今日の読書会は趣向を変えて、『筑豊と万葉』というテーマで先生がお話して下さいました。
荒くれイメージの筑豊と、雅びな万葉がどうして結び付くのか不思議に思われるでしょう?
そもそもは奈良時代に、山上憶良が筑前の守として筑紫に赴任し、
地方巡察の際、嘉摩(現 嘉麻市)の役所で自分の和歌3首を撰定したことから始まります。
それが後に『嘉摩三部作』と言われるようになったんだそうです。
山上憶良は万葉集に78首を遺していますが、
自然に関する歌は殆ど無く、恋の歌に至っては1首もないそうです。
妻子への愛と、人生や社会の無常を詠んだ歌が多いのだそうで、いわゆる社会派歌人だったんですね。
嘉摩三部作
☆ひさかたの 天路(あまぢ)は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)をしまさに
(天に昇る道は遥かに遠い。素直に家に帰って家業に励みなさい)
☆銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも
(銀や金や宝石が何になるだろう。子供に勝る宝が他にあるだろうか?)
☆常盤なす かくしもがもと 思へども 世の事なれば 留み(とどみ)かねつも
(永久に変わらずにありたいものだと思うけれど、命を引き留めることはできないことだ)
山上憶良ゆかりの地ということで、筑豊には多くの歌碑が建てられています。
その中で私が好きなのは、
☆世間(よのなか)を 憂し(うし)と恥し(やさし)と思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
(世の中を辛く耐えがたいと思うけれども、飛んで逃げる訳にはいかない。鳥ではないから)
今も昔も人の心とは変わらないものですね。