大学受験が終わった孫が 2/23(火)の早朝に東京から深夜バスで帰ってきて、
昼から家内の運転で志度に向かいました。
翌日には松山市にある「坂の上の雲ミュージアム」に行きたいとのことで、
そこと「松山城」と「子規記念博物館」に行って来ました。
j志度から松山までは高松自動車道と松山自動車道
を走って約170kmで 2時間余りの行程です。
カーナビが案内してくれた場所にミュージアム
が見当たらず 尋ねたら通りから少し入った
ところにありました。
「坂の上の雲ミュージアム」は松山市出身の
秋山好古・真之兄弟と正岡子規の3人が主人公
の司馬遼太郎の小説を軸に展示しています。
建物の設計は安藤忠雄で 三角形という大胆な
形状の、地上4階、地下1階の鉄骨鉄筋
コンクリート造で、延べ約3100m²です。
2007年(平成19年)4月に市内中心部の
松山城の南裾に開館。 総工費は約30億円と
いうすごく立派な建物です。
2013年の12月のわくわくお出かけは「司馬遼太郎記念館」で
見た菜の花が入口までに飾られていて コンク
リートの打ちっぱなしの壁面がきれいです。
ミュージアムに隣接して 大正浪漫を今に伝え
る、日本が誇るフランス風洋館
「萬翠荘」を見て来ました。 この建物は旧松山藩主の子孫にあたる久光伯爵が
別邸として建設したもので 平成23年に国重要文化財に指定されています。
内部では俳諧の盛んな町だけあって 全国の俳句結社の展示があり
椿の展示もやっていました。
ミュージアムから数百mくらいのところにある
ロープウェイで松山城に行きました。
孫は高校で卓球をやっていて、受験で運動不足
からか歩いて上ると言って先に着いていました。
松山城に来たのは多分 30年くらい前のことで
ほとんど記憶にありません。
ロープウェイで松山城に行きました。
孫は高校で卓球をやっていて、受験で運動不足
からか歩いて上ると言って先に着いていました。
松山城に来たのは多分 30年くらい前のことで
ほとんど記憶にありません。
天守閣から撮った写真をパノラマに編集してみました。
松山城から車で移動して「子規記念博物館」
に行きました。
その付近は道後温泉の界隈で、
以前に泊まったホテルも思い出しました。
博物館は地下に駐車場もある立派な
建物で入場料は65歳以上は
200円で 高校生は無料でした。
地階から4階まであり、2階の展示第1室には「道後・松山の歴史」「子規とその時代」
、3階の展示第2室には「子規のめざした世界」をテーマとした展示がある。
道後温泉は相当に古くからあって聖徳太子が来湯して 1400年とかで記念しています。
万葉集の額田王が詠んだ「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」
が松山市の地名と知りました。
に行きました。
その付近は道後温泉の界隈で、
以前に泊まったホテルも思い出しました。
博物館は地下に駐車場もある立派な
建物で入場料は65歳以上は
200円で 高校生は無料でした。
地階から4階まであり、2階の展示第1室には「道後・松山の歴史」「子規とその時代」
、3階の展示第2室には「子規のめざした世界」をテーマとした展示がある。
道後温泉は相当に古くからあって聖徳太子が来湯して 1400年とかで記念しています。
万葉集の額田王が詠んだ「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」
が松山市の地名と知りました。
子規は明治35年に死去。享年34。辞世の3句から子規の忌日9月19日を
「糸瓜忌」といい、雅号の一つから「獺祭忌」ともいう。
子規と漱石が52日間くらした下宿「愚陀仏庵」が復元展示されています。
「糸瓜忌」といい、雅号の一つから「獺祭忌」ともいう。
子規と漱石が52日間くらした下宿「愚陀仏庵」が復元展示されています。
子規は食いしん坊で特に果物が好きでカキが大好物だったとのことです。 松山から東京に戻るときに大阪・奈良に立ち寄り 法隆寺での有名な句があります。
ちょうど 2月22日に2月のわくわくお出かけは法隆寺に行きました。 撮った句碑の写真です。
子規は絵も上手だったようで自画像と晩年の画像を編集しました。
ちょうど 2月22日に2月のわくわくお出かけは法隆寺に行きました。 撮った句碑の写真です。
子規は絵も上手だったようで自画像と晩年の画像を編集しました。