今年の芥川賞を受賞した「百年泥」(石井遊佳著、新潮社刊)を読みました。
もともと、今回の直木賞が「銀河鉄道の父」(門井慶喜著、講談社刊)で宮沢賢治を扱った作品、芥川賞が今回読んだ作品と「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子著、河出書房新社刊)で、当初興味は持ったのは、出身地の岩手つながりで「おらおらで・・」と「銀河鉄道・・」で、おまけにこの2作品は、受賞直後には書店に並んでいたために購入して読みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/0d/bb6c1929cbea25c4313d48ebca118de2.jpg)
本署は、正直、「まっ、いいかな」と思っていたのですが、別の本を探して書店に寄った折に、新刊書棚に並んでいたので手に取り、2~3ページパラパラめくってみると面白そうだったので、購入してきました。
物語は、日本語教師として仕事に出かけたインドのチェンナイで、アダイヤール川が100年に1度という洪水をおこし、水が引いて日本語教室に出勤するために橋を渡る、わずか数時間のことを紡いだものと思われます。
表題の「百年泥」は、洪水によって橋などの上に堆積した、もともとは川底にあった「ねっとりむれた」匂いを発する泥の事。ゴミも何もかも、流される川に堆積した泥は、おそらくヘドロだと思うのですが、その中には「私」がこれまでため込んできた思いや葛藤がうずもれており、泥の中から何かが掘り出されるたびにその思い出で脳裏によみがえってくるという形で物語は進んでいきました。
生徒の一人の思い出も、泥の中から掘り出され、その生徒と日本人とのかかわりが解き明かされ、インド人の彼が日本に寄せる思いを知ることになったようだ。泥の中から掘り起こされる物たちが、生きている者たちの様々な思いを反映していることを見て、“人生は不特定多数の人生の貼り合わせにすぎない”と知って情けなさを募らせます。
そんな体験を得ながら、最後に彼女は自分を取り戻したのではないだろうか。そんなふうに思いました。
もともと、今回の直木賞が「銀河鉄道の父」(門井慶喜著、講談社刊)で宮沢賢治を扱った作品、芥川賞が今回読んだ作品と「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子著、河出書房新社刊)で、当初興味は持ったのは、出身地の岩手つながりで「おらおらで・・」と「銀河鉄道・・」で、おまけにこの2作品は、受賞直後には書店に並んでいたために購入して読みました。
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本署は、正直、「まっ、いいかな」と思っていたのですが、別の本を探して書店に寄った折に、新刊書棚に並んでいたので手に取り、2~3ページパラパラめくってみると面白そうだったので、購入してきました。
物語は、日本語教師として仕事に出かけたインドのチェンナイで、アダイヤール川が100年に1度という洪水をおこし、水が引いて日本語教室に出勤するために橋を渡る、わずか数時間のことを紡いだものと思われます。
表題の「百年泥」は、洪水によって橋などの上に堆積した、もともとは川底にあった「ねっとりむれた」匂いを発する泥の事。ゴミも何もかも、流される川に堆積した泥は、おそらくヘドロだと思うのですが、その中には「私」がこれまでため込んできた思いや葛藤がうずもれており、泥の中から何かが掘り出されるたびにその思い出で脳裏によみがえってくるという形で物語は進んでいきました。
生徒の一人の思い出も、泥の中から掘り出され、その生徒と日本人とのかかわりが解き明かされ、インド人の彼が日本に寄せる思いを知ることになったようだ。泥の中から掘り起こされる物たちが、生きている者たちの様々な思いを反映していることを見て、“人生は不特定多数の人生の貼り合わせにすぎない”と知って情けなさを募らせます。
そんな体験を得ながら、最後に彼女は自分を取り戻したのではないだろうか。そんなふうに思いました。
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