めいけん(迷犬)シェーンとの道草こぼれ話

今まではHpのみ開設していましたが、このたび「迷犬との道草こぼれ話」のブログを開設しました。皆さん宜しくおねがいします

我れは天主である! ぐるっと!山陰・丹後・若狭・能登・飛騨・近江・瀬戸内の旅!

2015年11月26日 | ゴールデン
   10月18日、岐阜県、 「 道の駅・美濃にわか茶屋 」 で朝を迎え、
 散歩、食事の後、国宝、犬山城へやって来たんだ! 

  木曽川が防御と流通の役目を果たしているんだね!
  
                      
   現存する当時の天主閣としては最古である為、国宝になったんだね!
 織田信長の叔父、織田信康が木之下城を移築して築城したんだって! 

  
                   
   天主からの眺めが良いのは何処でもそうだけど、
 当時、犬山城は中山道、名古屋道、木曽川運輸と
 交通の要だった事が分るね! 

 
                     
   犬山城を見た後、滋賀県、琵琶湖近くに在る百済寺にやって来たんだ! 
 その昔、聖徳太子が渡来人、百済の人の為に
 建立したのではないかと言われているんだ! 

 時代、時代の文人が百済寺を称賛したんだね! 

  
                           
   僕も見学、参拝してみよう~! 
 極楽橋を渡るって事は、極楽へ行けると言う事かなぁ~?    

  
                       
  山門まで石段・石垣と参道が続くんだ! 観光客が居なく!素敵だね! 
 静寂で厳かで、落ち着けるね!
 
  
                      
  参道の両側には宿坊などの住居跡が残されているんだ! 
  
                     
   僕はここまでだって! 父さんは境内を見て廻ったんだ! 
  大きな草鞋だね! 諸事、色々あるだろうけど、
 仁王が左右に立ち、睨みを利かしている事から、
 盗みなど、悪事を働く者が侵入する前に、これだけ大きな者が
 寺を警護しているのだぞ!と悟らせ委縮させてるのだろうね! 
 
  
                      
  その後、織田信長が築城したと言われる安土城へやって来たんだ! 
  百済寺の参道や石積、配置方法などを参考にして
 安土城を築城したと言われているんだ!    

  観光客の皆んなが、この長くて急な石段を喘いで登ったんだって! 
  
                  
  全国の城閣を色々、見て廻ったけど、城郭の中で
 一直線の石段は安土城の石段が一番 急で、長かったなぁ~だって! 

  
                   
   安土城の石垣・石段などにお寺などの石が使われているんだって!
 諸事有るだろうけど、国を治める者として、租税は納めないは、
 仏門に入りながら美食・美飲・享楽に走り、 
 国を治める者のいう事を聞かない者の掃討なんだろうね!

  近年でも京都府が寺院に対して税金を徴収しようとしたけど、
 寺院側は駐車場などを閉じ、
 観光都市、京都が混乱した事があったね! 

 

                    
  
                         
  安土城跡、見取り図 
  
                          
   天主閣よりも少し低い所に「御幸の間」「皇居の間」らしいものが在り、
 天皇を招き、見降ろす様な天主閣だったらしいね!
 ここから 「 我れは天主である!我れが国を治める者である!」 と示し!
 我れこそが天主で、天主が居る高い建物として、
 ここから天主閣と言う言葉・建物の名称の始まりだろうね! 

 
                      
  天主閣跡 
  
                            
   まだ、完全に解明されてはいないけど、
 天主閣はこの様な様式ではなかったかと言う事! 

  
                      
   天主閣跡からの遠望。
 城下より軍船を琵琶湖の対岸へ四方八方、素早く派遣したり、
 北陸、東海、中山道の要とし築城したんだね! 

 

   安土城を見物した後、滋賀県、 「 道の駅・草津 」 へやって来たんだ!
 今日も快晴で、良く歩いたね! 
 夕食後、又、又、爆睡だぁ~! おやすみ~! 

  
  

  
コメント
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