伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

おらおらでひとりいぐだ

2018年01月24日 | 読書
 2017年下半期の芥川賞は、石井遊佳さんの「百年泥」と若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」が選ばれた、大衆文学の直木賞は、門井慶喜さんの「銀河鉄道の父」が選ばれました。ニュースを聞いていたら、若竹さんは岩手県遠野町出身で、訛を取り入れた純文学、門井さんは銀河鉄道、すなわち宮沢賢治の父が題材です。

 石川啄木の歌があります。

ふるさとの訛なつかし
   停車場の人ごみの中に
      そを聴きにゆく

 函館から東京に出た啄木が、厳しい生活の中で故郷・岩手を懐かしみ、東北の玄関口の上野駅に、故郷の匂いに触れようと出かけていく、そんな場面をうたった歌だと記憶していますが、それに近い感傷かもしれません。また、昔、そう二十歳の頃かな、枕のように厚い井上ひさしさんの著書「吉里吉里人」に書かれた全編のズーズー弁を、理解できない言葉を読み飛ばしながら通読しましたが、それと同じ思いからかもしれません。「おらおらで・・」に興味を持ち、「銀河鉄道・・」は、宮沢賢治の作品を好きという理由から興味を持ち、受賞発表の翌日に購入してきました。

 まずは、一昨日に「おらおらで・・」を読み終えました。


写真の本の黒い部分に、撮影する私が映り込んでしまいました。実際のブックカバーには人影はありません。


 書かれた方言には、時折「何だっけ」と考えなければならないものがあり、読みが止まる場面はありましたが、吉里吉里人ほど理解に苦しむものではありませんでした。岩手の訛りには多少慣れがあるものの、標準語の文体に慣れた感覚は、方言の文体をすらすらと受け入れてくれませんでした。最初の方は、方言の部分の意味することの理解に若干戸惑いながら読みすすめました。もっとも後半では、その文体にも馴染んできましたけど。

 物語は一人暮らしの桃子さんの、孤独への葛藤を軸に展開していきました。桃子さんが一人暮らしとなったのは、夫との死別が直接の原因ですが、家を出た子どもたちと疎遠になっているのは、子どもたちとの確執が原因のようです。その辺は詳しく表現されていませんが、娘の直子には、兄ばかりが大切にされたという思いからの反発のようなものがあるようです。当初は寂しくないと強がっていた心持が、やがてこのまま一人死んでも構わない、いやむしろ亡夫のもとに行くことを肯定的に思い描くように変わっていくというお話です。

 この桃子さんの葛藤部分が、時には桃子さん本人であり、ばっちゃんであり、幼き頃の桃子さんであり、心の中に登場する様々な人格が、故郷訛の問いかけを重ねて描かれています。その行きついた先が「おらおらでひとりいぐも」だったようです。孤独な暮らしの中での葛藤が、やがて破滅的な方向に発展していく。桃子さんの多重人格による訛りの葛藤はそのことを示しているようです。

 この破滅的な物語の結末は、最悪のものになるだろうと予感しました、あと数ぺーりでそれはやってくる・・。違った。救いがやってきました。孤独な暮らしに吹き込んできた、孤独な心を癒す温かな風・・、ホロっと来ました。

 どんな癒しかは、ここでは触れません。どうぞご一読ください。


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