ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

「伝道師」という肩書きに惹かれる理由。なんのっ!?

2017-08-22 | 雑念
立て続けてランキングや3つのポイントなどを偉そうにブログに書き綴った。

僕が見つけたファシリテーター心得ポイント3つ
僕が安心できる教育者の「資質」トップ3
素敵だなと思う人の特徴3つ

書き綴ってみた、というのが正確な言い回しである。

先日の「編集・ライター養成講座説明会」でいただいた資料に目を通して鱗が落ちる。

心を動かす文章とは?
お金を出しても読みたい文章は?

そんな言葉に目が止まる。
このブログでお金を稼ごうとは思っていないのだが、自分の仕事に通じる言葉に確実に心を掴まれた。

心を動かす

僕はプロジェクトアドベンチャー®︎を学び、ファシリテーターとして今まで少なくとも10,000人以上の参加者に関わってきた。

野外教育施設に勤務しながら関わったり、フリーランスとして旅芸人のように依頼を受けて関わったり、NPO法人の事務局員として関わることもあった。

職を変え、立場を変えても体験学習におけるファシリテーターの関わり方は僕の教育観として根強く心の奥に座り込んで動かない。

心を動かす

その言葉は僕の教育観の本質になりつつある。

それは目の前にある日常として、追い求め始める。そして渇望しているのだ。

ファシリテーターの本質でもある。

本当の学びは感動的である。だから心を動かす事をめざすのだ。

学びは感動にこそ宿る。

直接的な知識や技術はどこかのインストラクターにお任せして、僕が目指すべきは未来の教育、これからの学問、生き方、在り方、輝き方。

目の前にある感動にこそ本当に欲しかった宝物

その事に気付かず人は遠く果てしない土地に楽園を求めてしまう。憧れは大抵、手が届かない場所にある。逆に手が届いた時に初めてそれほどでもなかったことでそっぽを向く。

まるで中学生の恋のようだ。

「学び」を「愛」に置き換えても同じことなのかもしれない。

僕は「愛」を感動で伝えようとしているのかもしれない。

愛の伝道師、いい肩書きだ。

愛を伝えられるなら体験学習でも文章でも構わない。そう考えている。

ひょっとしたら芸術家になって愛を伝えるのかもしれない。

当分は偉そうに「◯◯な理由」とか「ポイント3つ」とかを"まとめ"風に綴る事になるだろう。

これも飽きたら別の形態に変わる。
時代は移り変わっていく。


素敵だなと思う人の特徴3つ

2017-08-22 | 雑念
この人素敵だなと思う人の特徴3つ



1.直感で好き

これを言ったらおしまいなんだけど、そもそも人から出ているオーラというか波動というか。そういう出てくるものでもう全てが決まると言える。

直感で「この人と話がしたい」「この人のそばにいたい」と理由なく思う。

だからこそ自分自身が滲み出る人柄を感じるアンテナを磨いておく必要はある。

素敵な人を見つけられる人は、素敵になれるはず



2.いつも楽しそう

この人いつも楽しそうにしているよな、という人が素敵に見える。笑っている時も怒っている時も何やら楽しんでいるように見えたりする。

何か企んでいるのかな?そんな表情や仕草。

この人のそばにいると何か面白いことが起きそうに思えてしまう。不思議。

表情豊かだ。つまらなそうにしている時もちゃんと眉間にしわを寄せて訝しげ。怒った時は真っ赤な顔で震えていたり。

ちゃんと人間的。当たり前だけど裏表がないというのか。分かりやすい人。



3.チカラが抜けている

いつもリラックス。真剣なのに楽そうに見える。
真面目なのにお茶目。余裕がいっぱい。

初めてのことにチャレンジしてもワクワクを上手に楽しんでいる。

最高に楽しそう。

初めてなのにスノボ滑れちゃうとか。
やけに乗りこなす感じが憎めない。
運動神経とかじゃなく、楽しそうにズッコケたり



以上

こんな風になれたらいいなと思う。

僕が安心できる教育者の「資質」トップ3

2017-08-21 | 雑念
「子ども好き」は本能

だから「教育者になる理由」にはならない。

教育に関わる人材と数多く接することが多い。
教員の卵なる人の多くに「子どもが好きだから」と志望動機を語る人がいるが、僕はとても複雑な気持ちになる。

自分の子ども(いませんけど…)をこの人のクラスに入れたいと思わないのだ。
この感情は多くの人がそうではないかもしれない。ただどうもその本能だけを突破口に目指す職業とは思えないのである。

だったら僕の子どもの教育者(担任など)として安心できる「資質」ランキングトップ3を以下に

1.「教育に興味がある」

「教育」は未来につながる大切なもの。過去の叡智が未来へと続く。その学びの場に興味があるのならとても安心できるのである。

どんな風に伝え教えるのか。その雰囲気や教室、語り方、問題への対処、全てが未来へ続いているとしたら?

