伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

先週のいわき民報「くらし・随筆」は「尾根の雲見て」

2021年10月26日 | 遠野町・地域
 尾根の上に細長くかかる雲を見て、いろいろな情景が頭に浮かんだ。



 まずは、いわき民報で昔読んだ勿来高校科学部の入遠野で発生していた立ち枯れに関する研究の記事、そして、最近の毎朝の散歩で見る朝のもやがただよう景色、かつて、中学校のPTA役員をしていた時、校長を務めていた先生が地域振興協議会でした遠野地質などに関する講演。これらを組み合わせれば一つの記事を書けるだろう。そう思って、「くらし・随筆」の題材とすることにした。



 題材が決まれば後は書くだけ。締め切り2日前、明日は用事があるから今日のうちに書いておこうと考え書き始めたのだが、これだけの材料がありながら、なかなか脱稿できない。
 最初に書いた文章は、制限字数440字をはるかに超え、700字近くになって、まだおちがついていない。これはいけないと思い、文章を削り、整理を繰り返した。たぶん、10回程手を入れなおして、やっと制限字数程度に収まりそうになった。しかし、おちがしっくりこない。文章のテーマがはっきりしていないからだった。

 この記事に苦労した原因は、ここにあった。記事の材料はありながら、この材料で何を表現するのか、つまりテーマをおぼろげであっても意識できないまま書き始めたので、おちがつかず最後の最後で苦労したということだったのだ。おちの文章は、5度程度は書き直した。その積み重ねに、やっとおぼろげながらその方向が見えた。それは、小さな、たった一つの出会い、それがどんなにちっぽけでありきたりのものであろうと、そこに広がる深い歴史と景色を見せてくれるので、そのことができるように、常に心のチャンネルを開いておきたい、だったようだ。

 もっとも最後の一文は、今になってたどり着いた境地で、脱稿した段階では気づいていないのだが。

 掲載記事では、山肌に沿って上昇した湿った空気が雲を形成したのかもしれないと書いたが、この湿った空気の部分は、朝冷え込んで草や木の葉に結んだつゆが蒸発してもやとなり、この湿り気を含んだ空気が上昇し雲になったのかもという、1日の時の移ろいを入れててみたのだが、字数の関係で削らざるをえなかった。残念。

 さて、「くらし・随筆」の担当回数も、あと1度を残すのみだ。



尾根の雲見て



 衆議院解散の数日前、入遠野に向け、車を走らせていた。
 運転席の右手に、湯の岳から三大明神、鶴石山と続く山並みが見え、尾根沿いに、細長く白い雲がかかっていた。
  ◇
 雲を見て、酸性雨が騒がれていた頃の本紙記事を思い起こした。入遠野に見られた立ち枯れの原因を探る、たぶん勿来高校化学部の研究の報道だった。
 記事は書いていた。勿来地区の工場地帯由来の汚染物質が、海風にのり、谷あいを縫って入遠野に到達。前述の山並みの山体に沿って上昇、雲となり、酸性雨を降らせ、木を枯らした。
 細長く白い雲も、湿った空気が同様に上昇し、発生したのかもしれない。
 遠野の地盤は、ユーラシアプレートと太平洋プレートの間に、フィリピン海プレートが入り込んで形成されたという。山並みはこの時生じたのだろう。この変動がなければ、雲は見られなかったかもしれない。
  ◇
 遠野を挟む東西の山並みには、湯ノ岳断層、井戸沢断層がある。震災の1ヶ月後、大余震を引き起こした。
 尾根にかかったただの雲が、地域の遠い過去と今を紡いで見せてくれたひとときだった。


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