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太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、年端もいかぬ少女が出てき、黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰ってしまった。
その夜、道灌がこのことを家来に語ると、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつもない貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、歌道に精進するようになった。
というのが、太田道灌の山吹伝説。15世紀ごろの話です。
歌道に精進するのもいいが、蓑も買えない庶民がいるということをどう思ったんでしょうね。
しかし俗人には「山吹色」といえば小判の色、つまりお金です。こっちの方に興味があります。