城歩会 新城郭発見 秦川山松尾寺山 南山城発見
◆一般者
城歩会や長谷川先生は老舗だと
聞いております。研究家として
新城郭を発見される傾向があり
既存の城郭を模倣して発表する
既知、物真似型と異なる本物の
オリジナル型の研究家さんです。
◆城歩会 会員様
以前城歩会では秦川山/松尾寺山
に3城発見され縄張図を作成され
見学会もされました近江金剛輪寺
の裏山には寺院勢力「金剛輪寺」
の宗徒が避難する詰めの城が存在
した事は容易に理解出来ますね。
▼松尾寺村山/秦川山の南に位置する山尾根
◆長谷川
あの山頂は地理的要因から
考察して山城が存在する事
でしょう。すこぶる要害性
が高く城郭を構えるに最適
◆質問者
近江国愛知郡秦川村とは?
◆ウイッキペデイアより引用
現在の愛荘町の東半にあたる。
地理[編集]
- 山岳:秦川山(松尾寺山)
- 河川:宇曽川
歴史[編集]
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、
- 松尾寺村・斧磨村・岩倉村・竹原谷村・常安寺村・
- 東出村・上蚊野村・北蚊野村・軽野村・安孫子村・
- 円城寺村・西出村・深草村・目加田村の区域をも
- って発足。
◆対談者
長谷川先生が指摘されたら
私の経験から100%城址が
存在する可能性が高いと思
います。滋賀県内で先生は
全く知名度がないのですが
県外の人々には特別な専門
家として認識されています。
◆反論者
ウソだよ!城跡などある訳
がない。我々には理解不能
長谷川など信じられない!
◆長谷川
感情で会話しないで下さい地
理歴史の基礎があれば解る事
以前に発見しておいた金剛輪
寺背後の3城の配置は西、北、
東、がそれぞれ分布していた
それなら南城を配置する事が
城郭配置や分布の基本ですよ。
◆一般者
長谷川さんの城郭分布配置と
私達の知ってる城郭分布配置
と大きく異なってきてますが?
◆長谷川
図書と現実は常に異なります。
昭和の社長は現地抜き打ちの
視察を行って現場確認してま
した羽柴筑前秀吉とて下見や
現場視察は前準備は頻繁実行
◆反論者
存在するワケないだろう!
長谷川なんぞニセ者だぞ!
◆長谷川
余りに峻険な山岳なので行くのが
危険でイヤで私は山がキライです
◆質問者
もし城郭遺跡を発見された場合に
この秦川山南城址は誰の城です?
◆長谷川
この城址に一番近い集落は上蚊野
に相当致します江戸期に編纂され
た『近江国南北諸士帳』に上蚊野
佐々木随兵 蚊野右馬亮とありま
すからこの武士が城主の可能性あ
るかと推定致します佐々木六角氏
の家臣が割拠した城郭と言う事か
と推定致します。
◆反論者
上手く逃げ口上を言うヤツだな!
ブログも読まれていないし新城等
発見出来る訳ない馬鹿だ!縄張図
も書けないニセ者研究家だもんな!
◆長谷川
その通り人気も知名度も全くない
でも一度例の山に行って見ますよ。
◆多賀田さん
犬走りも削平段もあり城跡です。
縄張図のDポイント削平地写真。
◆長谷川
それでは縄張図で南秦川山城
平面構造を概説致しましょう。
B 巨大かつ長い竪堀が存在
し誠に圧倒されます。
A 城址山頂はあまり明確で
なく削平は良くありませんが
周囲の犬走りや竪堀は確認が
可能です。城跡の東西は概略
55mになり南北なんと110m
一町ほどの本格山城と言う事
CDEFGと郭が存在致します。
Eは犬走りに囲まれた郭です。
Fは低土塁を使った小砦です。
Dは完全に削平された明確な
曲輪であり写真撮影しました。
D▼
◆長谷川
F曲輪は低土塁を用いた典型的
な小陣地であり整合性がある。
◆質問者
この城址には堀切遺構確認が
出来ませんが?不可思議です。
◆長谷川
秦川山/松尾寺山山頂の城郭
からこの南城に兵員を増援
し易い構造になっています。
この秦川南城で防戦出来な
い場合山頂詰城に避難する
事を前提とした南出丸的な
可能性があると思います。
◆質問者
城歩会でまた勉強会を開催
し山城見学される予定は?
◆長谷川
この山は険阻で岩肌続く
危険な山城です。安易な
個人探訪は事故に繋がり
この山城探訪は御勧めは
私は致しません!行かな
い事が賢明だと思います。
◆質問者
城歩会で勉強見学会開催
を強く希望致しますが?
◆長谷川
この山は野猿の群れ生息
しイノシシの足跡も散乱
しています。適切な安全
登山靴やザイルロープや
参加者全員が軽はずみな
行動をしない条件が揃っ
た場合のみ見学計画しま
す。この城址は観光行楽
ハイキングの世界でない
危険登山ですから無理だ!
歴史城郭研究家 長谷川博美 予定
令和5年11月16日 城郭講座講師
場所 ★米原学びあいステーシヨン
演題 永源寺町和南城/秦川山南城
様式 パワーポイント画像
城郭縄張図面解説等
時間 午前10時~11時30分
参加費 500円
予約★0749-52-2240