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 愚か者死すべし/原尞

2023年09月07日 | もう一冊読んでみた
愚か者死すべし 2023.9.25

2004年の私立探偵沢崎シリーズ第四作「愚か者死すべし」を、読み直しました。
例によって、内容はほとんど忘れていました。
読んで、新鮮です。

さて、「愚か者」とは誰なのでしょうか。
頑なに自分のやり方に固執する者、政治にのめり込み権力を追い求める者、大金を得ようと画策する者。貪欲なまでに趣味の世界に没頭し金に糸目をつけない者。

渡辺は、遠く去り、思い出話の中にのみ生きている。
錦織は、近況報告に触れて顔を出す。




 依頼人もいないのに、自分の体力や思考力の限界まで行動するのは、愚か者の所為である。私は自分の体力や思考力の限界がすぐそこまで近づいているのを感じていた。

 田島はダッシュ・ボードの灰皿でタバコの火を消してから、言った。「これは老婆心までに言うのだが、おれには、あんたたちがおたかいに嫌い合う理由かわかるような気かするよ。あんたたちは、仕事に対する考え方が、まるで一卵性双生児みたいに似ている。だから、会えば自分のいちばんいやなところを見せられるような気がするんだ」
 「ずいぷんと歳の離れた双子の兄はどうして面(ツラ)を見せないんだ。長期休暇なのか、転勤になったのか、退職したのか、馘になったのか、それとも死んだのか」
 「錦織警部はパリだ」
 「なんだって!? パリとは、ロンドン・パリの、あのパリか」
 「そのパリだ。いま開催中の<インターポール>の国際会議に出席している」
 私は笑いかけてタバコの煙りにむせた。「あの一張羅の紺の背広に、一本しか持っていないネクタイをぶらさげてか」
 「たぶん、そうだろう」
 「日本の警察が世界中で嫌われるのには、大いに貞献しそうだな」
 「錦織警部が優秀な刑事であることは、あんたもよく知っている」


 「ところがどうだ。それが怪我の功名というのか、おれさえ忘れてしまっていた神棚のお守りが、ちゃんとその役目を果たしてくれたんだからな。いや、おれはこれを単なる幸運とは思ってはいないんだ。渡辺さんを信頼していたおれの眼に狂いはなかったし、渡辺さんがあんたを仕事の相棒に選んだ眼にも狂いがなかったということなんだ。だからこそ、おれはこうして生きていられる。あらためてあんたに礼が言いたいんだ」
 「それにはおよばない。私がもっと頭のまわる機敏な人間だったら、誰も撃たれたりせずにすんでいただろう」
 伊吹哲哉がはじめて笑顔を見せた。「あんたは憶えているか。二十年前にここを訪ねたとき、渡辺さんとおれは祝杯を----おれがヤクザの足を洗って、結婚して、まもなく父親になるという祝杯をあげるために、二人ですぐにここをあとにしたんだ。ビルを出てから、おれは彼に、事務所にいたあの若いのはどういう男だと訊いたんだ。彼の答はいまでもはっきりと憶えているよ。あれはおまえよりもっと厄介な男だと言ったんだ。そのときは、てっきりおれと同様に前歴になにかあるという意味だろうと思って、それ以上は詮索しなかった。だが、いまようやく渡辺さんの言おうとしたことか腑に落ちたよ」


 私は事務所の二階の窓から、伊吹絹絵を乗せた漆原弁護士のベンツが駐車場を出ていくのを見送った。娘の伊吹啓子は足の不自由な母親がベンツの後部座席に乗りこむのを手伝ったあと、ひとりだけ新宿駅のほうへ歩き去った。さっきはやはり、若い娘らしい時間の使い方を考えていたのだろうか。いや、経験豊富な探偵であれば、あの年頃の娘の心を推し量るような向こうみずなまねはしてはいけないのだった。

 新宿駅の構内やホームには見苦しい制服から解放された子供たちの姿が目立つたが、冬休みもすぐに終わりだった。楽しい時間は長くつづかないということを知るのか人生の第一歩だが、苦しい時間も同じだということは人生の終わりが近づいても知るのがむずかしかった。

    『 愚か者死すべし/原尞/ハヤカワ文庫JA 』



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