伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

THEドラえもん展、やなせたかしの世界展、見てきた

2021年11月18日 | 文化
 県立美術館のドラえもん展は11月23日まで。会期も残りわずかということで、観覧しに行ってきた。たしか郡山市率美術館では、やなせたかしの展覧会もやっていたと思い浮かんだので、2つの美術展をハシゴすることにした。

 ドラえもん展は、作者の藤子・F・不二雄さん自身の作品ではなく、28組のアーティストに、「あなたのドラえもん」を表現してもらったもの。表現手法も、使用素材も、それぞれの作品が会場に鎮座している。

 作品をまわって感じるのは「ノスタルジー」。1969年というから、私が9歳の時には、小学館の雑誌に連載が始まっている長寿の漫画だ。漫画から、テレビアニメ化もされ、数多く映画化されている、国民的作品ともいえそうなもの。その世代、世代のドラえもんのとらえ方があるだろう。実際、作品の数々を見ると、作家のドラえもんへの思いを感じる。

 漫画やアニメは、ドラえもんは人がよく優しさを持ちながら、どこか抜けているキャラクターだが、この作品を受け止めて創作されたそれぞれの作家のドラえもんの世界は、その枠をはるかにはみ出している。



 この作品は、原作のドラえもんに近い印象を受けるが、よく見ると、ある部分のカラーは単色ではなく、水に浮かべた油絵の具を紙に写し取ったときのような流動的な色合いをしている。タイムマシーンのイメージなのだろうか。それぞれのキャラクターが未来に向かって歩み続けていることを暗示しているのだろうか。そんなことも考えさせた。

 後は、本当に独特の世界観だ。厳しい目をしたキャラクターなどは、全くドラえもんとは違う世界を感じた。中には映像作品もあるが、それを見ていて、強く印象に残ったのが、寂しげで、過去に思いをはせるノスタルジーのようなものだった。



 自分自身が、年も重ね、ドラえもんの世界とは全く違う世界を歩んできた。純粋にドラえもんを楽しんだ過去を懐かしむような、いや、自分の過ごしてきた日々を懐かしむような、そんな印象が残して会場を出てきた。

 福島市を出て、国道4号線を郡山市に向かう。ほぼ1時間をかけて郡山市立美術館に到着した。「やなせたかしの世界」展だ。

 やなせたかしはアンパンマンの産みの親だが、それ以前から知っている作家だ。ずいぶん前に「夢とメルヘン」という雑誌を購入していた時期がある。イラストと詩で綴られた雑誌だった。この雑誌がやなせ氏によって作られていたのだ。もちろん作品も掲載されていた。実際、会場には、同誌に掲載された作品や、同誌の展示もされていた。

 市とメルヘンなどの作品からアンパンマンへ。数々のイラストには、ノスタルジーを感じるものもあるが、イラストからアンパンマンに続いているのは優しさという印象を受けた。やなせ氏の底流に流れている優しさのようなものを明確に表現しているのが、アンパンマンなのではないだろうか。そんな印象が残ったのだ。

 身を削って他人を助けアンパンマン。そしていたずらっ子で憎まれ役のバイキンマンをアンパンチで追い払うものの、決してとどめを刺すことはなく、共存する。アンパンマンの仲間達も、互いを思い合う優しさに溢れた人々だ。

 展覧会では、やなせ氏の優しさが生まれる1つの原点が、戦争体験にあったのではないかということを知る。召集されて出兵し、帰還後に、やはり出兵していた弟の死を知ったという。こうした体験が、生に対する優しさを生み出していったのではないか。そんな解説も展示されていたと思う。

 自分勝手な感想ではあるが、1日かけて出かけた甲斐はあったと思う。

 さて、福島市では吾妻山の冠雪が見えた。



 今シーズン、初めて見る雪だ。
 郡山市近辺では雲がかかった安達太良山。



 智恵子抄で有名な安達太良山は、福島を思わせる1つのシンボルだと思う。智恵子の「青空」は、今日の雲の上に広がる青空とは違うものなのだろうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