写真は、1999年9月撮影の曼珠沙華とエノコログサ。記事とは関係ありません。
先日、ラジオを聴きながら、ゆったり気分で車を運転していた。
突然、「魔の3歳」という言葉が、耳に飛び込んできた。
ラジオは3歳児を抱えている若い母親が、子供の反抗に悩んでいる質問だった。
質問のタイトルが、「只今魔の3歳真っ最中」だったように思う。
「何事によらず、『自分でやる!』とか『そんなのイヤ!』と言って反抗されています。どんな対応をしたらよいのでしょうか」
そんな内容の質問だった。
わが家の孫たちも、それに近い年齢だ。ハッとさせられて聞き耳を立てた。
リスナーの人たちから、経験に基づいた実践的な回答が寄せられていた。
若い母親たちは、みんな一様に苦戦しているのだ。
「魔の3歳」という言葉は、仕事場の女性社員、Sさんから聞いて知っていた。Sさんは2児の母親だ。
「お孫さんはお元気ですか」 以前、Sさんに訊ねられたことがあった。
「なかなか難しいもンだねェ」、という私の返事に対し、
「なにしろ、『魔の3歳』と言われる時期ですからね」と、Sさんは笑った。
そのときはじめて、「魔の3歳」という言葉を知った。新鮮な響きで私の耳に残った。
このSさんには、時折子育ての要諦を伝授してくれる。頼りになる美人社員だ。
仕事場での私の周囲には、2児の母が3人いる。9月18日の記事に登場してもらったOさんのほかに、Mさんもいる。孫と接触の多い私としては、力強いアドバイザーだ。
Mさんにも貴重な助言を聞きたいと思っている。
ただ3人とも多忙なので、なかなか時間を作ってもらえない。
それまでの私は、迂闊にも、その言葉を知らなかった。私たちの子育て時代にも、「魔の3歳」と言っていたのだろうか。
反抗期という言葉は知っていたが、「第1次反抗期」と「第2次反抗期」と区分されていることも明確には知らなかった。
「魔の3歳」は、2~3歳のころの「第1期反抗期」のことらしい。Sさんとの会話のあと、私はそんなことを学んだ。
つまり、40年ほど前の私は、子育てに参画していなかったのだ。だから、子供の反抗期について、さしたる知識もなく過ごせていた。なんでもカミさんだった。家庭を顧みない「ダメ夫」だったのだ。
リスナーたちのアドバイスが続いた。
「自我が芽生えた証拠です。じっくり見守ってあげて下さい」
「子供さん自身も、自分の扱いに戸惑っているのですよ」
「イヤイヤをされて困ったら、とにかく一度部屋を出て、深呼吸をしなさい」
「順調に成長している証拠ですよ。自信を持って下さいネ」
それぞれが温かいアドバイスだった。
若い頃の私は、カミさんから、子育ての悩みを聞かされていたのだろうか。
一緒に悩んでいただろうか。
今は霞の彼方。どうやら知らんぷりだったらしい。
今ごろ反省しても、もう取り返しがつかない。
子供が生まれた親にとって、子育ては義務だ。育てる責任がある。私はそのように思っていたのだが、どうも違っていたらしい。
子育ては権利に近い。天から与えられた恩恵とも言える。
「この子を育てる機会を、あなたに授けます。しっかりと慈しみ育てながら、あなた自身も成長していいですよ」
こんな言葉で、天が子供を授けてくれたのではないか。
私はその恩恵を十分には戴かなかった。折角のチャンスだったのに。
いや、私だけではあるまい。同年代の多くの男たちは、「男は仕事、家庭は女」と思い込んでいた。
仕事、酒、麻雀・・・、仕事、仕事、酒・・・。家庭は妻の役目。
そんな男たちが多かった。
そんな私たちが、少子化時代への道筋を作り続けていたのではなかったろうか。
いや、昔に限らない。今もオフイス街は、真夜中まで灯りがついている。
時には徹夜も必要だろう。しかし大方のところ、仕事は段取り次第でどうにかなる。帰宅時間を心で決すれば、帰れるようになるのではなかろうか。
もちろん、安全などように、割り切ってはいけない仕事は別の問題。
世の父親たちよ。子育ては親に授けられた恩恵なのだ。早く帰宅しようではないか。
「魔の3歳」から、話は大きく逸れてしまったらしい。
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