本日は芸森→アートスペース→500m→大丸の4か所。
悪天候のニュースも多いが、札幌は落ち着いた天気である。
地下鉄を乗り継ぎ、結構な混雑のバス(芸森入口で降りたのは2人)で芸術の森へ。
■札幌芸術の森美術館「佐藤武」。ちょうど私の入場のタイミングで数名の人が入ったためバタバタしたが、総じて静かに落ち着いて鑑賞ができた。
「[風景]」:1965年、最初期の作品。こんな画も描いていたのね。
「冬の空」:千歳出身、石狩にアトリエがあるということで、まさに北海道らしい風景なのだろう。
そして、インド・ネパールの旅をへて、作風が大きく変わる。
「時」:文明はいつか滅んでいく。その滅びへの決定的な瞬間を描いた作品。全ての時が止まったかのように描かれているため、破壊があっても極めて静かな雰囲気に満ちている。
「雨あがり」:いや、滅びには決定的な瞬間などなく、永遠に続くものなのかもしれない。
「時空の果てII」:いや、永遠に続くものなどない。空には「死線」が現れ、向こうの世界が存在するのだ。宇宙そのものがビッグクランチをへて、ビッグバンへと流転するのかもしれない。
「最果ての地II」:しかし「死」が訪れてなお、新しいものが沸き上がってくるのだろうか。
「「警告」この水は飲むことは出来ません」:「最果ての地II」では新しい命が沸き上がってくるように見えたのだが、2021年のこの作品で不吉なメッセージが残された。三又に分かれた水は何を意味するのか。安易に生命の賛歌を見て取ってはいけないのか。
ついつい妄想ストーリーが沸き上がってくるような展覧会と作品であった。この作家が最後に描くものは、「生」なのか「死」なのか。
■北海道文化財団アートスペース「すずきまいこ 個展「となりのくまたち」」。そう、今日は平日なのだ。このギャラリーも開いているが、私はドニチカキップを買えず、地下鉄専用1日乗車券で移動中。
「クマから見たトーヤ湖」:形にも色彩にも力感がある。
絵付け皿も展示されていた。
■500m美術館「せんと、らせんと、」。6人のアーティスト、4人のキュレーターと書かれている通りの企画展。
四方幸子(キュレーター)、是恒さくら(アーティスト)「汀線の唄」:鯨をテーマにした作品。
長谷川新(キュレーター)、ピョートル・ブヤク(アーティスト)「(作品名不詳)」:複数の作品名がまとめて書いてあるので、申し訳ないが次の作品がどのタイトルなのかが分からなかった。死や孤立を思わせる展示であった。
柴田尚(キュレーター)、モーガン・クエインタンス(アーティスト)「今はどう? これからどうする?」:二つの質問に22名の人が回答となる写真を寄せた作品。写真のストーリーはインターネット上にあるということで、見る気がしない。デジタル世界と現実世界の融合はこの先も行われていくのだろうけれども、年寄りは見る気がせんよ。
柴田尚(キュレーター)、マリット・シリン・カロラスドッター(アーティスト)「火の鳥」:スウェーデンの先住民族サーミとイラクのクルド民族をルーツとするダンサーなのだとか。
飯岡陸(キュレーター)、進藤冬華(アーティスト)「絡まりと閃き」:アートに関する考察が記されている文章の展示だったので写真は無いが、「北海道に暮らすと、学校で学んだ日本史を共有できない感覚がある。教科書の中で起こった出来事はほとんどここでは起こっていない。対岸で起きたできごとのように思える」(引用)。これ、北海道の人にかなり共通する感覚ではないだろうか。以前、香川県の飲み屋に行ったとき、客が平氏と源氏の話をしていたのに驚いたことがあるが、北海道ではそのようなことは起こらないのではなかろうか。
■500m美術館「500メーターズプロジェクト008×斉藤幹男「おこもろいな」-そんなこともあったね-」。「おこもろいな」は「おもい」と「コロナ」を組み合わせた造語だそうだ。
確かにいろんなことが中止・閉鎖の憂き目にあった。なぜ、オリンピックだけが開催されたのかは未だに理解できないが。
色々なものに「不要不急」のレッテルが貼られた。アートもその一つかもしれないし、飲食店の扱いは酷かった。さらにパチンコ、ライブハウス、カラオケへの仕打ちは、今振り返ってみると不当ではなかっただろうか。
今年のギャラリー巡りはこれで終わりかな。