妻のガンが発覚し手術してから約一年半が経過した、手術後から抗がん剤の
治療が始まったが、約一年間全く効果が上がっていなかったことが判明。
寛解(一時的あるいは永続的に、がん(腫瘍)が縮小または消失している状態)
など夢のまた夢のような状況だった。
手術で大きなガンは取り除いたが種は既に全身にばらまかれていたのだろう、
腫瘍マーカーは常に高い値を示していた。
次々と抗がん剤の種類を変えたが使える抗がん剤も最後の一つとなった、しか
しこの薬は副作用が激しく体力が無いと使用できないとのこと。
言われたわけではないが辛いだけで効き目が期待できない、つまり無意味な
治療行為のようにも感じた、医者の態度からもこれが使えれは良くなるような
ニュアンスは一切なかった。
抗がん剤に耐えられる体力は既に無く、病院としても治療の術無しとのことの
ようだ。
ここで宣告される・・・
つまり、治療は終了・・・緩和ケア(ホスピス)へ転院する流れとなった。
余命、三か月から六か月、あるいはもっと早くなる可能性もアリとのこと。
(本人には言ってない)
一年半前、見せられたレントゲン写真、医者の説明・・・
何年も生きられる状態ではないと感じていた、しかし現代医療だって進歩して
いるはず、もしかしたら寛解まで行けるのかも? 行ってくれと祈っていた。
悪い方の予想はどうしてこんなに当たるのだろう・・・
明日、ホスピスに転院です。
治療が始まったが、約一年間全く効果が上がっていなかったことが判明。
寛解(一時的あるいは永続的に、がん(腫瘍)が縮小または消失している状態)
など夢のまた夢のような状況だった。
手術で大きなガンは取り除いたが種は既に全身にばらまかれていたのだろう、
腫瘍マーカーは常に高い値を示していた。
次々と抗がん剤の種類を変えたが使える抗がん剤も最後の一つとなった、しか
しこの薬は副作用が激しく体力が無いと使用できないとのこと。
言われたわけではないが辛いだけで効き目が期待できない、つまり無意味な
治療行為のようにも感じた、医者の態度からもこれが使えれは良くなるような
ニュアンスは一切なかった。
抗がん剤に耐えられる体力は既に無く、病院としても治療の術無しとのことの
ようだ。
ここで宣告される・・・
つまり、治療は終了・・・緩和ケア(ホスピス)へ転院する流れとなった。
余命、三か月から六か月、あるいはもっと早くなる可能性もアリとのこと。
(本人には言ってない)
一年半前、見せられたレントゲン写真、医者の説明・・・
何年も生きられる状態ではないと感じていた、しかし現代医療だって進歩して
いるはず、もしかしたら寛解まで行けるのかも? 行ってくれと祈っていた。
悪い方の予想はどうしてこんなに当たるのだろう・・・
明日、ホスピスに転院です。
日々大切にお過ごしくださいませ。
私の娘も手術を前に抗がん剤治療を続けています。
奥様に奇跡が起きますよう、祈るばかりです。
奥様の免疫力で少しでも回復されることを祈っております。ヒデさんも頑張ってください。
どんなに健康であっても別れは必ず来ると
思って・・・でもね。(泣)
Toshiさん
娘さん、良くなるといいですね、一番辛いのは
本人だけど家族も辛いですよね。
I.SATOさん
妻が回復したら私が自転車で周ったコースを
車で一緒に旅をしたいと考えてました、叶わぬ
夢になってしまいました。
従妹も乳癌で乳房を切除したのに肺に転移して放射線治療、抗がん剤治療と苦しい治療に耐えたのに亡くなりました。
最後は沖縄県石垣島へ行きたいと家族に付き添われて現地で亡くなり火葬して骨となって帰宅。
奥様のどんなわがままも否定せず聞いてあげてくださいね。
移動はやっぱりしんどかったみたいで今死ぬんじゃ
ないかと思ったほどです。
移動先の医者と面談したのですが当初の三か月~
との余命はやっばり短くなる可能性が大きいとの
話で落ち込むばかりです。
最後の望みがあれば叶えてあげたいとは思って
ます。