そんな場をつくる大人に子どもを預けてみたい。
別に教員免許は要りません。

2.「強いものに屈しない」

どうやら年功序列らしい。
多くの先輩から強いられる常識という悪しき伝統。新米は当然、右も左もわからぬまま利用され役割を与えられがんじがらめにされる。

そして疲弊して、理不尽な保護者の要求に潰される。システマチックに物事を運ぶために楽な方法を選択する。

そんな悲劇にならないための自信と良きアドバイザーや相談者がいる人。そして強い味方。

そんな人達が近くにいる事で強いものに屈しない人物。

素敵

3.「人柄」

これは生まれ持ったものだから、と思うかもしれないが人柄は「生き方」で滲み出る。

取り繕っても短時間では結果が出ない。2,3週間で就職活動の準備をしてもボロが出るのと一緒である。

今からでも遅くはない。
考え方や今の行動、発言をもう一度振り返って、考え直さねばなるまい。

かく言う筆者も反省すべき事柄である。
とても簡単ではない事を知って、焦らずチャレンジし続けていきたい。

そんな心持ちが溢れ出る。
言葉ではなくその人間性を磨き、豊かに生きていく事を常に動いていこう!

時にノンビリ余暇も楽しむ。

最高!

僕が見つけたファシリテーター心得ポイント3つ

2017-08-20 | 雑念
僕が見つけたファシリテーター心得ポイント3つ

1. 参加者が主役

ファシリテーターは参加者が主役の案内役である。しかしその多くは結局指導者という立場からくるインストラクターであることが多い。

その事を自覚をしているのか、それが良かれと思っているのか。とにかくそれでは結局今までの教育の手法と同じで軍隊型と変わらなくなっている。

僕たちは今までと違うアプローチをすることに意味があるのだ。だからこそ参加者自身が考えることができる「間とタイミング」を作らないといけない。

"日本のファシリテーターは喋りすぎ"
〜ファシリテーターのことば〜

2. どんなに忙しくても遊ぶ

ファシリテーターのみならず指導者側の生き方や在り方が対象者に影響する。ファシリテーター本人が普段「忙しい、忙しい」と休みもとれない生活を送っていると、いざ参加者主体のプログラムになった時に「間とタイミング」を作ることなんてできるはずがない。

だって自分の遊びの時間も確保できないのに

3. 原点はFUNである。

体験学習の根本的な要素に"FUN"がある。僕はこれが全てだとも思っている。参加者が主体的に動き出す理由。それが"FUN"なのだ。

未だに「効果的な理論」とか「革新的なメソッド」だとか本を読み漁り、理論を語り、群衆をその巧みなロジックに巻き込んで煙に巻く人がいる。

そんなことに目をくらませると、ドンドンつまらない軍国主義のような教育手法になっていくことに気づいて欲しい。それで日本の教育が壊れていくという事実に

と、僕も恐怖心を煽るような言葉を使いたくはない。

だからシンプルに"FUN"なのだ。

主体性は"FUN"が養うのだ。

だから指導者自身が"FUN"そのものである必要がある。それを押し殺し、指導者目線で接してみても参加者はドンドン萎縮し評価される事を待つ。

主体的に動くなんて出来たもんじゃない。

ファシリテーターが最も"子ども"そんなプログラムが理想だ。

以上

ライターになるのに専門の講座を受けるのか?

2017-08-20 | 雑念
人の心を動かす文章

昨日の僕のチャレンジは

「編集・ライターについて考える」

というもの。
大阪に繰り出し、講座の説明会に足を運んだ。
長年ブログを書き続け、文章を書くことにやっと慣れてきた。

小学生の頃、読書感想文に四苦八苦したあの夏休みを思うと
どれだけ成長したのだろうか。

そんな僕のニワカ文章力を何かに活かせないかと探し当てたのが、「編集・ライター」のフリーランス講座である。

どうやら莫大な授業料を払って
第一線のプロフェッショナルの生の声が聞けるらしい。

その授業料を支払うに値する何かを掴めるのならば申し込んでも構わない。

僕はベトナムから帰ってギャラが振り込まれる頃に何らかの新しい道を見つけ出すのだろう。

その時にその口座に金を払ってもいいと心が動けば申し込むことになるのかもしれない。

ただ今の段階ではまだまだ現実味を帯びない。

ただし説明会に参加することで自分の興味が本気なのかを試すことができる。

僕の将来の夢など他人には「ふーん」ってなもんだろうが、このブログは僕の生きた証。

日記なのだ。

他人のために書いているのではない。
だから僕は僕の将来のビジョンを書き綴って
何年後かに読み返すのだ。

どうやらプロフェッショナルなライターは

企画力と取材力と文章力

を兼ね備える。
文章力はトレーニングでどうにかなるらしい。
企画力や取材力は本人のパーソナリティが試されるのだという。

やっぱり!

そう感じていた。
webの記事や雑誌でも同じ。
文章力はさておき、その「読みたい」と思わせるタイトルや構成力、企画力は人を惹きつけるに尽きると感じていた。

ある意味、僕の仕事とあい通じるところも多い。

そして時代を先取る視野の広さが大切なのだと。

望むところだ。
楽しそうじゃないか。
僕も教育分野で次の時代を案じてままならない。

そしてその次の世界についても。

今の知識伝達型の教育は滅びる。

そんな教育はAI先生がやってくれる。

僕は

未来の教育分野を切り拓くための
新しい学習スタイルに興味がある。
そしてそのヒントを掴みかけていて
仕事仲間はこぞってその分野の最前線の人達である。

今までの教育では限界がある。
だけど大変革には至らない。
モヤモヤしているこの時代に
新しい風が吹く。

そこに多くの人が関心を抱いていることを願う。
知識伝達型ではなく
自主的探求型学習スタイルに。

100年後の教員はみんなファシリテーターと呼ばれている。そんな未来を考えたい。

取材させて下さいね、皆さん。