旧二条城と軍記物『浅井日記』『浅井三代記』の注目点
質問者
文献一次資料『信長公記』を第一級文献資料とする気風
が社会に存在すると思いますが?
長谷川
それは文学部文献史学過程をへて文献史学論文を作成
され文献とは何かをよく御存じの研究家の方の見解で
しょう。偽書や二次資料を研究資料として文献史学の
論文を作成した場合その卒論は却下または不可と酷評
されます。簡単に言うなら文献史学の立場にある人。
また社会には偽書がどの様な過程で偽書として成立し
たのか参考資料として玉石混合の二次資料を冷静かつ
客観的に分析検証する歴史研究家もおられます。また
軍記物を最初から史書ではなく軍記物という一種小説
の様に鑑賞される軍記物を文学分野として鑑賞楽しま
れている方々と多いと思われます。御存知大河ドラマ
は歴史再現劇ではない事は国民の皆様はよく御存じの
事かと思います。歴史を学ぶのであれば教育テレビの
歴史番組をみる事、大河ドラマとして娯楽番組として
家族で楽しむ方々は社会に多いと思われます。何も
大河ドラマを見て小中学生が必死に歴史の勉強として
必死にメモを取る人はまず無いです。大河は娯楽です。
長谷川
日本で布教活動をしたポルトガル宣教師ルイス・フロイス
の記録『日本史』には、旧二条城は現在の二条城以前、
永禄12(1569)年2月に工事を開始、常時15000人から
25000人の人役を投入70日間程でほぼ全容を整えたとい
う事、短期間で築城する為に石垣の石材に近郷の石仏・
板碑・燈籠等を収集し、積み込んだと記載されている。
対談者
大河ドラマ麒麟が来るような旧二条城天守が実際に
存在したのですか?時代考証として的確ですか?
長谷川
旧二条城
永禄12年(1569年)に織田信長が、第15代
永禄12年(1569年)に織田信長が、第15代
将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、
この石碑を中心に、約390m四方の敷地にほぼ
70日間の短期間で、二重の堀や三重の「天主」
を備えた堅固な城を築いた。周辺からは金箔瓦
も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に
石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は
泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと
推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・
フロイスの記録等より)その後、信長は旧二条城
から義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ、
城は「二条御所」として使われていたが、室町
幕府の滅亡に伴い廃城となった。天正4年(1576年)
に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材
として再利用された。現在の二条城は、徳川家康に
よって上洛の際の将軍の居館として慶長7年(1602年)
に築かれた。と言う事です。
長谷川
上記文言で考古学的事実つまり私の作成した
最下図によると旧二条城から出土した金箔瓦
や石垣、石仏、石造美術品、人骨、石垣、堀
跡、城郭遺跡遺構とはB考古学に分類されま
す。大河麒麟が来るの旧二条城の景観は勿論
最下図の
◆旧二条城
宣教師ルイス・フロイスの記録『日本史』
によると「信長は多数の石仏を倒し、首に
縄をつけて、将軍足利義昭の為の二条城の
工事場に引かしめた。都の住民は、これら
の偶像「石仏や石造品」を畏敬していたの
でそれは彼らに驚嘆と恐怖を生ぜしめた。」
と続く文献が残っている。宣教師ルイス、
フロイスは信長、存命中に実際に織田信長
に会見しいているのでこの記録は文献と言
える。昭和の旧二条城発掘により地下鉄工
事の現場から実際に多数の石仏群が出土し
ている。安土城を見学して石段に織田信長
が墓石や石仏を実際に使っている事は皆様
周知の事実であろう。
◆『浅井日記』の旧二条城築城記録
『浅井日記』は後世製作された軍記物で
あり文献史学の立場ににある文献史学者
は是を用いて論文を作成する事は先ずは
ない事だろう。『浅井日記』は文献史学
の見地からは軍記物として史学資料とし
ては用いられないのが常にである。浅井
備前守長政は織田信長と縁戚を結び自ら
の居城は北近江の小谷城に構えた武将で
ある。現在のところ小谷城から石仏墓石
を石垣に使用した事例は報告されいてな
い。さて『浅井日記』には以下の信長を
批判する浅井長政の文言が収録されてい
る。『浅井日記』歴史的事実と整合しな
い部分も多く、文献史学に資する、一次
資料と言へない書物、しかし今回の投稿
では厳格な意味として文献資料として私
は採用しないがここでは参考資料として
引用してみたい。
▼黒川蔵本『浅井日記』より永禄の記述
『浅井日記』は文献ではなく後世の文学作品
として楽しむ場合長政の言葉、「神を後ニシ
己ヲ先トスル者、果たして天の責アリ」と表
現し信長批判を浅井長政の名を借りて作者が
織田信長批判している場面が大変興味を引く
また現在のところ浅井長政の小谷城址に石仏
を使っていない事にも興味をそそるのだが?
