これまでの報道を聞くと、戦後の首相経験者の国葬実施は故吉田茂元首相の1例だけだったという。その時も、賛否両方の声は上がったようだが、以降、故人となった歴代首相は内閣と自民党の合同葬として実施されるのが常で、国葬が実施されることはなかった。
反対の論には、国葬となる基準を定める法律を作るのが先で、根拠法がない「国葬」は許されないというものだった。
たしかこの議論の中では、以前の吉田元首相の国葬の際、同様のことが議論となり、その必要性が認識されながら議論さえしてこなかったのという報道があったと思う。
本来歴代の政府がすべき議論をしなかった責任を抜きにして、国葬の決定は「行政権の範囲内」で、国民に義務を課すものでなければ「新たな根拠は必要ない」として閣議決定の「国葬」を強硬するのは、そもそもどうなのだろう。
それにしても、この政府の説明も、なんだかとってつけた説明に聞こえる。
そもそも「国葬」は、国に功労があった人が亡くなった際に、国家儀式として行われる葬儀のことで、国費を使って行う葬儀だという。加えていうならば、国民の大層が疑義なく喪に服するような人物こそがふさわしいだろう。
と考えればやはり安倍首相の「功労」が気にかかる。
安倍首相は、国際的な信頼も厚く、戦後最長の首相経験者であるなどの「功労」があげられている。
しかし、一方、国論を二分した安保法制の制定にあたって、戦後一貫した個別的自衛権を行使できるという憲法解釈を集団的自衛権行使に変更する閣議決定をし、国会取り巻くデモが連日続くなどの国民的な反対の盛り上がりの中で、法制の採決を強行した。
これによって自民党でさえ専守防衛と言っていた現憲法下の防衛のあり方を、米軍との共同のもと海外での武力行使ができる体制に、劇的に憲法の内容を変えてしまった。以降、敵基地攻撃など、主権が及ぶ地理的範囲を超えた武力行使の準備について議論の俎上にあげるまでになっている。
鳴り物入りで打ち出したアベノミクスという経済政策でも、経済格差の拡大で国民のくらしの圧迫が強まってきたと言われる。
おまけに、森友・加計学園問題や桜を見る会問題で、お友達や周囲の人を取り立てて優遇するなど政治を大きく歪めてきた。ここまでの歪みは、たぶん過去になかったのではないだろうか。
これらは1つの見方にすぎないが、こうした見方をする人々も多いと思う。と考えれば、安倍元首相の「功労」は大層の国民が合意できるものとはいえないのではないだろうか。
こうした人物を「国葬」とする。しかも閣議決定で、国会という国民の代表が議論する場を経ずに決定をする。こうしたことが許されるはずはないと思う。
岸田首相とその内閣は、こうした空気を察したのだろう、衆院議会運営委員会の議論で岸田首相が「国葬」と呼ばず、「国葬儀」という珍なる回答を連発していたのを思い出す。「国葬儀」なる珍なる儀式となったためにだろう。過去の内閣と自民党の合同葬で各行政機関や教育機関に求めていた半旗掲揚などの「弔意」の表明さえ求めないという。
調べてみると「国葬儀」と言う名称は初めてのことではなかったらしい。故吉田首相の国葬でも、「国葬儀」とう名称を用いていた。今回、「国葬」ではなく「国葬儀」という名称にこだわったのは、あくまでも内閣府設置法に定められた所掌事務の国の儀式に関する事務に基づくものであるため、国民に喪に服することを求める国葬と区別するために使っているという。
すると、岸田首相は、当初表明した「国葬」は断念して別の形式の葬儀にして、国の税金を葬儀につぎ込んだということになる。国の税金で執り行なう「国葬」(国葬儀)にもかかわら、弔意の表明を求めるという点から見ると内閣・自民の合同葬儀以下の扱いとなっているとのはこのためなのだが、するとこの儀式の意味はどこにあるのだろう。
安倍首相が、統一協会(世界平和統一家庭連合)への恨みという凶弾の犠牲になり、お亡くなりなった残念な結果には冥福を祈るしかない。しかし、生前の安倍元首相が国政を歪めてきたにとどまらず、その死にあたっても国政に混乱をもたらす元となってしまったように見える今回の事態。安倍元首相は、そもそもそんなことを望んでいたのだろうか。岸田首相の国葬を行うという判断が、その死を歪めてしまったように思えてしょうがない。
今回の措置は、地方自治体にも混乱をもたらしている。「国葬」だから出席する地方自治体の長がいる一方、これ以上の住民の分断を招いてはいけないと出席を見合わせる長もいる。本市の市長は出席する方向のようだが、報道で見た「市民」の代表としては、一市民としてよしてほしい思っている。「国葬(国葬儀)」に異を唱えない市民の代表にすぎないという自覚を持って欲しいと願っている。
私自身は、今回の「国葬」にもちろん反対だ。しかし、実施されるからには安全であることは願う。同時に、実施後、今回の問題はどこにあったのか、もちろん、統一協会の問題も含めてしっかり検証・膿を出し切ってほしいものだ。
