城郭 長谷川博美 基本記録

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越前若狭の城郭 城郭ビイスタ論

2022-09-02 17:15:51 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

越前若狭の城郭 城郭ビイスタ論

◆質問者

城郭ビイスタ論って一体何なのですか?

城郭ビイスタの動画視聴数が何故か2400

人も越えてます!長谷川先生って正直全

く知らない無名人私は無名の先生に興味

が全くないです私は知名度や肩書き銘柄

ブランド品を尊重する肩書第一優先主義

地域社会の群れの中で生きていますから。

 

◆世話人様

素晴らしい様式や優れた見解を持っ城の

先生に出会う出会う事は人の人生や生涯

の中で無理な事でしょう。何故なら魚類

図鑑、昆虫図鑑の著書を著しておられる

先生は魚類や昆虫を師として先生として

熱心に観察する気力観察力こそが重要な

事です。勝山の恐竜の化石も誰かが発見

したからこそ現代勝山恐竜博物館が存在

何が一番大切?現地の現物を見る事です。

 

◆対談者

庭を見るにも、城を見るにも、観る人間

が真剣に見ようとする姿勢や心構や精神

が大切、庭を観る目も勿論城を観る目に

も是を鑑賞する人の自身に心眼が開いて

いればこそ事こそ物事を正確に把握可能

できる、鑑賞眼、鑑定眼、洞察力が大切!

 

▼以下

一乗谷館 小浜城 福井城 丸岡城 

玄蕃尾城 彦根城 勝山城 ビイスタ論

 

 

◆一般者

長谷川先生が講師で越前一乗谷見学会が

あった。多数の遺構解説された事に関し

大変驚いた経験があります。庭園の扇の

要つまり庭園ビイスタ論「眺望論」見晴

にも感銘を受けました。現地の湯殿跡の

解説看板に「鑑賞地点」とありましたが

これはビイスタ視点「展望要点」ですね?

 

◆長谷川

貴方は素直で的確な庭園鑑賞能力を備え

ておられ素晴らしい洞察力に敬服します。

人の解説にたよる事より自分の鑑賞力を

養う事磨く事が豊かな生涯学習の要です。

●これは扇形ビイスタと命名します。

 

◆対談者

上の越前一乗谷の湯殿図に長谷川先生が赤線

で庭園のビイスタ図、見放ち図けを書き入れ

ておられますが自然地形を模した日本の庭園

でさえこれだれ見栄えを意識した設計が潜在

し、この日本城文化に我々は気付くべき事と

思います。同時に日本の城の系譜の文化論と

して城郭ビイスタ「放射線状縄張」とも言え

る日本古来から継承されてきた城の文化論と

して城郭幾何学設計論「城郭ビイスタ動画」

が戦前戦後と通しても目を見張る城郭論です。

 

◆質問者

織田信長の居城安土城天主の入口は我が

越前国の特産品である笏谷石が敷き詰め

られている事は日本全国の人が知る事で

まさか?まさか?天下の織田信長の居城

安土城も城郭ビイスタは存在しますか?

▲この段階では扇形ビイスタ工法です。

◆長谷川 勿論安土城にも存在しますし

▼太閤秀吉の肥前名古屋城に存在します

扇型ビイスタです。

◆一般様

うわわスゴイのね!?安土も名護屋も同じ

手法を駆使して築城している事に驚くわ!

 

◆長谷川

築城の事を中国から渡来した言葉として

「経始」と表現しています。日本庭園の

鑑賞地点とはビイスタ工法の集束点の事

で「扇の要」に相当すると言えましょう。

越前一乗谷朝倉義景館の湯殿遺跡の作庭

に私が赤線を更に加筆したごとく庭園は

庭園ビイスタ視点「扇の要」が存在する。

室町時代の作庭の高度なビイスタ設計術

を見落しいては折角の一乗谷の庭園作庭

技術を見逃してしまう事にもなりますね。

日本の作庭は芸術であり文化であり造園

業は土木工事の一分野と言える。また城

の扇の要たる集束型城郭測量法ビイスタ

工法を日本城郭史で見落としてきた事は

肝心要「かんじんかなめ」を見落とした!

