ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

そろそろ現実味が湧く「不安」への僕の対処法

2017-08-19 | 雑念
初めての現場へ

僕のことを知らず
何ができるのかも分からない。

そんなクライアントが
僕に何を期待するのだろう。

推薦と面接だけで引き受けた今回の仕事。

果たして僕は期待通りの仕事ができるのか。
正直、「自信を持って」が通用しない。

実際の流れは全くもって文字情報だけである。

しかも「チームビルディング」という課題というかテーマがあって、「ファシリテーター」という役割がある。

そんなこんなで僕は不安になって来たりしている。

自分の新たな繊細な部分にまた可愛くもあるのだが^_^

成るように成るよ

そう言われたかのように、
その人と出会い

安心してください

そう言われているかのようにネットニュースでとにかく明るい安村の記事を読む。

こんな時、皆さんはどのように気持ちを安らげますか?

こんな時というのは、

「初めての現場で、初めての実力を示す時
相手は自分の実力を全く知らない」という条件

【ホクトマンの対処法1】

全く下調べや心配事を直前まで考えない。

この対処法は諸刃の剣!
よいこは真似しないように!
熟練した心臓の持ち主でないと当日に震えて本領が発揮できませんからね。

【ホクトマンの対処法2】

自分が褒められた経験を思い出し反芻する。

これもなかなかの熟練の技!
まず褒められた経験を思い出すのに時間がかかる人も少なくなかろうて。
しかし自分が素晴らしい仕事人であると自負するしか不安は拭えない。

【ホクトマンの対処法3】

あきらめる。

これは考えることをあきらめる、も含む。
ただもう失敗や期待はずれのクライアント(依頼主)からのバッシングや低評価も、今後の関係をあきらめれば「思い切り自分の実力」を出してやろう!と勢いが出る。

どーせ、なかった仕事なんだから思い切り!
最後の仕事だと思って!

ほぼ恋愛の告白に近い。
どーせ嫌われるなら告白しちまえ!てなもんだ。
フラれても大したことはない。

それを笑うやつの株がどんどん下がるだけの話だ。

と以上

いろいろ対処法を考えるが
結局「やらなきゃ分からない」が本物。

案ずるより産むが易し

虎穴に入らずんば虎子を得ず

こんな言葉があるんだもん。

元も子もねぇな。


現金が羽をバタつかせて飛んで行った日

2017-08-18 | 雑念
疲れてるんだろう。

目が覚めたら10:00をまわっていた。
車検、キャンプ、ベトナムなどが頭を回る。

また明日は新たな試み
大阪に繰り出します。

最近よく行く。
今日は甲子園に行くつもりだったが
全く体が動かない。

明日大阪に行って元気があれば甲子園に立ち寄ろう。

僕の夏休み

どうやら今日らしい。
夏休みが気付けば今日だけだ。
気温も日中は暑いが朝夕は涼しい。
秋を感じる。

車検で金が吹っ飛んだ。
想定よりも倍以上かかった。
ベトナムへの余裕がなくなった。

細々とフォーでも食って過ごそう。

昨日はキャンプ事業の準備
スタッフTシャツ作りと参加者へのプレゼント作り
黙々と作業をしていたら
当日研修会だったので終了後に
作業していた染色室に懐かしの人が来てくれた。

