1/18には家内が岡山の病院に行った帰りに、西条市の西にある伊予小松から北に行くと
今治市に着き、市内にある57番永福寺から59番国分寺の3カ寺を回って来ましたが
60番横峰寺までの道は2月28日まで通航止めとのことで遠い山道を苦労して入り口まで
行って帰って来ました。 今回(3/17)に岡山の病院に行った帰りに横峰寺に行って来ました。
下の画像は自宅から60番横峰寺までの地図と 横峰寺の画像です。
下の左側の画像は横峰寺のバス停と途中に見える黒瀬湖と バス停からお寺までの地図です。
バス代は1800円でしたが、急な狭い林道でしたので車で行かなくてよかったです。
下の右側の画像はインターネットで見つけたお寺の風景です。 シャクナゲの木がたくさん
植わっていましたので、季節には見事だと思います。
3/17の食事処です。昼食は三豊のSAでラーメン 朝食は岡山の鴻ノ池サービスエリアで
豚汁定食 夕食は観音寺のレストランで洋食のセットにしました。
三豊サービスエリア |
鴻ノ池サービスエリア |
観音寺のレストラン MOCHA |
横峰寺の歴史・由来
西日本の最高峰・石鎚山(標高1982m)は、山岳信仰の霊地であり、
修験道の道場でもある。弘法大師・空海が24歳の若いときの著書『三教指帰』の中で
「或時は石峯に跨って粮を絶ち(断食)轗軻(苦行練行)たり」と、
この山で修行した様子を記している。
境内は石鎚山の山系の北側中腹(750m)にある。
四国霊場のうちでは3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所であった。
昭和59年に林道が完成して、現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで車で行き参拝できる。
ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となる。大型バスは通行が不可である。
縁起によると、白雉2年、役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、
山頂付近に蔵王権現が現れたという。
その姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建とされている。
また、延暦年間(782〜806)には石仙仙人という行者が住んでおり、
桓武天皇の脳病平癒を成就したことから、仙人は菩薩の称号を賜ったと伝えられる。
弘法大師がこの寺で厄除けと開運祈願の星供養の修法をしたのは大同年間(806〜10)とされ、
このときやはり蔵王権現が現れたのを感得、堂宇を整備して霊場とした。
以来、神仏習合の別当寺として栄えているが、明治新政府の廃仏毀釈令により寺は廃寺となった。
明治42年になって、檀信徒の協力によりようやく復興している。
横峰寺の見どころ
本堂・星供大師・石楠花(本堂から大師堂の横の山際一面に植えてある。
5月上旬から鮮やかな薄紅色の花が、境内を彩る。)
星ヶ森(名勝、山門から約600m、霊峰石鎚山の遥拝所)