城郭 長谷川博美 基本記録

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大坂城天守砲撃! 鉄板装甲の船 鉄板装甲の城を考察する。

2023-12-05 17:29:35 | 歴史講座

大坂城天守砲撃! 鉄板装甲の船 鉄板装甲の城を考察する。

 

◆質問者

徳川と豊臣の大坂の陣の様子

を大河ドラマで見まして大砲

に違和感を覚えました。また

大坂城天守が脆くも崩れ去る

様子は奇異に私は感じました。

 

◆長谷川

そうですか?慶長期に入ると

和製の大筒より強大な威力を

持つ大型砲が外国から導入さ

れた事は史実です当り前の事

と私は思う私から見れば大坂

方とは何やってんだと徳川と

の合戦に臨むならば砲撃に備

えた城壁をデフエンシブに防

御を時代に応じて修築すべき

先見性が豊臣方には見られな

い。外郭に畝堀や様々前時代

の防御設備は存在するが砲撃

には弱く淀殿方は何やってる

のかと?大坂城天守鉄板装甲

らい時代に即応応した築城

改装すべきが合理的でしょう

豊富な豊臣蓄財で装甲大坂城

を改修すべきたったのでは?

 

◆長谷川

淀殿から見て実母兄に相当する

織田信長でさえ九鬼水軍に鉄板

装甲の軍船を築造させて木津川

表の船戦で毛利水軍に勝利して

る。そういう銃砲戦に対応した

軍船の臨機応変シフトチェンジ

は信長の発想の転換力が機敏!

 

◆質問者

天守閣に鉄板を装甲させた城は

存在したのですか?それは無い!

 

◆長谷川

それ言うまでもなく福山城天守

で砲撃予想される北面壁側のみ

鉄板装甲している事は城やって

る人は100%知っておられます。

外国製の輸入大砲により天守閣

が司令塔としての役割や高層の

見張塔としての役割も江戸期に

入ると消滅し徳川幕府でさえも

大火より焼失した天守閣を再建

しなかった。これはワザト天守

を再建しなかった潜在的可能性

もある将軍は別名「御所様」で

であり楼閣に住まいする貴人で

はなく御殿や殿舎に居住する人

家康は言うまでもなく大御所様

 

◆質問者「女性1」

大坂城の女主とも言える淀殿

は近江小谷城主浅井備前守の

長女、茶々ですが、天正元年

の小谷城落城や養父柴田勝家

の北庄城の落城を目にしてる

女性だと思います。城は落城

し武家とは滅びる事が命運と

常に考えていたのしょうか?

 

◆長谷川

さあ私は淀殿浅井氏ではない

ので彼女の心理は解りません

意地だけで合戦は勝利不能で

 

◆質問者「女性2」

私が淀殿だったらとっとと江戸

に人質として行くわ豊臣家安泰

や遺児秀頼の存命安全策を願う。

また江戸城の御台所様つまり妹

「江」とものんびり姉妹待遇を

楽しみ菓子食べたり箱根温泉や

湯島弁財天見物や鎌倉の旧跡を

見学したりエンジョイしちやう

江戸関東風光やアズマは良いよ!

 

◆質問者「男性」

さあ淀殿の本心や本音は解らない

実父浅井備前や養父柴田修理また

実母お市の方を殺した秀吉の子供

秀頼の生母となり豊臣政権中枢を

確保した以上それを保守して維持

を望む淀殿や取り巻き一門衆は必

ず存在する。

 

◆質問者

何故小谷城攻めの時に織田信長

は大嶽城から小谷城を攻めたの?

秀吉京極丸攻めて浅井久政自害

本丸の浅井長政を赤尾曲輪へと

追い込み自害に追い込んだの?

 

◆長谷川

これは城攻めの常套手段ですね

大嶽や京極丸などの小谷本城よ

り高い位置から攻略する事こそ

兵法の常道で高い位置の城から

つまり詰めの城を攻略したら低

い位置の本丸が陥落する事など

は時間の問題と言うのが定石!

越前で言えば手筒山城を攻略

すれば金ヶ崎城は陥落は必定!

それを防ぐ為に手筒山舞崎の

城塞群が構築されてた訳です

見るべき遺構はチヤント見る

 

◆質問者

さて今回は大坂城天守が鉄板で

装甲されていなかったから天守

が危険だったと言う事で鉄板の

装甲を施した耐火や砲撃に強い

小谷城の表玄関は何処だったの

かと言う事なのです小谷城表門

とも言える黒鉄門くろがね門は

厳重な鉄板装甲でこれを織田方

は回避して大嶽城や京極丸落と

て小谷城本丸を落としたと思う。

 

◆長谷川

本当に小谷城黒鉄門が鉄板張

りであつたかは確証がありま

ん。ただ小谷城の現況を見る

限り大きな城道を設定した構

えで城下から迫りくる外敵を

城内から大兵を繰り出し出撃

撃退しやすい構造になってる。

従って堀切は設けず出撃のみ

優先の縄張構造が読み取れる

これ安土城の黒鉄門など全面

に堀切を掘らずにむしろ門で

強固に防衛して階段を出撃に

適した縄張にしています陰陽

で例えるならば城内から出撃

をし易い陽の構造になってま

す。勿論安土城には他の曲輪

には堀切を掘削したものあり

安土城の表門とも言える黒鉄

門は防御よりも立派さを誇示

する為の構造だったかもしれ

ません。復元された大垣城の

鉄門なども興味をそそります。

何しろ鉄板装甲と言う事です。

◆対談者

長谷川先生の講座の特徴は

90分の講座なのに30分位の

時間経過に感じて眠くなら

ないのが特徴だと思います

引出が多く毎回講座が話題

◆長谷川

米原での講座は銃砲戦へ

展開するかもしれません

歴史上の有名な砲術家の

逸を連続させる可能性も

ありますが。明智十兵衛

橋本一巴、橋本伊賀守や

稲富一夢、杉谷善住坊や

鈴木孫一や杉坊妙算とか

限りなく脱線したり石山

本願寺城攻めて信長自身

が鉄砲の銃撃で負傷の事

など予定は未定と言える。

 

 

令和5年12月21日木曜日

午前10時から11時30分の

お城古今東西おもしろ学

です。参加費は500円で

参加申し込み先は

0749-52-2240

米原学びあいステーシヨン

米原駅西口より徒歩約5分

の利便な場所での講座です

米原の方は旧米原公民館の

施設や場所と全く同じです。

 

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