は400年前に実施された慶長
見地帳に記録された文献資料に準じる貴重
な地名資料と言えます。考古学の遺跡名称
が決定される基準は地籍名称を基準に命名
されます。
◆長谷川
近江の戦国大名浅井氏と越前の朝倉氏に所属
する城郭の小字名の共通根を見出し比較研究
する事により過去の朝倉氏浅井氏の提携関係
をも復元し考察する資料に成り得る思います。
◆長谷川
先ずは浅井氏朝倉氏関係の城郭における
1小丸地名を小字から抽出してみましよう。
★『小丸』★
越前 越前引壇城 現 福井県敦賀市所在
付記●朝倉氏/疋田氏の城郭
近江 近江小谷城 現 長浜市湖北町所在
付記●戦国大名三代三代の本拠の山城
付記●小谷城小丸地名は浅井久政隠居屋敷
近江 近江佐和山城 現滋賀県彦根市所在
付記●浅井氏披官 磯野氏 石田氏等の城
2、日吉、山王、信仰関連郭の小字地名比較
★『祭祀信仰関連郭』★地名
越前引壇城 日吉神社(小丸曲輪敷地内)
近江小谷城 山王丸 元山王権現奉斎
近江丁野山城 山王䑓 丁野郷、日吉神社
付記●浅井郡丁野郷は近江浅井氏本貫地
近江番場 日吉神社 鎌刃城所在地
近江太尾山 日吉神社 太尾山城所在地
付記●日枝 山王信仰の共通根の潜在
付記●比叡山 坂本等の共通信仰形態
3、馬場地名★『桜の馬場』★
越前引壇城 城下の東部に相当
近江小谷城 本城黒金門前相当
民俗学●さくらは馬事を比喩する言語 サクラ肉=馬肉
付記●近江浅井氏の属城「賤ケ岳城」東部に猿が番場地名
◆長谷川
★『鐘之丸』地名★
小谷城 鐘之丸=本丸相当
佐和山城 鐘之丸
彦根城 鐘之丸=本丸より先に鐘之丸完成
◆長谷川
★『千畳敷地名』★
小谷城千畳敷き
佐和山城千畳敷
◆長谷川
◆余談 佐和山城と彦根城類似地名考 移城地名考
太鼓丸
千畳敷
西之丸
油掛門
人質郭
京橋口
鐘之丸
◆長谷川
『三馬借』考察再考の余地あり
疋田の馬借 疋田 越前敦賀郡
小谷の馬借 小谷 近江浅井郡
坂本の馬借 大津 近江志賀郡
◆近江坂本の馬借一機
中世後期の主要な陸上輸送業者であった馬借が
蜂起した一揆。本来は延暦(えんりゃく)寺による
強訴(ごうそ)の一環として登場したが,のちに
土一揆の先頭を切った行動として注目された。
1418年に近江国大津(現滋賀県大津市)の馬借
数千人が京都祇園(ぎおん)社(現在の八坂神社)
を襲った事件は有名。この頃までは,近江国の
の強訴を踏襲する形で蜂起するのが一般的であっ
たが,1428年の正長(しょうちょう)の土一揆以後
,徳政を要求する土一揆が頻発し,その中で各地
◆土倉業者
も出現している。ただし、堅固な土倉の出現は鎌倉
時代後期とする説が有力である。なお、蔵書家として
これが当時のもっとも頑丈な倉庫であったと考えられる。
◆近江浅井氏に蔵名称あり
浅井直種 | |
---|---|
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 蔵人、蔵人丞(通称)、直稙、廣政 |
官位 | 備後守 |
主君 | 京極氏 |
氏族 | 浅井氏 |
父母 | 浅井重政 |
兄弟 | 忠政、直種 |
子 | 政種、亮政、井演、政信? |
浅井蔵屋
◆長谷川
★馬の世界★
古代浅井氏族浅井氏考
古代浅井氏に浅井直馬飼 「あさいのあたいうまかい」
越前中世朝倉義景館遺跡 水堀より出土木簡
にみる墨書に「御者 たやとの」
御者/ぎよしや=騎馬の調教をする人 牧野=マキノ
たやとの=田屋殿=高嶋市マキノ=高嶋浅井氏「田屋氏」
平安時代(927年)に編さんされた『延喜式』によれば、
奈良時代には北陸への交通の重要地点であったマキノ
町域(現滋賀県高島市)に官道が通り、「鞆結(ともゆい)駅」
が設置されていた。この鞆結駅から最短距離で敦賀松原駅
に至る黒河越え(白谷越え)がある。
↓きゅうえんしんこう
厩猿信仰=うまや/厩の神=さる
猿=比叡山の山神の使者
おうやまぐい=大山咋神と表記『古事記』では
別名を山末之大主神やますえのおおぬしのかみ
◆都の鬼門東北の概念
京都都京都御所(ごしょ)北東の角塀が猿が辻と
言われており鬼門東北隅に猿の木刻が残っている。
京都の内裏から見て北東の方向は比叡山延暦寺。
◆近江国の東北鬼門とは?
伊香郡の己高山鶏足寺に相当し宝物収蔵庫
己高閣には平安期の蓮華の葉を持つ木彫の
猿像が残る。
◆更に北の鉛比古神社の摂社日吉神社には
猿の姿を描いた「猿幕」が伝えられている。
◆戦国時代の浅井三代
一代 浅井亮政=浅井本宗家 宗女蔵屋の婿養子 備前守
二代 浅井久政 猿夜叉丸 下野守
三代 浅井長政 猿夜叉丸 備前守 一時賢政
四代 浅井三姉妹、
茶々(淀殿)豊臣秀頼生母
初(常高院)京極高次正妻
江(嵩源院)徳川家光生母
浅井備前一子美濃国関ヶ原で磔刑、天正元年
文献『信長公記』記載あるも本名は不明
万福丸=『浅井三代記』軍記物に登場するが猿夜叉
を使わず。万菊丸=浅井周防守井頼=豊臣秀頼家臣
◆問題提起!
浅井氏宗嫡子は猿夜叉が通例であり
万福丸は浅井備前の正妻の子息に在らず側室の子か?
浅井備前守の正妻お市の子に相当しない?歴史の謎?
類例 徳川家宗嫡子は代々竹千代=徳川家世襲名称を
若年より踏襲する。
山王信仰(さんのうしんこう)とは、比叡山麓の
全国に分布する日枝神社、日吉神社、八王子神社
の神社名称の総本山ともいえる祭祀の中心日吉神社