◆御意見役
米原学びあいステーシヨンから
関ケ原まつり見学会に行かれた
時の長谷川先生はネクタイ着用
をされていて参加者様には好評
だったとの事です。正装された
長谷川先生の県外での大講演は
何度も何度も拝見させて頂いて
おり滋賀県内と県外での空気は
全く違っております。令和5年
10月21日の余呉城郭研究会様
の玄蕃尾城見学には県外の人も
何にか必ず参加されるとの情報
です参加人数の多寡に関わらず
先生は初対面の方に現地見学会
の講師であると言う事を一目見
て解る様なネクタイを着用して
紳士として敬意や礼儀を尽くさ
れるべき身だしなみが必要です。
◆長谷川
貴重な御意見を賜り感謝致します。
私は1980年代より活躍させて頂い
て活動履歴の長い講師なのですが
時代は2023年です。初対面の方々
も多いと思われます。講師らしい
クタイ着用は礼儀として重要だと
思います。貴重な意見に感謝です。
◆『信長公記』受講者
斎藤道三と織田信長会見をした時
織田信長は普段の粗野な服装から
シフトチェンジし室町大名が着用
する正式な殿中装束で会見に登場
会見の席を圧倒した場面がある事
時と場合TPOに合わせてる事重要
◆対談者
長谷川先生の見学コースや解説
は参加する度にバリエーション
を変化されます。その変化球や
基礎理論や引出の多さはまるで
多様な編曲を駆使する音楽家!
▼過去写真です。
◆長谷川
天正11年の賤ケ岳合戦最大の城郭
は何と勝者羽柴秀吉方の城郭では
なく敗者の柴田勝家の内中尾山城
/玄蕃尾城が最も巨大と言え城郭の
ビイスタ構造も見事だと言えます
歴史の結果や歴史の現場の現実の
矛盾は絶えず発生していて玄蕃尾
城の巨大さは織田家筆頭家老格の
城として訪れた人々を圧倒します。
◆推薦者
歴史城郭研究家長谷川さんの研究
家としての玄蕃尾城研究履歴とは
1981年昭和49年にまで遡れますか
ら今から42年前には既に玄蕃尾城
の全貌を捉えている先駆的研究家
城郭本舗とも言える長谷川さんの
現地解説を私はイチオシ推薦です。
▼民俗文化昭和49年長谷川作成図
◆長谷川
令和5年10月21日玄番城見学会です。
講師を務めます宜しく御願いします。
今回の見学会の特徴PR
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旅情紀行PR編
①越前近江国境の初秋景観抜群
②時に鹿も鳴く奥山深山の旅情
③明治宰相伊藤博文柳ケ瀬隧道
④信長VS朝倉の利根坂古戦場!
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遺構PR編
①全長270mを超える巨大城址
②巨大堀跡は貴方を確実に魅了
③城址には天守台跡と礎石残存
④発達した城郭縄張は織豊城郭
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見学PR編
①巨大玄蕃城パーフエクト見学
②見落としなく迫力写真撮影可
③資料は柴田勝家北庄城玄蕃尾
を併記させたA4、10ページ力作
④当日併せて北庄城の解説実施
▼申し込み先は下記からどうそ
集合場所をよく確認下さい。
◆対談者
玄蕃尾城の構造たるや想像を絶する
弩級の規模をしており圧倒的ですね。
◆対談者
北伊勢では柴田勝家方の友軍
瀧川儀太夫が峯城で善戦して
いますね。この時期の峯城の
天正11年期の陣城の様子は?
◆長谷川
峯城北城が手前から食違虎口
外枡形、内枡形、奥に天守台
も構えた織豊系城郭でしょう。
ビイスタとしては赤線の扇型
が読み取れます。見事な縄張。
◆長谷川
緑色のビイスタ線等も見えます。
◆長谷川
前面にもビイスタ線が読み取れます。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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