伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

希望舞台「釈迦内棺唄」を見た

2019年11月14日 | 文化
 「釈迦内棺唄」は、故・水上勉さん作の戯曲。現在の秋田県大館市釈迦内を舞台にして、差別用語であるようだが「オンボ」と呼ばれる火葬場の火夫を生業とする家族の戦前から戦後にかけての物語だ。火夫としての父の生き様を見てきた末娘「ふじ子」は、父が死に、子ども心に、いやでしょうがなかった火夫の仕事を引き継ぐことにした、その思いを3幕構成で観客に伝える。



 第1幕と第3幕は、ふじ子の一人芝居。父が死に、火葬の準備を進めている、今まさにその時に、子どもの頃から見てきた父のこと、母のこと、そして家族のこと、火葬場の仕事のこと、そして火夫を引き継ぐことにしたその思いを切々と語り続ける。長い長ーいセリフを、淀みなく、また劇的に観客に伝える場面だ。


 第2幕は、戦前の子ども時代に戻って家族と過ごしていた一夜の回想シーンとなる。

 こたつを囲んで、明日の学芸会の準備なのだろう、踊りの練習をするふじ子と、踊りを教える長姉、父の背中をマッサージする次姉と、その子ども達を見守る母の団らんの部屋に、突然の来訪者があった。吹雪の晩、凍えた来訪者をもてなす家族。

 朝鮮人だと名乗った来訪者が、祖国の労働の歌を歌い出したその時、部屋に入り込んだ憲兵から逃げだそうとした来訪者は射殺された。

 憲兵は、父に朝鮮人を火葬しろと迫る。しかし、父は、火葬許可証のない遺体を、絶対に焼くことはできないと頑強に拒む。許可証のある遺体しか焼いたことがないのが、自分の誇りだというのだ。

 父は、憲兵の非道を非難し、その非道の証拠隠滅に手を貸すことを嫌っていた。当時の日本は、軍に逆らえば非国民として、様々な罪名で逮捕・連行される危険があった。頑として命令に従わない父に代わって、母が火葬することにした。父や子ども達、家族を思っての行動だった。

 大人になって知った、火葬を拒否した父の思い。生前の地位にかかわらず、火葬する時にはみんな平等という父の思い。火葬の釜に残ったわずかな灰を撒き続けた畑に、美しく育ったコスモスの花一つひとつに、自分が火葬した人たちの顔を重ねる父の死者に寄せるやさしさ、火夫という仕事に誇りを刻んで死んでいった父の思いが、ふじ子に火夫としての仕事を引き継ぐ決意をさせた。

 戦争そして秋田の花岡鉱山への朝鮮人等の強制徴用、様々な時代の問題を背景とした舞台に引き付けられた。


 この、舞台で演じる役者と観劇している私の一体感は何だろう。役者がこけると、自分も痛いと感じ、思わず叫びそうになった。楽しそうに踊る場面では、自分も舞台の上で踊りを見ている家族の一員となっていた。

 小劇場という舞台と観客席の近さが、劇中の世界に観客席を引きずり込む、そういう演出をしているのだと気づいた。大きな劇場による舞台もいいかもしれないが、こういう舞台もいい。


 舞台を飾るのは3枚の屏風だけ。3枚の屏風が火葬場になり、家族団らんの部屋になり、そしてコスモス畑になる。簡単なセットでも、膨らんだ想像力でどんな世界でも作り上げることができるのも、また、演劇の良さなのだろう。


 テーマは重い。しかし、どこからしら希望を心に灯しながら、劇場を離れたように思う。

 あわただしい出会いではあったが、素敵な舞台をくださった出会いに感謝をしたい。


 会場を出た。アリオスの灯りが闇に浮かんだ。



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