伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

核兵器廃絶願う国民平和大行進に今年も参加

2019年06月26日 | 平和・戦争
 今日は、病院に予約が入っていた。左顔面麻痺の経過観察のためだ。

 発症・入院治療から4か月。見立てでは、ほぼほぼ完治。若干、口の付近に強張りを感じており、動きも微妙なところだというところで、あと1ヶ月、服薬して様子を見ることになった。

 この関係で、今年の平和行進は参加は難しいかなと思っていたが、10時からの市との懇談には間に合わなかったものの、その後の議長との懇談には間に合い、その様子を取材した。


 議長は、いわき市議会が核実験に抗議する意見書等を決議してきたことを紹介しながら、「今後も時宜をとらえた取り組みを進めていきたい」と、行進団を歓迎し、「いわき市議会議長」と記されたペナントを代表に手渡した。行進旗とともに東京まで各地を巡り、世界大会に届けられることになる。






 北海道から歩いている通し行進者が、「2012年の世界大会に、浪江町の(故)馬場町長が参加して、原爆の投下と原発事故は社会と生活を破壊した点で同じものだと話していた。広島と長崎、そして福島の原発事故と、放射能の怖さを知っている日本政府が核兵器廃絶に向けて先頭に立つよう、市議会としてもその促進の立場でお願いしたい」と議長に要望した。

 これに議長は、「馬場町長と思いはたがわない。世界が核について共通の認識を持てれば変わっていくと思う。その意味で、みなさんの平和行進は大切な意義を持っている。しっかり継続してやっていただきたい」と、激励した。

 この行進には、京都、神奈川、静岡、大阪からの参加者もあり、懇談後、市役所前からJRいわき駅前まで、核兵器廃絶を訴えて行進した。




 平和行進に初めて参加したのは1980年のことだったと思う。そして1981年だと思うが、その年、初めて長崎で開催された世界大会に参加した。平和行進も、第5福竜丸前からの出発行進や、当時、横浜に住んでいた関係で、神奈川県内の行進に、年休をとって参加した。3コース程を歩いたと思う。土砂降りの嵐のような天気の中、道を流れる雨水を蹴り飛ばしながら、京浜急行生麦駅前から横浜港の瑞穂ふ頭まで歩いたのがこの時だ。

 ちなみに瑞穂ふ頭は、ベトナム戦争時に、修理した戦車を戦地に送ろうと、同ふ頭にあるノースピアに輸送された際、この輸送を阻止する闘争が繰り広げられた場所だ。調べると、ノースピアの入り口にある「村雨橋」に学生や労働者らが連日座り込み、輸送をストップさせたことにちなんで「村雨橋闘争」と呼ばれたようだ。

 以来、横浜、いわき市でほぼ毎年、平和行進に何らかの形で参加してきた。議会にっての関係で参加できないことが1度あったかなー。

 そういう意味では、ごく一部の日程とはいえ平和行進に参加し、核兵器廃絶の訴えをできて良かったと思っている。まあ、世界のごくごく片隅からのことではあったけれど・・。


 明日は、常磐、小名浜、勿来をめぐり、茨城県に引き継がれるが、議会最終日、本会議があるため議場からお見送りしたいと思う。


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