当時僕が嬉野で働いていた時の入れ替わり後輩にあたる。

共通の先輩や同僚が多く、教員になって結婚し出産も経験していた。

産休育休をとって、この4月から復帰するとのこと。

かつて「いちプロ(外部リンク)」で富士山に登った時、高山病になりながら生徒達のために頂上まで登る、と根性を見せた事を思い出した。

今は2児の母で更に根性が座っているように見える。

そしてそこに講師のガクさんやら担当者、スタッフが遊びに来てくれて賑やかになった。

一夜明けて、その時の夏の風景がフラッシュバックした。かつての懐かしさと今の仕事仲間が作業を覗きに来てくれた感覚がとても幸せを感じた。

「染色室にホクトマンいるよ」

と言われても別にわざわざ尋ねる必要もないわけで、遊びに来たよ感がたまらなく嬉しかった。

作業も無事に終わり片付けて
ベストタイミングでお開きになった。

膨大な現金が飛んで行った日にしては
素敵な1日になった。

Tシャツ作りの気持ち

2017-08-17 | 雑念
昨日はキャンプ事業の準備

Tシャツ作り作業
50枚近くを手作りしている。

かすれたり
濃淡があったり
少し汚れたり

僕は手作りの"味"と考えて
気にしない。

逆に汚れた作品の方がいい。

ビンテージものの考え方



機械で大量生産の世の中
手作りの味を楽しめずにどうする?

そして我ながらそのデザインが実際子どもサイズで大量に並ぶと「可愛く見えてくる」

これはいい。

可愛い。




ちょっと辛い。

2017-08-16 | 雑念
家の中が祭りである。

盆休みという事で妹夫婦が帰省し
甥(5)姪(3)が家をめちゃめちゃにしている。
オモチャを爺さんに買ってもらい
部屋中に散らかし遊び、大騒ぎする。

20歳過ぎてコレだと即逮捕

まだ未就学児だから辛うじて許されているが
僕の中では全く可愛いとは思えない。

ある程度の限界を超えると妹やら妹旦那から
躾という事で怒られる。

全員大きな声になる。

家の中のボリュームではない。
仕方ないといえば仕方ないと。
それも子育てをしてきた人達よりも
多くの子供たちと接してきているから
分からないでもない。

とにかくその残虐性をただ状況説明がしたいだけである。

吐き出さないと僕のストレスが半端じゃない。
しかし本日帰宅するという。

「あっという間だったね」と妹に言ってみたが、僕の中ではかなり長く感じていた。

甥っ子達に全く近寄ろうとしない僕にはほとんど近づいてこない所が成長の跡かもしれない。

たまにおもちゃで突っついてきては反応を見て遠ざかるを繰り返した。

仕事だった事をこれほどありがたいと思う事はない。

10分程度の面会で十分なのだ。

というわけで挨拶も程々にさっさと仕事へ。

これは大変だわ。

脳内が錯乱したまま
落ち着いてベトナムよ準備も出来ない。

遊びという名の大切なもの

2017-08-15 | 雑念
何のために遊ぶのか

"気"を蓄えるためである。

若いとき、学生の時は簡単に遊ぶことができる。だから"気"を蓄えているという事に気付かない。

元々蓄えずとも"気"に満ち溢れているのだ。

年齢を重ね、知識と経験を蓄えれば蓄えるほど「気力」は、悲しいかな衰えてくる。

だからこそ「遊び」が必要になる。

「仕事が忙しくて遊べない」は人生で最も悲しい状態と言える。

優秀な経営者は言わずもがな遊びを巧みに利用する。

遊びが人を豊かにする。
遊びが人を育てる。

僕たちは学生時代、「勉強や身体トレーニングの方法」ばかりを学び続ける。しかもテストで評価され、競争させられる。

「遊びの方法」は一切学ばない。
逆にゲームや漫画などの遊びは、その時代「悪」とされ、「勉強ができること」に価値観を植え付ける。

今大人になって「遊び」を冷静に考えると、自分自身の趣味嗜好がよくわかる良いバロメーターである。

誰から強制されることのない自由であるが故の本来の自分自身。

なぜ20歳くらいに「本当の自分探し」をしたくなるのかがよくわかる。

それまでの学生時代が如何に本当の自分で生きられないような時を過ごしてきたのか。

そして結果的に自分に自信のない、いつも誰かに見張られているような感覚の大人が多く排出される。

世の中が新しいもの、異質なものに過剰反応するのも、大多数がそんな生き方ができないから民主主義的にぶっ潰していくのだ。

マイノリティは淘汰されていく。
それが当たり前だと学んでしまっている。

心に遊びもない。
ハンドルにも遊びが必要だと習ったのに
人間自身に遊びがなけりゃ世話がない。

さ、遊びに行こう!

近々甲子園に行こうと思う。
誰か行かんかな?