ゆめ未来     

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国語教師  人生が他者なしでは成立しないものだから

2019年10月21日 | もう一冊読んでみた
国語教師/ユーディト・W・タシュラー    2019.10.21

 「愛、裏切り、死。この三つの大きなテーマを、ユーディト・タシュラーは名人芸の域にあるドイツ語で、いわば小さな室内劇に収めてみせる」(グラウザー賞の審査委員評)

誰もが経験するだろう若き日々の「愛と裏切り、せつない別れ」の物語でした。
刺激のない退屈な日々の暮らし。これが日常。 でも、確かに存在した愛。 すれ違い。 そして、突然おとずれた別れ。
人生の黄昏に、ため息とともに振り返る、「もし、あの時......」。

 物心ついたころから、マティルダは自分の家庭を築きたいと思っていた。

 「毎月一週間、彼女が常に、必ず、四六時中セックスをしたがる時期がある。その週の彼女はまったくの別人で、機嫌がよく、愛情深く、気が利く。喉をごろごろ鳴らしながら僕の周りをうろついて、セクシーな服を着たりする。いざセックスをすれば、こっちはどんなことでもし放題。彼女は、普段なら屈辱的だって拒否するようなどんな奇抜な体位も受け入れてくれる。恋人がよきセックスパートナーであろうとがんばっているんだから、と思って、僕も雰囲気をぶち壊さないように調子を合わせはするんだが、なんだかうまい汁を吸うクズになったような気がする。まったく人っていうのは、子どもが欲しいっていう一念だけで、どれだけのことを成し遂げられるものか、とても信じられない。」

 マティルダだ。僕が歯を磨いているときに、目の前でトイレに座って糞をするのが大好きとくる。毎回、僕がバスルームに行って歯ブラシを手に取るたびに、マティルダはするりと入ってきて、便器に腰かけ、のんびりと大便をする。顔には安堵の微笑みを浮かべて、手には新聞を持って。マティルダにとってそれが、僕たちの親密な関係の象徴ってわけだ。

 マティルダは愛した。それも激しく----ときに我を忘れるほど愛した。

 あの出来事は、ほかのどんなことより重い。あの出来事に比べれば、それ以外のすべては、とてもささいなことに思える。たとえようもない体験をしてしまうと、ほかは全部どうでもよくなるものだよ。

 どうせいずれはお前も、母親の自分と同じような人生をたどるのだ、なにしろ高みを目指す者はうんと下まで落ちるものだから、と絶えず怒鳴り続けた母に。

 二十年近く働いた建設会社を解雇されたとき、父は仕事ともに、仕事に対するモラルも失った。その後はどの会社でも長続きせず、失業期間が長くなり、酒を飲むようになった。両親は互いにむっつりと黙り込んでいるか、そうでなければ、母が父に向かって怒鳴り、父が黙って家を出ていくかだった。両親はどちらも、それぞれのやり方で、人生が失敗に終わった責任を相手になすりつけた。母は大声で怒鳴ることで。父は自分の内に引きこもって、非難がましい目を向けることで。

 クサヴァー どうして語り手はその子供と話さないの?
 マティルダ それはね、その子供には、言葉なしで育ってほしいからよ。


 作家になった後も、無数の朗読会で聴衆の視線を浴びることができるほど成功していたわけではなかったので、女とふたりの関係というささやかな舞台で満足するしかなかった。だが何度か会ううちに、恋も感銘も薄れ、女たちは自分の悩みをクサヴァーにぶつけはじめる。伴侶や元伴侶の愚痴、つらい子供時代、難しい子供たち。女たちの話はほとんどの場合、去ることと去られることをめぐるものだった。去ることへの不安と、去られた後の孤独の話だった。

 「なんといっても、人間には物語が必要だからね。物語のない人生を、想像してみろよ! 人間には、拠り所となる物語が必要なんだ。物語を聞いてなにかを確信することもあるし、なにかを実行したり変えたりする勇気をもらうこともある。もちろん、ただ感動したり、楽しんだりするだけだっていい」

 クサヴァー マリア伯母さん、いったいどんな技を使ったんだ?
 マティルダ 伯母は国語教師を怒鳴りつける。いい加減に口を開きなさい!
         あなたの身に起きたことなんて、誰の身にも起きることなの!
         人生には、去ることと去られることしかないんだから!
 クサヴァー 人生には去ることと去られることしかない、か。



      『 国語教師/ユーディト・W・タシュラー/浅井晶子訳/集英社 』


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