温故知新的発想が不足していたと言える。

 

◆一般様

うわあすごい!「御庭」も「御城」もやっぱ

り人を感動させる為の作庭構造や城郭構造が

深く潜在してた事を初めて知ったわ!本当の

意味で日本文化の深淵と真髄を知りたいです。

庭も城も腰据えて見学する事が大事なんだと、

 

◆嶺南有識者 嶺南=福井南部の事

福井県大倉北遺跡では長谷川先生と対面

出来た事は幸甚な事でした気比史談会様

のお話や敦賀八幡神社の歴史民俗資料館

の御話など、野坂山を眺めながら楽しま

せて頂いた思い出があります。ところで

越前国の太守にして一乗谷朝倉館の主人

朝倉義景の館は正方形のキッチリトした

四角矩形の城郭ですが!先生は如何に考

えておられますか?長谷川先生の視点は

我々から見て稀有かつ驚異的にも感じる。

 

◆長谷川

文字言語で義景館正方形と吹き込まれな

い事が城郭講演や遺跡解説では重要な事

朝倉義景の館が正方形であったと早合点

する事よりも冷静に落ち着いて義景館の

平面形状を認識する事が城郭研究上重要

で主殿を中心とする殿舎群は確かに直角

を有する建築群と評価出来るが館の周囲

を取り囲む土塁や水堀背後の空堀は歪な

形状である現実を認識確認すべき事です。

これが城郭を見る目「素直」な純粋性で

あり「城の先生は人ではなく現地の城」

であると言う事です。率直に城を見る心。

 

◆長谷川

城の建物の作事「建築」作事奉行が設計

城の土木の工事「普請は普請部協が担当

するのが常識です。従って「建物と城郭」

の設計線や設計計画には必ず齟齬「ズレ」

が常に発生している事に留意すべきです。

 

◆有識者

長谷川先生!正直越前朝倉義景館には

先生が提唱される放射状縄張理論たる

「城郭ビイスタ工法」が潜在している

のでしょうか?潜在していたら驚く!

 

◆長谷川

存在します。建物配列と土塁水堀の

配列の両者は整合せず夫々独立する。

 

◆福井県民様

越前では長谷川先生のように庭や

城郭を解説される人はいませんよ。

ちなみに近世城郭の勝山城にビイ

スタ工法は存在したのでしょうか?

 

◆長谷川

存在したと思います。▼越前勝山城ビイスタ工法

▼別方向から城郭ビイスタ工法も存在

 

▼更に別方向から城郭ビイスタ工法も存在

 

◆滋賀県民様

滋賀では長谷川先生のように庭や

城郭をビイスタ解説する人は無い。

◆長谷川

義景館は

▼クサビ型 遠隔型 です。

▼朝倉義景館ビイスタ工法

 

◆長谷川

ちなみに若狭守護職武田氏の居城後瀬山城

と山麓居館「武田館」も一乗谷朝倉義景館

と類似した形状がありビイスタ工法の可能

性があろうかと思います。考察しましょう。

水色が義景館と同じく居館跡の水堀です。

▼重複型ビイスタ工法です。

◆長谷川

さて朝倉義景館ですが

放射状ビイスタ工法だけでなく青線表示

の対角線状の幾何学縄張も読み取れます。

中央放射型と遠隔クサビ型の複合型です。

◆長谷川

山麓ビイスタ工法は近江佐々木観音寺城

の六角氏館と日吉神社や教林坊などにも

潜在していると言えます。

▲並立型ビイスタ工法です▼

◆長谷川

山麓ビイスタ工法の好例として織田信長築城の

近江安土城の山麓居館跡の伝前田利家邸などに

も、その建物配置に片鱗が見られると思います。

▼扇型ビイスタ工法です。

 

◆長谷川

ちなみに越前朝倉氏と旧交が深かった近江

浅井氏の小谷城下にもビイスタ工法は採用

されております。

▼小谷城下は扇型とクサビ型ビイスタの併用です。

◆一般者

すごいよ!長谷川さん!全く新しい日本

の城郭理論が展開されていて本当に驚く!

