ゆめ未来     

遊びをせんとや生れけむ....
好きなことを、心から楽しもうよ。
しなやかに、のびやかに毎日を過ごそう。

座席ナンバー7Aの恐怖

2019年10月07日 | もう一冊読んでみた
座席ナンバー7Aの恐怖/セバスチャン・フィツェック  2019.10.7  

セバスチャン・フィツェックの 『座席ナンバー7Aの恐怖』 を読む。

主人公マッツ・クリューガーは、なんとも好きになれない人物だった。
もし、もう少し好感が持てたなら、もっと面白く感じることが出来たかもしれない。
重たく感じる物語(内容ではなく読みやすさ)で、読む速度が出なかった。

 「間違いにはふたつある。人生を困難にするものと、人生に終止符を打つものだ」

 「おまえの患者は長期にわたって重度の心的外傷後憤慨障害を患った。暴力的空想とともに生じた攻撃的な病状悪化。患者は自分だけでなく、可能なかぎり多くの人間を死に至らしめよとした。自分に加えられたことへの復讐だった」

 だがどんな探知機でも見つけられない、完璧な大量殺戮手段となる爆弾、つまり人間の心のことは想定しなかった。
 恩師がいっていたじゃないか。
 “人間はだれでも人を殺す能力を有している。だれにでも、壊れる瞬間がある。他人のこうした精神的ゼロ地点を見つける悪辣な奴が少ないのは幸いだ”


 「それを信じろというの?」
 「ああ」マッツはさらに嘘をついた。「信じてくれ。わたしは大量殺人犯じゃない」
 いや、それはちがう。薄汚い嘘つきだ。


 人間だれしも、臨界点があるものだ。拷問に屈して、人殺しになることだってある。ただ苦痛を終わらせたいばかりに。

 鏡の破片。
 鋭利で手にもちやすい。クッションの溝にあったカミソリの刃とおなじだ。

 その鏡の破片で皮膚を裂き、動脈を切るところを想像した。
 ひさしぶりに幸せな気分になった。



    『 座席ナンバー7Aの恐怖/セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳/文藝春秋 』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする