◆対談者
長谷川先生から『信長公記』
を学びましたが
天正2年(1574年)1月27日
の記録に以下の記録がある事
ここに登場する恵那遠山氏の
明智城にはビイスタ工法存在
致しますか?是非御教示を!
明智の城いゝばさま謀叛の事
正月廿七日、武田四郎勝頼、岩村口に相働き、
明智の城取り巻くの由、注進侯。則ち、後詰と
して、二月朔日、先陣、尾州・濃州両国の御人
数を出ださる。二月五日、信長御父子御馬を出
だされ、其の日は、みたけに御陣取、次の日
高野に至りて御居陣。翌日、馳せ向かはるべ
きのところ、山中の事に侯の間、嶮難・節所
の地にて、互ひに懸け合ひならず侯。山々へ
移り、御手遣なさるべき御諚半ばのところ、
城中にて、いゝばさま右衛門謀叛侯て、既に
落去。是非に及ぱず、高野の城御普請仰せ付け
られ、河尻与兵衛を定番として置かれ、おりの城、
是れ又、御普請なされ、池田勝三郎を御番手にを
かせられ、二月廿四日、信長御父子、岐阜に御帰城。
◆反論者
恵那遠山氏明智城のビイスタ
あろうはずがない自然地形の
山城にビイスタなど絶対ない
◆長谷川
一度検討してみます。先ず
中央ビイスタがあると思う
これで概略縄張されてます
城のセンターポジションと
私は考えております。
◆質問者
筑前 御飯ノ山城を長谷川先生
は赤線でビイスタ解説され大変
驚きました。この遠山氏明智城
にも連続竪堀が存在します明智
城の竪堀や主郭の設計つまりは
縄張はビイスタ工法なのですか?
◆長谷川
主郭周辺は重複型ビイスタ
を用いて築城しております。
◆長谷川
武蔵今井城なども重複型ビイスタ
◆長谷川
肥前名護屋の木下俊延陣も
同様の重複型ビイスタです。
▼
◆質問者
武蔵今井城には美し放射
状ビイスタが存在したが
この明智城にありますか?
▼武蔵今井城ビイスタ
◆長谷川
規模壮大なビイスタが存在し
曲輪はこの線により配列され
ております。
◆質問者
天空の城も言われる但馬竹田
城にもビイスタ工法があるの?
◆長谷川
上図のように美しいビイスタ
工法か竹田城に存在致します。
◆質問者
円弧の測量を用いた場所も
恵那明智城には有りますか?
◆長谷川
主郭廻りは円弧測量を用いた
縄張の可能性があると思う。
◆質問者
重複型ビイスタ工法は
この明智城にあります?
◆長谷川
下図の様に青腺と赤線を
交えたビイスタあります。
◆質問者
真田の上田城の様なWビイスタ
の技巧は恵那明智城に存在する
のでしょうか?
◆長谷川
恵那明智城にもWビイスタと
思われる測量点が読取れます。
◆反論者
長谷川さんの城郭研究は邪道
にして異端で城郭測量の根本
に適合していないと確信する。
◆長谷川
さてそうでしようか?我々現代
城郭愛好家は城をこの様に測量
する基本原則が存在した事など
無視して拒絶拒否すれば城測量
に根幹を置いた日本の築城術は
全く葬り去られ無視される事に
なります。城郭研究の進捗また
城址見学の大道を決して見誤る
事はならないと、常々思います。
城の基本って何でしょうかね?
講師の私が先生ではなく城自体
を一生懸命見学しようとする心
城を見学したい真心こそ哲学!
城見学をなおざりにしない事!
▼纏向弥生宮殿ビイスタ工法
▼備中松山城城郭ビイスタ
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