『浅井日記』は下図歴史観光一覧表のE軍記
に分類され一次資料文献と一般にみなされて
いません。
◆ルイス、フロイスの『日本史』の旧二条城
この城には二重の水堀、三カ所門の堡塁など
や堀に掛けられた跳ね橋も記されていて水に
因む出水の多い平城の様子が描写されている。
◆昭和の旧二条城発掘
件の結果として多数の石仏や堀に採用されて
いる内畝など検出されて城郭の水堀の水位を
安定いわゆる水戸違い、つまり水位調節機能
がある事に注目したい。それは水田の畝の様
に隣接する水田と水田を畝で区画し水位を保
つ機能を有している。右の堀の水位が上昇す
れば左の外の堀へと水を導く、オバーフロー
機能を持っている。
◆『浅井三代記』の物語る織田と浅井の対立
※浅井三代記も文献史学では軍記物として文献
としては採用されない資料であるが大変興味を
引く事に旧二条城の水堀の排水を巡って織田と
浅井で旧二条城の堀掘削作業現場で喧嘩騒動が
発生した事を三代記が記している事に私は興味
を引かれる。しかし一般に『浅井三代記』とは
下図の歴史観光分類表によれば、E軍記に分類
される。
『浅井三代記』元禄12年
長政上洛 附二條喧嘩の事
斯て京都本国寺におはします義昭公の許へ三好が
一家、正月三日に押込て、急難にあはせ給ふ旨、
岐阜へ注進有しかば、信長聞かけに馳上り給ふ。
浅井も聞よりはやく上らるゝ間、信長卿よりは
一日先へ打て参着す。されども将軍恙も渡らせ
給はずして、寄手悉敗軍する故、長政は清水寺
成就院を宿坊と定めて居給ひける。信長卿も同じ
く十日の日、御上着被レ成一條妙覚寺を御宿坊と
被レ遊けるに、洛中の名人等我も/\と縁を取、
御目見申上る。信長卿御前へ召出され、対面し
給ひ被レ仰けるは、清水寺に着坐する浅井備前守
長政は我等が大切に存するむこなり、彼者が方へ
も見まはれよと被レ仰ければ、浅井威勢はつのり
けり。かくて信長卿、将軍義昭公へ被2仰上1ける
は、今度の急難に被レ為レ逢事も偏に御坐所あし
き故なり。今度は本の御所を普請可レ仕と被2仰上1、
則畿内近国の人歩を入、二條の御所をば四方へ一
町づゝひろげ可レ申との評議なり。御普請は信長卿
と長政と両将として請取給ひける。則信長卿の奉行
には佐久間右衛門尉、柴田修理亮、森三左衛門に
弓鉄炮者相添らる。浅井方の奉行には三田村左衛門
大夫、大野木土佐守、野村肥後守三人に申付らる。
かくて去年浅井箕作の城の攻手の時働にぶく候故、
信長卿の弓鉄炮の者共、浅井足軽共を内々雑言す。
又奉行に付居る者共も是を聞、内々無念におもひし
に佐久間右衛門尉丁場より三田村左衛門大夫が丁場
へ水をかへ込候處に、左衛門大夫が侍是を見て、某
が丁場へ水をかへ入る筈にて候や、子細可レ承と申
ければ、佐久間が侍共申けるは、其方の請取の丁場
へすてずして何方へ持ほこぶべき、何浅井のぬる若
が者共とていよ/\水をかへこめば、浅井が足軽共
は聞かねて、三百計一度に簀の棒をはづし、佐久間
が者共とたゝき合けるが、浅井が者共つよくして
佐久間が者共を追立る。それよりして森、佐久間、
柴田見かね、打物のさやはずし、かゝれ/\と下知
をする。浅井方にも兼て無念に思へば、三田村、
大野木、野村三人一度に切立売堀川迄追立る。又
信長の物頭共にも聞かけに出合、浅井が勢を二條
迄追下す。又浅井が荒手二百計馳来り、信長の者共
を立売迄追立、双方相引にのきにけり。其時両方に
て討るゝ者百五十とぞ申ける。野合の合戦にもか程
多くは討るまじきに、かく大きなる喧嘩は候はじと
京中にての評議也。森、柴田は信長卿の御前に伺候
して、右の次第を申上、浅井に御目見せ、よきゆへ
如レ此の狼藉仕候間、今度は浅井に一入付可レ申と
御訴訟申上る。信長卿喧嘩の次第一々御吟味被レ成
被レ仰けるは、去年箕作を攻る時、浅井がふりにふき
ゆへ汝等が者共雑言かな申つらん。浅井が家は弓矢取
てほまれあるぞ、かさねてもかまへて/\がさつなる
事申かけ不覚を取など被レ仰て、さらぬ體にておはし
ましければ、森、柴田も信長卿取上させ給はねば、
いきほひかゝつて居たりし者共もせん方なくてぞ居
たりける。浅井此喧嘩の旨を聞、自然信長方より人数
を可レ寄かとて清水寺に人数の手あてをしてぞ居たりける。
翌日に公方より信長浅井両人が者共和睦可2申付1とて
御宿坊に被2仰付1、各和睦したりける。かくて普請成就
して公方御座をうつされける。
歴史観光分析表
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