城郭 長谷川博美 基本記録

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太尾山城 見学会レポート報告

2022-08-21 11:16:23 | 見学報告

◆質問者

石田三成辞世の句とは?

 

◆長谷川

「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と

ともに消えゆく 我が身なりけり」

8月22日眼下に望まれた景色こそ

が三成の言う筑摩江だったのです。

 

◆質問者

何故羽柴秀吉は秀長に命じ

て長浜市丹生谷の小原へと

木之本町黒田の住民を夫丸

に駆り出しているのです?

 

◆長谷川

長浜市高時川上流は丹生

谷丹生川と呼ばれてます。

小原は越前岐阜方面とも

間道を通し、通じてます。

秀吉は高時川上流丹生谷

へと作業員を派遣した人

間道閉鎖と警戒を彼は抜

かりなく怠ってません。

また古代は余呉が越前

への正式通路ではなく

高時川上流こそが元来

越前への正式な路でした。

 

◆質問者

余呉東野山城を見学しま

した。何故高時川上流の

丹生谷に掘を深く土塁を

高く構築してるのです?

 

◆長谷川

賤ケ岳の合戦は北国街道

余呉庄を中心とした合戦

なのですが歴史現実とは

常に異なっている事があ

ります。歴史は勝者が記

録しており自分達に都合

の良い事を書いています。

東野山城が丹生谷側土塁

が高い事は丹生谷に軍事

緊張が存在した証拠です。

城を見る基本は土塁が何

にむかって高く敷設して

いるかを、知る事が基本。

 

◆質問者

長谷川先生と余呉町の下

丹生砦や摺墨砦を見学し

て驚いた経験があります。

丹生谷に賤ケ岳合戦の時

の軍兵が進駐したのなら

堀秀政方の将兵は坂田郡

へと戦利品を持ち帰る事

は当時の社会現象だった

のでしょうか?

 

◆長谷川

伊香郡の将兵が犬上郡に

侵攻した場合伊香郡へと

戦利品を持ち帰ってます。

信長は今川義元の佩刀を

分捕ってますそれが戦国

戦利品は戦国期の社会の

特徴であつた現実歴史が

あります。例えば賤ケ岳

城の陣鐘は木之本黒田の

大澤の寺に返して欲しい

旨の嘆願書は残ってます。

 

◆長谷川

22年8月22日の米原歴史

紀行の結果報告をします。

先ず米原駅を出て米原氏

の城館の跡の水堀見学を

致しました。これが①番

次に小谷吉継の首塚見学

を実施致しました②番と

言う事になります。

そこからは米原太尾山城の

形状がよく視認出来る位置

でした。太尾山の東山麓に

は大谷と呼ばれる小字に館

が残っております。その道

は8月22日に見学解説して

います。

◆質問者

うかしいじやありませんか?

大谷吉継は長浜市小谷出身

説はもう定番になって来た。

何故米原に大谷吉継の首塚

があるのですか?変ですよ?

 

◆長谷川

そこは自分で考えて下さい。

 

◆長谷川

次の見学場所は願乗寺所蔵

の余呉町菅波地区から米原

に梵鐘が移動された件に関

太鼓櫓と梵鐘見学しました。

これが③番見学になります。

これは城郭の門矢倉の見学。

真宗寺院様で言う、太鼓門。

鐘の丸の語源は梵鐘を城内

で打った事が始まりで陣城

では陣鐘を使います。

 

◆歴史探訪愛好家

そんな素晴らしい探訪会なら

何故ブログで事前に紹介しな

いのですか?

 

◆長谷川

私のブログ誰も読んでません

読んでいてもせいぜい20名様

紹介しても意味がないのです。

 

◆質問者

うかしいじやありませんか?

何故余呉丹生谷菅波の岩本寺

六所権現の梵鐘が米原に存在

するのですか?

 

◆長谷川

そこは自分で考えて下さい。

 

井戸町踏切も見学しました。

有名な井戸村与六作職書付

(さくしきかきつけ)を是

い出してください。

これが本日の④番目見学。

 

◆長谷川

次に向かった場所は岩脇山

城跡と岩脇氏舘跡を見学し

ました。岩脇山山頂にて早

めの昼食を取らせて頂いた。

岩脇山が⑤番見学、館跡が

⑥番見学です。⑦が善行堂

で城郭の懸造り「懸造」の

学習目的としたものです

◆長谷川

次に岩脇山山麓の太平洋戦争

末期に掘削された蒸気機関車

用の退避濠を2箇所見学です。

これが第⑦番の見学でした。

◆長谷川

次に西円寺山砦の竪堀を遠望

しました。これが第8番見学

◆長谷川

次に岩脇道踏切を見学しま

した。これは小字岩脇道か

ら踏切名称がつけられてる

勿論中世はこれが北国道で

あり太尾や番場へと連結

する重要な要衝、通路で

この岩脇道が第9番見学で

す。我々は米原高校へと

向かう途中にトトロの森

女山を見学第10番見学で

またこの土地が「小字」

「ふとんぼ」で太尾坊の

意味です。これが⑪番見

学です。米原坂で合戦が

あったと言う事でここが

米原坂古戦場で⑫番見学

◆長谷川

我々は太尾山「盗人岩」の

巨岩の岩場で暫時休息して

太尾城北城へと向かいます。

これが⑬番⑭番見学場です。

 

◆長谷川

次に我々は太尾山城南城へ

と大小の櫓台の見学をする

これが⑮番見学と言う事に

 

▼楼閣のイメージ

◆長谷川

無事下山して山麓の湯谷神社

に参拝休憩した後に解散しま

した。これが16番見学でした。

 

◆歴史探訪愛好家

是非参加したい見学会の様子

です。城郭と歴史と交通歴史

を関連づけて見学されてます。

 

◆一般様

随分と余呉と米原は関係が

深い事を知って驚きです!

 

◆長谷川

余呉城郭研究会ですからね。

 


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