滋賀の城 長浜の城 余呉の城 城郭掌握術!
特報!賤ケ岳合戦最前線 !堂木山城の驚異的出丸発見
生々しい天正11年賤ケ岳合戦の最前線の様子を知り得る
具体的に知り得る貴重で特異な現地歴史城郭遺跡の実態!
南進する猛将柴田勝家を跳ね返す秀吉方鉄壁鉄砲迎撃用陣城 秀吉の頭脳はまるで近代戦を心得た柔軟かつ斬新な陣地構築! ▼その繊細緻密な臨戦城郭遺跡は400年経過したとは思えない! ▲当該城郭遺跡見学会の告知 日時 令和3年3月20日土曜 午前10時10分 場所 JR北陸線余呉駅集合 堂木山城見学 主催 余呉城郭研究会 長浜 生月茂会長 講師 元滋賀県中世城郭現地分布調査員 滋賀民俗学会理事 長谷川博美 参加費 2500円 予約先 ウッデイパル余呉城郭係 ☎0749-86ー4145 特典 弁当資料現地遺構解説 |
◆長谷川
この堂木山城は山路正監正国の第二次の陣城です!
長谷川
以下の書籍には山路正国が詳しく記述されている。
山路正国はこの堂木山城6カ所の砦の一体何処に?
陣営を置いていたのでしょうか?令和3年3月20日
に堂木山城の陣営すべてを現地見学学習致します。
▼上記書籍より抜粋
▼上記書籍より抜粋
日時 令和3年3月20日土曜午前10時10分
場所 JR北陸線余呉駅集合 堂木山城見学
主催 余呉城郭研究会 長浜 生月茂会長
講師 元滋賀県中世城郭分布調査員
滋賀民俗学会理事
長谷川博美
参加費 2500円
予約先 ウッデイパル余呉城郭係
☎0749-86ー4145
特典 弁当資料現地遺構解説
★城の本質をワシつかみする柔軟思考とは?
◆長谷川
今回の投稿のキモ要点は人間の5本の指です!
その深意を読み解く為に最後までお読み下さい!
女性なら一本つづつ異なる柄のネールアートか?
◆対談者
長谷川先生の現地城郭解説には、常に衝撃を
受けます。知らない現地遺跡を見て仰天する!
◆対談者
話は変わりますが、以下の虎御前山城の図面
「伝木下藤吉郎の陣」長谷川先生のイラスト
詳細に遺構が記録されていて衝撃を受けます。
◆長谷川
この図で注目して頂きたいの場所は左端の延々と
掘削された塹壕と長い土塁そして伝藤吉朗陣には
中央に古墳を利用した高台「櫓台」現在も残る事。
◆一般者
長谷川先生は古墳も城郭もイーブンに形状を知る人!
冷静に遺構を評価出来る幅広い見識と知識の持ち主。
◆対談者
この虎御前山城の評価として
①藤吉郎「秀吉」の陣とする素直に解釈する人
②賤ケ岳合戦時に土塁を改修された秀吉方の城
北国脇往還通路確保の為の砦とする説
③織田信長の虎御前山城の本陣とする説
3説が存在しますが長谷川先生は如何に?
◆長谷川
もし賤ケ岳合戦時の砦と仮定した場合は
この伝藤吉郎陣の見学会を、賤ケ岳城郭
フオーラムに加える必要があろうかと思
いますが?私は現実現場主義者です虚説
を軽々しく述べる軽率な性質を持たない。
◆対談者
先日の長浜市田上山城見学会でも土塁の
遺構の他に東側面にある巨大武者隠しを
見た高月史談会の方これ見て仰天された
腰を抜かされた流石長谷川先生だけの事
はある!また田上山城か何度も行く田上
山と軽く見てた、この巨大腰郭を見せら
れて先生の学術研究家の資質に驚嘆と!
◆長谷川
私がスゴイのではありません。この巨大
な腰郭に驚嘆された人は一流の歴史城郭
を見学する基本資質を着々と備えて来た
と言う事の証明です城を冷静評価する人!
◆対談者
長谷川先生と城址見学すると佐和山城の
巨大立土塁とその尾崎の法華丸を連結す
るいわゆる「長塁形土塁」を解説された。
立ての長塁は、多賀の男鬼城の解説でも
長谷川先生の解説は真に圧巻圧倒的です。
◆長谷川
私が圧倒的解説をしている訳ではありま
せん城の根本たる城郭遺跡が雄大荘厳な
だけであり、私は城郭調査の素朴な基本
に従い乗っ取りって土塁を参加者の方々
に素直に純粋な心で解説しているだけの
基本に則した原則的な事を述べています。
城を真剣に見る事の大切さは先生自体
が教えてくれるもので、城郭遺跡自体が
ウソ偽りを述べない真の先生で現実です。
下図の右が長尺立ての土塁「二重堀隔壁」→
▼男鬼城(入谷城とは別のところにチヤントある)
◆対談者
今度の令和3年3月20日は織豊系陣城の典型で
秀吉方の堅固な陣城堂木山城見学会ですね?
下の新聞に登場している立派な堂木山の城!
◆生月余呉城郭研究会 会長
長谷川先生!なぜこんなにも堂木山城の本丸「主郭」
は田上山城本丸「主郭」よりも巨大なのでしょうか?
突然山中に出現する巨大な土塁の規模は何度見学して
も驚きます。長浜市内の人々はこの様な立派戦国野外
博物館と言って過言でない長浜市の観光発展資源です!
