10月18日、岐阜県、 「 道の駅・美濃にわか茶屋 」 で朝を迎え、
散歩、食事の後、国宝、犬山城へやって来たんだ!
木曽川が防御と流通の役目を果たしているんだね!
現存する当時の天主閣としては最古である為、国宝になったんだね!
織田信長の叔父、織田信康が木之下城を移築して築城したんだって!
天主からの眺めが良いのは何処でもそうだけど、
当時、犬山城は中山道、名古屋道、木曽川運輸と
交通の要だった事が分るね!
犬山城を見た後、滋賀県、琵琶湖近くに在る百済寺にやって来たんだ!
その昔、聖徳太子が渡来人、百済の人の為に
建立したのではないかと言われているんだ!
時代、時代の文人が百済寺を称賛したんだね!
僕も見学、参拝してみよう~!
極楽橋を渡るって事は、極楽へ行けると言う事かなぁ~?
山門まで石段・石垣と参道が続くんだ! 観光客が居なく!素敵だね!
静寂で厳かで、落ち着けるね!
参道の両側には宿坊などの住居跡が残されているんだ!
僕はここまでだって! 父さんは境内を見て廻ったんだ!
大きな草鞋だね! 諸事、色々あるだろうけど、
仁王が左右に立ち、睨みを利かしている事から、
盗みなど、悪事を働く者が侵入する前に、これだけ大きな者が
寺を警護しているのだぞ!と悟らせ委縮させてるのだろうね!
その後、織田信長が築城したと言われる安土城へやって来たんだ!
百済寺の参道や石積、配置方法などを参考にして
安土城を築城したと言われているんだ!
観光客の皆んなが、この長くて急な石段を喘いで登ったんだって!
全国の城閣を色々、見て廻ったけど、城郭の中で
一直線の石段は安土城の石段が一番 急で、長かったなぁ~だって!
安土城の石垣・石段などにお寺などの石が使われているんだって!
諸事有るだろうけど、国を治める者として、租税は納めないは、
仏門に入りながら美食・美飲・享楽に走り、
国を治める者のいう事を聞かない者の掃討なんだろうね!
近年でも京都府が寺院に対して税金を徴収しようとしたけど、
寺院側は駐車場などを閉じ、
観光都市、京都が混乱した事があったね!
安土城跡、見取り図
天主閣よりも少し低い所に「御幸の間」「皇居の間」らしいものが在り、
天皇を招き、見降ろす様な天主閣だったらしいね!
ここから 「 我れは天主である!我れが国を治める者である!」 と示し!
我れこそが天主で、天主が居る高い建物として、
ここから天主閣と言う言葉・建物の名称の始まりだろうね!
天主閣跡
まだ、完全に解明されてはいないけど、
天主閣はこの様な様式ではなかったかと言う事!
天主閣跡からの遠望。
城下より軍船を琵琶湖の対岸へ四方八方、素早く派遣したり、
北陸、東海、中山道の要とし築城したんだね!
安土城を見物した後、滋賀県、 「 道の駅・草津 」 へやって来たんだ!
今日も快晴で、良く歩いたね!
夕食後、又、又、爆睡だぁ~! おやすみ~!
散歩、食事の後、国宝、犬山城へやって来たんだ!
木曽川が防御と流通の役目を果たしているんだね!
現存する当時の天主閣としては最古である為、国宝になったんだね!
織田信長の叔父、織田信康が木之下城を移築して築城したんだって!
天主からの眺めが良いのは何処でもそうだけど、
当時、犬山城は中山道、名古屋道、木曽川運輸と
交通の要だった事が分るね!
犬山城を見た後、滋賀県、琵琶湖近くに在る百済寺にやって来たんだ!
その昔、聖徳太子が渡来人、百済の人の為に
建立したのではないかと言われているんだ!
時代、時代の文人が百済寺を称賛したんだね!
僕も見学、参拝してみよう~!
極楽橋を渡るって事は、極楽へ行けると言う事かなぁ~?
山門まで石段・石垣と参道が続くんだ! 観光客が居なく!素敵だね!
静寂で厳かで、落ち着けるね!
参道の両側には宿坊などの住居跡が残されているんだ!
僕はここまでだって! 父さんは境内を見て廻ったんだ!
大きな草鞋だね! 諸事、色々あるだろうけど、
仁王が左右に立ち、睨みを利かしている事から、
盗みなど、悪事を働く者が侵入する前に、これだけ大きな者が
寺を警護しているのだぞ!と悟らせ委縮させてるのだろうね!
その後、織田信長が築城したと言われる安土城へやって来たんだ!
百済寺の参道や石積、配置方法などを参考にして
安土城を築城したと言われているんだ!
観光客の皆んなが、この長くて急な石段を喘いで登ったんだって!
全国の城閣を色々、見て廻ったけど、城郭の中で
一直線の石段は安土城の石段が一番 急で、長かったなぁ~だって!
安土城の石垣・石段などにお寺などの石が使われているんだって!
諸事有るだろうけど、国を治める者として、租税は納めないは、
仏門に入りながら美食・美飲・享楽に走り、
国を治める者のいう事を聞かない者の掃討なんだろうね!
近年でも京都府が寺院に対して税金を徴収しようとしたけど、
寺院側は駐車場などを閉じ、
観光都市、京都が混乱した事があったね!
安土城跡、見取り図
天主閣よりも少し低い所に「御幸の間」「皇居の間」らしいものが在り、
天皇を招き、見降ろす様な天主閣だったらしいね!
ここから 「 我れは天主である!我れが国を治める者である!」 と示し!
我れこそが天主で、天主が居る高い建物として、
ここから天主閣と言う言葉・建物の名称の始まりだろうね!
天主閣跡
まだ、完全に解明されてはいないけど、
天主閣はこの様な様式ではなかったかと言う事!
天主閣跡からの遠望。
城下より軍船を琵琶湖の対岸へ四方八方、素早く派遣したり、
北陸、東海、中山道の要とし築城したんだね!
安土城を見物した後、滋賀県、 「 道の駅・草津 」 へやって来たんだ!
今日も快晴で、良く歩いたね!
夕食後、又、又、爆睡だぁ~! おやすみ~!