伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

氷点下6度が続いた今日、論壇「ことばの『危機』と『力』」を読んだ

2021年01月10日 | 政治


 面白かったのはハス田。氷がはり、その上にはまぶしたように雪粒が白く凍りついていた。



 その上にあったのが、誰かが滑ったような跡。写真には2本しか跡がないが、全部で3本の跡がついていた。

 誰がつけたのだろう。端っこに雪が散っているが、歩いた様子はない。

 おそらくカルガモか何かが飛んできて着氷してしまい、つるりんこ。滑った勢いのまま飛び立っていったのではないだろうか。

 その姿を思い起こすととても笑えてくる。

 氷上の氷の雪は、結晶構造を残したまま凍結したようだ。





 近くのため池も全面凍結。同じように雪を被っていた。



 ただ水面の縁には雪はない。降雪の後に凍り付いたものと思われる。

 池の脇の常緑の葉っぱには、きょうもしっかり霜が降りていた。





 氷と雪と霜。寒さの三点セットだが、午前中は日射しがあり温かい時間が過ぎた。

 朝の景色は霜が白く彩った。



 霜景色を撮ろうとしていると、愛犬が回り込んで映り込む。うろちょろと動き回る犬なのだ。



 朝日に照らされ、霜がキラキラと光る。



◆ ◆ ◆


 今朝の福島民報の日曜論壇に、東日本国際大学の福迫昌之副学長が「ことばの『危機』と『力』」と大して書いていた。「言葉が最凶のメディアとなるのは、言葉の信頼性が破壊され、言葉の力が無力化したときかもしれない」という。

 私が共産党を離島に至る共産党地区委員会常任委員会から出されてきた総括文を読んで、言葉の無力化を感じたものだ。文を書いた本人が間違ったことをしながら、間違っていたと率直な反省をしないために言葉を多少ずらして使う。何度指摘しても同様のことを繰り返し、改善されることはなかった。

 市議時代に、選挙を勝ち上がってきた新市長の公約問題をたびたび取り上げた。言葉に表現された問題点を追求し、公約として上げられた言葉に責任を持つ姿勢の大切さ・・逆に言えば、責任を持てる公約の大切さを訴えるためだった。

 まさか、それと同様のことを共産党の地区常任委員会に問わなければならなくなるとは思わなかった。自分が政治家として育つよりしろであった政党の中に、まさか育て上げた政治感覚と正反対のものが育っているとは思わなかった。

 この時、まともに反省しなかった人たちが、政党役員として、あるいは議員として政治家を続けているのだからあきれたものだ。


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