昨日は休養の日と決めていた。
しかし、予想通り、動いてしまった。猫の額(わが家の庭)の草取りをした。
狭いながらも草取りとなれば、相応の支度も必要。作業開始はお昼近くになった。
作業も終わりのころ、イヌタデと相対した。抜いてしまおうか、それとも残そうか。
結果は、そのまま残すことにした。愛着のある野草だった。
イヌタデは別名をアカマンマと呼ばれている。子供時代を思い起こす懐かしい草だ。
中学生のころまで、よく喧嘩をした。
どんなキッカケだったのだろうか。今になっては覚えていない。
子供ながらに、喧嘩の作法があった。
① 素手でやれ。 つまり、武器を使ってはいけないということだ。
武器と言っても、ピストルや日本刀のことを言っていない。せいぜい下駄だ。少し後になって、「刀の鍔」というのが流行ったが、言葉だけで、実際に使ったヤツはいなかった。
② 相手が泣いたらやめろ。 そこで勝負がついたのだ。深追いしてはいけない。
③ 弱い者いじめはするな。 女の子や下級生をいじめてはならない。
小学生のころは、遊び仲間の喧嘩だから、ひどいことにはならなかった。ほとんど三つの戒律を守っていたように思う。
中学生になってからは、戒律を乱すヤツが出てきた。
二つの小学校が一つの中学校に集められた。知らない者が多くなった。きれいごとではいかなくなってきた。
「肥後の守」を持っているヤツがいた。ヤスリをグラインダーで削った「ドス」を、これ見よがしに見せるヤツもいた。
卒業生を巻き込む喧嘩も多くなった。これにはほとほと参った。
昭和20年代は、荒れた気風が吹いていた。街には「予科練帰り」や「復員軍人」がいて、荒んだ空気を煽っていた。
当時は進学する子供は少なかった。多くは中学校を卒業すると同時に、様々な職業に就いて行った。
そんな先輩が紛れ込む喧嘩は、とても始末に負えないものとなった。
私も一度だけ巻き込まれかけた。複数対複数の喧嘩だったが、相手の陣営には先輩がきそうだった。相手のボスがそれを口にしたのだ。
中学生時代、職に就いている先輩には勝てないと思っていた。とてつもなく大人に見えた。まして煙草をすっていたりすると、それだけで怖じ気ついてしまった。
あのときはどんな決着だったのだろうか。
相手の名前は今でも覚えている。しかし、勝ったのか負けたのか、どのような結末となったのか、まったく覚えていない。
心に傷が残っている喧嘩があった。③の項目だ。
女の子ではなかったのだが、無抵抗に近い相手だった。いや、断じて無抵抗ではなかった。しかし、喧嘩にはならない相手だった。
今も実家の近所に住んでいる。幾度か顔を合わせたが、なんとなく引け目を感じてしまう。口の利き方もぎこちなくなってしまうのだ。まだ詫びてはいない。
高校生になってからは、もう子供ではない。だから、この範疇には入らない話。
従って、高校時代の喧嘩は、今日のブログには含まれていない。
赤まんま幼きままの姿なり 鵯 一平
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