ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

3月のお出かけは奈良の「がんこ一徹長屋」でした。

2012-03-29 | お出かけ

3月22日(木)に奈良の西ノ京にある「がんこ一徹長屋」へ

11人のメンバーで出かけてきました。

目的地の近くに唐招提寺と薬師寺があることを知って

そちらも観ようと考えていました、薬師寺だけ見てきました。 

JR吹田を9時半に出て、鶴橋で近鉄に乗り換えて西大寺で

樫原線に乗り換えて西ノ京には11時ころに着きました。

「がんこ一徹長屋」は駅の近くにあり、併設の「墨の資料館」で

説明を受けたり、作業しているところを見たりして時間が経って

目的の工房はみれませんでした。

昔ながらの作業工程で墨を作っていますが、徐々に機械化も

されてきているようです。

墨は黒いものだと思っていましたが、色つきの墨もあり芸術作品と

言える墨が沢山展示されていました。

墨の資料館を見学した後、全体の写真を撮るのに説明の方に何台もの

デジカメを渡してシャッターを押してもらいました。

昼食の店をどこにするか、いつも迷うのですが今回は薬師寺の近くの店に行き

ビールも飲んでゆっくりして美味しい釜飯を食べました。

薬師寺に行きますと、ちょうど梅が満開で紅白の花がとてもきれいでした。

 

恒例の全体の記念写真を通りかかった若い人に何台ものデジカメを

渡してお願いして撮ってもらいました。

東塔が解体修理に取り掛かった時で、周囲に覆屋が作られております。

工事の完成は7年後の平成30年とのことですので、それまで元気でしょうか?

伽藍には立派な建物が多くあり、西塔・金堂などの写真を撮りました。

新人のバスガイドさんが元気に練習している風景もみかけました。

玄奘三蔵院のほうからみた東塔が囲われている写真です。

玄奘三蔵院の回廊でどこかの書道展が開催されていて、見事な書がたくさんありました。


 

薬師寺の伽藍で建物を見ているとちょうど法話がある時間になり、いろいろな話を

聞くことができたので、帰ってからインターネットで調べました。

其の一 あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

     奈良の「枕詞」あをに、は緑青と丹(に)-朱色の色だと言われていました。

其の二 裳階(もこし) 本来の役割は、雨風を防ぐ庇(ひさし)だったのだろうけども、

      時代とともに装飾的な意味合いで使われだしたようである。

      薬師寺の東塔は三重塔であるが、裳階が各層に付いているので六重の塔に見える。

其の三 卒塔婆とは、遺骨を埋葬するときや年忌法要などのときに、

             お墓の後ろにたてる細長い板のことです。

      釈尊の遺骨(仏舎利)が埋骨された上に建てた塔が「ストゥーパ」で

            それを中国語に音写したものです。

      この塔は、舎利信仰の発展に伴い、大型化して五重の塔などに変化していきました。

      この塔を象形化した石塔が、五輪塔で卒塔婆は、この五輪塔が簡略化されたものです。

其の四 歴史  法隆寺推古天皇9年(601年)、聖徳太子が斑鳩の地に斑鳩宮を建て、

         この近くに建てられたのが法隆寺であるとされる。

         薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、

                 飛鳥の藤原京に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに

                  現在地の西ノ京に移転したものである。

          東大寺は奈良時代8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。

         「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏を本尊とし、

                  開山(初代別当)は良弁僧正である。

追加 高田好胤は薬師寺第百二十四世管主で、写経勧進というユニークな方法で金堂、西塔など

    薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。1924年(大正13年)生 - 1998年(平成10年)没


 今回のお出かけについても長谷川さんが早々にまとめてくれました。

Word → PDF → JPG画像 の処理もなれてきました。