■処刑の丘/ティモ・サンドベリ 2019.9.23=No.1
1917年12月に独立を宣言したフィンランドでは、激しい内戦が勃発した。
ロシアのボリシェビキの支援を受けた赤衛隊とドイツの軍事力に指導された白衛隊との闘いだ。
労働者とブルジョワ、隣人同士の血みどろの殺戮が行われた。
国民の間には怨恨が残り、内戦を生き残った者も、以前の精神状態ではいられなかった。
そんな内戦後をたくましく生き抜く庶民の姿を描いたミステリが、この 『処刑の丘』 だ。
ソ連や日本の戦後の歴史を知るぼくは、結構複雑な気持ちでこのミステリを読んだ。
かつての彼は、物事というのは最終的に収まるべきところへ収まっていくものだと確信していた。......
しかし、運命の輪は予期せぬ方向へ進んでいき、彼を完全に押し潰そうとしたのだ。
生き延びたことを喜べないのはなぜだろう。人生を楽しめず、過去の中をぐるぐる回ってしまうのはなぜなのだろう。
アウグストは人々の家や市の立つ場所でトランペットを演奏し、ときどき靴職人の仕事もしたが、ほとんどの時間を、ふたりはただそこにいて、夏と、互いがそばにいることを楽しんで過ごした。ヒルダと一緒だと、ほかの誰といても感じられないような親しみを、アウグストは感じるのだった。
二年の収容所暮らしののち、アウグストはふいに帰ってきた。彼は外見こそ無傷だったが、精神的に処刑されてしまっていた。
主義主張や国籍にかかわらず、誰もが同じサウナの蒸気を浴び、同じようにヴィヒタ(葉のついたシラカバの小枝を束ねたもの)で体を叩いて血行を促進した。ヴェルテイム氏は客を分け隔てしなかった。ただ常に勝者の側につくだけだった。
「だが、真実と正義を鉄格子の向こうへ閉じ込めておくことなどできはしない。それは小鳥となって自由へ飛び立ち、国民に救済の声明を歌い聞かせるだろう」
「強固な一枚岩の政党は、資本主義者による恐怖支配と圧政に対し、われわれが打ち立てようとする壁である」活動家がとうとうと弁じている。
「帝政時代を思わせる強権、人々を鞭打とうとする中世的精神、そして白色テロが一体となり、ますます愚かな方向へと突き進んでいく。これが、われわれの把握している、現在この社会を牛耳っている権力の実体である。組織化された労働者はこれを認めないし、われわれの闘いの正当性は、歴史が証明するだろう。憎しみを抱いている者は多い。しかし、憎しみで闘いに勝利することはできない。われわれに必要なのは、新たな社会を築くための、節度ある、組織化された活動なのだ」
「内なる威厳を備えている人間というのがいるものだ。彼らの話には、みんな耳を傾けたよ。昼休みには彼らの周りにいつも人が集まっていた」
「たしかに犠牲者は出た」ロウヴィネンがうなずく。「多くの善良な男女が復讐心のために倒れた、しかしあの犠牲者たちがわれわれに求めていることもある。われわれが助かったのは何のためなのだ? それを考えたことはあるか、アウク?」
「この国の隣には評議会で構成された民衆主義の国が存在し、その力がわれわれをも正しい道へと引き寄せてくれる。それがまごうかたなき真実なのだから」
それ以来ケッキは、多くの人間が同じようなやり方で生きている、と考えるようになった。楽しみも喜びも拒否し、最後のひとかじりで天国に入ることができる、ついにお楽しみが始まるという希望にすがって、人生をやり過ごすのだ。
『 処刑の丘/ティモ・サンドベリ/古市真由美訳/東京創元社 』