反対の論には、国葬となる基準を定める法律を作るのが先で、根拠法がない「国葬」は許されないというものだった。
たしかこの議論の中では、以前の吉田元首相の国葬の際、同様のことが議論となり、その必要性が認識されながら議論さえしてこなかったのという報道があったと思う。
本来歴代の政府がすべき議論をしなかった責任を抜きにして、国葬の決定は「行政権の範囲内」で、国民に義務を課すものでなければ「新たな根拠は必要ない」として閣議決定の「国葬」を強硬するのは、そもそもどうなのだろう。
それにしても、この政府の説明も、なんだかとってつけた説明に聞こえる。
そもそも「国葬」は、国に功労があった人が亡くなった際に、国家儀式として行われる葬儀のことで、国費を使って行う葬儀だという。加えていうならば、国民の大層が疑義なく喪に服するような人物こそがふさわしいだろう。
と考えればやはり安倍首相の「功労」が気にかかる。
安倍首相は、国際的な信頼も厚く、戦後最長の首相経験者であるなどの「功労」があげられている。
しかし、一方、国論を二分した安保法制の制定にあたって、戦後一貫した個別的自衛権を行使できるという憲法解釈を集団的自衛権行使に変更する閣議決定をし、国会取り巻くデモが連日続くなどの国民的な反対の盛り上がりの中で、法制の採決を強行した。
これによって自民党でさえ専守防衛と言っていた現憲法下の防衛のあり方を、米軍との共同のもと海外での武力行使ができる体制に、劇的に憲法の内容を変えてしまった。以降、敵基地攻撃など、主権が及ぶ地理的範囲を超えた武力行使の準備について議論の俎上にあげるまでになっている。
鳴り物入りで打ち出したアベノミクスという経済政策でも、経済格差の拡大で国民のくらしの圧迫が強まってきたと言われる。
おまけに、森友・加計学園問題や桜を見る会問題で、お友達や周囲の人を取り立てて優遇するなど政治を大きく歪めてきた。ここまでの歪みは、たぶん過去になかったのではないだろうか。
これらは1つの見方にすぎないが、こうした見方をする人々も多いと思う。と考えれば、安倍元首相の「功労」は大層の国民が合意できるものとはいえないのではないだろうか。
こうした人物を「国葬」とする。しかも閣議決定で、国会という国民の代表が議論する場を経ずに決定をする。こうしたことが許されるはずはないと思う。
岸田首相とその内閣は、こうした空気を察したのだろう、衆院議会運営委員会の議論で岸田首相が「国葬」と呼ばず、「国葬儀」という珍なる回答を連発していたのを思い出す。「国葬儀」なる珍なる儀式となったためにだろう。過去の内閣と自民党の合同葬で各行政機関や教育機関に求めていた半旗掲揚などの「弔意」の表明さえ求めないという。
調べてみると「国葬儀」と言う名称は初めてのことではなかったらしい。故吉田首相の国葬でも、「国葬儀」とう名称を用いていた。今回、「国葬」ではなく「国葬儀」という名称にこだわったのは、あくまでも内閣府設置法に定められた所掌事務の国の儀式に関する事務に基づくものであるため、国民に喪に服することを求める国葬と区別するために使っているという。
すると、岸田首相は、当初表明した「国葬」は断念して別の形式の葬儀にして、国の税金を葬儀につぎ込んだということになる。国の税金で執り行なう「国葬」(国葬儀)にもかかわら、弔意の表明を求めるという点から見ると内閣・自民の合同葬儀以下の扱いとなっているとのはこのためなのだが、するとこの儀式の意味はどこにあるのだろう。
安倍首相が、統一協会(世界平和統一家庭連合)への恨みという凶弾の犠牲になり、お亡くなりなった残念な結果には冥福を祈るしかない。しかし、生前の安倍元首相が国政を歪めてきたにとどまらず、その死にあたっても国政に混乱をもたらす元となってしまったように見える今回の事態。安倍元首相は、そもそもそんなことを望んでいたのだろうか。岸田首相の国葬を行うという判断が、その死を歪めてしまったように思えてしょうがない。
今回の措置は、地方自治体にも混乱をもたらしている。「国葬」だから出席する地方自治体の長がいる一方、これ以上の住民の分断を招いてはいけないと出席を見合わせる長もいる。本市の市長は出席する方向のようだが、報道で見た「市民」の代表としては、一市民としてよしてほしい思っている。「国葬(国葬儀)」に異を唱えない市民の代表にすぎないという自覚を持って欲しいと願っている。
私自身は、今回の「国葬」にもちろん反対だ。しかし、実施されるからには安全であることは願う。同時に、実施後、今回の問題はどこにあったのか、もちろん、統一協会の問題も含めてしっかり検証・膿を出し切ってほしいものだ。
本文を訂正しました。
アセアセで書いて、あまり頭と注意力が働いていなかったようです。
ご指摘ありがとうございます。