 

◆長谷川

興奮せずに落ち着いて下さい。尾張の

守護所清須館に複数ビイスタ工法が潜在

した可能性があります。勿論城にもね。

 

▼小谷城の京極つぶらのビイスタ工法

◆長谷川

この写真では相対型ビイスタ工法を用いてます。

別角度から分析するとクサビ型と遠隔型も併用。

◆長谷川

戦国時代北近江守護職京極氏に代わり

戦国大名として台頭した近江浅井の城

には前時代の守護京極氏の城館と言え

る『京極つふら」がありますがこの城郭

構造にもビイスタ工法が潜在してます。

 

◆有識者

全く別視点の城郭視点、城郭理論とも言える

『城郭ビイスタ論』に驚くばかりですが城郭

ビイスタ論動画を見ると日本の古代から幕末

まで城郭ビイスタが存在した事に驚きます!

これはもう一目瞭然の扇型ビイスタ工法だ!

「長崎出島」のビイスタ論も納得しましたが

「川崎台場」もビイスタ論は該当しますか?

やはり日本も分度器、分度法を用いて歴史的

景観を設計してきた経緯がありますから是非

◆長谷川

該当すると思います。扇型ビイスタ工法で縄張。

 

◆長谷川

これは文禄慶長の役の時に羽柴秀保の陣城に

も対角線縄張幾何学施工を読み取る事が可能。

御舎御殿群は一乗谷義景館と同じく90度直角

を用いた雁行型の普請をしていますが周囲の

石塁石垣は「かたくなに」放射線に拘ってる。

建築は作事奉行が担当。築城は普請奉行担当。

この二元性を理解して置きましよう。

羽柴秀保陣のビイスタ工法 二方向からのビイスタ線

これは重複型

▼安土城天主石蔵の対角線縄張 

 方位学、家相学をも包含する。

これは中央放射型ビイスタ

 

◆長谷川

また朝倉義景は元亀年間近江浅井氏救援の為

に大嶽城に布陣した事にも注目して下さい大

嶽城も見事な城郭ビイスタ工法が存在します。

◆長谷川

越前太守朝倉義景の城館は越前の城や

館を考える上で基調で基本、根源的な

城館遺跡と認識すべきだと思います。

朝倉義景館にビイスタ工法が使われて

います。この義景館は当時越前で最も

高い武家社会の階層に位置した人物の

城館ですから非常にビイスタ工法自体

が日本の城にとり重要な基本構想だと

私は思います。徳川四天王彦根藩井伊

氏の居城の「玄宮園」と呼ばれる施設

は城主の庭園と言う意味だけではなく

都に住まいされる天子様が戦乱に遭遇

された場合井伊家は速やかに天子様を

玄宮園つまり「北の宮の園」へと保護

する役割も担っておりました。彦根城

の井伊氏の平素の居館は表御殿ですが

この彦根城で最も安全な場所とはやは

りかって湖水「松原内湖」に面した城

湖水を最大限の利した後ろ堅固の水城

とも言える松原方面を重視すべきです。

『信長公記』でもやはり織田信長とは

芹川に材木を松原内湖に流し込み松原

で長さ30間「約54.9m」の湖上要塞と

も言える大船を尾張の岡部又衛門を棟

梁として建造していた事やまた百閒橋

が内湖に存在し彦根城の水辺の玄関

「ウオーターフロント」やはり松原で

あると言へ浜御殿もある。従って松原

方面から彦根城の城郭ビイスタが存在

した事も考える事が大変重要な事です。

彦根の松原の「主水町」などの旧町名

も彦根水軍の非常に重要拠点の意味が

存在いたします。

 

◆有識者

越前一乗谷の阿波賀も一乗谷の川湊の

であったと聞いてます。阿波賀三の丸

つまり外郭に相当すると言われる場所。

 

 

◆長谷川

近江浅井氏小谷城下には船場辻地名が

残っております。これも川湊でしょう。

勿論越前疋壇城にも船場の跡あります。

さて

1越前疋田

2近江小谷

3近江佐和山

各城に共通した「小字」が存在します。

どうぞ私の動画視聴をお願い致します。

 

 

◆若狭の人

若狭上中の者です。小浜城にビイスタ工法

は存在するのでしょうか?

