小樽芸術村からなるべく日に当たらないように移動。まずは小樽市民ギャラリー「ラルゴ展」を拝見。
続いて、市立小樽美術館へ。1階の展示は前回と同じ。
■市立小樽美術館「一原有徳と戦争体験 蝶光る八月いまもネガの街」。一原の作品は現実の風景といった具体的なベースは無いということになっているが、本人のエッセイなどには戦争体験がいろいろ書かれており、大きな人生の一要素であったことは間違いないらしい。
一原有徳「スケッチ「森林の中の夏休み」」:1944年の作品で、34歳で軍隊に召集され、月寒から日高に転属になったころではないかとのこと。
一原有徳「ZO」:街の上に黒雲がかかったように見える作品で、やはり現実体験が作品に影響している可能性はあるだろう。
国松登「雛鷲の像」:一原に影響を与えたということで展示されていた国松の作品。空を見上げる航空隊の少年(将来鷲になるであろう雛)は、内心何を思うのだろうか。これも1944年の作品だが、戦後に国松は何を思ったのだろうか。
一原は広島の暗号教育隊に入ったが、情報暗号の成績が抜群に優秀だったことから、1か月の教育で小樽に移動したのだとか。ただ、この時も広島で原爆投下にあわなかったということよりも、沖縄に行かないで済んだという思いがあったらしい。そして、8月15日(17日?)には小樽に原爆が投下されるという情報が軍に入り、数日間恐怖にさいなまれたということが書いてあった。
第3の原爆投下候補地としては小倉、新潟という話は聞いたことがあるが、小樽という話は聞いたことがない(今、ネットで検索すると限られた資料には小樽や札幌、函館も候補だったとあるらしい)。「どこにでも落とせるんだぞ」という広報作戦だったのか、軍内部の恐怖心が生んだ噂だったのか、どうであろうか。
■市立小樽美術館「吉川千香子「土と火の遊び-無邪気な(非)器たち」秋野コレクションとともに」。常滑市を拠点に活動している作家ということで、全く知らない人の展覧会が突然開催されたという印象だが、小樽出身の人なのだそうだ。
陶皿を置いている台が一原有徳を連想させて面白い。
さらに台座に古いストーブが使われていて、昔の小樽を思い起こさせる仕掛けになっている。
これは食卓を表現したものだろう。女性の髪の毛が白菜やバナナで形作られている。
そしてこちらは遊びのスペースかな?
入口から左奥のスペースは展示場所が暗くなっており、寝室のスペースだろうか。生活のすべてに密着する陶芸ということを表現しているのかもしれないな。
この他、会場の一角で「ハイブリッドの動物図鑑」という子供むけワークショップの作品が展示されていた。気候や環境の変化で動物たちが生存のためにハイブリッド化したという設定で、その合体動物を画にしたというものである。子供たちの想像力(妄想力)にはすごいものがあって、大人は「合体することにより両者の強みが両方生きるように」と考える気もするのだが、そんなチョロい考えではないのである。
例えば「ダンゴムシ+ワラジムシ=ダンゴワラジ」(それどっちでもいいじゃん)、「あまえび+アオバト=えびばと」(両方の弱さが出て、一瞬で死にそう)、「ライオン+ニシン=ニシオン」(これもどっちの特性も死にそうだ)、「アンモナイト+ダンゴムシ=ダンゴナイト」(もう勝手に滅んでて)、「ウニ+スイカ=ウニスイカ(1人1個食べる)」(どっちの味やねん!)といった、ナイスな発想ばかりなのである。これを検索で見つけた作者の人がいたら言っておきたいが、決して馬鹿にしているのではありません。オジサン、これは思いつかなかったなと驚くばかりでしたよ。
■市立小樽文学館「山田正紀『人喰いの時代』開戦前の小樽」。小樽を舞台にした山田正紀の小説をもとにした展示である。
「北海道大博覧会のイメージ」。
「オタモイ遊園地唐門」:手作り感満点。
「おたもい遊園地案内」:鳥観図仕立て。
「昭和9年4月1日現在 定期航路地図」:韓国併合は「侵略」としか言いようのない話だが、その前年の日本海航路を見ると、行き来がダイナミックに行われていたことが容易に想像できる。
ミニ展示として「荒木聡追悼展 ゲームとアニメの間に」が開催されていた。いったい誰なのと思ったら…。
「貴様、ローディストか!」。何となく「風小次」(車田正美「風魔の小次郎」ね)のパロマンガ(荒木の投稿)にも記憶があるわ。「ザシャア」「お、お前は武蔵!」と、意味なく書いておくか。
さて、そろそろ夕方だな。今日はいろいろイベントがあるみたいだ。