◆長谷川▲
まるで海岸に打ち上げられた紅クジラでは
ないのかと見間違えるほど異様な城壁の跡は
この余呉堂木山城の賤ケ岳合戦の現状を生々
しく令和に生きる我々長浜市民の眼前に顕示
し訪れる人を驚かせる貴重な歴史遺産!広域
の長浜市の未来の観光資源の一端と成り得る
北近江戦国野外博物館と言っても過言でない。
堂木山城の本丸「主郭は詳細に観察すると」3
段に区画されていて田上山城の2倍に相当す
る広々とした面積約300坪ほど面積があります。
▼400年前の賤ケ岳合戦に使用られた堂木山城の土塁「城壁」
◆対談者
野球は一塁二塁三塁本塁と塁を踏む事です。
城は土から成る=城の漢字で基本は土の城。
塁を踏む事。塁を見る事が両者の基本認識。
▼さて五本の指の深意とは何でしょうか?
◆長谷川
城郭とは城郭群から成立しています。10年
籠城した大坂石山本願寺城は『信長公記』
によりますと52ヶ所出城が存在したと
記録しています。日本最長の籠城戦記録
を持つ石山本願寺城の強さはこの52ヶ所
の出丸と紀州泉州方面からの兵糧補給が
利便であったと『信長公記』は記してい
ます。城郭群と補給線と完備により日本
史上最強の城郭であったと言えましょう。
城郭を群として考える事が如何に大切か
ライフラインの確保と一点守備ではない
群集する砦の点と点を結節された防衛線。
◆一般者
普段私達は古戦場探訪では石碑に到着し
て写真撮影して終り、古城を探訪しては
石柱石碑の写真を撮って満足してますが?
◆長谷川
それはそれで良いのですよ。それは人間性
を取り戻す精神的なリクリエーションです。
日本語に直訳すると英語の再創造と言う事。
◆長谷川
先頃田上山城の見学会では多数の出丸を
見学して参加者様に大変好評を得ました。
天正11年4月に繰り広げられた柴田勝家
と羽柴秀吉の賤ケ岳合戦あの猛将と謳わ
れた柴田勝家が堂木山城を落城する事が
出来ずに賤ケ岳にも到着せず敗北します。
柴田は猛将だが敵中突破が出来ずに堂木
山北山麓にある今市狐塚までしか陣を進
められなかった是は猛将の柴田ではなく
秀吉方が巧みな布陣配置を展開させ柴田
を賤ケ岳に寄せ付けさせなかった秀吉方
の用意していた城郭施設ではないですか?
つまりインフラと言いますが堅固な防衛
施設が北国街道を南進する柴田勝家の
軍隊を完全に封鎖した事を意味します。
柴田の南進を阻止する為には東野山城
の城塞群が形成され堂木神明と連携し
て堅固な羽柴方の陣地構築をした事を
意味します。つまり堂木山城は最前線
の城で最前線の重要防衛城郭そのもの、
◆反論者
そんな最前線を封鎖した文献が有るか?
◆対談者
論より証拠我々余呉城郭研究会は歴史
の現実現場を見る貴重な長浜の会です。
◆長谷川
解りました。人間の指は5本の指で物を
把握します。この堂木山城も優れた5本
の指が存在します。5カ所の出丸見学し
て初めて人間の指で言う五指に相当する
堂木山城の織豊系陣城として機能を把握
出来ます。令和3年堂木山本城と合わせて
5つの出丸砦を全てを見学致しましょう!
◆一般様
なるほど5指を見て初めて堂木の手が解る!
いやいや当時の武将の駆け引きが城郭群か
ら解るのか?それって画期的学術性が在る!
と言うか、砦の点だけ石碑見て終りの観光
とは根本的に価値観が違う警察のドラマで
言うならば科捜研「科学捜査班」に相当!
◆反論者
えらそうに生意気な事を言うんじゃない!
お前ら素人の余呉城郭に何が解るんじや!
◆長谷川
素人ゆえに柔軟に言論や文字歴史のみに
惑わされずに驚くべき「立て土塁遺構」また
塹壕陣地の実態を見学できます。恐るべき
現地遺構を冷静に確認し初めて本格古戦場
見学と言えます。この遺跡は5カ所の中の
堂木山城の出丸の1つの鳥瞰図です。古墳
「前方後円墳」の前方部の周囲には周堤
を巡らせて勝家軍の南進に備えた驚くべき
出丸が存在します。遺跡の左手にある堀切
も深々と生々しく掘削されています。また
この遺跡見学の眼目や白眉やキモと言える
当該ブログで頻出する立て土塁のそれです。
何もひハイキングで賤ケ岳合戦の最前線を
歩くと題して是に参加しても同時実際遺構
つまり最前線の要塞を見学するのは余呉城郭
研究会唯一と言えましょう。立て土塁の長さ
は約54.9m約30間k戦国城郭の実寸数値です。
▼Ⓒ2021/3/20 長谷川博美城郭イラスト
南進する猛将柴田勝家を跳ね返す秀吉方の鉄壁鉄砲迎撃陣城
秀吉の頭脳は近代戦を心得たような柔軟かつ斬新な陣地構築!
賤ケ岳合戦の実像は秀吉の狡猾さ柔軟性VS柴田勝家の硬さ!
◆城郭見学者
スゲエ!なんと言う斬新な最前線の陣地陣城だ!
円形銃座と長塁を見事に組み合わせた珠玉の砦!
本当に目が醒める!先生是非私もお連れ下さい!
◆長谷川
五ケ所の堂木山出丸の全ての図面を作成しました
五ケ所の砦はそれぞれが個性的な戦国城塞です!
▼余呉城郭研究会 生月会長の現地踏査の様子
▼余呉城郭研究会 堂木山城 案内看板を修繕作業は真に地道