今日は古典文学講座、宇治拾遺物語6回目『児(ちご)の掻餅(かいもち)するに空寝したること』でした。
『昔、比叡山の延暦寺に稚児がいたそうだ。
僧たちが宵の暇つぶしにぼた餅でも作ろうかと話しているのを聞き、稚児は嬉しくなった。
けれど、寝ないで待つのもいやしく思われそうだから端っこで寝たふりしていると、出来上がったようでザワザワしている。
きっと誰かが起こしてくれるだろうと待っていると、僧が「これ、起きなさい。」と声を掛けてくれた。
稚児は、やったね!と思ったけれども、いっぺんで起きるのも決まりが悪く、
もういっぺん起こされたら返事しようと寝たふりを続けていると、
別の僧が「折角ぐっすり寝てるんだから起こしなさんな。」と言う。
「ありゃ~残念、も一度起こしてくれよォ」と思っていると、みんなでムシャムシャとひたすら食べる音がする。
稚児はたまらなくなって、しばらく経ってから「はい!」と返事したので僧たちは笑い転げたということです。』
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可愛いお話ですね。
この講義を受けながら思い出したのが、私の正反対の経験です。
小学校低学年の頃、両親が仕事(浪曲師)で留守がちだったので祖父母の家に預けられていました。
まだ宵の口だったと思いますが、ふと目覚めてトイレに行こうとしたら、
茶の間で大人たち(祖父母、叔父、叔母、姉)が、頭を寄せ合ってスイカを食べてる光景に出くわしたのです。
私はその時分たまにオネショしてたから、夕方からの水分はご法度で、私が寝入ったのを見計らって食べ始めたのでしょう。
誰も知らんぷりして食べています。私は無視されたのが悲しくてふて寝したものです。
60数年経ってもその光景が浮かんでくるのですから、まさに、食いものの恨みは・・・ですね。