◆北近江歴史研究会 新聞第2号
長浜市内で堅実な活動を続ける『余呉城郭研究会』
の会長生月茂氏は令和4年6月18日賤ケ岳合戦の越前
北庄城主で羽柴秀吉と本能寺の変以後天下の覇権を
かけて争った賤ケ岳合戦の勝家側の本陣玄番尾城見学
を実施し更に近隣山林中に所在する城郭遺跡全長
南北約109m東西約54.9mを計る大規な模城郭遺跡
を発見した事を発表。同遺跡は元『滋賀県中世城郭
分布調査』で現地調査員として滋賀県下で活躍した
北近江歴史研究会会長滋賀民俗学会理事長谷川博美
氏が現地調査を長年継続してきたフィールドワーク
の現場に相当する遺跡でもあり前余呉城郭研究会会
長の田畑喜久氏の助力のもとに現地遺跡の略測図縄張
図を作成し当日現地遺跡確認を会員各位の支援協力
をも得て実施された。長谷川氏の解説によると江戸時
代初期膳所藩の儒学者、寒川辰清が著した『近江輿
地誌略』には内中尾山「玄番尾城」から行市山まで
幅三間の長さ一里「4約K」の作り道すなわち幅5.49
mの軍道の存在を記録しており。これが今回の遺構に
該当すると言う驚くべき見解を提示した。会員諸氏は
利根坂/久々坂とも言う急壁の難所を山尾根の雑木林伝
いに進行して遂に南北約109m東西約60mを計る巨
大城郭遺構を現地で確認して驚きの声を上げた。長
谷川氏の解説によれば城郭と城郭を結ぶ連絡補給休憩
の為の役割を果たした柴田勝家側の『伝えの城』『繋
ぎの城』の可能性を示唆した。当遺跡は軍記物等の二次
資料や文献一次資料にも登場せず山影の地形に隠れる
様に隠された隠し砦として賤ケ岳合戦際の柴田方前線
行市山城と本陣の玄番尾城を連結する繋ぎの城と研究
会会員は考えている模様だ。今回の見学研修会は敦賀
市民も参加されており敦賀市長浜市連携した新たな嶺
南部と滋賀北部の観光活性化に繋がる一助として今回
遺跡発見の意義が大きいと会員諸氏が熱く語る場面に
も遭遇した。しかし長谷川氏の助言によれば現地は山
深く野生動物も多く一般的なハイキング愛好家には
適さない難所の連続で十分な注意装備が必要との事!
なお長谷川氏によると膳所藩の城、膳所城縄張と玄番
尾城の縄張り形状はともに軍学を応用した城郭として
興味深い比較研究論図提示しており、城郭研究上の造
詣の奥深さを改めてみる思いがした。
▼玄番尾城の馬出と横郭
▼膳所城 江戸時代初期の平面形状
▼行市山城と玄番城の中間地点にある謎の城址
▼林間に密かに築城された陣営の土塁跡
ウッディパル余呉 『余呉城郭研究会』
◆参加者の声
参加者1
玄番尾城研究研究歴50年に及ぶ古豪城郭
研究家長谷川先生に面会の機会を得て幸運
◆参加者2
行市山と玄番尾の中間地点に巨大な城郭
遺構がある事は風の噂で聞いていましたが
果たして現地に到着するとその規模に感激!
◆参加者3
玄番尾城の構造を時間をかけて詳しく説
明されてた事に驚きました。
◆サポター
今回は玄番尾城の解説は普段の3/1程度
に省略されました。今回は利根嶺の城塞
群の解説に時間をかけられました。城は
複雑な大規模遺跡ですから簡単に説明す
ね様では城郭遺跡解説とは言えませよ!
◆参加者4
長谷川先生の玄番尾城見学に何度参加
したか判りませんが、毎回玄番尾城の
出丸や出城の見学も加味され僕は満足!
◆参加者5
先ず膳所城と玄番尾城比較研究を通した
縄張の類似性を長谷川先生が指摘された
事に先生の非凡な洞察力を感じたました。
◆参加者6
利根嶺の城よりも玄番尾城の巨大さに感動!
◆参加者7
利根嶺の尾根上に鉄砲戦に備えた「塹壕」
を50カ所以上見学した累々と続く大蛇の
背中のような連続土塁がまるで波の様に
私の眼前に出現して見学会は騒然とした。
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