◆長谷川

小浜城に中央ビイスタ工法が読み取れます。

また南からの遠隔ビイスタ工法も読み取れ

ます。これは福井城にも読み取れるのです

小浜城では中央ビイスタ線が天守も含めて

青色線放射集束点のなかに存在致します。

 

▼小浜城

南からの遠隔ビイスタ工法線です。

◆長谷川

小浜城には様々なビイスタ工法が存在

した可能性が考えられます。「規矩術」

◆敦賀様

敦賀で注目される学者とはだれですか?

 

◆長谷川

敦賀から徒歩で京都に至って苦学の末に

東洋史学の礎を打ち立てた偉大な人物は

桑原 隲蔵くわばら じつぞう  でしょう!

 

 

◆敦賀様

やはり長谷川先生が敦賀市が誇る玄蕃尾城

に城郭ビイスタ工法が存在する事を看破さ

れる城郭研究家としてその力量に驚きます。

 

◆嶺北様

そうそう、越前丸岡城に城郭ビイスタ工法が

存在する事も解説された事にも驚きましたよ!

◆嶺北様

ところで我々福井県民の誇りでもあり県庁

所在地の福井城そのものに城郭ビイスタ論

は適応できるのでしょうか?福井城の図面

を何度見ても私なんか全く解らないんです。

 

◆長谷川

やはり福城も緻密な城郭ビイスタ工法を

用いた幾何学設計理論が成り立ちますよ。

 

▼福井城青色放射線ビイスタ工法 加賀口門もビイスタ工法の範疇

 

◆福井様

城郭見学城郭見学研修で関西東海では有名

なウッデイパル城郭フオーラムとは福井県

に近い位置にウッデイパルがありますか?

▼余呉城郭研究会【県外からの参加者が多い傾向】

福井県石川県富山県北陸方面の方は大歓迎します。

◆長谷川

敦賀市に隣接した長浜市余呉町にあります。

どうぞ越前若狭方面の方々は宜しく御願いを

申し上げます。私の言葉のイントネーション

も若狭言葉にちかく福井の嶺南地域の人々の

言葉に近いと思います。若狭方面は昔は一時

滋賀県にも所属されていた経緯もあります。

御城印は

JR北陸線木ノ本駅「おかん」で発売され

余呉観光館やウッデイパル余呉で販売され

ています。写真は余呉観光館で撮影した物。

▼滋賀県米原市太尾山城を解説する著者

▼米原学びあいステーシヨンで城郭ビイスタ講義

◆令和4年5月28日 午前10時より 参加費500円

 長谷川博美 歴史城郭講座

 次回は5月26日木曜日です。問い合わせは上記電話番号へ

▼近江坂田郡の長比城のビイスタ工法

◆対談者

長谷川先生の彦根城ビイスタ論では松原内湖

側からビイスタ工法が施工されていたと理論

には承服や納得がいかないのですが?勿論!

松原内湖には百閒橋があり彦根城北の湖水

松原内湖から彦根城の天守や各楼閣の見栄

えつまりビイスタや展望ポイトが存在した

事には納得出来るのですが彦根城ビイスタ

構造に僕は承服しかねる違和感を感じます。

◆長谷川

城郭の古図を観察する時に「この古図」の作者

は彦根城の本丸を何れの方向から作図している

かで古図作者の心理を洞察し作者の図面視点が

何処にあるのか?看破する力量や観察力推理力

が必要となってきます。下図の書き手でもある

作者は彦根城の中核たる部分の「本丸」を松原

内湖方面から見ていた事は明白です「本丸」と

北から見る図である事を深く読み取りましょう。

コメント (7)
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