伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

事故原発処理水の対応の前提は国民的理解を広げることだと思う

2022年05月31日 | 原発・エネルギー
 県知事の発言は、処理水の海洋放出計画について東電が立地町や福島県に求めている放出計画の着工に関する事前了解の可否と、政府と東電が放出の前提としている「関係者の理解」は異なるとしたものだ。



 知事は、東電が提出している「事前了解願」は、「安全確保協定に基づく手続きであり、東電が計画している設備などについて必要な安全対策が講じられているかどうかを確認するもの」として、放出の是非に関して判断するものではないという見解を示した。放出の是非については、引き続き「関係者をはじめ、幅広い事業者に対する丁寧な説明を行うなど責任を持って取り組んでほしい」と求めたという。

 あらためて確認すると、海洋放出に関する安全確保に関しては精査した結論、その結果と、処理水放出に関する是非は別物だという。県としては、実務・制度上の業務はその趣旨にのっとて判断をするという。まあ、行政組織らしい対応だ。一方、処理水の放出は漁業者をはじめ関係者等の「理解なしには進めない」としていたはずなので、海洋放出の実施については、仮に事前了解に是の結論を出したとしても、それは海洋放出を了解したということではないと、東電や国に釘をさしたというところだろう。

 一方、土曜日の新聞折り込みの「知ってほしい、ALPS処理水のこと~復興に向けた東京電力福島第一原発の廃炉の取り組み~」は、処理水の性状を説明しながら、廃炉のためには処理水の処分が必要で、実施しようとしている海洋放出は、原子力施設で日常的に実施されており、「安全を確保した上で実施」すると訴えるものとなっている。そして、実施にあたっては「安全確保」「理解醸成」「風評対策」をしっかりすすめるとしていた。



 これを読みながら思う。県民に説明することは大切だ。しかし、原発事故後11年間の経過を見た時、事故に伴う風評被害の発生を横目にしながら、国も東電もまともに取り組まなかった国民に対する事故の影響の客観的な評価の説明と国民的理解の醸成、その取り組みはいったいどうなっているのだろう。東電も、国も、この取り組みはちょぼちょぼ程度しかしていなかった。例えば、この「知ってほしい・・」のチラシは全国で折り込みをされたのだろうか。その他の取り組みはどうなっているのだろうなど、いろんな疑問が湧いてきた。

 チラシにあるように「安全確保」は当然だし、被害が発生してしまった際の「風評対策」も必要だ。しかし、これらはあくまで海洋放出を実行する際に必要なことになる。国や東電が海洋放出をしたいと思うなら「理解醸成」に何よりも力を入れて取り組まなければならないと思う。関係者の理解醸成がなければ海洋放出はできない。これが国・東電が言ってきたことだからだ。

 私は、この関係者の理解醸成の前提として必要なのが、国や東電が県民に対する説明より、県民以外の国民や各国に対する説明と理解情勢だと以前から考えている。多くの県民は、事故直後から、事故と放射性物質拡散の現実とその影響について学び・体験し、この地で住むことや産物を食べることに問題がないと理解を深めてきた。一方、全国的には、こうした取り組みがされてきたとはいえないと思う。報道等を通して伝えられてきたのは、原発事故対応の課程で発生した事故や不祥事で、それは、被災地の危険性を喧伝するものとなったと十分創造できる。

 そうして沈殿された誤解を解消し、福島県のほとんどの土地が問題なく居住でき、安全な食料品を生み出すことができることを、多くの国民の共通認識にするまで、しっかりと情報を発信をする。この取り組みを国や東電が本格的に行うことは、翻れば、県内での理解醸成にも大きく関わることになると思う。

 国・東電には、チラシにも記載された「理解醸成」の取り組みに、真剣に大規模に取り組み、風評被害が起きないような国民的な土壌づくりに取り組んでほしいと思う。

 同時に、こうした理解醸成の取り組みによって蓄えられた国民的な知識の上に立って、今後のエネルギーのあり方について国民的に議論をすすめていくことも必要だろう。原発がいったん事故を起こすと、その事故処理に長い年数と莫大な費用を費やすことが、福一の事故で白日の下にさらされた。地震大国の日本であることもあわせて、原発の是非を考える。こうした議論が巻き起こっていけばいいな。そう思う。 


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