伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

銀河鉄道の父

2018年01月24日 | 読書
 「宮沢賢治はダメ息子だった!」。本に巻かれた帯のキャッチコピーが目を引きました。

 宮沢賢治岩は手県稗貫郡(ひえぬきぐん)花巻町(現、岩手県花巻市)出身です。同じ岩手県出身者に岩手郡渋民村出身の石川啄木がいます。賢治が「ダメ息子」なら、この啄木もどちらかと言えば「ダメ男」だった記憶があります。借金をしまくって返さなかったり、家族を抱えながら収入のある仕事をやめたり。とにかく短歌を生かそうともがいているのは分かるのですが、それがお金になるわけでもなく、もがき続け、極貧の中で結核で命を落としてしまいました。

 彼の人生を知った時、ちゃんと収入を得ながら短歌を書いたらいいのにとか、その人生の節々において思うところはあるのですが、それでも今に残された作品の一つ一つは素晴らしいものです。

 片や比較的裕福な家庭に支えられて最終的には作品を生み出した賢治に対し、極貧の中で作品を生み出した啄木。この違いはあるものの、この2人が現代においては高く評価される文学者であることに不思議な縁を感じてなりません。

 「銀河鉄道の父」(門井慶喜著、講談社刊)のキャッチコピーに反し、物語に書かれた宮沢賢治は、自分を探して生き、そして、親にも認められる生き様に到達し、旅立っていった。そんな幸せな生活を送ったように思えてなりませんでした。



 物語は、父の視座から見た宮沢賢治を描いていました。命にかかわる病気なった幼少、親に逆らって進学した中学校や高等農林学校、そして親の意に反した進路を選びながらも、勉強のためなどと言って親にお金を無心し続けた成長過程。全編には、息子・賢治の生き方を否定しながらも賢治を支援し続けた父・政次郎の愛情が描かれました。これで良いのかと自問自答しながらも、結局、息子のために金を出し進学も認めてあげる、そして入院した賢治の看病を買って出る。そんな政次郎の子に寄せる思いは、賢治の生涯のあらゆる場面をいつくしんでいたようで、その父の心に共感を覚えました。

 本署を読み終えて、マキシム・ゴーリキの「母」を思い起こしました。革命に実を投じ、逮捕された息子のことを思い、革命思想がなかった母息子と同じ道を歩み始めていく、そんな物語でした。

 母は息子に変わって活動に参加する中で、息子への理解を深め、自らを生まれ変わらせていった。

 賢治は、父に反発と利用という、やがて父と妹トシの言葉に押されて文筆の道に入った賢治が、父から経済的にも自立をしていきました。
 そして賢治は妹トシを溺愛していたようで、入院していたトシの助言などに背中を押された賢治は童話を書き、病床にあったトシの枕元で賢治が読み上げてあげる。そんな兄弟愛もあわせて描かれていました。

 賢治の作品に「雨ニモマケズ」があります。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

で始まるおなじみの詩です。

 何が書かれているかは理解できました。でも、何でこんなことを列挙したのかは分かりませんでした。でも、この詩が賢治が死を前にして書き、そしてこの本で紹介された父の目から見た賢治の生き様を知れば、この詩の中に、賢治が生きてきた足跡が丹念に折り込まれていると感じました。それは、自分を支えてきた家族をはじめとしたゆかりの人々に対する感謝の気持ちが込められているのではないか、そんな思いを強くしました。

 同書の帯の裏側にはこう書かれていました。

 「父でありすぎる父と 夢を追い続けた息子の、対立と慈愛の日々。」

 でも、読後には息子を信じ、息子の成長を喜ぶ、そんな父の、深い、だけど当たり前の自愛にホロっと来ました。


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