かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発をめぐるいくぶん私的なこと(18)

2025年02月24日 | 脱原発

2017年7月21日

 吐き気と下痢に悩まされながら寝込んでいた二日のあいだ、とても退屈なのだが、本を読む気力はない。今読んでいるのは『デリダ、ルーマンの正義論――正義は〈不〉可能か』 [1] というタイトルの本で、私はルーマンが苦手なのだが、デリダという名前に惹かれて買ったのだ。
 しかし、ほとんどルーマン派の学者の論文で、わたしにはあまり面白くないのである。我慢して読んでいれば、何かが見えてくるかもしれないとわが身に言い聞かせて読んでいたということもあって、けだるい気分ではまったく読む気が起きない。
 それでユーチューブで探した歌をポツポツと聞いて時間を過ごした。その中に加藤登紀子さんが歌う「美しき5月のパリ」もあった。1968年の5月革命のことを歌ったと言われている。1968年、パリばかりではなく東京でも私が住んでいた仙台でも学生たちの闘いはあった。
 1968年5月、私は22歳と5か月、大学院の学生だった。いま思い返せば、私は闘ってなどいなくて、ただ立ちすくんでいただけだった。若いときのことはあまり思い出したくはないのだが、そんなふうにしか思い出せないのである。
 一枚の印象的な写真がある。1968年5月6日のパリ、一人の若者が投げた石礫がはっきりを写っている。この写真の主役はあの石礫である。発煙弾で煙る街路の向こうに壁のように並んでいるのは機動隊という権力システムである。


ジル・キャロン
《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、1968年5月6日》
1968年、ヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリント、
30×20cm [2]


 かつてこの写真を見ながら、「私は石を投げる人間になりたかったのか、投げる人を撮る人間になりたかったのか」と自問したことがある。結局、私はそのはざまで立ちすくんでいただけだった、というのがその時の答えだった。
 加藤登紀子さんが訳した「美しき5月のパリ」は次のような詩句で終わっている。

ほこりをかぶった 古い銃を取り
パリの街は今 再び生まれる
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris

歌え 自由の歌を 届け 空の彼方に
この五月のパリに 人は生きていく
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris

 ユーチューブにはフランス語で歌っているものもあって、それを聞いていると最後が違っているように聞こえる。私はフランス語はまったくわからないので、ネットで朝倉ノニーさんという人の翻訳を見つけた。「ああ!パリの美しき5月」という歌は、Jean-Frédéric Brossard(別名Evgen Kirjuhel)という人の作詞、作曲で、歌詞の最後の部分は次のように訳されていた。

まもなく日が昇ろうとしている
仕事場は地雷の原にある。
蘇った反乱が
くたばった古い世界を葬る。
Ah! le joli mois de mai à Paris
Ah! le joli mois de mai à Paris

おのおのが完全に自分をそこに委ね
自分の運命と
人類の運命に責任を持ち得る
社会を僕たちは築きあげるだろう。
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris
Ah! le prochain mois de mai à Paris

 「ああ! パリの美しき5月」の最後は、「ああ!来たるべきパリの5月」で終わっているのだ。パリの5月革命は成就されなかった。日本の学生叛乱も成功しなかった。思想や文化状況に大きな変化をもたらしたが、政治的に得たものは少ない。
 しかし、「過ぎ去ったパリの5月」があったけれども、「来たるべきパリの5月」もあるのだ。1968年5月に「石を投げた人」、「石を投げる人を撮った人」、「そこで立ちすくんでいた人」それぞれは、その時心に抱いていたヘテロトピアを「来たるべき5月」のために育ててきただろうか。私の残りの人生で、それぞれのヘテロトピアが見えてくるといいな、そんなことを寝床のなかで考えていた。病んだ体で、すこしばかり感傷的になりながら……。

[1] グンター・トイプナー編著(土方透監訳)『デリダ、ルーマン後の正義論――正義は〈不〉可能か』(新泉社、2014年)。
[2] 『ポンピドゥー・センター傑作展――ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで――』(朝日新聞社、2016年)p. 163。


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